愚者に捧げる鎮魂花 −3−


 ゆるゆると丁寧に身体を探っていくハロルドの手が、サカキは愛しいと思った。
 あちこち感覚が鈍くなっていて、その場所を教えるたびに、ハロルドは正常な部分との境目を探すように舌を這わせる。
「・・・っ、はぁ・・・」
 自分の身体の中で反響する、自分自身の声しか聞こえない無音の世界になった。それでも、不健康に痩せた身体に刻み込むように、ふっくらとした唇が一定の動きをするのは感じた。

 サカキサン アイシテル

 その吐息がくすぐったく、同時に涙が出るほど嬉しい。
(ありがとう、ハロルド・・・)
 まだ死にたくない。もう二度と会えないと思っていたハロルドが、せっかく戻ってきてくれたのに・・・。
 自分は愚かなのかもしれない。何が一番大事なのか、取捨選択を誤ったかもしれない。だが、これが自分にできる精一杯だと確信がある。
 恐ろしい病から逃げ回ったとて、逃げ切れる確証などどこにもない。もしも自分が怖気づいたせいでハロルドを失うかもと思うと、いてもたってもいられなかった。
「ハロルド・・・」
 自分で新薬を作り出せたのが、いまだに信じられない。いまサカキを抱きしめている腕も、知らぬ間に罹患した病が見せる幻かもしれない。

 サカキサン アイシテル

 それならば、なぜこの口付けはこんなに熱く、甘美な眩暈を起こさせるのか。
「聞こえる・・・。ハロ・・・愛している・・・」
 どうか、今夜だけは・・・今夜までは・・・・・・。
「んっ・・・ふあ・・・ぁ、あっ・・・」
 ずっと使っていなかったところに、濡れた指先がそっと入ってくるのを感じた。
「だ、いじょ・・・ぶ・・・はぁっ・・・ん、あっ、ぁ・・・っ」
 気遣わしげな気配に答えると、するりと奥まで入ってきて、上手くなったなと感心してしまう。
 幸い、中の感度は落ちなかったようで、ハロルドの指先が押した場所から、サカキの体中に痺れるような快感が走った。
「ふあっ・・・あっ!や・・・ぁあっ!!」
 ちゅっと右の胸先を含まれ、そのまま舌で舐られて背がのけぞる。左胸は、もうほとんど感触が感じられなくなっている。
 指が二本に増えて、少しずつ解されていくのを感じる。ハロルドに満たされることを期待して、身体がどんどん熱くなる。
「ハロ・・・っ!も・・・ぃい、から・・・」
 まだ慣らしが足りないかもしれないが、それよりも早く欲しかった。それなのに、ハロルドは指を抜かないまま、緩やかに形を変え始めたサカキを咥えてしまった。
「ひぁ・・・っ、あっ、飲むな!俺の、身体は・・・」
 全部言う前に、ハロルドの頭がこくんと頷いた。キスぐらいなら大丈夫だろうが、さすがに精液を飲んでは、サカキの身体に蓄積された麻痺毒を取り込みかねない。
 もっとも、それをわかっていようがなかろうが、ハロルドはサカキの言うことに逆らったりしないが。
 とろとろと溢れ出した唾液や何やらが混ざった物が、後ろまで伝い落ちて、ハロルドの指に絡まりながら、サカキの中をさらに濡らしていく。
「やぁっ・・・ぁ、も・・・いい、加減に・・・!」
 ふさふさした髪を引っ張ると、やっと解放されて、中からも指が抜けていった。
 ぎゅっと抱きしめられるのは気持ちいいが、自分の痩せてしまった身体では、あまり抱き心地がよくないのではないかと思う。
「ハロ・・・はやく・・・んっ」
 いくつも降ってくるキスが心地よい。不自由になった身体を気遣ってくれるちょっとした動きに、思わず口元がほころぶ。

 サカキサン アイシテル ダイスキ

「ぅあ・・・!ぁ・・・!」
 ぎし・・・と入ってきた熱に、覚悟はしていたが、身体が悲鳴を上げる。爪を立てないように、痛がっていると思われないように、細心の注意を払う。そもそも身体に力が入らないので、余計な力を入れて傷付く可能性は低い。
「は、ろ・・・っ、そこ・・・!はぁっ・・・ぁ、だめ・・・!」
 緩やかに、それでいて、サカキのいいところだけ容赦なく、擦っていく。前まで扱かれて、サカキは嬌声を上げてハロルドを締め付けた。
「やあぁっ・・・!も・・・だめっ・・・ひうっ!・・・ぃ・・・もぉ、はろぉっ!」
 身体の内側に響く律動が、サカキの生き残った神経を、熱い快感で満たしていく。ただ、気持ちいい。
「だい・・・すき・・・っ!・・・ひっ・・・ぃ、イ・・・ッ!!」
 額を突き抜けるような快感と、ふわっと身体が浮くような心地よさを最後に、サカキはハロルドの腕の中で自分を手放した。

