愚者に捧げる鎮魂花 −1−


 世界が崩れていく。そうサカキが感じたのは、なにも破壊された街を見たからではない。
 人が滅びれば、そこにあった文明も、文化も、歴史も、滅んでいく。それが、サカキが感じた崩壊だ。
 次々と人が倒れていく。それを救う手立てが、どうしても自分の手の中に生まれない。自分はクリエイターなのに。自分たち錬金術師に、作れない薬などあってはならないはずなのに!
「ファーマシー!!」
 両手の上に乗ったポーション瓶には、暗赤色の液体が満たされている。それも一瞬で、ポーション瓶は粉々に砕け散った。
「・・・くそっ!」
 作業テーブルに叩きつけた拳に、鈍い痛みが広がる。本当は、もっと痛みがあっていいはずだ。それにも気付いている。サカキにも、もう時間が無かった。
(ハロルド・・・)
 転生してマーチャントハイになったのを理由に、サカキはハロルドを、強引にアルデバランの実家に行かせた。本当は、シュバルツバルドとの行き来ができなくなるであろうことを見越しての、半ば騙すような帰省だった。・・・アルデバランの南門が閉ざされ、ハロルドからの慌てたwisを受けとって以来、サカキは彼からのwisを遮断していた。
 サンダルフォンが、クラスターが・・・転生前から知り合った古い友人達が、次々とこの世を去った。露店で顔馴染みになった顧客たちも、同じように新薬の開発に取り組んでいる錬金術師たちも、一人、また一人と、訃報を遺していった。
 サカキは顔を上げ、悪くなった視界を晴らすように、ゆるく首を振った。体のあちこちが、動きの鈍さを訴える。
 サカキは大きく深呼吸をし、もう一度材料を用意した。理論は間違っていないと信じている。ただ、あまりにも高度すぎて、一人で完成させるのは無謀に思えた。
(もっと簡単にできる方法があるはずだ)
 そうでなくては、多くの人に薬が行き渡らない。
「ファーマシー!!」
 その確かな手ごたえが、錬金術師の手の中で、透き通った赤紫色の液体を満たしたポーション瓶と、深い草色の液体を満たした試験管となって現れた。
「でき・・・た・・・!?」
 製薬したサカキ自身が、その成功に驚いた。急いでその中身を調べ、間違いなく、サカキが狙ったとおりの結果が出たことを証明した。
「やった・・・ッ!!」
 恐ろしく低い成功率だが、協力し合えば、きっと多くの人を救える。
 そして、もしもサカキが大事に思っている人が、副作用無しには治療不可能と思われた病にかかったとしても、これさえあれば大丈夫だ。
 サカキは珍しく、声に出して笑った。嬉しくて、楽しくて、とにかくほっとした。
「やったぞ、バニル。ちょっと休憩しよう」
 生物?な巨体に成長したホムンクルスの、三つある頭を、サカキはそれぞれ撫でた。
「安息!!」
 エンブリオに戻ったホムンクルスをポーチにしまいこむ。そして、ぺたんと床に座り込むと、サカキは一瞬で眠りに落ちた。もう何日も、ろくに眠っていなかったのだ。

 もうすぐ冬が来る。その前に、ハロルドの家族は、フィゲルに避難することになった。
 アルデバランは、製薬可能な錬金術師達の最後の砦であり、シュバルツバルド共和国にとっては、絶対に破られてはならない最前線だった。
「本当に行くの?」
「うん。ごめんね、わがまま言って」
 最後まで念を押す姉に、ハロルドは困ったように微笑み、それでもきっぱりと言った。父も母も、よく似た兄弟達も、心配そうにハロルドを見ている。
「言い出したら聞かないんだから・・・」
「まぁ、仕方が無かろう。ハロルドも男だからな」
 ため息をつく母に、口髭を蓄えた父は豪快に笑う。それに、ハロルドはにひひっと、照れたように笑いかえした。
 ハロルドの家族は、ハロルドが男のサカキと付き合っており、そのサカキがハロルドだけ避難させて、自分はプロンテラに残っている事を知っている。
「せめて、アルデバランまで来られればいいんだけどねぇ」
「どうかなぁ・・・サカキさん、けっこう頑固なところあるし」
 新薬の研究だって、なるべく安全なところでやってもらいたい。いくら原料を採るために近い首都だからといって、物騒になってきた昨今、一人でいるのは危険だ。先日など、バフォメットがプロンテラを襲撃したという話まで聞いた。
 サカキと連絡が取れなくなっても、ハロルドには、サカキが自分のアパートにいる確信があった。絶対に、無事なはずだ。
「じゃあ、行ってきます」
「気をつけてね」
 ハロルドは手を振り、家族が北へ向かうのとは逆に、製薬材料を届けにくるキャラバンと共に、アルデバランの南門を出た。
 よほどの幸運が無い限り、もう家族とは会えないだろう。サカキの願いには沿わないが、ハロルドはサカキといたかった。
「待っててね、サカキさん。カートブースト!!」
 ハロルドはうきうきとカートを牽いた。サカキと初めて言葉を交わした赤芋峠を越えて行けば、プロンテラはそんなに遠くない。


