LOVERS 12


 峻厳な岩山が迫る海岸に、苔むした小さな墓石があった。人の背ほどに大きな雑草に隠れ、よく探さないと見逃してしまうだろう。
 見渡す限りの大海原の先には、肉眼で見るには遠すぎるだけで、それほど距離がないところに、別の大陸がある。
 断崖の下に跳ねる潮騒と、吹き上がってくる潮風を受けながら、じっと墓石を見つめる女がいた。
 柔らかそうな栗色の髪はきつく巻かれ、あまり表情の無い薄い水色の目をしていた。繊細な細工物のサークレットをはめた顔立ちは悪くないが、美人という部類ではなさそうだ。笑えば愛嬌のでる可愛らしさはあるのだが、とんと無表情で、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
「・・・・・・」
 その視線は、何度も何度も、同じ場所をなぞっていた。『恋人たち』という墓碑に、なにかを感じるのだろうか。
 突然、鋭い雷鳴のような叫び声が聞こえ、女は視線を天空へと向けた。このあたりは凶暴な野獣の生息地であり、魔族も天使族もめったに近寄らない。
 女は魔族であったが、まだ若く、正面からモンスターとやりあう気は無かった。墓石の台座と背の高い雑草に身を潜ませ、海を眺めながら膝を抱える。
 『故郷の見える場所に葬って欲しい』そんな一文を見た記憶が、わずかながらあって、おそらくこの海の下に『故郷』があるのだろうが、そこまでの古い記憶は無い。
 膨大なデータに囲まれているだけで彼女は幸せだったが、何かが足りない虚しさに、地団太を踏みたい気分だった。
 転生すれば、少なからず記憶が薄れることはわかっていたが、それが自分のコレクター的性分に大きなダメージを与えるとまでは考えていなかった。
 足りない部分を補いたい、その思いも確かにあったが、畢竟ひっきょうは、ただひたすら、会いたい、それだけだった。
 自分のことなんか忘れているかもしれない。もう好きでもなんでもなくて、共に生きた過去でもなくて、まったく見ず知らずの、赤の他人で、「あんた誰?」と言われてもおかしくなくて・・・。
 そんな考えばかりがぐるぐると廻り、どうしてこんな気持ちを持ったまま生まれてきたのだろうかと、自分を呪いたくなった。
 まだ相手にも会っていないのに、好意ばかりが膨らんで、じりじりと己を焼き焦がすようだ。
 恋に恋しているという自覚はあったが、どうにもならない。いっそのこと、本人に直接振られてしまえば、あきらめもつくのだろうが、当人がまだどこにいるのやら、生まれているのかすらも、彼女にはわからなかった。
「もう一度だけでいいから・・・」
 そんなつぶやきすら、自分の情けなさをさらしているようで、無性に腹立たしい。それなのに、恋焦がれる感情だけは、まるで別の生き物のように暴れている。
 ずんという地響きに、はっと立ち上がりかけ、後悔した。自分が動いたせいで、地響きを立てた者と目があってしまった。
 耳を労するような鳴き声は、先ほどの雷鳴のような叫び声と同じ。特大型の翼竜は縦長の瞳孔で女を見据えると、牙の並んだ大きな口を、割くように開いた。
 海に逃げるか空に逃げるか考えたところで、自分が避けたら背にした墓が壊れることに気づき、タイミングを逃す。
 危険を覚悟で戦う姿勢になったとき、不意に女の頭上を飛び越えた影が、翼竜の硬い鱗を貫通して、頭蓋を蹴り砕いた。
 とんでもない力で脳と頚骨を粉砕され、目玉を飛び出させた翼竜が、先ほどよりも大きな地響きを立てて、横倒しになる。その巨体は斜面に立っていたらしく、ずるずると滑り、あっけなく断崖の下へ落ちていった。
「よかったー。すんごく硬かったらどーしよーかと思った」
 見覚えのある、柳のように華奢な身体が振り向いた。漆黒の髪と、白い肌。人形のような顔のなかで、くすりと微笑む、赤い唇の形・・・。
「こんにちは」
 懐かしい再会に、女も思わず微笑んだ。