愚者に捧げる鎮魂花 −6−
チハヤは病院の談話室で、ぼんやりとプロンテラの街並みを見下ろしていた。窓ガラスに、死んだ双子の弟とそっくりな顔が映っている。
「チハヤさん?」 そう声をかけてきたハイプリーストを、チハヤは振り仰いだ。プラチナブロンドの、きれいな顔立ちをした青年だ。どことなく、知り合いの女ハイウィザードに似ていなくもない。 チハヤの向かいに腰掛けたマルコは、若さに似合わない老成さを感じさせたが、その容姿はどこか無機質な人形を思わせるほど美しかった。 「最初にハロルドから、チハヤさんのことを聞いたとき・・・失礼ですが、正直戸惑いました」 「あいつは・・・サカキは、俺のことを話していなかったらしいな」 「貴方のことだけじゃありません。ご家族のことは、誰にも・・・親友だった先代の情報屋にも、話していませんでした。・・・そういうことをサカキさんから聞けたのは、ハロルドだけです」 マルコは、少し複雑な微笑を浮かべた。そして、青い目が、痛ましげに伏せられる。 「・・・ハロルドから話を聞きたいかもしれませんが、彼が立ち直るには、時間がかかるでしょう。立ち直るためには、受け入れる事が必要ですし、その慰めのためにも、サカキさんのお墓は必要だったはずですから」 サンダルフォンを失ったマルコが立ち直るためにも、彼を救い育ててくれた従兄弟の墓は必要だった。 墓は死者の為だけにあるのではない。残された者が悼み、悲しみと折り合いをつけ、前を向くために、死者が掲げてくれた鏡だ。 ハロルドには、それさえ遺されなかった。あるのは、そこに何も埋まっていない墓石だけ。 「・・・サカキは、ずいぶんハロルドを気に入っていたみたいだな」 「それは、もう・・・」 力を込めて頷くマルコに、チハヤは少し首を傾げてから、ごく軽く頷いた。 「あれを引き取る」 まるで犬猫をペットにするような言い方に、マルコは少し眉をひそめた。しかし、チハヤの表情は相変わらずで、サカキの面影とダブってしまうマルコには、その真意が読み取りにくい。 「どうせ、放っておけば、また死にたがる」 「・・・そうかもしれません。でも、生き甲斐を他に見つけるかもしれません」 「それまで預かる。サカキが大事にしていたものだ」 マルコはチハヤのことを、ほとんど何も知らない。だが、ハロルドがチハヤに懐くのなら、悪い選択肢ではなさそうに思える。・・・希望を失い、心身ともに傷付いたハロルドを癒せる目処は立っていない。 「・・・わかりました」 一抹の不安を感じつつも、マルコは頷いた。 結局、サカキの遺体は運び去られたが、ハロルドは残された。死にきれなかったのもあるが、中和薬を飲んでしまったので、苗床になれないのだ。 それを今すぐに、そのまま伝えるのは、あまりに酷だ。しかし、このままではまた、ハロルドは自決を試みるだろう。 (動けないようにしておくのが一番か・・・?) 病人を仮面で驚かせないように素顔をさらしたまま、どうやって飼い慣らそうかとチハヤが思案していると、まだ麻痺が抜けきらないハロルドが、ベッドの上でなにか言った。 「ハロルド?」 覗きこんでみると、その声で目を覚ましたらしく、ぼんやりと目をしばたいている。髪と同じ明るい茶色の、長い睫。その下から、紫がかった不思議な色合いの青い目が、チハヤを捉えた。 「・・・ぁ・・・」 一瞬の喜びと、戸惑い、やがて、大粒の涙が浮かんで流れ落ちた。 一卵性双生児のチハヤは、死んだ弟と顔が瓜二つだし、自分ではよくわからないが、おそらく声もほとんど変わらないだろう。 チハヤでは、ハロルドに悲しいことを思い出させるだけかもしれない。とめどなく流れる涙を拭ってやりながら、チハヤはふと、ハロルドが泣くのは、死に切れなかった己を恨んでいるからなのではないかと思った。 「ハロルド、どこか痛いか?」 ふるふると首が横に振られる。声も出さずにすすり泣く姿がいじらしく、同時に、チハヤの胸にじりとした苛立ちを覚えさせた。どうしてそこまで、サカキがいいのか、と。 「ハロルド・・・しばらく俺のところに来い」 涙を溢れさせていた目が、ふわりとチハヤに向けられた。声にならない唇が、チハヤさん、と動いた。 「俺に、サカキの話をしてくれ」 「ぅ・・・ん・・・」 まだ上手くしゃべれないハロルドが、大きくうなずいた。 ハロルドがなんとか歩けるようになって、チハヤに連れてこられたのは、開いた口がふさがらなくなるような大豪邸だった。 (ここ、本当にプロンテラ!?) おそらく、そうと知らなければ、ここが家だとは思うまい。