宝石諸島の王子 −3−


 洗練された内装のダイニングでは、五人分のカトラリーが用意され、メインの子ブタのローストをはじめ、大きなオムレツや新鮮な野菜のサラダ、魚貝とサフランで炊き込んだご飯など、豪華な夕食が並んでいた。ユーインが来るのをわかっていたからか、オルキディア料理が大半だ。
「わぁ、美味そうだな」
「うふふ。どうぞ、皆さんおかけになって」
 料理に気を取られて笑顔になるユーインの隣で、クロムはカトラリーがワンセット多いのに気が付いた。
「あ・・・・・・ラダファム殿下のお連れがまだ・・・・・・」
「あれ?あいつまだ腰を抜かしてるのか?」
「ここにいるよ、ファムたん」
 ちょうどダイニングに入ってきた青年は、ラダファムに比べてずいぶん華奢な印象だった。ラダファムのような浅黒い肌ではなく、いっそ青白いほどの白さで、わずかに青みを帯びた銀色の髪は、目が隠れるほど前が長かった。
「足のしびれは取れたか、ナッツ?」
「ったく、冗談じゃねぇよ。・・・・・・ファムたんこそ、眉毛の染め粉が落ちきれてねぇぞ。付け髭の糊もちゃんと落としただろうな?後でかぶれるぞ」
「ああ、大丈夫だって」
 侍従というには砕けた言葉遣いの青年を隣に立たせ、ラダファムが紹介をする。
「イグナーツだ。子供の時から、ずっと俺に付いてきてくれている」
「お初にお目にかかります、ラダファム様の侍従のイグナーツと申します。ナッツとお呼び下さい」
 完璧なエクラ風の礼をしてみせたイグナーツは、近くで見ると、ユーインやクロムたちとほとんど変わらない体格だった。背も高く、確かに細身ではあるが、しなやかな動きはユーインに似ていて、彼も武術の心得があるのだろうとクロムには察せられた。ただ、ラダファムの隣に立つと、藁のような細さに見えるだけだ。
 王族との謁見というよりは、友人同士の自己紹介といった軽い雰囲気の中で、会食は和やかに始まった。
「そりゃあね、先に連絡は貰ってたけど、おっきなエストレリャ人とおっきな木箱にはびっくりしたわよ」
「はははっ、驚かせて申し訳ない」
「何も本当に、人を石膏像に詰め込まなくったっていいと思うんだけどな」
「万が一、中を改められたら困るだろ」
「そうだけどさ、ロゼ様の荷物だってわかってて、それやる奴がいるか?」
「それがね、ナッツ。たまーにいるのよ、頭のおかしいのが。ね、お兄ちゃん、他の国ではどうなのかしら?」
「貴族や王族の物とわかってて、ちょっかいを出す奴は少ないだろうけど・・・・・・まあ、いるにはいるよ、頭の固い奴とかね」
 ユーインの答えに、ラダファムは満足気に胸を張った。しかし、隣のイグナーツがうんざりしている所を見ると、彼は長時間石膏像の中に閉じ込められていたらしい。それは体のあちこちが痛くなるだろう。
「ところで、そもそもどうしてそんな手の込んだことを?」
 ユーインの疑問に、ラダファムは真面目な表情になって答えた。
「簡単に言えば、見張られているんだ。エクラ王国にな。いまも俺たちは、別の宿に逗留していることになっていて、そのカモフラージュに動いてくれている人もいる」
「どうしてそんなことに・・・・・・」
 思わずこぼれたクロムのつぶやきに恐れを感じたのか、ラダファムは安心させるようににっこりと微笑んだ。
「見張られていること自体は、俺たちがこの国に着いてから二十年変わらないよ。話せば長くなるんだが・・・・・・とりあえず、俺が帰国することになった経緯からにしようか」
 遠く宝石諸島にある、一番大きな国のフビで、国王が身罷った。王位は第一王子、つまり、ラダファムの一番上の兄が継いだのだが、三番目の兄が宝石鉱山の利権について主張し始めた。いくら宝石がたくさん採れるからと言って、エクラ王国に安く輸出するのは国益に反するのではないかと。
 もちろん、エクラ王国を敵に回すのは得策ではないが、フビ国にもフビ国の都合や利益がある。そこで、まだ幼い第二王子の息子をエクラ王国に渡し、ラダファムを帰させることによって、エクラの内情を探ると同時に、フビに有利な政策を考えようというのだ。
「そもそも、俺は少数民族出身の母から生まれた庶子で、厄介払いのように人質に出されたようなもんだ。ナッツはエストレリャ経由で奴隷として流れてきた、こちらの国々のどこか出身の女性が母親で、父親は船乗りだったらしい。容姿もむこうの国民とはだいぶ違うし、俺たちにとっては、エクラ王国にいた方が気が楽と言えば楽だったんだ」
 そして二十年、エクラ王国で留学という名目の人質生活を送り、ラダファムはフビ国に帰ることになった。エクラ王国は新しい国王や新しい人質も気になるが、それよりも多くの情報を持っているラダファムを帰すことに神経質になっていた。
「ここから船で帰るのか。大陸を回る航路が確立されているとはいえ、フビ国の人間なら、エストレリャ国を経由した方が安全じゃないか?」
「ところがいま、エストレリャとレオーネがキナ臭くてな。先月も町がひとつ潰されたとかなんとか・・・・・・」
