宝石諸島の王子 −5−
次の日、ユーインは昼過ぎになってようやく二日酔いが抜けてきたロゼと共に、長距離航海船の手配など、本国との調整に忙しそうだった。クロムは、外を出歩けないラダファムとイグナーツと一緒に、白木蓮館の大きな図書室で地図を見せてもらっていた。
今は使われていないコリーンヌリーブルの古い地図には、この白木蓮館が当時はブスカドル王家の所有だったことが描かれていた。そして、最新の航路図を広げ、この近辺の海岸線や島々を眺めていった。 「あ、ここが俺の故郷です。こうしてみると、かなり小さい国ですね」 「エクラ王国と神聖コーダ帝国という大きな国に挟まれていては、かなり大変ではないかな」 「詳しいことは知りませんが、グルナディエもエクラ王国の庇護下にあるはずですよ。観光地も多いですし、のんびりとした雰囲気だと思いますが」 「大公殿下はお見かけしたことがある。エクラ王室の分家という位置でよかっただろうか」 「そうだったと思います」 グルナディエ公国の場所を指差すクロムに、ラダファムは興味深そうに唸った。 「フビ国は、どのあたりにあるのでしょうか?」 「ああ・・・・・・」 ラダファムがあたりを見回すと、了解したようにイグナーツが大きなテーブルをまわって、さらに壁際に立ち止った。 「この辺、かな?」 「そんなもんだろうな」 苦笑いを浮かべるラダファムたちに、クロムは唖然となった。今広げている大きな地図には、大陸の西端であるコリーンヌリーブルやオルキディア王国が描かれているが、途切れた東側には、エストレリャ領になる内海の最奥まで描かれているというのに。 「すごく、遠いですね」 「はははっ、俺もそう思うよ。よく子供の時に、この距離を旅できたもんだよな。なぁ、ナッツ?」 「まったくだ。あ、ファムたん、そっちの壁にかかっているの、世界地図じゃないか?」 「お?」 大きな書架をまわりこんでみると、たしかに壁一面に、地図が描かれていた。『日いずる水平線と、日沈む水平線を両手に』そう書かれた絵は、航路図のように精密ではないにしろ、東西の両端と、南北の両端も含めて描かれていた。 西の端のオルキディア、そして、フビ国のある宝石諸島を探して、クロムは地図の東南へと視線を動かした。エストレリャ国はクロムが知っているよりももっと広く、内海の終わりからその向こうにある海へも通じていた。そして、いくつかの小国を経て、大陸が大きく出っ張ったところにフビの名を、その周辺にある大小の島々に、宝石諸島の名前があった。そこから北へ向かったところに、巨大なジン国があったが、宝石諸島もほとんど東の果てと言ってよかった。 「と、遠い・・・・・・」 「俺たちはここから、陸路と海路を使って、エクラまでやってきた」 ラダファムの指先が、今クロムがたどった視線を反対側からたどり直し、今度は下へ下へと下りてきた。 「昨日も少し話したが、今回は南の大陸をぐるっとまわり、海路だけでフビを目指す」 地図の一番下でターンした指先が、南の大陸の東海岸を北上し、つっとフビをめざして大海を横切っていった。 「どちらの道も大変そうですね。俺は北海で船に乗りましたけど、あんなに揺れながら、真水も少ないのに何カ月も過ごすなんて、ちょっとできません」 「ほう、北海を旅されたか。むこうの海も気が荒いと聞くな」 「どこへ行ったんだ?」 「えっと・・・・・・」 イグナーツに聞かれ、クロムは自分がたどった道程を指差した。 「オルキディアを出発して、グルナディエに寄って、エクラの端を北上してベリョーザ帝国へ。帝都ラズーリトから陸伝いに、ゼータール王国へ行きました。ここで船に乗って、首都のリクダンへ。それから、また船に乗って、時々港に寄りながら、エクラ王国のスルス。そこからは陸路で、コリーンヌリーブルに来ました。・・・・・・この一年で、ずいぶん移動したんだなぁ」 ほぼ反時計回りに移動してきたが、距離にするとかなりのものだ。雪に埋もれながら冬を越したり、道なき道を騎行したりしたが、よく一年で踏破できたと思う。 「ベリョーザの・・・・・・ラズーリト、か」 熱心に地図を見上げるイグナーツもそうだが、ラダファムも、ずっとエクラ王宮に閉じ込められて、そこから出たことなどほとんどないのだろう。 「俺たちがラズーリトにいたのは春でしたけど、華やかで綺麗でしたよ。冬は・・・・・・たぶん、たくさん雪が降ると思いますけど」 「そいつは寒そうだ。ファムたんは一年中暖かいフビに行くんだもんなぁ」 「暖かいというか、フビは暑いだろ。雪なんて、よっぽど高い山にしか降らないし」 肩をすくめるイグナーツに、ラダファムは眉間にしわを寄せて首を振る。 「イグナーツさんは、フビ国には行かないんですよね?どこの国に行くのですか?」 「あー・・・・・・どこかな?」 