誰よりも君の手を−1−


 サカキの元に、顧客の一人であり、友人でもあるところの、ハイウィザードのユーインから、暑中見舞いと言う名目の、のろけ結婚報告が届いた。結婚相手はもちろん、公私共にパートナーを組む、ハイプリーストのクロム。
 言うまでもないことだが、写真の中でタキシードを着ている二人ともが男だ。相変わらず悩まされているのか愛されているのか、慌てたように赤面している初心なクロムを、ユーインがしれっとした顔で抱き寄せている。
 隣から写真を覗きこんで目を輝かせていたハロルドに、サカキは真似をするなと一応釘は刺したが・・・。
(おかしな知恵をつけさせないでもらいたい・・・)
 そういう恥ずかしい企画を喜んで引き受けそうなハイプリーストが知り合いにいたりするものだから、サカキの警戒心は強まる一方だ。

 暑中見舞いが届いてから数日後、サカキはハロルドと共に、アルデバランへ来ていた。先月約束していた通り、ハロルドの実家へ行くためだ。
 運河を流れる水のおかげで、時折涼しい風が服地をすり抜け、あちこちの建物にある風車に当たっていく。しかし、白っぽい石畳や、水面の照り返しが厳しくて、サカキは琥珀色の目を細めた。
「あの角を曲がったところですよ〜」
 うきうきとハロルドの足取りは軽いが、サカキは珍しく緊張しているのか、いつもよりさらに口数が少ない。
 結婚している奴らはみんなこの緊張を乗り越えたのかと、サカキは感心した。これならヴァルキリーの前に行く方が、まだ気が楽だ。
 ハロルドの実家は建設業を営んでおり、彼の父親アレックスは、腕のいい大工であり、石工だそうだ。ハロルドが家業を継ぐのかと思ったが、ハロルドの姉が継ぐらしい。
「ただいまー」
 まわりの家と大差ない、ごく普通の家の玄関を、ハロルドは開けた。
 ぱっと見渡して、サカキは首を傾げたくなった。
(何人いるんだ・・・?)
 ハロルドは兄弟が多いと聞いていたが、壁のあちこちに落書きがあったり、その辺に物が積み上がっていたりしている。
「おかえりー」
「おー、兄貴久しぶり」
「ママー!ハロちゃん帰ってきたー!」
 奥から何人か顔を出し、とたんに騒がしくなったと思ったら、まだノービスにも早そうな女の子が、ぼすっとハロルドの脚に飛びついてきた。
「こら、シシリィ、放せ。歩けないだろ」
「ハロちゃん、遊んでー!」
「あとで〜」
「けちー!」
 ぷくーっと頬を膨らませる女の子は、ハロルドと同じ柔らかそうな明るい茶色の髪を、二箇所で短くまとめて飛び跳ねさせている。
 どうやらハロルドは、兄弟のうちでも上の方らしい。
「サカキさん、どうぞ。狭くてうるさい所ですけど」
「ああ」
 いつもどおり笑顔のハロルドの足元から、じーっとシシリィがサカキを見上げてきたが、すぐにハロルドを放してぱたぱたと家の奥へ走って行ってしまった。
 通されたリビングではハロルドの姉と、すぐ下の弟がいた。姉がエミリア。弟のレオンは、ウィザードの服を着ている。
「はじめまして」
「はじめまして〜!弟がお世話になっています〜!やだもう、サカキさんって、聞いてたよりもかっこいいじゃない!!ハロルドになんか勿体無いわっ!!」
 やたらとテンションの高いエミリアに、握った手をぶんぶんと振られ、サカキは若干困った。見かけによらず、けっこう力が強い。
「ねーちゃんは彼氏いるだろー?」
「それとこれとは別よっ」
 鼻息の荒い姉を、レオンは呆れたように眺める。こちらはハロルドとそっくりな青年だが、兄にはない、どこか探るような眼差しをもっている。
「さっきのシシリィが一番下で、あと妹一人と弟が二人います」
「いっぱいいるな・・・」
「全員いると、ほんとにうるさいですよ」
 くすくす笑うハロルドが他の兄弟の行方を尋ねると、冒険者アカデミーに通っていて、今日はまだ帰ってきていないらしい。
 突然ぴぎゃーっと女の子の泣き喚く声が聞こえて、その後に母親らしい女性の声が聞こえた。
「シシリィだな」
「何やってんのよ、もう。お母さーん?」
 エミリアが奥へ行ってしまうと、レオンは肩をすくめて、どっかりとソファに落ち着いた。
 レオンには若者らしい鋭利な雰囲気があり、若輩ながら商人としての如才なさを身につけたハロルドを見慣れているサカキには新鮮に映った。
「レオン、転職おめでとう」
「え?」
 目を丸くしたレオンが、ハロルドが差し出した包みを受けとった。
「あ・・・え!?フリッグのサークレット?」