 ため息をついて首を振るラダファムに、ユーインも渋い顔になる。
 隣接するエストレリャ国とレオーネ国は、歴史的に仲が悪い。そして、フビ国がある海へ出るための道は、その境目近くを通らねばならなかった。二十年前はレオーネよりも、その隣にあってエストレリャと比較的交友のあるジェメリ国の力が強く、エストレリャの海路と陸路はフビ国民にとってはそれなりに安全だった。だが今は、エクラ王国の印を掲げていても、フビ国の印を掲げていても、危険に変わりはなかった。
「そこで、エクラの息がかかっていなくて海洋航路にも詳しい、オルキディアの船で行きたいのさ」
「なるほど」
「そこは私が手配するわ。お兄ちゃんに頼みたいのは、もうひとつの方よね?」
「もうひとつ?」
 ラダファムは頷き、言葉を選ぶようにしばし沈黙した後、おもむろに口を開いた。
「このイグナーツを、公的に死んだことにして、第三国に脱出させたい。そのためにエクラ王国の目をくらませることと、隠密にオルキディアを通過させてもらうこと、この二点の協力を仰ぎたい」
 なぜラダファムではなくイグナーツなのか、なぜ存在を抹消するほどの手をかけねばならないのか、なぜオルキディアは通過するのか、なぜ・・・・・・。疑問は尽きなかったが、まずユーインは確認をした。
「その協力をするとして、我が国が負うリスクと、得る利益をお聞かせいただこうか」
「エクラ王国から、多少の疑念を向けられることは避けられないと思う。利益は・・・・・・上手くいったなら、フビ国とオルキディア国の親善と通商に、良い影響が出るということ。それから、とある人物からのユーイン殿への印象が良くなる、と言ったところだろうか」
「とある人物?」
 ユーインは聞き返したが、ラダファムはそれには答える気がないのか、手元のパンに視線を落とした。
「先に言っておくと、船の手配だけなら私がなんとかするわ。コリーンヌリーブルからオルキディアへも、コリーンヌリーブルからジェメリへも、グルナディエへでも、北海の五カ国連合へでも、一度もエクラ領の港に寄らないで運んであげる」
 きっぱりと言い切るロゼに、ユーインは頭を抱えた。
「ロゼ・・・・・・お前わかってんのか?」
「なにが?」
「これはエクラとフビの国交に頭を突っ込むことになるんだぞ?どれだけ危険かわかっているのか!?この館にいるお前が、一番怪しまれるんだぞ!?」
「別にかまわないわよ」
 ロゼはしれっと言い、ジャガイモのオムレツをぱくぱくと口に運んだ。
「んんっ、ユーイン、私の・・・・・・いえ、私の母の出身をご存じ?」
「え・・・・・・エクラじゃなかったか?」
「違うわ。ここよ」
 ロゼがナイフを持ったまま、行儀悪く下を指差してみせた。
「私の母は、ブスカドル王家の末裔。エクラに滅ぼされた、ブスカドルの一族よ」
 コリーンヌリーブルを首都として栄えていたブスカドル王国は、数十年前にエクラ王国に占領され、滅亡していた。わずかに残った王族は散り散りになり、そのうちの一人が、オルキディア王家の後宮に納まったロゼの母親だった。
「私には国を取り戻せるほどの力はないけど、コリーンヌリーブルの歴史を集めて保存することはできる。元々オルキディアに愛着はないし、我欲まみれのエクラなんてク・・・・・・あー、どんなに不利益を被っても、ザマミロってところね」
 寸前で汚い言葉遣いを回避したらしいロゼは、笑っていない強い眼光のまま、ご飯が美味しいわと続けた。
「お前な・・・・・・」
「お兄ちゃん。お兄ちゃんこそ、お見合いの件、わかっているでしょうね?」
「う・・・・・・」
 言い返せなくなったユーインは、黙って皿の上のローストポークを睨みつけた。
「移動手段はいいのよ。ただ、今も見張っているエクラ王国の目を、しっかりと誤魔化せるかっていうところなのよね。船の上で海賊を装って襲われたり、他の国に着いた瞬間に捕まったりしたら、意味がないもの」
「その知恵を俺に出せっていうのか」
「ぴんぽーん。ユーインなら、エクターお兄様にもごにょごにょできるでしょ?公的な死亡証明書の発行ぐらい、ちょちょいのちょいじゃないかしら?ついでにお墓も建てましょうか」
「エクターの手を煩わせるのか・・・・・・余計に利益がきちんとしていないと、難しいぞ」
「そうなの」
 男兄弟の為人については疎いらしいロゼは首を傾げたが、たしかに数多い兄弟の中でも、ユーインを可愛がってくれるエクターならば、協力してくれるかもしれない。宝石諸島との交易は、莫大な利益を生み出すはずだし、エクラ王国ばかりに富を独占させるのは、オルキディア国としても面白くない。
 それに、いつまでもラダファムたちがここにいることを、誤魔化していることも出来まい。ロゼの身にも危険が及ぶ可能性が、どんどん高まっていく。時間がない。
「わかった。何か考えよう」
「かたじけない」
「お手数をおかけします」
 まだ難しい顔ながら頷いたユーインに、ラダファムとイグナーツが揃って椅子から立ち、深々と頭を下げた。