延々と続く外塀は、街を囲む城壁の一部だと思っていそうだ。 サンダルフォンとマルコの屋敷や、クラスターがギルドの溜まり場として解放していた屋敷も大きかったが、ここは桁違いだ。 広々とした前庭、重厚なエントランス、すれ違うたびに頭を下げていく使用人たち、絨毯が敷き詰められた長い廊下、瀟洒な彫刻が施されたテラス・・・。 はじめにチハヤから、防犯や機密保持の都合上、wisが使えないほど厳重な、貴族の屋敷だとは聞いていたが、まさかここまで豪勢だとは思わなかった。だから、案内された部屋が、上品ながらこざっぱりとした内装だったのに、ハロルドはほっとした。 「荷を解いていろ。報告してくる」 そう言うと、チハヤは部屋を出て行った。 ハロルドは、チハヤが「シヴァ」という名前で冒険者登録しなおされていることや、シュバルツバルドの研究所から助け出してくれた貴族に仕えていることを聞かされていた。自分もその貴族に仕えることになるのかと訊ねたが、そういうわけでもないようだ。 ハロルドは、チハヤの被保護者扱いらしい。半病人なので、文句も言えないが。それに、チハヤの雇い主は多忙らしく会えないようだが、ハロルドが新薬を開発したサカキの身内だと聞いて、歓迎してくれているそうだ。 (これからどうしよう・・・) 衣類を空のクローゼットに仕舞い込みながら、ハロルドは思う。 中和薬で命拾いしたハロルドは、サカキのように苗床にはなれないと聞いて、その時はひどく落ち込んだ。だが、ハロルドが死んでしまうことはサカキも望まないと、マルコやチハヤに諭された。サカキが薬を開発したのは、ハロルドを生かすためだと。 それでも、この空虚さは埋めようもない。何度、自分はなぜまだ生きているのだろうかと、せつなく腹立たしく思ったことか。 「サカキさん・・・」 もうあの身体は粉々に砕かれて、土に還ってしまっただろうか。それとも、異世界の植物の根に絡みつかれ、干からびているのだろうか。 「うっ・・・ひっく・・・っ・・・ふ・・・」 やっぱり、あの時絶対に嫌だと言えばよかった。どうして自分は肝心な時に、自分に素直な判断ができないのだろうか。 ハロルドはサカキと一緒に映った写真を収めたフォトスタンドを胸に抱いて、その場に蹲った。ただ、生きているのも苦しい。 「ハロルド?」 「は・・・」 その声に、思わず顔を上げた。もう条件反射だ。しかし、そこにクリエイターの男は立っていなかった。 「・・・・・・」 ハロルドの泣き顔を見て、少しだけ眉をひそめたチハヤが、ベッドに腰掛けて隣を示した。ハロルドは目を拭って、よろよろとチハヤの隣に行って座った。 ハロルドは、チハヤは出会ったばかりの頃のサカキに似ていると感じていた。寡黙で、何からも距離を置いているような印象・・・。 「そんなにサカキが好きか」 やや呆れた声音のチハヤに、ハロルドは強く頷いた。 「あいつ、男だぞ・・・?」 「え、・・・ええ」 ハロルドはびっくりして、泣くのも忘れてぎくしゃくと頷いた。なぜそんなに驚いたのか一瞬わからなかったが、チハヤの容姿と台詞のギャップに驚いたのだと気付いた。・・・まさか、サカキと同じ顔でノンケな発言を聞くとは思ってもみなかったから。 これは一から説明した方がいいのか、それとも黙っていた方がいいのか、ハロルドには判断がつきかねた。 「あ・・・えっと・・・・・・」 「・・・まぁいい」 「そ、ですか・・・」 ほっとしたような、馬鹿にされているような、なんだか消化不良をおこしそうな遣り取りだが、そのうち慣れるだろうとハロルドは諦めた。 「ふぅん・・・。そんなにのめりこむほど、サカキはお前がよかったんだ」 なんだか棘のある言い方に、ハロルドは怪訝な顔を向けたが、チハヤの表情は相変わらず、サカキに良く似た無愛想のまま。 「・・・そんなにイイモノなのか」 「え・・・っ!?」 一瞬で天を仰いだハロルドは、背中と後頭部に衝撃を感じると同時に、胸に体重をかけられて息ができなくなった。 「げほっ・・・はっ・・・ぁ。ち、はや・・・」 「教えろ。・・・サカキは、どうやった?」 その静かな声に潜むものが、ハロルドを総毛立たせた。 (ちがう・・・この人は・・・!) 必死で抗うハロルドだが、すでに熱のない力に押さえつけられた後だ。 「まだ遅くないよな?・・・サカキは、どんなだった?サカキの、大事にしていた・・・イイモノ・・・」 見上げたサカキと同じで違う顔に、ハロルドは声のない悲鳴を上げた。 |