宝石諸島の王子 −1−


 夏の終わりにゼータール王国を出立したはずだが、一ヶ月ほど経ったいまでも、涼しくなるどころか、逆に暑いと感じる日が続いていた。ゼータールでは夏の終わりでも、クロムが親しんだグルナディエ公国の暦では、まだまだ盛夏だったのだ。
「南に向かって進んでいるんだから、暑いのは仕方がないね」
「それほど、あの国々は長く厳しい冬を過ごしている、ということなんですね」
 庇だけで幌を外した馬車の上は、適度に晩夏の風が当たって気持ちが良い。夏服とまでは言わないまでも、ゼータール王国にいたころよりもはるかに薄着になったユーインとクロムは、すでに落ち葉の季節も終わろうとしている極寒の北国を思いながらも、優雅な道行きを愉しんでいた。
 麦畑やブドウ畑が続く田園地帯を突っ切っている街道は、石畳で広く舗装され、さらに両脇には等間隔に街路樹が並び、エクラ王国の文明の高さがうかがえた。御者と二頭立ての馬の先には、町を囲う城壁と、その向こうに教会であろう尖塔が見えた。
 ここはエクラ王国の西部、コリーンヌリーブル。なだらかな丘が重なり合う土地で、郊外は農耕地が広がり、造酒や畜産が盛んだ。そして、最大の特徴は、外海に面した港をもつ、有数の大商業都市でもあった。
 いま、ユーインとクロムは、そのコリーンヌリーブルの町を目指しており、乗っている馬車は、ユーインの実家であるオルキディア王家の紋章が飾られていた。つまりコリーンヌリーブルには、ユーインが苦手な家絡みの厄介事が待っているのだ。
 そもそもの事の発端は、エクラ王国の首都であるスルスに立ち寄った時のことだ。外遊する代わりに自分の位置を知らせる義務があるユーインが大使館に赴くと、待ちかねた役人たちに悲鳴のような歓声で歓迎された。嫌な予感に逃げ出そうとするより先に、ユーインの妹の一人、ロゼが困っているから、すぐに助けに行くようにという要請を受け取らされたのだ。
 周辺諸国の中でも強国として抜きんでているエクラ王国には、華やかな文化とともに、各国の著名人や有識者が集まってくる。もちろん、外交目的の王族貴族も例に漏れない。そのなかに、留学中の宝石諸島出身の王子がおり、彼が帰国の途につくためにコリーンヌリーブルに立ち寄ることがわかっていた。
 問題は、宝石諸島の王子側からユーインの妹であるオルキディアの姫に、ひそかに面会を打診されたことだった。つまり、王子がエクラ王国の許可なしに、他国の要人と会談することを意味している。
 いくらエクラ王国が大きくとも、常に周辺国の王族がスルスに滞在しているわけではないし、かといってほいほい周辺国に出向いていけるほど自由ではない。それは、王子の権限の小ささというよりも、宝石諸島の重要性が主な要因だ。エクラ王国は、宝石諸島をがっちりと掴んでおり、他国に譲る気配は見えなかった。
「宝石諸島という名前は聞きますが、王子がいるということは、国もあるのでしょう?正式な国名は何というのですか?」
「なんといったかなぁ・・・・・・。たしか、いくつかの小国が集まっているんだよ。たくさんの島があって、部族や島ごとに国ができているんだ。一番大きなフビ国はほとんどエクラ王国の領土になっていて、その他は細かく分かれていたはずだよ。それで、こっちの国ごとに、影響のあるあっち側の地域が違うから、どれがどうとは言えないな。地図があれば説明できると思うけど」
「そうなんですか」
 宝石諸島のある場所は、クロムには想像がつかない。なにしろ、宝石諸島はグルナディエ公国やコーダ帝国、もっと東のレオーネ国や、東西に広いエストレリャ国の東端よりずっとずっと先、いくつもの国を越えたその先にある。なんとなくわかるのは、東の果てのジン国よりは近いということだけだ。
 そんな遠くてエクラ王国の支配が強い地域からやってきた王子というのだから、おそらく人質のような存在だろう。そうでなければ、とても優秀かつ神経が図太く、タフな人間なのだろう。・・・・・・ユーインのような。
「とにかく、その王子とやらがコリーンヌリーブルに来るから、その間のお相手をしろっていうのが、今回の仕事。あ〜ぁ〜、ホント面倒くさい」
「その、ユーインに外交の助けを求めている、ユーインの妹さんと言う方は・・・・・・お姫様、ですよね?」
「うん?・・・うん、まあそうかな。そうは見えないけど」
「え・・・?」
 クロムは思わず首を傾げたが、目の前のユーインからして王子には見えない破天荒な行動力を持っているので、その妹ならば推して知るべしというところなのだろう。
「どういう方なんでしょう?」
「ロゼ?俺とは母親が違うけど、あんまり年は離れていなかったような・・・・・・俺の一個か二個下だったかな?二十歳は過ぎてるよ。あいつも実家にいるのが嫌で、オルキディアとエクラの大学を出た後は、ずっとコリーンヌリーブルで暮らしてるよ」
 馬たちの規則的な足音と、絶え間ない車輪の音に負けないよう、ユーインは少し声を大きくした。
「コリーンヌリーブルは、少し離れたとこでオルキディア王国と接している、国境に近い都市でもある。海伝いにオルキディアからエクラに行く、あるいはエクラからオルキディアに帰るときは、よく立ち寄る街のひとつだから。王族がそういう時に休憩できる場所を、ロゼが大使館と協力して手配したり提供したりしているんだよ。まあ、王族が外国に出ていくことなんか、滅多にないんだろうけどさ」
