遠足に行こう! −1−


 ゲフェンにあるオーランの家。
 ある日、申し訳なさそうな顔をするオーランに、ノエルは首をかしげた。
「お泊り?」
「そうだ。「レゾナンス」の新メンバー歓迎会とか、その他諸々兼ねているから・・・ノエルの知らない人がたくさんうちに来るし、俺もノエルの相手が出来ないと思う」
 オーランは「レゾナンス」という冒険者ギルドのマスターだから、そのお仕事もしなくてはいけない。普段はご飯も一緒に食べるし、勉強も見てくれるが、ノエルにばかりかまっているわけにもいかないのだ。
「うん、わかった・・・」
「だからその間、ノエルはファムさんと一緒に、泊りがけのお出かけをしてもらおうと思っているんだが・・・どうかな?」
 オーランのその提案で、ノエルの見知らぬ人たちに囲まれたり、一人ぼっちになってしまったりするのかと思っていた不安が、ぱっと消えた。
「ファムたんと一緒ならいいよ」
「そうか。悪いな」
 オーランに頭を撫でられて、ノエルはニッコリと微笑んだ。

 ノエルは、オーランが用意してくれたお泊りセットを詰めたリュックを胸に抱きしめ、ダイニングの自分の席に座って少しぼんやりしていた。はじめての外泊だから、ちょっとドキドキするのだ。
 家の中をあちこち動いているオーランは、ギルドメンバーを迎える準備で忙しそうにしている。
「おーい、きたぞー!」
 チャイムとドアを開ける音が同時にして、元気な少年の声が響いた。
「ファムたん、おはよう!」
「ノエル〜!おっはよう!」
 ノエルが椅子から立つと、ダイニングに駆け込んできた青い法衣のアコライトハイが、ぎゅっと抱きしめてきた。
「よしよし、ノエルは今日も可愛いな。準備はいいな?」
「うん!」
 やや褐色の肌にふんわりとした金髪、星を飛ばすように輝く青い目のラダファムは、頼もしくノエルの手をつないでくれた。ノエルはラダファムがどこへ連れて行ってくれるのかと、気分がふわふわとドキドキの両方で、体まで舞い上がってしまいそうな気がした。
「あ、ファムさん!おはようございます」
「おう、はよ。ノエル連れてくぞ〜」
「あぁっ!ちょ、待って!」
 地下倉庫から酒を抱えて上がってきたオーランは、ダイニングにがちゃがちゃと酒瓶を下ろし、一息呼吸を整えた。肉体労働の結果か、白皙の美貌が少し上気している。
「どこへ行くのか、確認だけ」
「危ない所なんていかねぇぞ」
「コモドとか、教育上良くない所には行かないように、お願いしますよ」
 一度はむっと唇を曲げたラダファムが、オーランの指摘に何気なく視線を泳がせた。
「ギャンブルなんて教えないでくださいよ」
「つったって、いまコモドは未転生のホットスポットだぞ?戦いも遊びも、初めての経験は若い時に済ませるものだ」
「ノエルはまだ冒険者じゃないでしょう!自分で稼げないうちから浪費することを覚えさせてどうするんです」
 ラダファムはぷぅっと頬を膨らませるが、オーランは腰に手を当てて、はぁっとため息をつく。
 オーランの言うとおり、ノエルはプリーストの職服を着ているが、冒険者ではない。それどころか、本職のプリーストですらない。ラダファムに拾われた時にたまたま着ていたのが、この黒い法衣だったのだ。
 酷い苦痛と耐えがたい悲しみの感覚が、ノエルの覚えている最後で最初だった。いまはオーランとラダファムに保護されて、なに不自由ない暮らしをしているが、それ以前のことは欠片のような記憶しか思い出せず、その欠片たちの中でも、自分が街中で見るプリーストやアコライトのスキルを使った場面はない。
 聖職者としてあるべきものを忘れてしまっているだけなのかもしれないが、不思議と短剣の握り方を覚えている体が、ラダファムに「少なくともアコライトの修行を積んでいない」と首を横に振らせていた。
 当たり前のことや普通という状態がわからないノエルが、プリーストの格好のまま一人で外を出歩くのは危険であり、そのあたりをよくわきまえているオーランに、毎日こつこつと一般常識を教えられているところなのだ。
「とにかく、法衣のままでは冒険者の目につきすぎる・・・。もうちょっと、なんかありませんか」
「ぶー。しゃーねーな。ルティエの玩具Dにするか」
「ああ、あそこなら。今はシーズンオフだし、いいですね」
 ラダファムが提案し、オーランも頷いたが、ノエルは眉尻を下げた。
「あの・・・寒いんだよね?」
 話に聞くルティエという場所は、一年中冬で雪が降っているそうだ。ノエルはとにかく・・・寒いのが嫌いだ。
「そうだ、防寒具を持っていないと・・・」
「頭装備は任せておけ!」
「またなに、を・・・って!?」
 ノエルの頭は突然、ぼすっとふかふかした物に覆われた。手で触ってみても、やっぱりふかふかしており、長い飾りのような物が付いているようだ。
「なぁに?」
「それ、最近出たばっかりの・・・」
「わぁーっはははは!ノエルたんに似合うと思ってな!」
 オーランは呆れたように眉間にしわを寄せるが、ラダファムがえっへんと胸を反らせるので、ノエルは鏡で自分の頭を覆っている物を確認した。
「わぁ、かわいい!」
 茶色の毛糸で編まれた大きな帽子は、裏地に白いファーがふんだんに使われ、天辺からはウサギの耳のように長い飾り垂れが付いている。白いポンポンもキュートだ。
「うさ耳ニット帽なんて、また高いものを・・・」
「いいからいいから。あとは・・・まぁ、ルティエの町のほうが、可愛いの揃ってるだろ。じゃーなーっ!」
「オーラン、行ってきます!」
 もう話は済んだとばかりに走り出すラダファムに手を引かれ、ノエルも大きく手を振った。
「いってらっしゃい。気をつけてな」
 手を振り返してくれるオーランに、ノエルはどんなお土産を持って帰ろうかと、胸を弾ませた。

