オーロラの妖精 −3−
厳しい山岳騎行の後半を、ユーインは機嫌よくすごし、ノエルにねだられるまま、いろんな土地の話をして聞かせた。
神聖コーダ帝国との戦争中だった、グルナディエ公国での話は、ノエルを少なからず慄かせたが、そこでクロムと出会ったことを話すと、目を輝かせてうなずいた。 「それで、危険な場所でも一生懸命看護するクロムを好きになったんだね!そうかぁ・・・男に惚れるって、そういうことなのかぁ。どうすると男同士で、そういうことをする仲になるのかなぁと思っていたんだけど・・・そうかぁ」 しきりにうなずくノエルは、あの夜の情事をしっかり聞いていたようだ。 思わず馬上で突っ伏したクロムに、ユーインはあとで怒られそうだなぁと思いながらも、罪のないノエルの笑顔に微笑んだ。 「クロムをものにするのは、苦労と忍耐の連続だったよ。なにしろ堅物で・・・」 「ユーイン・・・」 「クロムもユーインが好きなの?どこが良かったの?」 「ど・・・、え、ど、どこって・・・」 急に質問の標的にされて戸惑うクロムは、真っ赤になってうつむいた。 「それはぜひ俺も聞きたいな」 「ユーイン!!」 とうとうクロムの拳・・・ではなく、白い指先がユーインの頬をむきゅっとつまんだ。 耳まで真っ赤になったクロムは、しっかりとフードをかぶりこみ、マフラーを巻いた顔をぷいとそむけてしまった。 「あの・・・ごめん」 「ははは、クロムは照れ屋だからな〜」 しょんぼりとしたノエルの肩を、ユーインは気にしないでと叩いた。 クロムのすべてが愛おしいユーインにとって、この頬の痛みですら大事なものだ。・・・あとでクロムの機嫌を取らねばならないのは確実だが。 下り坂の多くなった道行は、いつの間にか踏み固められたと思われる道ができ、低くまばらながら、木立も増えてきた。 そして、ベリーの茂みやライ麦の畑が見えてきたところで、ノエルは歩みを止めた。 「この道をまっすぐ行くと、ヴィンスベンの村だよ。街道沿いだから宿もあるし、店も色々あるよ。日暮れには着くはずだから」 羊たちを連れているノエルは、村の近くまではいけない。 ユーインとクロムはノエルに、依頼したときに提示したよりも少し多い謝礼金を払い、さらにおまけも付けた。ベリョーザから旅をしてくる途中で買ったチーズが、ノエルの気に入ったらしく、残りを全部譲ってあげたのだ。 「ありがとう!神々のご加護を!」 「ありがとう、ノエル。助かったよ」 「無事にみんなのところまで帰ってね、ありがとう」 ぶんぶんと手を振って山へ戻っていくノエルと羊たちを見送り、ユーインとクロムは、久しぶりの人里へと下りて行った。 ヴィンスベンの村から、港湾都市ヴァールまでの道のりは、さらに三日かかった。 その途中で、クロムは町のそばを流れる小川や、河口近くの川にかかった橋を渡った。そして、ヴァールで取った宿にかかっていた絵で、ゼータール王国における川と海の違いを知った。 「これ・・・」 切り立った断崖絶壁が両側に迫り、その間の細い水路に、立派な二本のマストとたくさんのオールがある船が描かれていたのだ。 「・・・なんだか、自分の遠近感覚がおかしくなっているような気がします」 そばに立って同じ絵を眺めたユーインに、クロムは首を振りながら言った。 そばには観光のチラシも置いてあり、そこにはゼータール国を俯瞰した絵も描かれていた。ユーインは自分たちがたどってきたであろう稜線と、ぎざぎざした複雑な海岸線を見比べて苦笑した。明らかに、険しくても山の道の方が近く見える。 「これがゼータールの、のこぎりみたいな海岸線かぁ・・・。よし、見に行ってみようか。ノエルも船で見られるようなことを言っていたし」 「え、でも・・・」 「旅は寄り道をするものだよ。特に、人がいる場所ではね」 道案内人とはぐれることは死を意味した山岳騎行とはちがい、ここでは多少の冒険もできる。観光地になっているのなら、なおさら景勝を拝んでおくべきだろう。 それまで乗ってきた馬や、重装な防寒具を売って、五カ国連合内で流通しているローツ硬貨を手に入れると、ユーインはヴァールの港周辺を漁のついでに遊覧してくれる船の中から、比較的大きな船を探しだした。