 自分は滅多に国に帰らないことを棚上げしている王子の言葉でも、クロムは頷いた。ユーインが異端児なのだ。
「ロゼは頭もいいし、俺にも懐いてくれたけど・・・・・・その、ちょっとアレでさぁ・・・・・・」
「アレ?」
「なんて言えばいいのか・・・まぁ、会えばわかるよ」
「はあ」
 珍しくユーインを歯切れ悪くさせる妹姫とはどういう人物なのか、クロムはいまいち想像が出来なかったが、よくある「お姫様」のイメージとはかけ離れた人であるらしいと覚悟をした。
 街道沿いに民家が増えてきて、人通りも多くなってきた。馬車に道を開けながら、その紋章と乗っているユーインとクロムに視線が投げられては、一瞬ですぎていくのを感じる。
「夕食前には館に到着できるよ。久しぶりに、オルキディア料理が食べられるかなぁ」
「本当に、一年ぶりぐらいですね」
「今年の冬は、暖かいところで過ごそうよ」
「オルキディアで、ですか?」
「うーん、それはちょっと勘弁かなぁ。近くにいるのがばれたから、兄貴たちにも呼び出されそうだ」
 ユーインは面倒くさそうに首を振り、どうあっても実家には近づきたくないらしい。
「まあ、まだ収穫祭にもなっていないし、居心地がよければ、しばらくロゼの所に厄介になるのも手だな」
「他のお客さんも来るとしたら、長くお邪魔をしてはご迷惑にはならないでしょうか・・・・・・?」
 妹の家に居候することにも躊躇いのないユーインに、クロムが控えめに疑問を呈すると、ユーインは悪戯っぽく微笑んだ。
「ロゼは損得勘定が上手いからね。今回の恩を売れば、それこそ実家に内緒での国境越えの融通ぐらい、二つ返事で引き受けてくれるさ。俺がいれば、他の客の相手もさせられるし、二、三か月の滞在だって、べつに苦にはならないよ」
 なるほど、そういう見方もあるかと、クロムは納得した。なにしろ、外交におけるユーインの優秀さは飛び抜けている。ロゼ姫がユーインに助けを求めたのも、当たり前だろう。
 馬車は城壁にたどり着き、起伏の激しい土地に広がる石造りの街並みへと飛び込んでいった。


 コリーンヌリーブルの港は、大きく広い。波止場から少し内に入ったところには、荷物の木箱や樽が、山のように積み上げられていた。それを検品していた船役場の人間が、ふと首を仰向けた。
「お前はなんだ?」
「へい、オルキディア王国の姫様に、美術品を運ぶように雇われた者でさぁ」
 見上げるような褐色の身体に、エストレリャのターバンを巻いた逞しい男は、流暢なエクラ語を話した。まだ若そうだが、黒々とした眉や口髭が風格高い。王族の姫君は、それなりに教養あるものを雇っているのだろう。
「ああ、ロゼ様か。どの荷物だ?美術品ならば、他の物と一緒にしては危ないだろう」
「お気遣いありぁとうぜぇます。このでっかい箱なんですがね」
 大きな木箱には、たしかにオルキディア王室ご用達の焼き印が押されていた。箱は人間の背丈ほども大きく、薄くないことから、絵画ではなささそうだし、彫刻だろうか。
「ふむ、リストにあったかな?」
「割符を持ってまさぁ。ああ、迎えが来やした」
 船役人が首を傾げていると、荷馬車が人足や船乗りたちを轢かないように、スピードを落としてやってきた。
「ご苦労様です」
 御者台に乗っていたのは、少女と見紛うほど小柄な女性だった。顔つきも幼く、メイド服をきちんと着て、長くて赤い巻き毛をカーチフに上品にまとめていなければ、子供だと間違われるに違いない。
「白木蓮館のロゼ様の遣いです。こちらに荷物が届いているはずですが」
 童顔のメイドが差し出した割符と、エストレリャ人の人足が差し出した割符を、船役人は両手でぴたりとはめて確認した。
「よろしい。そのまま持っていきなさい。おい、ちょっと手伝ってくれ!」
「恐れ入ります」
「ありぁとうぜぇます」
 数人がかりでそっと木箱を馬車の荷台に持ち上げると、メイドとエストレリャ人も馬車に乗り、船役人に荷役料と少々の心付けを渡して、そのまま港から出て行った。
 その美術品とやらの伝票を、船役人は見つけることができなかったが、特別気にはしなかった。あの二人のように割符を用いて、貴族が個人的に輸入することは、そう珍しいことではなかったからだ。
「やぁれやれ、なんとかもぐりこめそうだな。おかげで助かったよ、ロサ・ルイーナ」
「恐れ入ります」
 可愛らしい声のメイドの童顔は柔らかい微笑を浮かべたまま、それ以上も以下にも、またどのような感情の揺らぎもないかのように固定されており、まるで仮面のようだ。
「・・・・・・これで、連中の目を誤魔化せればいいのですが」
「なに、何もしないよりは、多少時間稼ぎにはなる」
 頭にターバンを巻き、上半身裸のままの男は、ただの人足にしては妙に洗練された笑顔を浮かべた。
「あとは、オルキディアの人間が、物わかりが良いことを願うだけだ」
「ユーイン王子がこちらに向かっているという情報を得ております。オルキディア国内から出てこない王族を相手にするよりかは、話がまとまりやすいかと思われます」
「ほう、有名な風来王子か。楽しみだな」
 男の深い青色の目が、晩夏の日差しを受けて、きらりと輝いた。