愚者に捧げる鎮魂花 −4−


 異世界よりもたらされた、脅威の病に対する「副作用の無い新薬」が、一人の錬金術師の命と引き換えに開発されたニュースは、瞬く間に国中に広まった。すでにレシピは、ランカーと呼ばれる有数の名錬金術師達の手に渡っており、程なく安全な薬が出回るだろうことも。
 そのニュースは、マルコが殊更広めたものだが、特にサカキの葬式の日時を、ハロルドの求めで報せて回った。
 しかし、噂を聞きつけてきた物見高い人々のほとんどは、教会の入り口で追い出された。ハロルドは、来て欲しい人が来るのを、サカキの亡骸の傍でじっと待った。
「ハロ」
「キリヤ・・・どう?」
「いんや。ただ、製薬ランカーが何人か来てる。その人たちは通していいんだろ?」
「うん」
 燃える様な赤毛を逆立てたチェイサーは、まだ信じられないと言いたげに、小さくため息をついた。
「あの人がなぁ・・・そんなに研究熱心な感じには見えなかったけど」
「サンダルフォンさんたちが死んじゃって、どうしても薬を作りたくなったんじゃないかな」
「・・・そうかぁ?」
 キリヤには納得できない。なぜならば、死者に薬はいらないのだから。
 二枚のフォトスタンドを手に、サカキを見つめ続けるハロルドを、キリヤはやりきれない思いで眺めた。サカキが危険を顧みず薬を作ったのは、ハロルドのためであったはずだ。それなのに、自分が死んでしまっては本末転倒もいいところだ。
 ざわざわと人が入ってくる気配に、ハロルドはキリヤと共に振り向いた。マルコに導かれて入ってきた数名のジェネティックとクリエイターを中心に、いくつかのギルドエンブレムが眼に留まる。
「・・・不可能を可能にするなんて、伝説ものだな」
 ぼそりと呟いた黒髪のクリエイターは、あの赤紫色の水薬が入ったポーション瓶を取り出した。
 そして、他二人の錬金術師も、同じように「新薬」の瓶を取り出して、サカキの棺の前に捧げた。そのすべては、それぞれ製作者の名前が入っている。もちろん、彼ら自身の名前だ。
 サカキの「頼み」どおり、ハロルドが彼らにレシピを渡して回った結果だった。
「・・・そんなに難しいのか」
 キリヤの呟きに、若草色の髪をした女ジェネティックが微笑んだ。
「貴方、左手で三重同心円を描きながら、右手で正七角形を描ける?それも、描き始めと終わりは、どちらも同時に」
「なんだそれ?無理だろ」
「それなら、きっと難しいのよ」
 薬になる草の中にある、毒物だけを除去する方法が無かったのだ。毒性のある粒子が小さすぎて、これも微細な有効な成分と分離させるのが、極めて困難だった。ところが、サカキは毒成分が有効成分よりも、ほんのわずかだが軽くて小さい所に目をつけた。
「本来なら、そこで諦めるものだ。それなのに、彼はそこを逆手に取った。薬を精製できないならば、毒の方を精製すればいいと」
 逆転の発想ってやつだな、と黒髪のクリエイターも微笑む。
「まぁ、理論としては間違っていないんだが・・・」
「アホだろ」
 真っ白な髪のジェネティックが吐き捨て、思わずハロルドたちの顔が強張る。
「・・・良い意味でなんだが・・・それを言わないですむ言葉を探していたんだけどな」
 苦笑う黒髪のクリエイターも、頭を振った。
「サカキさんが考えたのは、いわば机上の空論だと思われていたものだ。技術的には、五十年先を行っていると言っていい」
「具体的には、どういうことでしょうか」
 マルコの質問に、彼は丁寧に答えた。
「つまり、ファーマシーの二重展開とでも言おうか。ひとつの原材料から、薬の精製と毒の精製を、同時にやったんだ。できるわけ無いって思うだろう?彼はやったんだけどね。もちろん、俺たちも。・・・これが、その毒の方」
 深い草色の液体を満たした試験管を、黒髪のクリエイターは示した。
「いまのところ、こっちの使い道は無いけれど・・・モンスターに投げられるかな?」
「あ、それいいわね」
 若草色の髪のジェネティックが同意する。
「ただ、これで製薬可能と証明にはなったんだが、やっぱり難しい。サカキさんのレポートにもあったけど、もうひとつ、できるだけ有害物質を取り除いた状態で中和するという、より簡単にできそうな製薬方法が成功すれば、そちらが主流になるだろう」
「ただ、中和する材料も、やっぱり異世界産なのがネックなのよねぇ」
