オーロラの妖精 −5−


 ゼータール王国の首都、リクダン。
 この都市は天然の湾に構えられ、良好で巨大な港を有している。北海に君臨する五カ国連合の中でも、統治者である国王オーランは若く、新進気鋭に富んでおり、それを証拠とするかのように、リクダンは活気に溢れていた。
 亜麻、木材、ヒース、鉱石、琥珀、毛皮、羊毛、食肉、塩、チーズ、穀類・・・さまざまな交易品が行きかう港から、王宮に火急の報せが飛んだのは、穏やかな天気に恵まれた日の昼過ぎだった。
「ジョート族の大使が誘拐されました!」
 執務中だったオーランは、形の良い眉をひそめただけで、大声で怒鳴るようなことはしなかった。
「さっさと探せ。誘拐犯は殺して構わん。・・・そうか、今日の船で到着したか」
 オーランが無慈悲なのではない。北部の遊牧民ジョート族の大使が今日の船便で到着することは、現地の役人と船に乗っている者しか知らないはずで、誘拐犯が他国の刺客だという線は薄い。なにより、ジョート族の大使を誘拐して得をする国はない。おそらく、慣れない土地で右往左往している隙に、金目のものに目をつけられたか、禁止されている人身売買をたくらむ輩に、獲物だと思われたのだろう。
 商業都市でもあるリクダンでの盗み、詐欺は、大罪に値し、非常に重い刑罰が定められていた。港なら目撃者も多いし、港湾警備隊も王都の憲兵隊も無能ではない。すぐに見つかるだろうと、オーランは結論付けていた。
 数年前に王宮に勤めるジョート族の大使が死去し、オーランは新たな大使をたてるよう要請していた。
 各地に監査役の役人の駐在所を建設してからは、ほとんど形式的なこととなっていたが、それでも明確な土地を所有せずに移動する遊牧民たちの動向を把握しておくことは、なかなか難しい。部族の全権大使を王宮かその近くに住まわせておくことは、まったく意味がないわけではなかった。
 机の上に一山作っていた書類を決裁し、関税を誤魔化そうとしたいくつかの犯罪を処断し、地方からの嘆願書に目を通して指示を与え、休息の白湯が運ばれてきたところで、オーランは憲兵隊から、ジョート族の大使を救出できたという報告を受けた。
 しかし、憲兵隊に死傷者が出たという報告は、オーランの眉間を曇らせた。
「犯人は?」
「誘拐犯と思われる者たちは拘束しましたが、憲兵を殺害した、外国人風の男二人には逃げられました」
「ふむ。ジョート族の大使ならば、詳しい経緯を知っていよう。挨拶もあることだ。予が会いにいこう」
「あの、それが・・・」
「なんだ?」
 オーランの切れ長の目に睨まれて、憲兵隊長は困ったように視線をさまよわせた。
「大使が、非常に興奮されていまして・・・」
「は?」
 首都に着いたとたんに誘拐されて、気が立っているのは理解できる。だからなんだと言いたげに、オーランはもう一度、自ら大使に会いに行くと告げた。
 王宮の一角にある廊下を歩き、オーランはすぐに異常に気付いた。特別高価な彫刻がされたものではないが、美しい木目のレッドパインで作られた扉が、内側から激しく叩かれている。
「出してぇーっ!!」
 バンバンと拳で叩かれているであろう音に混じって、少年と思われる若い声が金切り声をあげている。
「な、なんだ・・・なぜ閉じ込めている?」
「はっ、その・・・逃げ出そうとするので・・・」
 出してーと言っているのだから、逃げようとしているのは明白だ。
「なぜ逃げる必要があるのだ?」
 王のその質問には、憲兵も衛兵も答えられず、顔を見合わせるばかりだ。
「はぁ・・・、まぁいい」
 オーランはこめかみをもみながら、あいた方の手でドアをノックした。
「ジョート族の大使か?予は国王のオーランだ。入るから、ドアと間違えて殴ってくれるな」
「・・・おうさま・・・?」
 ドアを殴る音がぴたりと止み、頼りなげな声が聞こえた。
 気配がドアの向こうから少し離れたので、オーランは衛兵にドアの鍵を開けさせ、不当な暴力に耐え続けたドアをそっと開けた。
 そこには、緑色の長い髪を束ねた薄汚れた少年が、ぼろぼろ涙をこぼして、しゃっくり上げていた。
「・・・ジョート族の者か?」
「う、うんっ!・・・ひっく、王様、ユーインとクロムを、助けて!違うんだよ!あの人たちは、ノエルを助けてくれたんだよ!誘拐した人じゃないよ!そ、それなのにっ・・・、この人たちが、クロムを・・・っ、だからっ・・・!」
 それ以上言葉にならず、わんわん泣く少年に、オーランは何となく事情を呑み込だ。
「すぐに件の逃亡者を探せ。彼らは恩人のようだ、決して無礼を働くな」
「はっ」
 憲兵が走り去ると、オーランは一生懸命に涙を拭っているジョート族の少年に微笑みかけた。
「怖がらせて悪かったな。すぐにそなたの恩人たちに謝罪しよう。その前に・・・大使の名を聞いておこう。つまり、そなたの名前だ」
「ひっく・・・ひっく、っ・・・の、ノエル、だよ・・・」
 大きな藤色目が、涙に濡れたまま、しっかりとオーランを見上げてきた。