海岸線の奥深くまで行く必要はないし、なにより船酔いが一番の心配だったからだ。北の海はけっこう波が高く、しかもヴァールからずっと北へ進んだところで暖流と寒流が交わり、大きな渦潮ができるというのも有名な話だ。 サケやタラを使った豪快な漁師料理や、ニシンの酢漬け、羊肉とキャベツのシチュー、そして蜂蜜酒など、ゼーダールの家庭料理を堪能した翌日、ユーインとクロムは、一泊二日の短い船旅に出ることにした。 海流に乗ってぐんぐん船は進み、船員に勧められてユーインはのんきに釣り糸を垂れ始めたが、手すりやロープにつかまったままのクロムは、ゆっさゆっさと揺れる船に目を回しそうだった。 「これ・・・もっと小さい船だったら、投げ出されていませんか?」 「大きめな船にして正解だったね。・・・立っているより、座っていた方がいいよ」 「はい・・・」 クロムは腰が引けながらも、よろよろとユーインの隣に座り、灰色の空にそびえる釣竿の先を眺めた。 「ユーイン、ゼータール王国というのは、歴史的に少数部族から人質を取っているのでしょうか?」 「どうかなぁ。そこまで詳しくはないけど、貢物として若い女の人を献上するのは、どこの国、どこの地域でもよくあることだよ。それに、地方からの人質は、中央と地方を結ぶ外交官の役目もする重要な役割を持っているから、優秀な人や身分の高い人が選抜されることもあるよ」 クロムは寂しそうに微笑んだノエルを気の毒に思っているのだが、ユーインはあまり気にならないらしく、淡々としたものだ。 やや納得のいかない表情をしたクロムを、ユーインはちらりと見て、何やら含んだ笑顔を浮かべた。 「それに、地方から都会に出た方が、人質にとって幸せなこともあるかもしれない」 「え・・・?」 「即物的、利己的ではあるけどね。だけど、故郷なんて、思い出すだけで十分だよ」 クロムが見つめたユーインの横顔は、赤い髪に隠れてほとんど見えなかったが、その価値観がユーインの立場を雄弁に語っているのは疑いない。 ユーインの故郷に対する思い、クロムの故郷に対する思い、そして、ノエルの故郷への思い。それは、三者三様に違うのだろう。どれもが正しく、どれもが当人だけの、郷愁というものへの価値観だった。 (また、手紙を書こう) クロムはベリョーザ帝国の帝都ラズーリトにいたとき、グルナディエ公国へ残してきた両親への便りをしたためていた。国をまたいでの書簡郵送は、大都市か本当の国境でないとできないし、かなり金もかかるが、半ば強引にクロムを連れだしたユーインが、罪滅ぼしのつもりか、せっせと便宜を図っていた。 「おっ!」 ぐいぐいっと揺れる竿の先に、ユーインは立ち上がって釣り糸を巻き始めた。 「んぐぐぐ・・・っ、重いな!」 「ユーイン、がんばって!」 「おう!」 ユーインの当たりに船員も気づき、網や銛を持って甲板をかけてきた。ユーインがしっかりとつかんだ釣り竿は大きくしなり、釣り糸もぴんと張っている。 「きたぞ!でかい、でかい!」 「そのまま持ちこたえろ!」 「んぎぎぎぎっ・・・!」 クロムもユーインの腰にしがみついて、揺れる船からユーインが投げ出されないように支えた。 それっと網が投げ込まれ、掛け声とともに引き上げられていく。船体にバンバンと当る大きな音は、釣り上げられた魚が暴れているからだ。 「でかした、お客人!」 ユーインが釣り上げたのは、体長一メートルを超える、大物の鮭だった。 「すごく大きいですよ、ユーイン!」 「えへへ、やったね」 尻餅をついてVサインをしたユーインのむこうに巨大な岩壁を見つけ、クロムは唖然と目を見張った。 「あの・・・」 それだけしか言えず、指をさして固まったクロムの視線を追って、ユーインも船の縁のむこうに視線を向けた。 そこには、天を圧するような絶壁がそそり立ち、海面では白い波を受けていた。よく見れば、それは島で、さらに奥に、同じように切り立った崖ともいえそうな風景が重なり合い、細い水路が続いていた。 二人が乗った船は、その細い水路のような狭い湾へと、ゆっくりと舵を切っていた。 |