宝石諸島の王子 −4−


 用意された客室は広く、壁紙やチェストも明るい色合いで上品だった。窓だけはしっかりと鍵がかけられ、まだ暑いのに分厚いカーテンで覆われていた。清潔で大きなベッドで、ぼんやりと座っているイグナーツに、ラダファムは声をかけた。
「どうした、シケた顔して。まだどこか痛むか?」
「違うよ」
 イグナーツはすぐに口元に微笑を浮かべたが、緊張とも焦燥ともつかない空気をまとっているのは、見ればわかる。もう動き出して止められないのに、まだ迷っているのかもしれない。
「・・・・・・なんか、気持ちの整理がつかなくてさ」
「こうなることはわかっていたはずだぞ」
「だけど・・・・・・」
 イグナーツが悲しそうな顔をしてくれることが、ラダファムには嬉しいような、腹立たしいような、自分でも上手く言えない感情を波立たせた。
「これからだって大変なのに、ファムたんを一人で行かせるなんて・・・・・・」
「たしかに、ナッツがいないと、俺だって心細いさ。国に帰ったって、味方は一人もいないだろうしな」
 わかりきったことだ。厄介払いされるように人質に出され、それから二十年も帰っていないのだ。何度か父王からの手紙は届いたが、幼い頃に別れた人の面影は、ほとんど思い出せなかった。庶子であるラダファムは、故郷の王族にとっては、いつまでたっても道具でしかないはずだ。
「まあ、一人でもやってみるさ。まずは、味方を増やすところからだけどな。・・・・・・いままでは、ナッツに頼りきりだったんだ。少しは甲斐性出さないとな」
「そんなこと・・・・・・」
 イグナーツは謙遜するが、ラダファムは首を横に振った。
「俺は三十年近く、ずっとナッツを独り占めしてきた。俺が曲がりなりにも王子である役目と矜持を失わせないために、ナッツはずっと盾になってくれた。俺より小さかったのに、いつも苦しいことを押し付けてきた」
「俺は俺の仕事をしただけだ!憐れまれるようなことはしていない!」
「ナッツ・・・・・・」
 イグナーツはそう言うが、人質生活というのは楽ではない。宗主国であるエクラの人間には蔑まれ、軽視され、時には慰みものにされることさえあった。幸いにして、顔は美少年でも体は早くから鍛え上げていたラダファムが、男に組み敷かれるなどということはほとんどなかったが、代わりにイグナーツが狙われたのは当然の成り行きかもしれない。しかもイグナーツは、ラダファムに累が及ばないようにと好きにさせていた節もあった。それはたしかに、ラダファムの侍従としてイグナーツの不文律の役目でもあったのだ。
 近年はほとんどなくなった・・・・・・というか、エクラ側が恐れをなして手を出してくることがなくなり、逆に女性からの誘いは多くなったのだが、男からの政治的な蔑視は変わることがなかった。
 二人で励まし合い、互いの盾になりながら、知恵と知識をつけ、体を鍛え、やっとの思いでここまできたのだ。
「俺はずっとファムたんの側で役に立っていたい」
「わかってる。俺だってナッツと一緒に居たい。でもさ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
 ラダファムは全て理解して許している。それがわかっているから、イグナーツはうつむいた。
 あの決定的な出会いさえなければ、イグナーツがこんなに悩むこともなかったし、ラダファムもずっとイグナーツを側に置いておいただろう。
 いっそエクラ王宮で飼い殺しにされていた方が、生ぬるい幸せに浸っていられたかもしれない。叶わぬ恋愛ごっこに終始して、不自由の慰めになっていただろうに。
「あの人は本気だ。だから、ロサ・ルイーナをよこした。ナッツが行かなければ、失敗者とみなされた彼女が死ぬだろうよ」
「・・・・・・そうだな」
 イグナーツの外堀はすべて埋められていた。ただ、本当に心の整理がついていないだけだ。ラダファムに終生仕えることが、イグナーツの役目であり、それを喜んで受け入れていたのだから。
「なに、俺のことは心配するな。意外と、ナッツの方が苦労するかもしれないんだからな」
 ラダファムに肩を叩かれたイグナーツは、小さく苦笑いをこぼして頷いた。


 月明かりにキラキラと光る海面を遠くに見下ろしながら、クロムはユーインと共にテラスで酒を酌み交わしていた。晩夏の夜風はそれなりに涼しく、コリーンヌリーブルの灯台の光が一際輝いて見えた。
「ずっと見張られていたのなら、病死というのは疑われるでしょうし・・・・・・事故、でしょうか」
「急な階段から落ちたとか、その辺が無難かなぁ」
 坂だらけのコリーンヌリーブルの町では、慣れない旅行者にありえなくない事故だ。
「いっそのこと、海に落ちたって言った方が、死体が上がらなくてもいいかな」
「そうですね」
 恋人同士の会話で、カモフラージュとはいえ他人の死なせ方を考えるというのは、なかなか妙なものだとクロムは思う。
 肴のハーブソーセージを前に、グラスの赤ワインが揺れる。
「それにしても、どうして死亡にこだわるんでしょうか」
「それ以上追いかけてほしくなければ、存在ごと抹消してしまうのがいいんだろうな。そう・・・・・・それ以上追いかけてほしくない・・・・・・追いかけられると困るから?追いかけないと困るから?」