 彼ら製薬ランカーでも、サカキのレシピは難しいという。
「どうしてこんな、名声も大して無い奴が作れたんだ。気に喰わん」
「よしなさいよ。彼にはひらめきと、何より、諦めないで研究を続ける情熱があったのよ。私たち以上にね。それだけの話だわ」
 相変わらず口の悪い白髪のジェネティックを、若草色の髪のジェネティックが窘めたが、表情はほろ苦い。やはり、ランカーでもなかったサカキが、新薬を成功させたのが、少しばかり悔しいようだ。
 その時、また騒がしい一団が入ってきた。一団、というより、騒いでいるのは一人だったが。
「出来ましたぁあああっ!!出来ましたっ!出来ましたぁああああ!!」
 子供のように若い、額を出した赤毛のジェネティックが、ポーション瓶を片手に叫んでいる。ここが葬式中の教会だと忘れているのではないだろうか。
 先に来ていた人間達を押しのけるように、その小柄なジェネティックは、サカキの棺の前に走り寄った。
「うっ・・・ひっく・・・・・・ざがぎじじょおぉおおおお!!」
 膝をついて、ぼろぼろと泣き出した少年のような青年は、琥珀色の水薬で満たされたポーション瓶を、両手で捧げ持った。
「師匠が・・・量産用に考えていたレシピ・・・完成しました!!成功ですっ!!」
 その報告に、周囲の温度が一気に上がった。
「アルフォレア、一世一代のご恩返しですぅうう!!」
 また、うわぁあああんと泣き出した赤毛の青年の周りで、錬金術師達の眼の色が変わっていた。
「多少自惚れのある錬金術師として、製薬の仕事を譲るわけにはいかないわね」
「気に喰わん。・・・だが、奴の遺志は継ぐ」
「そういうわけだ。アルフォレア氏、量産用のレシピ、分けてくれない?」
「よろごんでぇ!」
 ぐしょぐしょの顔を上げて、アルフォレアは顔を歪めた。多分、笑顔だ。
「・・・よかったね、ハロ」
「え?」
 小さく微笑んで、マルコは続けた。
「ハロルドが彼らに、サカキさんのレシピを渡していなかったら、こうはならなかった」
「・・・サカキさんの意思だから。俺は、サカキさんの言ったとおりにしただけだから」
「それなら、サカキさんも喜んでいるかな」
 棺の中で閉じられた目は穏やかで、いつも刻まれていた眉間のしわも無い。きっと、思惑通りに事が運び、教会の中だというのに製薬の打ち合わせを始めた錬金術師達を眺め、いつもどおり口元だけで微笑んでいるかもしれない。
 ハロルドはまた、目が熱くなってきた。散々泣きとおして、やっと落ち着いて今日を迎えられたのに、また泣きそうだ。
「・・・っ・・・ひっく・・・」
「ハロ・・・」
 目元を覆ったハロルドの肩に手を置いたまま、マルコは険しい視線を入り口に向けた。
「待ってください、そんなお話は・・・あっ!」
 がたんっと大きな音を立てて、目隠しをしたままの黒衣のプリーストが長椅子にぶつかってよろめいた。彼は戦傷が元で、全く目が見えないのだ。
「ツヅラさん!」
 慌ててマルコが駆け寄るが、その脇を重厚な衣装に身を包んだ錬金術師たちが我が物顔で歩いていく。
 気付いた製薬ランカーたちが、はっと視線を交わした。
『アルケミストギルドの人たちです』
 とっさに囁いてきた黒髪のクリエイターに、ハロルドは涙を拭って、小さく顎を引いただけで応えた。明らかに不穏な空気が漂う中で、ハロルドはサカキの棺の前に立った。もっともサカキに近しい間柄だったハロルドだけが立てる位置だ。
「退きたまえ。それを運び出す」
 ローブをまとった壮年の男の第一声に、ハロルドはぽかんと口が開いたままになった。目の前の男が何を言いたいのか、さっぱり理解できなかった。
「は?」
「その死体を引き取るといっているのだ。邪魔だから退きたまえ」
「・・・はぁ!?」
 ハロルドはあまりのことに、言葉らしい言葉が出てこない。代わりに、ツヅラを助けおこしたマルコが、厳しく声を放った。
「どういうことですか?彼を墓に埋葬しないとでも言い出すのですか?そんな権利が貴方達にあるとでも!?」
「ある」
 きっぱりと言われ、さすがにマルコも声を失った。死者を弔うのは聖職者の領分だ。それを、闖入者たちは堂々と侵した。
「承認はすでに取れている。あの死体は、新たな苗床になる」
 男が示した書類には、ルーンミッドガッツ王家の紋章と、ハロルドの知らない大臣のサインがあった。