「ここから一番近くて、エクラ王国の力が及ばないところというと・・・・・・コーダ帝国か?」 「そうなるかな。まぁ、そこはユーイン王子とロゼ姫のご采配に任せるしかないけど」 顔を見合わせるイグナーツとラダファムの間に流れる空気が独特であることを、クロムは感じ取っていた。とても信頼しあっているのに、どこか哀しげな軋みがあった。 (もうすぐ、離れ離れになってしまうからかな) 詳しい事情はわからないものの、どうしても別れねばならないという二人に、クロムは胸が締め付けられるような気分を味わった。 「ラダファム殿、こちらか?」 ノックに続いて開かれた扉からユーインの声がして、クロムはぱっと振り向いた。クロムの頭上でラダファムの声がした。 「ああ、ここにいる。何かあったかな?」 足音が書架をまわって、クロムの見慣れた赤毛がひょっこりと現れた。 「実は、フビ国ゆ・・・・・・きの、船のこと、なのだが」 「うん?」 なにやら挙動がおかしくなったユーインに三人は首を傾げたが、ユーインは一呼吸置いて、笑顔で背筋を伸ばした。 「ロゼが細かい要望を聞きたいと言っている。それから、イグナーツ殿にも、この周辺国での船の上の注意事項を確認したいそうだ」 「わかった。すぐに行こう」 「わざわざありがとうございます」 ラダファムとイグナーツが、「またね」とクロムに手を振って図書室を出ていくと、クロムの前にユーインが立った。 「ユーイン?」 図書室のドアが閉まる音と同時に、がばりと抱きつかれ、ぎゅううと抱きしめられ、クロムは突然のことに、じたばたともがいた。 「な、なんですかっ?」 「俺のいないところで・・・・・・俺のいないところで・・・・・・」 がうぅと唸りながら、呪詛のように愚痴るユーインに、クロムは呆れて脱力した。 「三人で地図を見ていただけですよ」 「わかってるよ、当たり前だ。・・・・・・だけど、俺が仕事してるのに、クロムと・・・・・・俺のクロムとぉおおおお」 「あぁ、はい、はい」 理屈や理由を言っても、それをわかっていてユーインは言っているので意味がない。相変わらず抱きしめた姿勢のまま唸っているユーインに、クロムは小さく笑って、こつんと額をつけた。 「そんなにやきもち焼かないでください」 「だって・・・・・・」 まだ腹の虫が治まらないらしいユーインに、クロムも腹の底で思っていたことを吐き出した。 「俺だって、肖像画にやきもち焼きましたよ」 どの絵にも、綺麗に着飾った可憐な淑女ばかりが描かれていた。高貴な家柄の女というだけで、無条件にユーインと釣り合うとみなされる彼女たち。クロムのようにユーインと一緒に諸国をまわることもできない、クロムのようにユーインの気持ちを一身に受けていない淑女たち。それなのに、クロムは肖像画から威圧感を受け、悔しいと思った。 それを恥じたからこそ、いままで口を噤んでいたのだ。ユーインを疑うようなことも、ユーインが好きでいてくれる自分を貶めることも、絶対にしたくなかった。 「・・・・・・・・・・・・」 「気がすみましたか?」 「うん。・・・・・・ごめん」 クロムが困っていると理解し、ちゃんと反省したらしく、ややしょげた声を出したユーインを、クロムは腕を回して抱きしめ返した。この常識はずれな王子についていけているのは、少々暴走気味でも、こうしてなりふり構わず、真っ直ぐにクロムを求めてくれるからかもしれない。 「俺は、困っている人を助けるために、王子としての仕事もするユーインが、ちゃんと責任を果たしているところとか、頼もしく見えて、その・・・・・・素敵、だと、思います。だから・・・・・・ぅわっ!?」 せっかく緩んできたユーインの腕の力が、また強くなり、クロムは半ば抱え上げられるように足が浮いた。 「ユ、ユーイン!?」 思わずユーインにしがみついたクロムが降ろされたのは、窓際のカウチの上だった。促されるままクロムが座ると、ユーインは窓を開けて、新鮮な空気を図書館に招き入れた。 図書館は中庭に面しており、ヤシの木やベンチを見下ろせ、ときおり荷物を抱えた使用人や、槍を携えた警備兵が往来していた。 「クロム・・・・・・」 「はい・・・・・・?」 ユーインに覆いかぶさられるように、クロムはくちづけを受けた。いつも通り優しいキスだが、同時に欲望に濡れたユーインの眼差しも、いつも通りだ。 「ねぇ、しよ?」 「こ、ここで、ですか!?外に聞こえますよ!」 「いいじゃん。ちょっともったいないような気もするけど・・・・・・恥ずかしがるクロムの声も、聞きたいな」 もうほとんど見慣れたユーインの獣のような微笑に、クロムは抵抗しても無駄だと観念した。 「もう。一回だけですよ」 「ふふふっ、じゃあ、その後は部屋でしよう」 「・・・・・・・・・・・・」 何も言えずにいるクロムに、ユーインは嬉しそうにのしかかっていった。 |