 ノエルを湯浴みに行かせている間に、オーランは港からの報告をまとめて聞いていた。それによると、やはりヴァールからの船の中で、ノエルは身なりの良い外国人らしき二人連れと仲が良く、なにかと世話を受けていたらしい。リクダンの船役場で入港手続きをしているときに、外国人たちの連れと間違われ、身代金目当てで連れ去られたようだ。
 その情報が港から憲兵隊に伝わる前に、誘拐犯たちに追いついた二人連れと接触し、誤解を招いたようだ。
「ふむ、ヴァールからの旅行者というと、マーシュ人か、ベリョーザ人だろうか・・・」
 通常、ゼータール国へ外国人が訪れる場合、五カ国連合内の人間が、各国の庭先のような海を渡ってくるのがほとんどだ。それ以外となると、ベリョーザ帝国かエクラ王国。また、陸を歩いてくるとなると、必然的に、隣国のマーシュ王国かベリョーザ帝国ということになる。
 ところが、港の役人たちも首をかしげていた。周辺国民の、どの特徴とも一致しないというのだ。しかも、妙に垢抜けた雰囲気が、普通の商人や旅人と言わせるのに違和感がある。言葉は多少ゼータール語を話せたが、ベリョーザ語やエクラ語の方が話しやすそうで、どこか聞いたことのない訛りがあったそうだ。
 赤毛に琥珀がちりばめられた髪飾りをつけた男と、飛び抜けて奇抜な容姿・・・赤い目以外が真っ白な男。どちらも均整のとれた体つきで、旅慣れた様子だった・・・。
 オーランがそれらの報告に目を通し終わったころ、全身を洗われ、清潔な衣服に袖を通したノエルが、オーランの執務室にやってきた。
「あの、さっきはすみませんでした・・・」
 取り乱して泣いたのが恥ずかしかったのだろう。頬を染めて縮こまるノエルに、オーランは応接のソファに一緒に座るよう示した。
「よく来てくれた、ノエル。歓迎しよう」
「初めて御意を得ます、国王様。ジョート族は国王様の統治に従います。国王様の繁栄と健康に、オーディンのご加護を」
 一生懸命練習したのだろう。つっかえずに言えたノエルは、まだ緊張した顔をしていたが、オーランが気さくに微笑んで飲み物を勧めると、少し肩から力が抜けたようだ。
「北部から伝わってきた噂で、ジョート族に「オーロラの子」がいると聞いたが、ノエルのことか?」
「はい。・・・でも、ただの捨て子です。爺様・・・族長に育てていただきました」
 ノエルの髪は、確かにオーロラのような緑色をしていたが、それよりもオーランが気になったのは、ノエルの特徴的な耳の形である。
「オーロラというより、エルフの子ではないのか」
「え・・・?」
 人間の耳よりも、だいぶ先が長く尖っているように見えるのだが、気のせいだろうか。ただの捨て子というより、何らかの理由により、ヴァルキリーがエルフの国から拾い上げ、人間に託したという想像の方が、オーランには気に入った。
「しかし、こんなに若い大使が来るとは思っていなかった。よほど族長たちに期待されていると見えるな」
「え、と・・・がんばります」
 また緊張した顔になったノエルに、オーランは一緒に船に乗ってきた二人の旅行者について話を聞いた。
 国境近くで雇われ、ヴァールを目指して山を旅したこと、本当は一人で船に乗るのが怖かったのだが、ずっと一緒にいてくれたこと。それから、二人がたくさんの国を旅しているということも。話しているうちに、ノエルの表情は明るく、言葉も徐々に砕けて、楽しそうに微笑んだ。
「出身はどこの国と言っていたかな?」
「聞いたことのない名前でした。ユーインは、エクラ王国よりも南の、暑い国だって。クロムは、えっと・・・最近まで戦争をしていた国で、衛生兵をしていたんだって。帝国じゃない方の・・・なんていう国だったかな?」
「グルナディエ公国のことか」
 圧倒的な国力差ながら、神聖コーダ帝国の侵略を退けたグルナディエ公国の話は、北の果てにあるゼータール王国にも届いていた。
「ユーインは、そこでクロムを好きになったんだって。琥珀の髪飾りも、クロムが作ってプレゼントしてくれたんだって、自慢してたよ」
「そうか、仲がいいんだな」
「うん。それに、ユーインは何でも知っているんだよ。王様のことも知っていたし、ベリョーザの皇帝よりレイヴンの方がかわいいって言っていたし」
「イーヴァル帝のことか・・・」
 ただの旅人の口から、ベリョーザの皇帝の為人が出てくるのは、どうも引っかかる。それに、ユーインという名が、どこか聞き覚えがあった。
(南の国、ユーイン、王族・・・)
 がたっと席を立ったオーランに、ノエルはびっくりしたが、さらに大きな声を出したオーランに、もっと驚いた。
「オルキディアの何番目かの王子だ!そうだ、聞いたことがあるぞ・・・。憲兵隊に連絡しろ!逃亡している二人は国賓だ、即刻探し出せ!!港と国境を封鎖しろ!絶対に国外へ出させるな!!まずいぞ・・・あることないこと吹聴されたら、国の信用に関わる・・・!」
 ベリョーザ大使館に確認を取ったところ、二、三か月前までユーインが帝国に滞在していたことが確認され、オーランは一気に胃が痛くなってきた。