悩める愛人の至福 1


 皇帝に次ぐ権力を持ったプリンス達にあてがわれた、パンデモニウム宮殿の中で最高級の客室。真冬の冷気を感じさせず、温かで快適な湿度に、ほのかな甘い香りが漂うのは、客の好みを把握している証拠だ。
 室内を明るくして、この豪華な空間でくつろぐことすら迂遠だった。フットランプとわずかな間接照明だけの淡い影の中で、衣擦れの音と、深く口付けをかわす淫靡な水音だけが、パーティーを抜け出した二人の、本当の姿を彩っている。
 しっかりと抱きしめられたままの濃厚な口付けに、微睡みの君主は本の腕の中で、初心な少女のように喘いだ。
「・・・はぁっ・・・ちょっと、ブッ・・・んっ・・・」
 赤い唇をついばみ、柔らかな舌を舐りあい、唾液を溢れさせた。微睡みの君主がほとんど抵抗しないのをいいことに、ブックは黒絹のドレスを解き、白く華奢な体をまさぐっている。
「あの、シャワー・・・ぐらい・・・使わ、せ・・・っ」
「そのままでいい」
 本は軽々と微睡みの君主を抱き上げて、ベッドに運んだ。微睡みの君主のキス初めを皇帝に盗られたのが、そんなに不満だったのか、彼らしくもない性急さだ。
 下着姿で腰掛けた微睡みの君主の足元に跪き、きつく締まった靴のベルトを緩める。赤くなったつま先や、滑らかな甲に口付け、その舌がくるぶしから細い足首を伝って、ふくらはぎまで上がってきた時、微睡みの君主からこらえきれないような吐息が漏れた。
「っ・・・ねぇ、本。皇帝カイザーとなんかあった?」
「なにも?」
 しかし、長年の愛人が、本の愛撫に混じった、一瞬息を詰めた気配を見逃すはずもない。
 じっと自分を見下ろす視線に耐え切れず、本は観念して顔を上げた。色の違う二対の目が、動揺を隠しきれているかは自信がない。
「なんで、そう思う?」
「ん・・・なんか、さっき皇帝と話してて、『ちっとやりすぎちゃったかも。ゴメンね、テヘッ☆』って言ってる感じがしたから」
「・・・」
「あの皇帝が、わざわざ僕に顔を見せろなんて言うはずないもん。ああ、なんか本にやったな、このオッサン、て思うよ」
 まったく表情を動かさずに話す微睡みの君主に、本はどこまで話すべきか悩んだ。おそらく、激怒するというほどではないにしろ、ものすごく不機嫌になることは目に見えている。
 余計なことを口走った皇帝を、本は恨んだ。
「・・・いいよ、別に。本が命令に逆らえないのわかってるし、本が僕に助けを求めるぐらい嫌がっているんじゃなければ、僕が口を出す筋合いでもない」
 どさりとベッドに身を投げ出すと、微睡みの君主はもう一度、わかってるとつぶやいた。
 派手好きな魔族の中にあって、微睡みの君主の容姿はかなり異質だった。細すぎるぐらいに華奢で、女にしては丸みがなく、男にしては逞しさに欠ける。どちらの性別にもなれる体ではあるが、同じ性質を持つ雷の王とは比べ物にならない。
 精巧な人形のような顔に配された、白磁の肌も、真紅の唇も、漆黒の髪と目も、とても美しい。だが、それを飾るのは、妖艶さ、ただひとつだけ。
 それを剥ぎ取ってしまったなら、永久の悲しみに沈む人でしかない。
 微睡みの君主の本質であるはずの、怠惰な姿も、高慢な残酷さも、快楽を求める気まぐれも、あらかじめ決められた、ただのパフォーマンスにしか見えなくなる。
「微睡み・・・」
 さらさらとした黒髪を撫でると、顔を隠していた手首が翻り、本の首に絡みついてきた。
「・・・本は、僕のものなのに」
「すまない。・・・いつも、我慢ばかりさせるな」
「うん」
 わがままで面倒くさがりで短気な微睡みの君主にとって、愛する本と離れ離れに暮らすのは、ひどく苦痛のはずだ。さらに、独占欲が強い上にプライドが高い彼女が、他人に自分の愛人をいじられることを容認するなどという忍耐を発揮するのは、本を尊重している証に他ならない。
 本に優しく頭を撫でられて、微睡みの君主は気持ちよさそうに頬を摺り寄せた。
