オアシス 6
雷の王が支配する巨大プラント、ケイオス。そこは微睡みの君主が支配するラクエンと双璧をなす食料供給源であり、また世界トップクラスの人材供給源でもある。
教育、医療は長年最高水準を維持し、農水産業とあらゆる軍需産業に支えられた経済基盤は磐石と言っていい。 ラクエンで生産される農作物が、手作業で大切に作られた高級品である代わりに、その開発技術を買って、作業の87%を自動化した、文字通りプラントで大量生産するのがケイオスだ。 領主同士の仲がよいこともあって、この二都市の連盟だけで、全食糧供給率の48%をも占めていた。その他は皇帝の直轄領や、各領地での細々とした自給、あるいは名産品の類だ。 つまり、微睡みの君主か雷の王の機嫌を損ねるようなことがあれば、場合によっては都市ごと即餓死という運命もありえ、むろん、戦争などやっていられなくなる。 逆に、どちらかひとつでも奪えたならば・・・。 そう考える輩もいなくはなかったが、成功した例はない。 ケイオスは警備も厳重だし、生産工場に人を割かない代わりに精強な軍隊がいた。ラクエンはその逆で、警備を自動化して、緊急事態には軍隊どころか、領主自らが出陣することの方が多かった。 これまでのところ、襲撃者たちはよく肥えた土の一掴みすら手にすることは出来ず、その身を堆肥として提供し続けている。 「奴を生かしているのは、魔族としての使命感と、自分が冒した業とその結果に対する責任感。あとは、自分が楽をするために、元々少ない勤労意欲を総動員して作ったラクエンを、他の奴にとられるのが嫌というだけの感情。それだけだ」 まったくシンプルに出来ていやがる、そうぼやいて、雷の王は煙草の煙を吐き出した。 「たった・・・それだけですか?」 「ぶっちゃけ、何百年もよくもったと思うわ。 ジュンは、あの冥い光を宿した目の理由が、少しだけわかったような気がした。 親指の先で吸い口をはじいて灰を落とすと、雷の王は咥え煙草のまま、器用にしゃべった。 「ま、そんなわけで、やろうと思えば、お前でも奴を死なせることは出来るだろう。その後のことを考えないでのことだが」 「そんなつもりはありません。・・・できるだけ、お側で仕えさせていただきます」 「うん、そんならいいんだ。ええと・・・Mのいくつだ?」 「M-5096220705・・・我が君より、ジュンという名前をもらいました」 「そうか。じゃあ、ジュン、そろそろいい時間だろう。奴を迎えに行って来いよ」 「あの方は・・・どこに?」 「北苑の東端。R‐705倉庫だ。ああ、そうだ。中に入るときは、鼻をつまんでおけよ」 雷の王は片目をつぶって、使用人の身分では着られないような高価な服を指し示した。 微睡みの君主がいつも軽装でいるせいか、その服を着た自分の姿を鏡で見て、ジュンは自分が系図上の父親にとてもよく似ているのに、あらためて驚いた。 ただし、体のあちこちについた痣や擦り傷を隠すことは出来ず、服のデザイン以上に扇情的で妙な気分になってきた。しかも、その姿で外に出歩かねばならないことに気付き、ジュンは一人うろたえた。 (恥ずかしい・・・) しかし、雷の王には迎えに行けと言われたし、自分の主になった人の側にいないのはいけないと思う。 こそこそと人目を避けて王の居住区を抜けると、適当な非常口から外にすべり出し、翼を広げた。 すでに日は落ちたが月明かりはなく、人のいる建物以外では明かりも灯っていない。 北苑の東端といえば、王宮で使う物が運び込まれる倉庫が並んでいるところだ。何か特殊な備品でも探しに行ったのだろうか・・・。 体に吸い付くようなぴったりとしたアンダーに、風をはらんでなびく、羽衣のように薄い上着。ひやりとした風が痣だらけの素肌を撫でていく。 ・・・それが、妙にくすぐったい。 「はぁっ・・・」 目的の倉庫街に着いたときには、軽く息が上がってしまっていた。ぞくぞくと足元から這い上がってくるような快感に、震える膝を叱咤する。つんと尖りだした胸の先がアンダーにこすれ、我慢できない吐息に艶が混じる。 (こ、この服で空を飛ぶのは自重しよう・・・) あれだけ微睡みの君主にイかされていたにもかかわらず、元気な若さが服地を押し上げて主張するところも隠せないことに気付き、ジュンは羞恥と今が夜間である安堵に赤面した。 (ええと、R−705・・・) 同じような表情をした無味乾燥な倉庫たちの間を抜け、ジュンは目的の倉庫を見つけた。 