オアシス 5


 雷の王が所有している巨大なリビングソファは、硬すぎず沈み込みすぎず、カバーの肌触りもいいので、微睡みの君主のお気に入りだった。
 バスローブ姿でそこに身を投げ出し、気を失ってぐったりしているジュンに膝枕を提供しつつ、微睡みの君主もうとうととしていた。
 あの後、さらに正常位で二回ほどやってしまったので、さすがにくたびれたのだ。ちなみに二回というのは微睡みの君主の回数であって、その間ジュンはイきっぱなしにされていたということを付け加えておく。
 湯あたりする前にバスルームから出てきたので、まだ判断力は正常だ。
 ふと、心地よい気分の中に、控えめな呼び出し音を聞いて、微睡みの君主は目を開いた。
「んん?なぁに?」
 内蔵型高速生体感応式コムが、プライベートラインの受信を要求している。視神経に介入して映し出された文字は『THE BOOK』。
「う、ぁ。もしもーし」
 その眠そうな声に応え、落ち着いた低い声がはっきりと聞こえてくる。
『悪い、寝ていたか』
「んー大丈夫。っつーか、ちょー久しぶりなんですけど。いっつもPL切ってるっしょ」
『ああ、オフィシャルだけで回線がパンクしそうなんでな』
「ぶー。で、ほったらかしにされている愛人さんに、デートのお誘いでしょうか?」
『うん。これから一仕事して、そのあと会いに行くよ』
「・・・マジ!?」
 あまりにもびっくりしたので、膝の上にあったジュンの頭が転がり落ちるところだった。
『内々に話したいこともある。いま雷の王のところだろう?奴も呼んでくれると、話すのが二度手間にならなくていいんだが』
「雷なら産卵中。てか、なんで僕がここにいるってわかったの?」
『さっきラクエンに電話したら、そっちに外出中だって』
「なんかあった?」
『緊急で、人間を一人治療してやってほしくてね。往診を依頼したんだ。パンデモニウム周辺じゃ、ちと荷が重い』
 ラクエンの人間用医療技術は、世界最高水準だ。
 普通、人間は使い捨てにされるので、病気や怪我を治療されて天寿を全うするなど、ラクエン以外ではめったにない。
「ふぅん。かまわないけど。そんなに重症なわけ?」
『右腕を肩から消失。右肺の損傷が酷い。頭蓋、胸椎、左脛骨など、全身で十七箇所の骨折。その他、出血多量、内蔵の損傷、エトセトラエトセトラ・・・』
「重機と喧嘩でもしたの?」
『ダンプやショベルカーではなく、魔族と戦ったそうだ』
 ぽかんと、微睡みの君主の口が開いたままになった。
「なにそのかっこいい人間」
『興味深いだろう?ちょっとした知り合いでね。ぜひ助けてやって欲しい』
「了解了解」
『3、4日でラクエンに到着する予定だ。よろしくな』
「お待ちしてま〜す」
 ここにいない相手に向かって、ちゅっとキスを贈ると、回線の切れた無音のままで、会話の余韻に浸る。
 あの声を聞いたのは、数ヶ月ぶりだった。
(会いにくるなんて、珍しい)
 普段は、もっぱら微睡みの君主のほうが会いに行っている。
 彼は大図書館の最深部かパンデモニウムにいるので、突然行っても会える確率はゼロに等しい。しかも、プライベートラインをほとんどシャットアウトしているので、連絡の取りようもない。
 忙しい男であり、それだけ方々に必要とされている人材なので、数日も仕事を空けたら、さぞ混乱が起こることだろう。
(ま、僕が知ったこっちゃないけどね)
 ううん、と伸びをする。すっかり目が覚めてしまった。膝の上では、相変わらずジュンが健やかな寝息を立てている。
「微睡みー、ここ?」
 リビングルームに入ってきた偉丈夫に、微睡みの君主は手を上げてひらひらと振る。
「お帰りー」
「ただいま。あー、すっきりした」
 彫りの深い男くさい美貌を、波打つ豊かな金髪が飾り立てている。隆々とした筋肉は美しく、均整の取れた立派な体躯が、すべるようにソファまでやってくる。
「オツカレサマ」
「急に受精しろって言うんだもん。34個しか産めなかったよ?」
「よくそんなに排卵できるな」
「自慢じゃないが、ケイオスを作ってから無精卵を産んだことはない。慣れれば排卵コントロールなんて簡単よ?」
