不器用な優しさ −1−
嫌だと言って拒否できるものと、そうでないものは、厳格に存在する。特に、「公務」と名がつくもの。「皇帝直々の招待」とか、「自国王の勅命」とか、いくら王子のユーインでも受けないわけにはいかない。
「でも嫌なものは嫌だぁ―――!!!!」 ユーインはベッドの上で枕に顔を押し付けて絶叫しながら転がりまくるが、出発前からこの調子だったので、道中ずっと宥めていたクロムであっても、いい加減に腹をくくれと思う。 「ユーイン・・・・・・」 「うぅ・・・・・・だって怖いもん!怖いもん!」 「怖いのはわかりました。むこうも怖がってもらって楽しいでしょうよ」 「うぐぐぐ・・・・・・」 ゴブラン織りの見事なクッションを抱きしめてユーインは唸るが、いくら最愛のクロムに呆れられても、あの漆黒帝イーヴァルと仲良くお食事&歓談なんてできるわけがない。寿命が縮む。 それでも、もう帝都ラズーリトに到着しているのだから、いい加減に覚悟を決めるしかない。 「今回はどちらからの申し込みでしたか?」 「ベリョーザ・・・・・・」 「それにオルキディアが招かれて応じているんですよね?ユーインをご指名なのは仕方がないですが、後ろ暗い事も足元を見られる案件もないですよね?」 「うぅ・・・・・・たぶん」 「それなら、オーラン王から虎の巻を教わったでしょう?」 「落ち着いて政治の話だけする・・・・・・」 「そうです。今回の成功条件は?」 「生還すること」 「そうです。特別に何か条約を結んで来いとかそういうのではないでしょう?」 「うん」 「帰ったら、御父上かからご褒美が出るんでしたよね?」 「生活費と旅費予算アップ・・・・・・」 もごもごとクッションに最後の文句をぶつけると、ユーインはせいぜい真面目な顔を作ってベッドから降りた。眉間の皴は、クロムも見ないことにした。 「がんばれ、俺!やればできる!」 小さな呟きには悲壮な覚悟がにじんでおり、クロムはその調子だとユーインを持ち上げた。しかしその一方で、しばらくぶりに友人と再会できるだろう期待に、胸を膨らませてもいた。 大陸の北に横たわるベリョーザ帝国の春は、遅く、短い。四月も終わりだというのに、根雪はしぶとく、帝都ラズーリトであってもあちこちに積もったままだ。五月の初めに、建国記念日を含めた慶春祭期間があり、国内外から人がどっと詰めかけ、ラズーリトが一番活気付く季節でもある。 ユーインとクロムは、深く荒い海に囲まれた温暖なオルキディア領マベル島に居を据えてより、あまり諸国をふらふらすることは少なくなっていた。しかし今回は、前年より打診を受けていたために、渋々遠路を踏破してきたというわけだ。 オルキディア大使館から迎えの馬車に乗って、二人はラズーリト宮へと向かう。その道すがら、窓から見えるクラシックな街並みと、意外と薄着な人々の明るい表情に、クロムは自然と笑顔になった。以前来た時には、やはりこの春の季節で街は賑わっていたが、どこか張り詰めたものがあった。当時の社会不安や、優秀だが厳しい皇帝の声を恐れてのことだったのだろうか・・・・・・。 大勢の衛兵たちが護る門をゆっくりと通過すると、穏やかな賑わいを見せる城壁の外とは一転して、静謐と荘厳が大気に詰め込まれた、広大な敷地が広がっていた。大礼拝堂、官公府、迎賓館、大庭園・・・・・・それらの向こうに、ささやかな森に囲まれた水色の尖塔が見える。あそこが、ラズーリト宮の本殿であり、“レイヴン”と恐れられる漆黒帝イーヴァルの居城である。 ユーインすら、ラズーリト宮に入るのは初めてのことだ。珍しさと建築物の美しさに目を奪われて浮き立つクロムほどではないが、自国オルキディアにはない重厚な趣に、素直なため息が出た。 馬車から降りたそこは、ラズーリト宮本殿の正面。蹴上げは高すぎないのに、全体の幅と高さが大きな階段。壁の建石ひとつとっても滑らかに切り出した巨石で、遠くから見た美しさよりも圧倒的に迫ってくるような印象に、クロムは軽く仰け反ってしまった。 「どうぞ、こちらへ」 二人は微動だにしない衛兵たちの間を歩いて階段を登り切り、大きく開いた分厚い扉をくぐっていった。だが、その扉を知る帝国民には、巨大な黒い獣の大きく開いた顎であると言われているのを、彼らは知らない。 「お待ちしておりました、ユーイン殿下、クロムさん。お二人のご案内を仰せつかった、アゼルでございます。・・・・・・アネッロでは、お世話になりました」 正装して恭しく頭を下げた、夜明け前の空色の髪をした青年に、ユーインとクロムはしばし開いた口がふさがらなかった。 「アゼル!?国に帰っていたのか!」 「お久しぶりです!元気でしたか?」 「はい。お二人のおかげ様をもちまして」 泣きぼくろのあるたれ目をニヤリと細めて、外務局の若手職員は朗らかに微笑んだ。彼と会ったのは、カーニバルを見るために訪れた、ジェメリ国のアネッロという港湾都市だった。その後、任期が終わってベリョーザに戻っていたようだ。 「お二人は陛下にとっても恩義のある方々ですし、多少面識のある人間が付いたほうがいいだろうってことです。その点、ロサ・ルイーナが適任なんですが、彼女は黄金羊の警護から離れられませんからね」 「彼女も元気か?」 「ええ、もちろん」 少女のような童顔の諜報員は、コリーンヌリーブルで別れた時からずっと、護衛対象が変わっていないようだ。 