オーロラの妖精 −6−


 いきなり槍で突かれて驚いたクロムだが、厚い上着と自分が転んだおかげで、大した怪我はしていない。それよりも、頭に血が上ったユーインを鎮める方が大変で、なんとか騒ぎが届いていない宿に転がり込んで、船旅の汚れを洗い落としたら、すぐに眠気が襲ってきた。
 ユーインが斬り捨てた兵士はどうなっただろうかとか、ノエルは無事に王宮へ行っただろうかとか、ユーインがこれ以上怒りをゼータール国にぶつけないかとか、心配事はいろいろあるのだが、清潔なシーツの誘惑には勝てなかった。船の揺れに慣れた体も、地上用へと戻さねばならない。
 すやすやと寝息を立てるクロムのそばで、ユーインはリクダンの地図を広げ、逃亡経路を確認していた。
 クロムはノエルが誤解を解いてくれるだろうとは言っていたが、ユーインは最悪のケースを考え、ゼータール王国から脱出する道を模索していた。ゼータールに港は多いが、外国へ行く船便は慎重に選ばなければならないし、そもそも港に検問を設けられたり封鎖されたりしたら、陸路で隣国まで行かねばならない。密航はリスクが高すぎる。リクダンを脱出できても各地で兵士が目を光らせているだろうし、土地勘のない国で逃げ回るのは、言うほど簡単ではないのだ。
 なんとか明日の計画を立てたところで、ユーインも疲労に勝てず、クロムの隣で眠り込んだ。なんとも、船旅はユーインと相性が良くないようだ。
 ぐっすりと眠ったが、早朝の気配に鋭いものを感じて、ユーインはクロムよりも先に目を覚ました。港町の朝に似合わない音が混じっており、手早く身支度を整えながら、そっと鎧戸の隙間から外をうかがった。数件先の宿屋に、兵士の姿が見える。
「クロム」
 揺すりながら小声で呼びかけて起こすと、クロムはユーインの緊迫した雰囲気に慌てて身支度を整えた。二人は顔を洗うのもそこそこに、宿の裏口へと向かったが、そこではすでに、兵士と早起きな女将さんが会話をしていた。
「えぇ、その人たちならうちに・・・」
「あっ・・・」
 ユーインたちは足を急停止させようとしたが、兵士たちに見つかった。表玄関へと方向を変えて走り出したが、追いすがる兵士の声も大きかった。
「お待ちください、ユーイン王子!国王陛下が、王宮へお招きしたいと仰せです!」
 その言葉をユーインは半信半疑だったが、クロムはユーインの腕を取って、逃亡をやめさせた。
「きっと、ノエルです」
「・・・・・・」
 昨日の誤解を丁寧に謝罪する兵士たちが、あらためて王宮への同行を懇願し、ノエルも会いたがっていると言われ、ユーインもやっとうなずいた。
 ゼータールの王宮は、何重もの高い城壁をくぐった先にあり、そのたびに町の風景が変わるのも興味深い。馬車に乗ってユーインとクロムが王宮に到着すると、すぐに小綺麗なダイニングに通された。
「ユーイン!クロム!」
 ぱたぱたと駆けこんできたノエルが、二人にギュッと抱き着いた。
「ノエル、よかった」
「クロムは怪我してない?」
「大丈夫だよ」
「ユーインは王子様だったんだね。なんで教えてくれなかったの?」
「そりゃあ、いつも王子以外のものに転職できないかなぁと思っているからね」
「変なの!」
 三人が互いの無事を喜び合っていると、長い銀髪を結い上げた背の高い男が、ダイニングに入ってきた。ゼータールの船乗りたちのような、「風雪に耐えた巌」という表現とはかけ離れた、色白で瀟洒な眉目の男で、歳はユーインとあまり変わらなさそうだ。
「王様・・・おはようございます!」
 反射的にしゃきんと背筋を伸ばしたノエルに、銀髪の男は楽しそうに微笑んだ。
「おはよう、ノエル。そして、オルキディア王国のユーイン王子ですな?ゼータール国、国王のオーランだ。遠路ようこそ、歓迎する」
「初めまして、国王陛下。お目にかかれて光栄です」
 握手を求められ、瞬時に王子の毛皮をまとって外交スマイルを浮かべて応えたユーインに、クロムは若干たじろいだが、いきなり喧嘩腰にならなかっただけで胸をなでおろした。
「昨日はひどい誤解をしたうえ、今日も早朝からご足労頂いて申し訳ない。田舎の粗餐ではあるが、ぜひ歓待させてくれ」
「お気遣い痛み入ります」
 ゼータール王国では、夕食以外では料理に火を通さない、軽い物ばかりなのが主流だが、さすがに王宮だとそのバラエティも豊富なようだ。
 魚介の酢漬けに、ハーブが散らされたスモークサーモン、種類の違ういくつものチーズ、それに巻いたクレープ状の薄いパンが添えられ、見た目にも貧相な気はしない。コーヒーもいい香りがしている。
