オアシス 3


 大理石が敷き詰められた、広くて豪奢な浴室。シャワーから出しっぱなしの湯が流れる床の上に、双子のようによく似た白い肢体が、重なるように蠢いていた。
 湯気の立ち込める中、片や恐怖と快感に混乱し、片や怒りに追い立てられていた。
「ひっ・・・あぅ・・・ん」
 ジュンは、自分にのしかかっている人物の強大さに恐れおののいていた。すぐにでも逃げ出したいのだが、腰が抜けている上に、遠慮仮借なく無言の怒気を振りまいている彼が、自分の腹の上で打撲痕を丹念に嘗め回しているのだから、どうにも動けない。
 しかも、時々這いまわる舌が敏感なところに当たったりすると、例えようもなく気持ちよかったりする。
(誰か助けて・・・!)
 その叫びが声になることはなく、代わりに自分でも驚くような甘い吐息が出るばかりだ。
「ジュン、この痣は、殴られたものだな?」
 左の肋骨の上にできた青い痣がちゅぅっと吸われ、痛みと快感が同時にジュンの若い神経を駆け抜けた。
「はあぁっ・・・ううっ、は・・・い・・・」
 上ずったかすれ声を、なんとか搾り出す。
 弱い者は強い者の糧となる。それはこの世の真理であり、紛う事なき現実だ。強い者が生き残り、弱い者や役に立たない者は淘汰されていく。
 それは、争う気の強さを持たないジュンにとって、苛酷な環境だった。自分の身を守るのに精一杯だった。だが、卑屈に誰かの下につくことも、大好きな本を読む楽しみも含めた、全てをあきらめてしまうことも、したくはなかった。
「誰にやられた?」
「ああっ・・・そ、れは・・・ひっあっ、やめ・・・」
 そろそろと指の腹で撫でられていた乳首をきゅっとつままれ、ジュンの背がびくんと跳ね上がる。
「上司?同僚?それとも、街のチンピラかな?」
 なんだか告げ口をするようで、口を割るのはジュンには抵抗があった。
 しかし、微睡みの君主の「体に聞く」行為は止まらない。ついに腹や胸を舐めきった柔らかい舌が、鎖骨をたどって、首筋を這い上がった。
「うっ・・・」
「言いなよ。怒らないからさ。それとも、後輩なの?言うのが恥ずかしい?・・・んちゅ」
「ひぃっ・・・ぅあっ、やめぇ・・・」
 耳朶を唾液まみれにされ、温かい舌が耳の中を蹂躙するに当たって、ジュンは白旗を揚げた。
「はあっ・・・先輩、です。仕事の・・・ぅあああっ」
「じゅるっ・・・ん、名前と部署」
 ジュンが告げた数名の情報を復唱すると、微睡みの君主は一応怒気の噴出をおさめた。彼の下には、彼とよく似ていながらもか弱い息子が、息も絶え絶えで横たわっている。
「ふぅん、けっこうプライドがあったり、強情なのも、僕譲りね」
 唾液に濡れそぼった赤い唇を、ちろりと舌が舐める。
「僕、今まで自分がナルシストだと思ったことはないんだよね。だけど、そうじゃないみたいだ」
 首をかしげ、不思議そうに独白する美貌が、淫蕩に口の端を吊り上げる。
「ジュン、僕の物になりなよ」
 驚いてジュンが見上げた先で、ジュンには真似出来ない妖艶な微笑が言い放った。
「僕とそっくりな奴が、僕以外の奴に虐げられるなんて許せないな。こんなに美人で可愛い子は、僕のクッションだったりぬいぐるみだったりするべきだ」
 それはつまり「僕にだけ虐げられろ」と言っているのと同じで、所有されてしまうということで、現在よりもジュンの人権が侵されるということなのだが・・・まぁ、現在よりも安全かつ平和な生活が送れるであろうことは間違いない。
「・・・嫌です」
「ふぅん?」
 ジュンの反抗を、微睡みの君主は意外そうに、しかし面白そうに見下ろした。
「俺は、俺の力で生きていたいです。・・・それに、貴方の子供は俺だけじゃない。貴方に所有された俺を、情けないと見るか、羨ましいと見るかは、そいつらの勝手だけど、そんな視線に煩わされるのはごめんです」