「レオンなら、すぐ使えるようになるだろ」
「ありがと、兄貴」
 嬉しそうに頬を染めたレオンに、ハロルドも満足そうだ。
「他の奴らに見つかる前にしまっておけよ?」
「わかってるよ」
 ニヤリと笑ったレオンが身軽な動作でリビングを抜け出していくのと入れ替わりに、母親らしいふくよかな丸みを帯びた影が入り口に立った。
「どこいくの?」
「便所!」
「お手洗いっていいなさい!」
 レオンの返事はなく、彼女の息子は、母親の感性などまったく無視しているようだ。
「おかえり、ハロルド。サカキさん、いらっしゃい」
 ハロルドと同じ、柔らかそうな茶色の髪に飾られた笑顔は、とても優しそうだ。ハロルドたち兄弟の母で、タニアという。
「はじめまして、サカキです。お邪魔します」
「あらあら、そんなにかしこまらないで。自分の家だと思って、くつろいでいってね」
 頭を下げるサカキに、飲み物のグラスを載せたトレイをテーブルに置いて、彼女はころころと笑った。
「まあ。本当にポスターそのまま。ハロルドには勿体無い彼氏さんだわ」
 エミリアと同じことを言う。タニアの言うポスターとは、サカキが出演したルティエ産ビールの広告のことだ。酒屋にでも貼ってあったのだろう。
「その節はハロルドを助けていただいたそうで・・・お父さんと、いつか御礼をしなくちゃって・・・」
「え?・・・あぁ、その、気にしないでください。ハロを助けたのは、俺の友人なんで・・・」
 ハロルドと恋人として付き合うきっかけになった事件を思い出して、サカキは手のひらに冷たい汗を感じた。あの事件は、今でもサカキの手に、嫌な感触だけを思い出させた。
 そんなサカキを察してか、ハロルドが別の話題を振ってくれた。
「母さん、シシリィは?」
「ああ、知らない人が来たもんだからびっくりしたのよ」
 つまり、サカキを見てびびったが、助けを求めに行った母親に相手にされなくて泣きだしたらしい。
「失礼な奴だなぁ」
「もう八つになるのに・・・あの子の人見知りと泣き虫には困ったものだわ」
 そんなことを言っているうちに、シシリィを抱き上げたエミリアが戻ってきた。もう泣き止んでいるようだが、まだしっかりとエミリアの服を握っている。
「怖がらせたみたいだな」
「ああ、いいのよ。ほら、シシリィ、サカキさんにご挨拶は?」
 じーっと見つめていたが、ふいと顔を隠してしまったシシリィに、母親の叱責が飛ぶ前に、サカキはウサギのぬいぐるみを取り出した。
「はじめまして、シシリィ。仲良くしよう」
 ぱぁっと目を輝かせてぬいぐるみを受けとると、シシリィは恥ずかしそうに微笑んだ。末っ子はお下がりばかりで、自分だけのものを貰うことは少ない。
「こんにちは、シシリィ?」
「・・・こんにちは」
 小さな声でもじもじと挨拶する少女の頭を、サカキはそっと撫でた。
「よかったねぇ、シシリィ。ありがとうございますは?」
「・・・ありがとう」
「どういたしまして」
 エミリアの腕の中で、シシリィは満足そうにぬいぐるみを抱えた。
「まぁ、すみません」
「いえ」
「いいなぁ。サカキさん、俺も欲しいです」
「ぬいぐるみをか?」
「やだなぁ。ホドレム盾とか・・・」
「自分でカードとってこい」
「いけずぅ〜」
 しくしくと泣き真似をしながら、サカキの服の裾を引っ張るハロルドの額に、力の入っていない一撃がぺしっと当たった。くすくすと笑うエミリアとシシリィ、呆れ顔のタニアに囲まれて、ハロルドはにやにやと笑ってみせた。
 夕方になって帰ってきたハロルドの兄弟は、真ん中の妹のイリスがアコライトで、双子の弟セラとマノは二人ともシーフだった。
 エミリアはモンクだったそうだが、引退して大工と花嫁の修業中らしい。
「あたしお兄ちゃんが欲しかったの!一番上だし、そんなこと望めないでしょ?だから、サカキさんが来てくれて、すごく嬉しいわ!!」
 底抜けに明るいエミリアにそう言われて、サカキも口元を緩めた。自分には、弟も妹もいなかったから・・・。
「でも、弟に彼氏ができたなんて、驚かせたんじゃ・・・」
「うーん、そうね。でも、同性の恋人なんて、わりと普通よ?モンクの女子寮にだって、何人かいたもの」
 意外な実態にサカキも驚いた。女子の生態には、全く興味のない男であるからして。
「それに、あのハロルドがどんな人を捕まえたのか、その方が興味あったわ。お父さんもお母さんもそうよ。だから、男同士だからなんて、気にしなくていいのよ」
 エミリアは母親に似た優しい面立ちを、悪戯っぽく微笑ませた。