オーロラの妖精 −4−
その地形は、太古の昔に氷河が大地を削った名残なのだそうだ。峡湾といい、深く大地に切り込んだ裂け目は、幅が狭く、奥行きは長いところで百キロ以上という長大さを誇っていた。しかも、水深が非常に深く、大型の船も暗礁を気にせず悠々と進むことができるようだ。
「海が谷になっているって、こういうことだったんですね」 「たしかに、これを迂回しながら陸を行くのは大変だ」 見上げると、地上が目測でも百メートル以上は上にある。崖はひたすら高く、狭い湾は空まで切り取られているようにも見えた。 船長の説明では、この湾は比較的小さく、すぐに奥へ行きついてしまうらしい。実際、湾に入ったばかりは高かった両側の陸も、少しずつなだらかになり、緑の丘や遠くの山々が見えるようになってきた。しかしそれでも、まだまだ湾の先は長く、ユーインとクロムへ与えた衝撃は少なくなった。 「オーロラもそうですが、この国には、この世とは思えない不思議なものがあるんですね」 普段はその容姿を珍しがられることが多いクロムだが、いまは大自然の神秘に魅せられて、無邪気な笑顔をほころばせた。 「お客さん、この時期にオーロラを見たのかい?運が良かったな」 「真夏になると、一日中日が沈まなくなるんだぜ」 「「ええっ!?」」 夜が来ないという現象にクロムたちは驚いたが、船員たちは「白夜じゃオーロラは見えねぇなぁ」などと笑っている。 「もしかして、真冬は太陽が昇らないなんて言うんじゃないだろうな?」 「そうだなぁ、正午ぐらいはちらっと出るかもしれんが、だいたい薄暗いままだな」 「南部に行けば、ここよりは昼と夜の区別があるでよ。そんなに心配することじゃねぇぞ」 「・・・・・・」 ユーインは冗談のつもりで言ったのだが、この辺りでは当たり前の現象らしい。 ユーインが釣り上げた鮭や、酢漬けのキャベツ、大麦の硬いパンなどが夕食に振る舞われ、船員たちもビール片手に、ユーインたちに気さくに話してくれた。 「まだまだ世界には、俺の知らないことがたくさんあるなぁ」 驚異の自然に嘆息するユーインだが、クロムはそういう不思議な出来事をユーインと一緒に体験し、楽しみを共有できるのがとても嬉しかった。 「ユーイン」 「ん?」 明りのない、暗く狭い船内に吊るされたハンモックに苦労して乗り、クロムは隣のハンモックに寝転んだユーインを見ないように話しかけた。 「俺は、なんでもできるユーインがすごいと思います。どこへでも一人で行けて、どの国の誰とでも仲良くなれる・・・」 「クロム・・・?」 でも、そこを好きになったんじゃないと、クロムはわかっている。 「俺がユーインについてきたのは・・・俺がいいと言ってくれるユーインが、好きだからです」 「クろ・・・ぉおぁっ!?」 びったーん!というひどい音が下の方から聞こえたが、クロムは自分がハンモックから落ちないように、そっと毛布を掻き合わせた。 「すみません、おやすみなさい」 恥ずかしくて顔から火が出るように熱くて、痛みに呻いているユーインに、これ以上言葉をかけることができなかった。 ヴァールの港に戻ってきたクロムとユーインは、船の揺れに慣れてしまったせいでふわふわする足元に、ゼータール王国の首都リクダンへの船旅の、いい予行演習になったと笑いあった。 二人は南部への船を待ちながら、ゼータール王国特産の、これまた強いと評判の蒸留酒の酒蔵を見学したり、古い時代の遺跡などを訪れたりしてすごした。 そもそもこの国は、現在の神聖コーダ帝国と元を同じとする民族が、この土地にたどり着き、厳しい自然に耐えながら建国したと言われている。また時代をたどると、勇猛な海賊として、素晴らしい造船・操船技術を開発し、その一部はベリョーザ帝国の礎になった、とまでいわれている。五カ国連合の中でも、大変古い歴史を持った国でもあるのだ。 首都リクダンからの定期船が到着し、折り返し首都へと戻る準備をしているとき、その船へ乗り込もうとしていたユーインとクロムは、見覚えのある髪色を集団の中に見つけた。 「ノエル・・・?」 遊牧を生業とする部族の、似通った服装をした五人程度の集団のなかから、一人大きな荷物を背負った少年が、手を振りながら離れてきた。 