 微妙に異なる可能性をユーインが探り、クロムは邪魔しないように口を閉じて館の壁を見渡した。ラダファムたちが泊まっているだろう部屋は、うっすらと灯りが漏れているものの、しっかりとカーテンが降ろされ、人影が映ることはなかった。
「くっそぅ、ロゼのヤツ。まさかこんなにでかい話だとは思わなかった」
 頭をかきむしるユーインに視線を戻し、クロムは小さく微笑んだ。
「ユーインでなければ解決できない話でしょう?」
「うぅ〜、だからって、こんなリスキーな話を一人でこっそり片付けるなんて無理だ!」
「ロゼ様は、どうしてラダファム殿下に協力しようと思ったのでしょうか」
 ユーインが頭を抱えるほど危険が高く、ロゼ自身も巻き込まれて罪に問われたり、命を危険にさらしたりする可能性を自覚していた。それなのに、なぜあえて協力しようと思ったのか。
「たぶん、ラダファムたちは、ロゼがブスカドル王家の血をひいていることを、エクラ王国をよく思っていないことを知っていて、頼ったんだ。ロゼとしては頼られて嬉しいし、それなりに報酬ももらっているはずだ。俺に対する手札を消費するいい機会でもある・・・・・・。ロゼは一石三鳥ぐらい狙わないと気がすまない奴だからな」
 ユーインはため息をついて、グラスのワインを飲み干した。
「そりゃあ、コスパが良い方がいいでしょう?」
「ロゼ様!?」
「いっ、いつからいた!?」
 メイドに追加の酒と肴を持たせたロゼが、にっこりと微笑みながらテラスに入ってきた。
「お邪魔しますわ」
「どうぞ」
 手酌で自分のグラスにワインを注いで動く気のなさそうなユーインに代わり、クロムが立ち上がってロゼに椅子をひいてやった。
「ありがとう、クロム」
 給仕を済ませたメイドをさがらせると、ロゼはチーズを乗せたクラッカーに手を伸ばした。
「オルキディア王宮が窮屈で気が変になりそうなのは、ユーインだけじゃないのよ。女が自由を求めたっていいじゃない」
「・・・・・・・・・・・・」
「まあ、それはいいのよ。私はユーインほど突き抜けてはいないから」
「女の中では、十分突き抜けていると思うぞ」
「うふふっ」
 ロゼは機嫌よくグラスを傾けた。
「お見合いの話は、ユーインにあるだけじゃないの。私の所にもちゃんとあるのよ。それに、私だってそろそろ結婚したいなぁって思わなくはないの」
「本当か?」
「本当よ」
 疑わしい目をするユーインに、ロゼは心外だと言わんばかりに眉をひそめて頬を膨らませた。
「お前を娶った男は苦労しそうだな」
「どういう根拠よ。それに、私にだって選ぶ権利はあるわ」
 つんと澄ますロゼに、クロムは微笑ましくたずねた。
「どういった方のお話が来るんです?」
「そうね、オルキディアの有力な地方領主とか、外国の貴族とか・・・・・・でも、全然ダメ。顔も頭も悪ければ、スケールも小さいのよ」
 ぶうと唇を尖らせ、ロゼは不満げだ。
「ホントはね、ファムたんがいいなぁって思ったの。かっこいいし、お金持ちだし、面白いし」
「ラダファム殿下ですか!?たしかに、頼もしそうな方だと思いますが・・・・・・」
「ふうん?」
 あの巨体と妹の仲良い夫婦を想像したのか、それともクロムがラダファムを褒めたのが気にくわないのか、ユーインの表情は微妙だ。
「でもね、ファムたんに断られちゃった」
「すでにアプローチ済みだったのか!」
「うん」
 もう交際を持ちかけて振られているのだと、ロゼはあっけらかんと頷く。王家の姫君としてはあまりの軽さに、ユーインは額に手を当てるが、クロムは穏やかに話を促した。
「ロゼ様を断るなんて、ずいぶん勇気のある方ですね。他に許嫁がいるとかならともかく」
「ホントよね。でもね、自分は国に帰ってもそんなに強い立場じゃないし、たしかにフビ国はたくさん宝石が採れるけど、だからといってお金になるとは限らないって」
「そうなんですか」
 宝石と言えば大変高価というイメージがあるが、ラダファムは違う側面を見ているらしい。
「フビで採れた宝石を使った、指輪や髪飾りやドレスを、ロゼにたくさん買ってくれる人にしなさいって言われちゃった」
「あぁ、なるほどな」
 意図が理解できたらしいユーインは頷いて、二人に説明してくれた。
「フビで採れる宝石の原石を買い叩いているのがエクラ王国だ。フビ国からこちらの大陸まで運ぶだけでも希少価値が跳ねあがるけど、そこから加工して宝石細工にすれば、もっと価値が出る。そこまでの金がある奴を手懐けた方が、言葉が通じず、文化もかけ離れたフビに行くよりも、ロゼにとっては苦労しないし、幸せだろうという話だな」
「それはそうかもしれないけど・・・・・・はぁ、もったいないわ。ファムたんいい人なのに。いっそのこと、ウチに話して嫁入りの話をつけてもらおうかしら?オルキディアにとって、悪い話じゃないわよね?」
「いや、そうかもしれないけど・・・・・・一応、振られたんだろ?」
「ああん、もう!」
 本当に残念そうに酒を煽るロゼを、酔いつぶれる前に帰らせることに、ユーインとクロムは少なくない労力を使うはめになった。