金属製の扉を叩くが、反応がない。 「微睡みの君主様、おいでですか?ジュンです。入ります」 ロックが外れていることを確認して、扉の開閉スイッチを押す。微かな音を立てて、扉がスライドする。 「わがき、み・・・」 外気が倉庫に流れ込むのと同時に、生暖かい、なにかひどい匂いの空気が、ジュンの顔に当たった。 非常灯だけの薄暗い倉庫の中で、何かがびちゃびちゃと蠢いている。 「あ・・・ひっ・・・」 思わず息を呑んだ瞬間、血と汚物の匂いに加え、腐臭ような薬品臭のような、強烈な刺激を含んだ空気を吸い込んでしまった。鼻をつまんでおけよ、という雷の王の忠告が、頭の隅をよぎったが、遅かった。 「うっ・・・ぅげぇっ、げほっ・・・」 晩飯を食べる前でよかった。さっき飲んだ清涼飲料しか出てこなかったが、まだ胃が痙攣するように吐瀉を促してくる。 (苦し・・・。なんだ、あれは!?) 倉庫の出入り口にもたれて、できるだけ新鮮な外気を胸に吸い込むと、なんとなく予想は出来たものを見定めるべく、なるべく息を殺して倉庫の中へ足を踏み入れた。 びちゃっ・・・びちゃびちっ・・・ (ああ・・・) 痙攣する筋肉。蠕動する内臓。切れた太い血管からびゅっびゅと噴出す血液。ありえない方向に関節が曲がった骨。そのどれもが、まだ生きていた。 「そいつは裏返してみようと思ったんだけど、やっぱり上手くいかなくてさ〜。僕不器用なんだよね」 ぺたぺたと赤い足跡をつけながら、自分とよく似た若者が歩いてくるのを、ジュンは見つけた。なにか、大きな袋のようなものを引きずっている。 「わぁ!その格好えっちいよ、ジュン!うわぁ、本当に僕そっくり!すっごい、その生傷そそるね!!」 主が目をキラキラさせて喜ぶのはなんだか嬉しいが、あの体が裏返った男に、ジュンは見覚えがあった。 「我が君・・・」 「本当はまとめて消してしまおうかと思ったんだけど、彼らは僕とお前の区別もつかなかったみたいでさ。まったく失礼な奴らだ」 非常灯の明かりに照らされて、引きずられているのが袋ではなく、袋のようになった人だとわかった。骨があるようには見えず、ぶよぶよの皮膚は、微睡みの君主が握っている方はくしゃりと垂れ下がり、下にいくほど、まるで水風船のようにパンパンになっている。 それが、さして力を入れたようには見えない腕の一振りで、ぶぅんと宙を舞い、倉庫の壁に当たって弾け割れた。 「お、割れた。あんだけブヨッてると割れないかなぁと思ったのに」 壁には血と脂肪の染みが盛大に広がり、骨の欠片や筋肉がぼたぼたと落ちてくる。絡み合った内臓が重そうに落ちると、引っ張られるように皮膚も壁から剥がれ落ちた。 「あはは。これは上手くいったな。むこうに、ひき肉になるまで殴り合いさせた奴とか、生きたまま腐らせてみた奴とかもいるよ」 にこにこと無邪気に笑って言うそのどれもが、かつてジュンを痛めつけ、辱めた者たちの成れの果てであることは、想像に難くない。 「あ、ジュンは変に気を負わなくていいよ。僕がしたくてやったんだから。だいたい、僕を無理やり輪姦しようとか、考えられないよね」 この暗がりでは、微睡みの君主とジュンの顔を区別する方が難しいだろう。もっとも、ジュンには翼と尻尾があるのだが。 ふんっとそっくり返って腰に手を当てている若者が、中身の枯れ果ててしまった虚ろだというのか。無邪気に殺戮を嗜む姿、目を輝かせてジュンの恥ずかしい姿を褒めた笑顔・・・。 雷の王が何を言いたかったのか、ジュンは戸惑いながらも受け入れることにした。自分が、この強大な力を持つ魔王の錨になるのだと。自分が、全身全霊をかけて、この歳経た若者の空虚を、わずかなりとも埋めるのだと。 「我が君、汚れてしまっています」 「え?」 白い頬に飛んだ返り血を、ジュンはそっと舐めとった。 「ずっと、お側に置い、て、くださ・・・」 言い終わる前に、ジュンは貧血になったような眩暈を覚えて、視界がぼやけた。 ふらっと力の抜けた体を、慌てて細腕が支える。 「ああ、この空気はまだお前には毒だったな・・・。ごめんよ」 「あ・・・」 ふっと清浄な空気を口移しで吹き込まれると、幾分意識がはっきりした。 ジュンを見つめる黒い瞳が、優しく微笑んでいる。 「もちろん、お前を手放す気はない。さぁ、ラクエンに行こう」 再び重なった唇の間で、濡れ光る舌が絡まりあい、翼のある背が堪えきれないように震える。白く華奢な腕が翼のない背にまわされ、しっかりと抱きしめた。 |