「ノエル!」 「ユーイン!?クロム!」 今度は二人に向かって手を振りながら、パタパタと駆けてくるのは、やはり道案内をしてくれたノエルだった。 「わぁ、よかった!船に乗るの初めてで、ちょっと不安だったんだ」 「そうか、もう王様のところへ行くんだな」 「うん。・・・見送りに来てくれたんだ」 おそらく、部族の中でも年長者や、ノエルと親しかった人たちだろうか。港の人混みで見え隠れする彼らの顔を確認することはできなかったが、ノエルとの別れを惜しんでここまで来てくれたのだろう。 「行こう」 その言葉はノエルから発せられ、気負って震えそうな足を叱咤しているように感じられた。 そんなノエルの頭を、ユーインはくしゃりと撫で、クロムは大荷物を背負った細い肩を撫でた。 「行きましょうか」 「そうだな。急がないといい場所がなくなるぞ」 豪華客船ではない、あくまで国内の定期船なのだ。いくら交易用のキャラック船でも雑魚寝は当たり前だろうから、ユーインの推察は正しい。 三人はそろってステップを渡り、彼らを南へと運ぶ船に乗り込んでいった。 定期船の積荷は、ゼータール酒、穀類、チーズ、保存加工された羊肉や魚肉、それに鉄鉱石や石炭などの鉱物。船倉にはそれらの荷物がパンパンに詰め込まれ、狭い客室には人間が詰め込まれた。 その中で、船役人と話がついたノエルだけは、特別に小さな個室を使うよう許可が出たのだが、当のノエルは首を横に振って、ユーインとクロムのそばにくっついていた。 「せっかく個室が使えたのに・・・」 「うぅ、一人だけなんて嫌だよ」 「ははっ。ノエルは王宮に行く大事な乗客だからな。船長たちの青い顔が見えるようだな」 面白がるユーインに、クロムは鏡を見せてやりたい気分だった。 「だいたい、ユーインがいつもやっていることと同じレベルですね」 「俺はノエルほど大事にはされていないから大丈夫だよ」 「・・・そういう問題じゃないかと」 相変わらず、王族という人種の感覚は、クロムには理解しがたかった。下々の気苦労を、この王子に少しはわかってもらいたい。 客室は天井が低く、数人が入ればいっぱいな狭さだった。船員室との違いは、比較的甲板に近く、一人あたりの毛布が多めに用意されていることだけだろうか。船の中で個室が許されるのは、普通は船長のみであり、余裕があれば一等航海士などにも与えられる。貴人を乗せる場合は、専用の船が用意されるのが常だ。 クロムたちが峡湾を見学に行ったときに乗った漁船は、そもそも観光客をも乗せられるように設計された船であったため、並んでハンモックに寝られるという、破格の余裕があったのだ。・・・それでも、両手を伸ばせば壁につくような狭さではあったが。 長い間隔でゆぅらゆぅらと揺れる船は、気にしはじめると酔うので、なるべく目を閉じて身を任せるようにして慣れていくしかない。しかし、結局気分が悪くなったノエルを甲板に連れ出して、船員たちの邪魔にならないように風に当たらせることにしばしばなった。 もっと困ったのは、ノエルの食事である。山育ちのせいなのか、魚を受け付けないのだ。船に乗っている間は粗食が喜ばれるが、育ち盛りがパンとチーズだけでは病気になってしまう。 「ノエルは何を食べていたんだ?」 「お肉」 遊牧民たちは、羊やトナカイなどの肉を、ソーセージや燻製、あるいは塩漬けにして食べるのだ。そちらの方が魚よりも臭みが強くて食べにくそうな気がするのだが、ノエルにとっては普通なのだろう。また逆に、海辺の住人は魚を主に食べる。 幸い酢漬けにした野菜は食べられたので、壊血病になることはなかったが、肉がほとんど食卓に上らない船旅は、ノエルにとって嫌な思い出として残ったのは言うまでもない。 また、それとは別に、大いに不満を持つ男もいた。 「クロム〜」 「風呂がないんだから仕方ないじゃないですか」 時々寄港するような旅程ではなく、一気に首都リクダンを目指す航海は一週間近くに及び、雨以外で新鮮な真水を得ることがかなわない船旅は、潮で全身がべたべたになり、山岳騎行よりも衛生環境がさらに低下していた。ユーインにとっても、楽しい思い出にはならなさそうだ。 |