三人が歩く本殿の中は、内装の煌びやかさに加えて、人々の華やかさも一段上だった。慶春祭期間に集まってくる、ベリョーザ皇帝の血縁やら貴族やら、さらに彼らを商売相手とする豪商や銀行家などである。 彼らがこの時期に帝都に集まるのは、いくつかの建前と利害が合わさった結果なのだと、アゼルは小声で教えてくれた。 「帝都に集まる金や物資や情報が欲しいし、ベリョーザ貴族として形式だけでも義理を果たさねばならないが、なるべく陛下から目をつけられたくない。貴族でも大勢集まっていれば、多少は目立たなくなるだろう・・・・・・」 「まるで魚か鳥の群れだな」 「そういうことです」 眉を顰めるユーインに、アゼルは侮蔑を込めた笑みを色っぽい唇に浮かべた。 「彼らは権力や富は好きですが、陛下のことは怖がっています。地位に見合う仕事をしなければ、あっさり爵位や役職がはく奪されますし、俺がアネッロに赴任した年の慶春祭では、陛下の血縁を含む貴族の娘三人が、禁裏の庭園に侵入したかどで処刑されています」 血縁だろうと女だろうと容赦のないイーヴァルの苛烈さに、ラズーリト宮にいる者は常に襟を正す思いだろう。謹慎や罰金を通り越して、即処刑というのが骨身にしみたに違いなく、以来禁裏に興味を抱く貴婦人は激減したらしい。 「黄金羊の存在は公然の秘密ですが、禁裏付き以外で姿を見た者は、相変わらずほとんどいません。公式の場には、まったく出てきませんからね」 「やはり、軟禁生活なんですね」 本人がエクラでの人質生活が長かったから苦にならないとしても、クロムは自分たちのような自由がないイグナーツの境遇に眉間を曇らせた。しかしアゼルは、そんなクロムの心配を軽く笑って払った。 「たしかに暇かもしれませんが、ラズーリト宮は禁裏だけでもだいぶ広いですから。それに、一人で禁裏の外に出ないというだけで、陛下はまとまった休暇のたびに連れ出しているみたいですよ」 それもクロムとユーインなら本人たちから話を聞けるだろうと、アゼルはひとつの大きな扉の前で立ち止まって、二人を振り返った。 「ラズーリト宮にいる間、なにかありましたら俺に言ってください。できる限り善処します」 後半の台詞を言うアゼルの神妙な表情が、唇の笑みで裏切っている。 「あんまり面白がるな」 「そんなそんな。ユーイン殿下なら、上手くやれますよ」 憮然とするユーインが不敬だぞとぶつくさ言いだしたが、今度こそ真面目な顔になったアゼルが入室を求めたので、クロムの拳にはきゅっと力が入った。 重そうな分厚い扉がすいっと音もなく左右に開くと、いっそう煌びやかな光景がクロムの視界に広がっていった。 大広間ではない小ぢんまりとした部屋だったが、大きなダイニングテーブルには銀の燭台が置かれ、三人分のカトラリーが用意されていた。ピカピカに磨かれた壁は、天井から吊り下がっているシャンデリアの光も照り返して飴色に輝いており、片方にはベリョーザ帝国の国旗が、もう片方にはオルキディア王国の国旗が掲げられていた。 そして、完璧に行き届いた室内に飾られた、どの生花よりも瑞々しく雄々しい、端正な顔立ちの背の高い男が、反対側から入室してきた。年の頃は三十半ば、クロムやユーインよりも少し年上だが、その年の差以上の“中身”を感じる。 三人の足音は、敷き詰められた絨毯に吸い込まれていく。その静寂が、クロムにはひどく息苦しく感じられたが、おそらくそれは、隣のユーインが柄にもなく緊張しているのが伝わってきたからだろう。 「遠路ようこそ、ユーイン王子。会えるのを心待ちにしていた」 耳に心地よい低い声に、クロムとユーインの背筋がいっそう強張る。もはや噂によって刷り込まれたような、反射的な恐怖のせいだ。 「お招きいただき光栄です、皇帝陛下」 ふっと唇が動いたように見えたが、単純に面白がっているだけの表情ではない。聡明な暴君、偉大な捕食者と恐れられたその黒髪の男は、大陸列強に冠絶する王者の覇気と鋭利とを、分厚い優雅さで包み込んだ美丈夫だった。 「グルナディエ公国のクロム殿ですな?予がベリョーザ皇帝イーヴァルである。そのせつは我が臣民を救助していただき、感謝に堪えぬ」 「えっ!?あっ・・・・・・」 突然話を振られてクロムはパニックになったが、真っ白になった頭に勲章と表彰状をもらったことが出てきてくれた。 「わっ、私ごときに、もったいないお言葉・・・・・・医術の心得がある者として、当然の事をしたまでです。勲章までいただき、光栄の至り。恐縮です」 多少噛んだが、つっかえつつも、なんとか言い返せた。口の中も喉もカラカラで、クロムはいっそ気絶しないかと現実逃避しかけた。 しかし、イーヴァルの唇は、今度こそ笑みの形に吊り上がった。深い紫色の目が、ユーインとクロムを同時に視界に収めて軽やかに輝いた。 「かけたまえよ。粗餐ではあるが、もてなさせて欲しい。そなたらには、予のいない所でずいぶん世話になっている。積もる話を、じっくりしていこうではないか」 クロムは今更ながら全身に鳥肌が立ったが、それはユーインも同じだった。目の前にいるのは、機嫌のよい猛獣で、自分たちはその檻に閉じ込められて、同じ食事をしようとしているのだ。 温かく湯気を登らせる豪勢なベリョーザ料理が次々と運ばれてきたが、二人にはほとんど味を堪能する余裕はなかった。 |