オアシス 2


 その人物を目にした瞬間、微睡みの君主は「あれ?」と思った。

 どうしてここに、もう一人自分がいるんだろう?(0.03秒)
 あ、でも僕よりちょっと見た目が若いな(0.05秒)
 それにしてもなんてアホ面をするんだ(0.01秒)
 鏡じゃないとすると、コレは他人だ(0.06秒)
 じゃあ、なんで僕にそっくりなんだ?(0.02秒)
 ・・・ああ、そうか(0.1秒)

「僕の子供だ」
「え・・・は、い?」
 うわずった小さな声は、「ぅえっはひいぃ」としか聞こえなかった。
 きちんと切りそろえた、さらさらの黒髪。卵型の白い顔。華奢な肢体。
 驚きに見開かれた目の色が金褐色であることと、微睡みの君主よりも若干彫りの深い顔立ちとで、両親の片割れが雷の王であるとわかる。
 「掃除中」看板を持っているところを見ると、下働きの若いのか。
「これから掃除?」
「あっ、いえ。今終わったところです」
 声まで微睡みの君主にそっくりだ。
「お湯は?」
「まだ浴槽には張っていませんけど、すぐにご用意できます」
「ん、そーして」
「は、はいっ。かしこまりました!」
 慌しく掃除道具を隅に寄せ、ぱたぱたと浴室に駆け込んでいく後姿には、蝙蝠の様な黒い翼と、ふりふり揺れる細長い尻尾があった。
(まだ子供か)
 飛行補助の翼と尻尾を、不要なときに引っ込められるようになるのは、生まれてからだいたい20年ぐらいたってからだ。
 つまり、彼はそれだけ若く、そのぐらい前にも微睡みの君主は雷の王に種付けしたということでもある。
(まぁ、あいつはいろんな奴と子作りするからな)
 雷の王を親に持つ子供は、かなり多い。毎年産む、というより、産まなかったり産ませなかったりする月が珍しいぐらいだ。
 微睡みの君主はというと、たしかに子作りはするが、それほど頻繁でもない。しかも、保育システムが完璧すぎて、ラクエンで生まれた子供の顔を見た記憶など、数えるほどしかない。もっとも、気付かなかっただけで、すれ違ったりぐらいはしているかもしれない。
 汗や体液に汚れた服を脱ぎ散らかすと、微睡みの君主は湯気が立ち込め始めた浴室の扉を開け放ち、遠慮もなく足を踏み入れた。
「あっ、すみません。もうちょっと待ってください」
 大理石が敷き詰められた巨大な浴槽に湯を張るには、それなりに時間がかかる。
 しかし、そんな物理的にどうしようもないことまで、黒髪の少年は申し訳なさそうに謝った。その頬が少し赤くなったのは、浴室に入ってきた人が、前も隠さずに妖艶な細身を晒しているからだ。
「かまわないよ。ところで、名前は?」
「え、俺ですか?M-5096220705です」
「はぁ・・・。あいつ名前ぐらい考えてやれよな」
 そういう自分も、名前候補を考えるだけで、実際は本人に選ばさせたり、勝手につけた名前を自己申告させたりしているので、あんまりエラソウな事は言えない。
 しかし、少年が答えたのは、確かに管理番号であり、名前とは言えないだろう。
「うー・・・うん、ジュンにしよう。君は、今日からジュンと名乗るように」
「は・・・はい」
 ぎこちなくうなずく少年に、微睡みの君主は満足げに微笑みかけた。
「ではジュン、風呂掃除が終わったなら、次は僕をお掃除ね」
「え・・・あ、はっはい!」