 満たされた気分で、気持ちの良い、温かな場所で目を覚まして、サカキは嬉しさに微笑んだ。
(夢じゃなかった・・・)
 逞しく太くなった腕枕の主は、朝の光の下で、平和そうな寝顔をしていた。その瞼を開かせて、綺麗な紫がかった青い目を拝むのに、いくつかのキスが必要で・・・。


 ハロルドは昨夜意識を飛ばしてしまったサカキを心配したが、昨日のうちに伝えていた通り、サカキが用意した荷物をカートに積み込み、颯爽と出かけていった。出発前に重ねられた唇の、なんと愛しいことか。
「・・・これで、たくさんの人たちが助かる。・・・それが、神の思し召しか?」
 新薬の開発が自分の使命だと思った。そして、成功したいま、期待通りに希望が広がっていくだろう。
 こうしてハロルドが帰ってきてくれなかったら、薬を広めることもできなかっただろうけれど・・・皮肉なことだ。
「すまない、ハロルド・・・」
 最後に会えたのは、神の意志による必然か、それともサカキを哀れんでの慈悲か。遠く離れていたら、きっとひどく悲しませることもなかっただろうに。
 サカキ独りで、こんなに難しい製薬が成功するはずがない。それは、サカキ自身、よくわかっていた。そもそも、サカキの身体は、とっくに限界を超えているのだ。
 身体の感覚が閉ざされていくのと反比例するように、強く感じるようになった気配。
「・・・いるんだろう、サンダルフォン?」
 サカキが力尽きてしまわないよう、昼も夜も途切れなかった、支援と回復。
「ありがとう・・・もう、いいんだ」
 自分の分まで生きて欲しいと思うのは、勝手なのだろうか。
 サカキはソファに座って目を閉じ、その時がくるのを、じっと待った。


 ハロルドは、サカキの「頼み」を、一日がかりで成し遂げた。むしろ、一日で片付いたことが奇跡みたいだ。久しぶりに会ったマルコにも手伝ってもらったが、それでも驚異的な速さだ。
 あちこち訪ね歩き、不審がる相手に説明し・・・、重要な仕事だった。へとへとになったが、それでも家路の足取りは軽かった。
「サカキさん、ただいま!全部渡し終わりましたよ!」
 きちんと言いつけられたことができた誇らしさに、ハロルドは浮き立ち、奇妙な音に気付いたのは、リビングに足を踏み入れてからだった。
「サカキさん!?」
 サカキは床に転がったまま、苦しみ喘いでいた。抱き上げると、胸元を握り締め、口を開いたまま、おかしな呼吸をしている。
「サカキさん、しっかり!」
「ぜぇっ・・・は・・・ロ・・・・・・ひゅっ・・・ぁ・・・」
「待って、いま、お医者さん呼びますから!」
 しかし、サカキはしっかりとハロルドの腕をつかみ、放そうとしない。
『マルコ!サカキさんが倒れた!助けて!!』
『すぐ行く!』
 無駄なことは一言も言わないマルコの返事を、ハロルドは心強く感じた。
 しかし、サカキは相変わらず苦しげに喘ぎ、その瞳が、すでにハロルドを見ていないのに気付いた。顔色は青白いのを通り越して、土気色に沈んでいる。
「サカキさん!サカキさん・・・!」
「・・・・・・」
 ごめん・・・そう読み取れなくもなかった、小さく動いた唇。
 痙攣するように、一度ぴくんと強張ると、その痩せ細った身体は、ゆっくりと馴染むように、ハロルドの腕の中に納まっていく。ふうと抜けた吐息が、それきり、静かになった。
「・・・サカキさん?・・・うそでしょう・・・?」
 琥珀色の眼は見開かれたまま、黒い瞳孔が開いている。身体は温かいのに、胸は鼓動を刻むことをやめてしまった。
「・・・っかき、さ・・・!・・・だ・・・・・・やだぁあああぁああ!!」
 昨日やっと帰ってきて、会えたばかりだというのに。昨夜は熱を分け合ったのに。今朝だって抱き合って目覚めたのに・・・。
 どうしてという、漠然とした非難しか浮かんでこない。誰が、何が、ハロルドからサカキを奪っていったのか。なぜ、ハロルドが大好きなサカキでなければならなかったのか。
 サカキの体をかき抱き、どのくらい叫んでいただろう。いつの間にか、誰かがサカキごとハロルドを抱きしめていた。
「・・・ひっく・・・ひぐ・・・マルコぉ・・・うっ・・・ぅわあああああ!」
「っ・・・ごめん、ハロルド。・・・僕は、また・・・間に合わなかった・・・!」
 大事な人だった。二人にとって、かけがえの無い人間だったのに・・・。
 偉業と愛する人を残して、無愛想な錬金術師は、あっけなく逝ってしまった。