「本、好きだよ」
「俺も、愛している」
 口付けを交わして、満足気な吐息を漏らした細い肩を抱き、短めの髪がかかる首筋に舌を這わせる。
「んっ・・・」
 大きくはないが、体格に見合った胸のふくらみに手をかけると、小さな喘ぎ声と一緒に震える。
「相変わらず敏感だな」
「っ・・・本に、だけ・・・なんだ・・・」
「知っている」
 奔放なセックスを楽しむと噂の微睡みの君主が、こんなにぎこちない受身のはずがない。
 あやすように額や目元に口付け、求められるがまま舌を絡める。ドレスを着るために着けていた、肉の薄い華奢な体には拘束具も等しいコルセットをはがして、つんと上を向いたしこりを指先でつまみあげる。
「ふうっ・・・ぅ、あっ・・・」
「触る前から、ずいぶん硬いぞ?」
「やっ・・・あ、たり・・・まえ・・・っは、ふぁっ!ああっ!」
 ぎゅうと首にしがみついている腕を退かせ、掌は吸い付くような柔らかい感触を楽しみつつ、耳朶を含んで唾液まみれにさせた。
「やぁっ・・・ぁ、だめ・・・っ!」
「気持ちいい?」
「はぁ、ん・・・本・・・本ぅっ!」
 まるで自慰すら知らない乙女のように、あふれ出す快感に身もだえ、すすり泣くように本の名を呼ぶ。
 うっすらと血管の見える首筋と、細い鎖骨に強く吸い付く。輝くような乳白色の肌に、微かな赤みが差した。
「うっ・・・つ」
「明日の朝まで消すなよ」
「いつまででも、いいけど?」
「それはダメだ。今以上に色気を振りまいたら、他の奴が理性を飛ばす」
 一瞬おいて、くすくすと笑いだす。その一瞬に、様々な思いをめぐらせたのだろうが、口から出てきたのは、実に微睡みの君主らしい要求だった。
「わかったよ。じゃあその前に、僕の理性を飛ばしてよ。僕を本で満たしてくれなきゃ、ヤダ」
「はいはい」
 本が鉄色のローブを脱ぎ捨てると、すぐに白い腕が絡みついてくる。柔らかな唇が、本の胸の先端をついばむ。
「おい・・・」
「んっ、待てない」
 くつろげられた隙間に指先が滑り込み、硬くなったものを引きずり出される。
「いただきまーす。はむっ・・・ん、んっ・・・」
「・・・っ、」
 温かく濡れた感触に、たまらない快感が腰から背を駆け上がる。微睡みの君主が上手いのはわかっているが、性欲が薄く普段はセックスをしない本が、これに耐えるのは至難と言っていい。一心に本をほおばって奉仕する黒髪に指を絡ませる。
「微睡み、俺を・・・イかせる気か?」
「んちゅ、ふぁっ?・・・はひ?はぐはい・・・」
「咥えたまましゃべるなっ」
 唾液まみれになった陽物から口を離すと、微睡みの君主は口元を汚したまま、名残惜しそうに視線を上向けた。
「そんな顔をするな。待てをさせられている犬じゃないんだから」
「だってぇ〜」
 切なげにもじもじと内股をすり合わせる微睡みの君主を押し倒し、本はクリスタル製の小奇麗な香油瓶に手を伸ばした。
「それなぁに?ローション?」
「どうせ、また使ってないだろう?」
「ぁ、う・・・」
 いくら相手に困らない身でも、彼女が女として抱かれることを許す相手は、本以外にはほとんどいない。毎回いくらほぐしても、数ヶ月単位で使っていない女性器が本の進入に悲鳴を上げるのは、無理なからぬことなのだ。
「いい物が手に入ったんだ。楽しめるはずだよ」
「通販?」
「そんなアヤシゲな物を微睡みに使えるか」
 もっとも、今本が手にしている物も、原料が十分アヤシゲなのだが、信頼できる製作者からの直買いなので、心配はない。
 布切れと言うより、すでに紐と言って差し支えなさそうな下着を脱がせると、まったくため息が出るような、繊細で美しい裸身が、本の下で脚を開いた。
「早く頂戴」
 すべてに無関心な微笑みと、乾いた冥い眼差ししか知らない者が見たならば、きっと別人だと目をそむけるに違いない。
 瑞々しい輝きを放つ、無邪気な女の笑顔。それを抱けるのは、この世でただ一人、本だけだ。