「ジョート族の大使を助けていただき、感謝する。ノエルは我が国の大事な民であり、一部族を代表する要人だ」
「どういたしまして。そういえば、真犯人は捕まえられましたか?」
 ユーインの口調は穏やかだが、腹の中は表面ほど穏やかではないことをクロムは感じ取り、ひやひやしながらオーランを見やった。しかし、ユーインと同じくらいの年齢に見える国王は、落ち着いた様子で機嫌よく緑の目を輝かせた。
「貴殿が倒したのであろう?難なく捕獲され、今は牢の中だ。そうそう、お連れの方にもお怪我はなかったかな。早とちりとはいえ、わが兵が大変失礼をした。許していただけるだろうか」
「え、あ・・・はい。もちろん」
 そんなに簡単に許さなくていいんだぞ、とユーインの目は言っていたが、こんなことで問題をこじらせられるほど、クロムの神経は太くも頑丈でもない。この朝食会からも、できれば穏便に逃げ出したいくらいなのだから。
「・・・どうした、ノエル?」
 オーランがしょんぼりとした顔のノエルに気付いたが、ノエルは困ったように首を振り、パンをかじっている。
「あ、ノエルは魚が嫌いなんですよ」
「なに?」
 ユーインの暴露で唖然としたオーランに、ノエルはますますうつむいてしまった。
「ごめんなさい・・・」
「いや・・・そうか、ジョート族は畜産物が主食だったな」
 ゼータールは寒冷で大地が農耕に向かない代わりに、海洋資源が豊富なので、魚が嫌いという嗜好が死活問題となるため、自然と少ないのだ。
「魚のどこが苦手なんだ?」
「骨がいっぱいなのと、油でぬるぬるするの・・・あと、ぱさぱさほぐれるのも嫌い」
「ふむ、では善処しよう」
 ノエルの前には、魚料理の皿にかわり、鹿肉の燻製がスライスされて出てきた。
「わぁ・・・」
「コックに、魚の骨を抜いた、ノエルでも食べられそうな料理を考えさせるとしよう」
「ありがとう、王様!」
 にっこりと笑顔になって、はぐはぐと鹿肉を咀嚼するノエルを、オーランもほほえましく眺めている。
「昨日、ノエルが王宮に来て、最初に予に要求したのが、貴殿らへの誤解を解くことだった。おかげで、予は遠方よりの友人を失わずに済んだ」
 同時に、近隣の友好国から冷笑されることも免れたのだから、オーランの機嫌がいいのは当然だ。
「ノエルのような大使は、終身で職務に就くのですか?」
 真綿にくるんだようなユーインの質問に、オーランも事実を下敷きにして答える。
「代わりの大使が来れば、任務を終了して故郷に戻ることが可能だ。まぁ、全国に中央からの役人を派遣できるようになった時点で、ほとんど形式のようなものになったがな。しかしながら・・・」
 オーランは再び、鹿肉とチーズを乗せたパンを食べているノエルを見やり、穏やかに微笑んだ。
「ノエルが来てくれて、予は単純に嬉しく思っている。長い灰色の冬に、小さな春がやってきたような気分だ」
 ノエルはきょとんと首をかしげたが、ユーインはクロムと顔を見合わせ、そっと微笑み合った。いつかユーインがつぶやいた、故郷から出た方がいいこともあるという意見は、案外全く外れた予言でもなかったようだ。
「貴殿らには、ぜひわが城で、ゆるりとくつろいでいってほしい」
 華やかな場所が苦手なクロムはぎょっとしたが、ユーインは快諾した。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
「招待を受けてくれて感謝する。ゼータールの夏は短いが、その分、人々が活発に動く。ゼータール酒と一緒に、多くの土産話をお持ち帰りいただこう」
 それがオーランの、国王としての判断であり、ユーインの興味を満たすと同時に、「ついで」な王子としての責務を果たすことにもなるのだった。
 ゼータール王国には、オルキディア王国の大使館がないので、ユーインの仕事も自然と発生する。つまり、修好条約締結などを見据えた、両国間の調整、国交の活発化に関することを、非公式ながらオーランと話し合うことだ。
 むろん、ユーインの権限が著しく低いことはわかっているので、オーランも無理は言わない。五カ国連合の中には、オルキディアの大使館がある国もあるので、まずはユーインの本国への打診によって、外交官が派遣され、そこから徐々に、名実のあるものへの話し合いがもたれることになるだろう。
「はぁ〜、王子なんて・・・ほんと、転職できるものならしたいよ」
 ユーインはぼやき、それが聞こえたクロムが小さく微笑んだ。