宝石諸島の王子 −2−


 コリーンヌリーブルは、ひどく坂が多い。だから、馬車が通れるようになだらかで広い道を選ぶと、かなり迂回をしなければならなかったり、階段にぶち当たってたどり着けなかったりする。そういう不便な場所は、庶民の住居がひしめいており、交通の便が良い高級住宅街は、港から少しだけ奥に上がった場所にあった。
 オルキディア王室のロゼ姫が居を構える白木蓮館も、開けた場所に近かったが、それでも窓から海を見渡せるほどには、閑静な高台にあった。・・・・・・というより、白木蓮館自体が、丘一つを取り込むような大きさの城館なのだが。
「待ってたわ、お兄ちゃん!」
「久しぶりだな」
 夕日がゆっくりと水平線に落ちていく時間に白木蓮館にたどり着いたユーインとクロムは、赤毛の姫君から熱烈な歓迎を受けた。
「いらっしゃい。貴方がユーインの彼なのね。私、妹のロゼよ」
「お初にお目にかかります、ロゼ様。クロムと申します」
「うふふ、そんなにかしこまらないで。寛いでいってね」
 ロゼは姫君というより、本当に街の娘のような気軽さで振る舞う。長い赤毛と灰色の目をしたロゼは、あまりユーインには似ていなかったが、美人の部類に入る程度には可愛らしい顔立ちをしており、なにより知性に溢れた眼差しをしていた。
 白木蓮館には召使が数十名常駐しており、ロゼの世話や館の管理や警備など、すべてをまかなっていた。もちろん、客人の部屋の用意も彼らがきちんとしていた。
「夕食までに、お兄ちゃんに見てもらいたいものがあるの」
 荷物を置いて、ロゼが用意させたお茶で一服していると、ユーインはそのように切り出された。
「宝石諸島の王子に関することか?」
「うーん、その前提、かしら」
「前提?」
 訝しむユーインに、ロゼはにっこりと愛らしく微笑んで見せた。
「・・・・・・・・・・・・」
「あ、いまなんかコイツめんどくせぇとか思ったでしょ」
「そういう言葉遣いはやめろって」
「私は的確に表現しただけよ?お兄ちゃん、作り笑顔以外は、わりと顔に出やすいんだもの。ねぇ、クロム?お兄ちゃんってお洒落に見えて、人のこと振り切って突っ走っていくでしょう?」
「は、はあ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
 無言になってティーカップを口に運ぶユーインを見て、クロムは何となくユーインが馬車の上で言っていたことがわかったような気がした。
「それで、見せたいものってなんだ?」
「むこうの部屋にあるわ。もうたくさんすぎて、全部出しておくのが大変なのよね」
 ため息をつくロゼに、ユーインとクロムは顔を見合わせつつも、案内されて部屋を移動した。
「こっちよ」
 扉を開けたロゼに続いて中に入り、その光景にユーインとクロムはそれぞれの感情を乗せて絶句した。
「あ・・・・・・」
「わぁ・・・・・・」
 そこは広々とした二間続きのラウンジだったのだろうが、仕切りのドアは取り外され、動かせる家具もすべて撤去され、代わりに壁一面に肖像画がかけられていた。その肖像画に描かれているのは、人物こそ違え、全て着飾って微笑む若い女性たちのようだった。
「まさかとは思うが・・・・・・」
「うん、全部ユーインのお見合い相手よ」
「えっ・・・・・・」
 ユーインは頭を抱えていたが、ロゼの発言に遠慮した空気をかもし始めたクロムに、慌てて全力で否定した。
「違うからな!俺は何にも知らないし、見合いなんてする気もないし、クロムだけなんだから、ホントに!だからとにかく、そんな顔するな!頼むから!クロムぅ〜!!」
「おほほほほ。お兄ちゃんたらぞっこんラヴなのね。幾人ものお見合い相手をかいくぐって、身分違いの愛を貫くなんて・・・・・・ロマンだわぁ」
「お前も余計なこと言うな、ロゼ!!」
「いやーん、大きい声出さないでよ」
 ドレスの裾をひらひらと泳がせながら、ロゼは足取り軽くラウンジの真ん中まで進み、扇でびしびしと肖像画を指していった。
「それとそれがダニエラおばさま、こっちのがガブリエラお姉様から、それからこの大きいのがラソン男爵夫人から、あっちのがマリベルおばさまから、これはリエンダ公爵夫人のお孫さん、あの額からして豪華な一枚は、ナタリア大叔母様からのご推薦。・・・・・・どのお嬢さんも、立派な家柄のお姫様よ。で、お兄ちゃん、どうやって断るつもり?」
「う・・・・・・」
 親戚中の女傑たちを前にしては、流石のユーインも逃げの一手しかないのだろう。脂汗を浮かべそうなこわばった表情で対策らしいものを探しているが、いい考えは浮かんでいなさそうだ。
「こんなの全部無視だ!俺は知らないし、見合いなんてやる気もない!」
「そりゃあ、お兄ちゃんが全部お断りだっていうのは、私だってわかっているけど・・・・・・ナタリア大叔母様なんて手強いわよぉ。下手をすると、ユーインを遊ばせていないで国内で大臣職を〜なんて言い出しかねないよねぇ。お父様も大叔母様には逆らい辛いでしょうし、いきなりオルキディアに呼び戻されるかもしれないよねぇ。どうしたらいいかしらねぇ」