「ずいぶんと自意識過剰じゃないか。僕の所有物になったって、注目されるものじゃないよ」
 これは微睡みの君主の認識不足だ。
 ジュンの言うとおり、ほとんどのものに興味を示さないという微睡みの君主が食指を動かしたとなれば、好奇と嫉妬の視線に晒されるのは確実だろう。
「だいたい、そんなことになったら、ラクエンに住んでいる貴方の子供はどう思います?いきなり外の街から僕を連れ帰ったりなんてしたら・・・」
「知ったことじゃない」
 微睡みの君主は、顔も見たことがない子供たちのことなど、すっぱりと切り捨てた。
「僕がいま問題にしているのは、ジュン、お前だ。他のことは考えなくていい。それと、勘違いしているようだから、二つほど言っておくことがある・・・」
 すっと背筋を伸ばして顎を引くと、微睡みの君主はくすりと唇をゆがめた。
「ひとつは、僕が命令しているのであって、お前の意思は関係ない。もうひとつは・・・僕は、嫌がる奴を屈服させ、隷属させるのが大好きだということだ」
 一時は勇気を奮い立たせたジュンだったが、それが蟷螂の鎌どころか、蜻蛉の身動ぎ程度だったことを思い知らされた。いくら姿形が似ていようとも、二人の間には天と地ほどもの隔たりがある。
「ジュンは強情だからな。体に覚えこませる必要がある」
 この世の真理は弱肉強食。
 その食物連鎖の頂点に君臨するものが、いまジュンの腹の上にのしかかっているのだ。ジュンは、逆らってはいけない者に逆らってしまったのだ。
「覚悟しろ」
 その優しげであるのに酷薄な声音に怯え、恐怖に打ち震えることしかできなかった。

 恐怖のあまり涙を浮かべて見開いた目。ひどく乱れた呼吸を漏らす唇。青ざめた端正な顔。パニックに陥っているのが、手に取るようにわかる。
 別に、故意に怖がらせようとしているわけではない。微睡みの君主が放つ圧倒的なオーラに、ジュンが勝手に怖がっているのだ。
(可愛いなぁ)
 などと、上に乗っている方が半分以上面白がっていることを、押し倒されている方は知らない。
 自分とそっくりな顔が、思ってもみなかった表情を作るのを見ているだけでも楽しいのに、さっきの反抗してきた眼差しや、少し舐めただけで喘ぎ悶える姿ときたら!
(なんで僕は、自分のそっくりさんが感じちゃってる姿で興奮するんだろう?・・・やっぱりナルシストなのか、それともマゾヒストなのか)
 きっとどっちもだな、とあっさり納得して疑問を片付けると、とりあえずジュンの恐怖心を取り去ってやることを考えた。
 なにしろ、微睡みの君主の技巧でせっかく服地を押し上げてきたところが、しょんぼりとしてしまっているのだから。
 額にかかる黒髪を撫で上げてやると、まだあどけなさが残るのがよくわかる。
「そんなに怖がるな」
 がくがくと震える頬を両手で包み込むと、冷え切った唇に優しく己を重ねた。
 浅い呼吸を繰り返して乾いた唇をノックするように、舌先でつつく。びっくりしたように緩んだ隙に、ちゅるんと舌を潜入させる。
「んむっ・・・ぅあん・・・ふ」
 たっぷりと唾液を乗せた舌で口腔内を舐め回し、苦しげに押し出そうとする相手の舌を絡めとり、その裏側をくすぐる。
「んんっ・・・ぴちゃ・・・はあぅ、ん・・・」
「んはっ・・・ほら、舌を出せ。命令には・・・わかっているな?」
 観念したのか、目をつぶって、おずおずと差し出された舌を、赤い唇が飲み込んで、音を立てて吸いだした。
「ずちゅちゅ・・・んっんっ・・・」
「ふぐぅっ・・・ううぁ・・・はぅう・・・んぐ・・・」
 絡み合う舌と唇から流れる唾液を飲み込みきれず、ジュンの口の端から溢れて伝い落ちる。
 ジュンの背がぴくんぴくんと跳ね、涙を流す金褐色の目がとろんとしてきたのを確認すると、微睡みの君主はやっと濃厚な口付けから開放し、裂けて布切れになったジュンの着衣を剥ぎ取りにかかった。