 実際、肉親とはいえ、ジュンは雷の王の顔を知らない。まして、自分が父親である微睡みの君主に瓜二つだったとは、今日はじめて見て知ったことだ。
 今日雷の王の浴室を掃除しにきたのだって、本当に偶然だった。
「ま、そーだろーね。こんなにそっくりだって知ったら、雷が面白がって僕に見せびらかすだろうし」
 泡まみれになった微睡みの君主の背をスポンジで擦りながら、ジュンは聞かれるままに自分のことを答えていた。
 歳は17歳。同時期に生まれた兄弟のほとんどは、軍事訓練所に行っていること。特別秀でたところもなく、他人と競争することが嫌いで、一人静かに本を読んでいるのが好きな自分は、こうして生まれた場所の管理に携わって糊口をしのいでいるのだと。
「ふぅん。中身も僕に似たんだね」
「え・・・そんな。俺は、ただ鈍臭いだけで・・・」
 微睡みの君主の、傷ひとつない白く滑らかな肌を目の前に、ジュンは顔を赤らめた。薄い筋肉を纏った華奢な肢体は、ジュンとそっくりにもかかわらず、ひどく妖艶でむせ返るような色香を立ち上らせている。
 漆黒の髪に、同じ色の目。人形のように整った顔をして、控えめに表情を変えるこの人が、ラクエンを襲撃してきた有象無象の大群を、眉ひとつ動かさずに全滅させたとか・・・。
 どこか憂いを宿した冥い目が、ふとジュンを見た。
「どうしたの?」
「あ、いえ・・・何か悲しいことがあったのですか?」
 すっと形のよい眉が動いたのを見て、ジュンはものを考えずに発言したことを後悔し、慌てて非礼をわびた。
「申し訳ありません。あの・・・出すぎたことを・・・」
「いや・・・悲しいことはない。そうだな・・・不安なんだろう」
 何百年も生きた魔王でも、不安になることがあるのかと、ジュンは新鮮な驚きを味わった。
「なに、お前たちが心配するようなことじゃない。ごく個人的なことだ」
 ふわっと目じりを下げて、そっくりな顔をしたジュンの頭を撫でる。しかし、その柔和な表情が一瞬こわばった。
「・・・」
「・・・どうか、しましたか?」
「ジュン、お前も仕事をして汗をかいただろう。一緒に入れ」
「えっ」
 さっと顔色を失ったジュンを見て見ぬふりで、微睡みの君主は素早くシャワーヘッドを掴んで、ジュンに向かって勢いよく放水した。
「わあっ」
 驚いて尻餅をついた少年にのしかかり、ボタンが千切れ飛ぶのもかまわず、簡素なシャツを引き裂く。
「あっ・・・」
「どういうことか、説明しろ」
 さっきまでとは打って変わり、凍りつくような微睡みの君主の声音に、ジュンは恐怖で声が出せなかった。
 ジュンの白い体のあちこちに、赤や青の痣が刻まれている。多くが殴られた痕跡だ。
「ジュン」
「お、お許しを・・・」
 自分を見下ろす冷厳な眼差しと、のしかかっている華奢な体から立ち上る怒気に、ジュンは腰を抜かして震えることしか出来ない。
 そうだ。魔王である自分とそっくりなジュンが、こんなにも弱々しく情けない姿をしているのは、微睡みの君主には許しがたいことなのだ。仮にも魔王二人の血を引いているというのに。
(殺される・・・!)
 ぎゅっと目をつぶってその瞬間を覚悟したが、いつまでたってもジュンの命を刈り取る鎌は振り下ろされてこない。
(・・・?)
 ぴちゃ
「ひやぅっ!?」
 鬱血した部分を舌が這い、くすぐったさと鈍い痛みがジュンの目を開かせた。
 そこには、相変わらず無表情で怒っている、自分とそっくりな全裸の若者がいた。
「説明しろと言っているんだから、説明しろ」
「あの・・・あの、あのっその・・・これはぁ・・・」
 自分とそっくりで全然違う、妖艶な美貌の迫力満点で、なかば脅されるように説明を求められても、ジュンはしどろもどろになるばかりだ。どこからどう説明したらいいのかなど、パニックになった頭では考えることが出来ない。
「ふん、僕に話せないなら、体に聞く」
「え・・・あの、うっ・・・つぅ」
 再び痣の上に赤い舌が這い、ぐいっと痛い場所をつついた。