「くっ・・・・・・ロゼにはいい断り方があるっていうのか?」
「そうねぇ、ユーインよりは上手に断れると思うわ。・・・・・・うふ、うふふふ」
「くっそぉ・・・・・・」
 広げた扇で口元を覆うロゼに、ユーインは完敗の態で拳を握りしめた。
「ユーイン・・・・・・」
「もしかして、都合のいいことをお考えでしたの?私が何の報酬もなしに、お兄ちゃんを呼ぶわけないでしょう?」
「報酬!?」
「報酬よねぇ。これをぜぇんぶ、後腐れないように断ってあげるんだから。おっほほほほほ」
 勝利の高笑いを上げるロゼに、先手を打たれたユーインは、がっくりと膝をついた。
「ユーイン、あの・・・・・・その大丈夫ですか?」
「だぁいじょうぶよ、クロム。お兄ちゃんは外交がお上手、私は国内での女の交渉事を受け持つ。ギブアンドテイクってやつよね」
「ロゼのギブアンドテイクなんて信用できるか!絶対に、ぜっっったいに、見合いを断るよりも面倒くさいことを押し付ける気なんだろ!!」
「んもう、ひどいわ、お兄ちゃん。私がそんなことするはずないじゃない」
 よよよと嘘泣きをするロゼの口元が、扇に隠れきれないで大いに笑っているのだが、クロムは見なかったことにした。
「ユーイン、お身内によってオルキディア国内に縛り付けられてしまうよりは、ユーインの得意なことで道を切り開くべきではありませんか?」
「あぁっ、なんて出来たお方なの!?ちょっとお兄ちゃんにはもったいないんじゃない?」
「うるさい、ロゼ!あとクロムにくっつくな!」
「いいじゃない。男の嫉妬は醜いわよ〜」
 がるるると牙を剥くユーインに追い払われ、ロゼはクロムから離れて一枚の肖像画の前に立った。
「彼よ」
 そこにはエクラ風の正装をした、浅黒い肌の少年が描かれていた。髪はふんわりとした金髪で、くりっとした大きな青い目には星が入っているように輝いている。年の頃は十二歳か、もう少し上だろうか。頬は血色よくピンク色をしており、絵の手法はエクラ風ではあるものの、エキゾチックな風貌は比べるまでもない。凛々しい立ち姿の少年は、まず美少年と言ってよかった。
「宝石諸島のフビ国の第四王子。ラダファムよ」
「へ〜」
「こんなに幼いのに」
「といっても、二十年くらい前に描かれたものよ。ね、ファムたん」
 ロゼが声を向けた扉を振り返り、ユーインとクロムはあんぐりと顎が落ちた。
「可愛いだろ?ま、今もカッコイイけどな」
 出入り口の上にも横にも身体がつっかえてしまいそうなほどの大男が、にんまりと微笑んでいた。確かに褐色の肌で、金髪で青い目をしていたが、そこに美少年はおらず、顔立ちもがっしりとした、少々男臭さが混じりはじめた美青年がいた。どこまでも肖像画とはかけ離れた、筋骨逞しい、隆々とした体躯はしなやかで、動作が大きくてもあまり音を立てない。
「ラダファムだ。ファムたんと呼んでくれ」
 差し出された大きな手をユーインは握り返し、ぶんぶんと振られて目を白黒させた。
「ユ、ユーインだ。ロゼの兄だが、あまり故郷には帰っていない。お初にお目にかかる」
「噂はかねがね聞いている。あっちこっちの国に出没しては、微妙に国際状況を変えてしまう、厄介なオルキディアの風来王子だってな」
「は、ははは・・・・・・」
 ユーインは渇いた笑を漏らし、自分より頭ひとつ分上にある笑顔に応じた。
 ラダファムはユーインより年上、ロゼの言ったように三十過ぎぐらいだろうか。顔はたしかに少年時代の面影を残しているが、立派すぎる肉体と相まって、威風堂々という表現が似合う。ゼータールのオーラン王も若かったが、ラダファムも王子ではなく、王だと言ったとしても十分通用するだろう。
 着慣れているせいか、ラダファムはエキゾチックな容貌でも、エクラ風の服装に違和感がない。フリルのついたシャツも濃い色のベストもよく似合っていたが、それでもお国の民族衣装を着た方がしっくりくるかもしれない。
「そちらは、侍従の方か?」
「あ・・・・・・」
 突然視線を向けられ、クロムはびっくりして頭を下げた。
「恋人のクロムだ。一緒に旅をしている」
「ああ、それは失礼した。申し訳ない」
「いえ・・・・・・」
 周りが皆王族という状況に緊張して、クロムは口が重い。それに、壁中にかかった肖像画に見下ろされているような雰囲気すら一人で感じていた。
「俺の連れも、同じような銀髪なんで、つい・・・・・・」
「あの、お気になさらず」
 なんとか強張った笑みを浮かべたクロムを、ユーインがぐいと引き寄せた。
「クロムはグルナディエ公国で衛生兵をやっていたのを、やっとの思いで口説き落としたんだ。その辺の身分と気位ばっかり高い姫君たちとは、わけが違う」
「ほう。貴君も見初められて故郷から引っ張り出されたクチか。まぁ、ちゃんと口説いてくれるだけ、あの御仁よりかはましだな」
「え?はぁ・・・・・・」
「何の話だ?」
 きょとんとした二人に、ラダファムは困ったように苦笑いを浮かべた。
「ユーイン殿、頼みたいことがあるんだ。どうか力を貸してほしい」