 ゲフェンの町の南側、大きな噴水のそばにいるカプラさんの前で、ノエルは大きなリュックを軽々と背負ったラダファムから小銭を渡された。
「はい。これで、アルデバランまで行くんだ」
「うん、わかったよ」
 ノエルは時々、ラダファムのワープポータルに乗せてもらうが、それはどこにでも通じるものではないことを、最近覚えた。
 とっくにアコライトの修行が終わっているラダファムでも、いくつもポータルメモを持つことはできないらしい。
「えぇっと、スキルはシュシャセンタクが、大事なんだよね」
「?そうだけど・・・いきなりなんだ?」
 ラダファムはきょとんと首を傾げるが、ノエルは覚えたことが間違っていなかったので嬉しい。
 カプラさんにアルデバランまで飛ばしてもらうと、そこは水路がたくさんある街だった。
「あれが時計塔だ。ここはもう、シュバルツバルド共和国の領土なんだぜ」
「ふ〜ん。一瞬でお隣の国なんだね」
「おう。今度は一瞬で雪国に行くからな」
「寒いかなぁ・・・」
「とりあえず、これ俺のお古だけど着とくか。向こうに付いたら、可愛いマフラー買ってやるからな、期待しとけ!」
「うん」
 ノエルは+4モッキングマフラーと表示のある、よく使い込まれて色褪せたマフラーを首に巻き、ラダファムに手を引かれながら、大きな時計塔を回りこんで、真っ赤な衣装と白い立派なお髭のおじいさんのところへ行った。
「サンタさん、ルティエまでよろしく」
「ホーホーホー。メリークリスマス!!」
 ラダファムと手をつないだまま転送してもらうと、ノエルはひんやりとした空気に身を縮めた。
「ふぁうぅ・・・雪だぁ!」
「ここはいつも雪が降ってるからな」
 見渡す限りの雪景色。空は暗く、昼なのか夜なのかも判らない。背の高いモミの木立も雪をかぶり、人の足跡のない雪の大地には、暗灰色のマーリンが、ぽよんぽよんと跳ねている。
 ノエルの頭と首まわりは、ラダファムに借りた装備のおかげで温かかったが、特に足元からの冷気は震えるほどだ。むき出しの手も、すぐに冷たくなってしまうだろう。
 見回して立っていた案内看板には、このまま北に行くと町があると書かれており、たしかに遠くに、ぼんやりと光が見える。
「寒いし急ぐか。近寄ってくるクマと氷の狼には気をつけろよ。速度増加!」
 スキルをかけてもらっても、相変わらずラダファムに手を引かれ、ノエルは歩きにくい雪原の上で、転ばないようにせっせと足を運んだ。