 ニヤリと微笑む魅力的な男が、数時間前はイかせくれと巨乳を震わせていたとは、知らない者が聞いたら嘘だと思うだろう。
「そうだ、この子もらっていくよ」
「うわ、微睡みそっくり」
 微睡みの君主の膝枕で眠っている少年の頬を、雷の王はむにっとつまんだ。
「どこで見つけたの?」
「風呂場。あんまりにも僕そっくりだったから、可愛いし、持って帰る」
「えー。こんな子がいたなら、私も飼いたかったなぁ」
「ふふふ。僕のものになるのは嫌だって、抵抗したんだよ?可愛いよね〜。あ、そうだ。今度、ブックがうちに来るって。話したいことがあるから、雷も連れて来いよ〜だってさ」
「へー。あいつが大図書館周辺から離れるなんて、珍しいじゃない」
 通信機器を使わず、本が直接出向いてくるなんて只事ではないと、雷の王も軽い口調とは裏腹に表情を改めた。
「3、4日後に着くって言ってたから、これから一緒にラクエンに行こ?」
「OK、OK」
「ああ、その前に・・・。汚れてもかまわない部屋をひとつ、貸してくんない?」
 その冥い輝きを宿した目を見て、雷の王は二つ返事で了承した。

 ぐっすりと眠って目を覚ますと、丸めたバスローブが頭の下にあって、あの人の姿はなかった。
「起きたか」
 どっかりと一人掛けのソファに身を沈め、脚を組んで経済情報誌をめくっている、金髪の男と目が合った。
「本当に微睡みそっくりだな」
 ニヤリと笑ったこの男が雷の王であると、ジュンはすぐに理解した。
 勧められるがままに、テーブルのグラスに手を伸ばす。元々喉が乾いていたし、また雲の上のような存在の人物が目の前に現れて、ドキドキとせわしない心臓を落ち着かせたかった。
「お前、あいつに逆らったんだって?よく殺されなかったな」
 クスクスと笑う男の姿をした母親に、ジュンは複雑な表情で微睡みの君主の言ったことを繰り返した。
「嫌がる奴を屈服さて、隷属させるのが大好きだって・・・」
「ほう。あいつが言ったのか?」
 うなずいた少年がどんな責め苦を受けたのか、切なげに揺れる目を見ればわかる。
「あっはっは。お前からかわれてるぞ。あの微睡みの君主が、そんな七面倒くさいことするわけないだろう」
「え・・・」
 目を丸くした少年を見て、雷の王はさらに大笑いする。
「いいか、あの超のつく怠け者が、自分に反抗するような面倒くさい奴を生かしておくと思うか?さっさと目の前から排除するに決まってんだろう。お前よっぽど気に入られたんだな。あいつになんて言って取り入ったんだ?」
「そんな、取り入ったなんて・・・」
 自分は誰かに所有されるなど嫌だったのだ。そんなこびた発言をした覚えはないのだが・・・。
「まぁいい。お前をラクエンに移住させる手続きは済ませた。あとは荷物をまとめて、奴についていけばいい」
「・・・はい」
 肉欲に溺れて所有物宣言はしてしまったが、まだケイオスでの自立生活に未練がありそうなジュンに、雷の王はふさりと金髪をかき上げて、その指先に視線を泳がせた。
「・・・ひとつ、余計なお世話だろうが忠告しておく。微睡みの君主に支配されるのがどうしても嫌ならば、力をつけて弑すればいい」
 そこまでは考えていなかったジュンは慌てて否定しようとしたが、雷の王は何気なく続けた。
「その時、奴がお前になら殺されてもいいかなと思っていれば、微睡みの君主は消滅し、お前は今まで守ってくれていたものから攻撃される代わりに自由だ。例えば私から攻撃されても文句は言えない。わかるな?」
 当然だとジュンがうなずくのを見て、さらに続ける。
「でも奴が死にたくないと思っていれば、消えるのはお前だ。これもわかるな?」
「はい」
「それでだ、私が心配していることはひとつだ。あの微睡みの君主は、まわりで起こること以上に、自分に関することには本当に無頓着でな。いつあっさり死んでもおかしくない。つまり、お前に殺されてやってもいいと思ってしまう可能性が高いわけだ」
「え・・・え??」
「難しいことは言っていないぞ」
 雷の王は、丸めた経済情報誌でジュンを指し、意味ありげに眉を上げてみせた。