 首都の街並みは、思っていたほど酷く壊れていなくて、ハロルドはほっとした。それでも、通行人の少なさが、妙に胸を寒くさせる。
 自分達が住んでいたアパートも壊れていなくて、ハロルドは足取りも軽く、スロープを駆け上がった。
 二階の一番奥のドアを叩く。
「サカキさん?」
 しかし、反応が無い。wisをしようにも受け付けてもらえないので、仕方なく鍵のかかったドアに、合鍵を差し込む。
「サカキさん?」
 なんだかこもった空気の中に、薬の匂いが漂っている。作業室兼リビングの方から物音がして、ハロルドは勝手知ったる恋人の家の奥へと進んだ。
「サカキさん?」
 そこでは、ぎこちない動きで、一心不乱に薬の瓶とレポート用紙の束をまとめているサカキがいた。
「サカキさん!」
 ハロルドが声を大きくして呼んでも、まるで気がついていないようだ。
(どうしたんだろう・・・?)
 ハロルドは近付いて、サカキの肩に触れた。
「!?」
「サ・・・ぅわっ!」
 本当に驚いたように手を振り払われ、ハロルドは半歩後ろに下がった。
「ハ・・・ロルド?なんで・・・ここに?」
 呆然と見開かれた琥珀色の目には、若いホワイトスミスの姿が映っていた。
「何でって言われても・・・サカキさんに会いに来たんですけど?」
「・・・どうして・・・なんでここにいる!?アルデバランに・・・家族のところに・・・・・・なんで・・・」
「・・・サカキさん?」
 まったくハロルドの言っていることを聞いていない様子のサカキに、さすがのハロルドも首をかしげた。
「なんとか言え・・・!あぁ、あれ・・・?幻覚か?とうとう俺も罹患したか。・・・じゃぁ、この薬は失敗なのか?いや、これは飲んでないから、臨床ケース第一号か。えーと、白紙はどこだ?」
 ぶつぶつと呟きながら、また薬瓶の山に向かうサカキを、ハロルドはあっけに取られたまま眺めた。サカキががさがさと漁る作業テーブルの上には、ちゃんと白紙のレポート用紙があるのに、サカキの手はそのすぐそばを通り過ぎて、見つけられないでいる。
 ハロルドは白紙の束を手に取り、その向こうに置いてある箱に詰まった、乾燥させた異世界の草を見た。
「サカキさん・・・」
 声をかけても、サカキは気付かないで、まだ紙束を探している。
 ハロルドはサカキの手を取り、紙束を握らせてやった。
「っ・・・!?」
 驚いたように、サカキの視線が彷徨う。ハロルドはそっと、研究疲れでやつれたサカキを抱きしめた。
「サカキさん・・・耳が、聞こえないんですね・・・?」
 聴覚だけではない。ずいぶん視力が落ちている。ほとんど見えていないのだろう。そして、最初に動きがぎこちないと思ったのは、脚を引き摺り、腕が伸びきらず、体が傾いていたせいだ。
「薬・・・作るために・・・っ、自分で・・・自分で、麻痺するかもしれないものを、飲んだんですかっ!?」
「・・・ハロルド?本当に・・・戻ってきたのか・・・?」
 ゆるゆると、サカキの不自由な手が、ハロルドの背に回される。
「ホワイトスミスになれたんだな。おめでとう。・・・よかった、本物だ。ハロの匂いが・・・」
 そこで、サカキががばっと身を引き剥がした。
「サ・・・サカキさん・・・?」
 突然突き放されてハロルドは面食らったが、見下ろしたサカキが赤面している。
「ヤバイ。俺、最後に風呂入ったの、いつだ・・・?」
 不自由な体でよろよろと離れようとするのを、ハロルドはぎゅっと捕まえた。
「こらっ・・・は、放せっ!」
「いーからいーから。一緒にお風呂入りましょー!」
 ハロルドはぎゃあぎゃあと喚くサカキを難なく抱きかかえ、不精したのがわかる、そのやつれた頬にキスをした。