糖衣の花束‐7‐


 イグナーツの話は確かに長く、煩雑であまり要領がよくなかった。イーヴァルには理解不能な心理も混ざり、イーヴァルの中で出来るだけ要約するのに、魚料理後のシャーベットまでかかった。
「要するに、お前は契約なしで俺と付き合いたいわけだな?」
「うん」
 たったこれだけのことなのだ。
「でもさ、俺はイーヴァのこと・・・・・・その、痛くされてもいいかなって思ってはいるけど、イーヴァにだって、選ぶ権利があるだろ?」
「愚問だな」
 イーヴァルは空になった器にスプーンを放し、この頭の悪い生き物をどう躾ければいいのかと、軽く頭を振った。
「俺はお前を大事にしていると、何回言わせれば気がすむのだ、この低能。他がよければ、とっくにそうしている」
 顔を赤くしてうつむくイグナーツに、イーヴァルはため息をついてみせた。本当に、まどろっこしい。
「だいたい、お前が俺を親代わりにしようとなんだろうと、俺の知ったことか。この前のように、思い出すだけで起つような声で俺を楽しませればいい。他には何も期待せん」
「うげ・・・・・・アレを毎回やるのは勘弁してくれよ。マジで気が狂いそうになった」
 ぶるっと身震いしたイグナーツとイーヴァルの前から、シャーベットの器が下がり、大きなステーキの皿が代わりに現れた。
「うっわぁ!本物!?本物のダル・マルリ!?」
「ほう。珍しいな」
 惑星ナベリウスに生息する希少種の肉だ。生きているものに遭遇することもまれだが、こうして食卓に上がることはもっと珍しい。
 幼体のマルモスの方が、肉が柔らかく食用にされるが、成体のデ・マルモスの希少種であるダル・マルリの肉は、臭みが独特のまろやかさに変わり、いくら食べても飽きない旨味が詰まっていた。
「うんまぁ〜!」
「ふむ、久しぶりに食べたが、美味いな」
「これ獲ってきた人スゲーよ。マジ尊敬するぜ。んんー、美味いー!!」
 イグナーツは感激しながらステーキをほおばり、実に幸せそうな笑顔をしている。
「よかったな」
「んむ?イーヴァの好物だろ?」
「そうだが・・・・・・」
「昨夜連絡もらった時はどうなるかと思ったけど、一流レストランって、やっぱすげぇな」
「は?」
 昨日の食い逃げ事件のことかと顔を上げたイーヴァルに、イグナーツは苦笑いを浮かべた。
「フォードランサのシチュー、昨日食べたんだろ?」
「・・・・・・何で知っている?」
「そりゃあ、今日食べる予定だったのを、間違えて昨日だしちゃったって、支配人さんから平謝りされたからなぁ」
「・・・・・・そうか」
 あの時の支配人が慌てていたのは、そういうことだったのかと、イーヴァルは納得した。先にイグナーツが予約していたのに、前日にミオラと食べてしまったので、同じものを出すのがはばかられたのだろう。
「美味かった?」
「なにが?」
「フォードランサ」
「ああ」
「そっかそっか」
 満足気に頷くイグナーツは、ステーキをぺろりと平らげて、次に出された果汁たっぷりのフルーツも、扱いが上手くなったカトラリーで綺麗に食べた。
 そして、運ばれてきた皿を、イーヴァルは多少の驚きをもって見つめた。
「おおっ、ちゃんとろうそくが立ってる!」
 イグナーツが目を輝かせ、早く吹き消せと催促してくる。生クリームとストロベリーでデコレーションされた小さめのホールケーキには、チョコレートのメッセージボードが載り、チープなろうそくに火がともっていた。
「あ、歌わなきゃダメか」
「歌わんでいい」
 ケーキを切るために女性スタッフが笑顔で待機していたので、イーヴァルは仕方なく椅子から身を乗り出し、四本のろうそくを噴き消した。
「おおっ。イーヴァ、おめでとう。はい、これプレゼント」
 ぱちぱちと手を叩いて盛り上がるイグナーツが、一度ケーキがどかされたテーブルの上に、両手を伸ばしてきた。差し出したイーヴァルの手に落ちてきたのは、両手に納まる薄い箱。『カリエド』という老舗宝飾ブランドは知っていたが、あまり興味はなかった。
 それよりも、イグナーツから何かをもらったという事実の方が、何か衝撃的だった。
「あ・・・・・・」
 礼を言おうとしたのか、それとも開けていいか聞こうとしたのか、イーヴァルはそれを見た瞬間に忘れた。ケーキを切るためにナイフを持ったままだったスタッフが悲鳴を上げて身をかわし、掴みかかられたイーヴァルは逃げ場もなく、力任せに小箱を奪われたのを感じた。
「こんなもの・・・・・・っ!」
 ぱぁんと派手な音を立てて、小箱が床にたたきつけられた。
「イーヴァッ!!」
 厚顔女との間に立ちはだかったイグナーツが、必死な顔でイーヴァルのナイフを握った手首をつかんでいた。
「ダメだ!そういうのしていいのは俺だけ!!」
 イーヴァルは自分の怒りを誰かに制される覚えはないとイグナーツを睨みかけ、長い前髪の下で切れ長の目がイーヴァルの手を見ているのに気が付いた。
「血が・・・・・・」
 ミオラの長い爪が、イーヴァルの皮膚を引き破いたのだ。イーヴァルはそれを感触としては感じたが、痛みとは感じなかった。
「イーヴァに何すんだ、オバサン!」
「私には何もくれなかったくせにっ!」
「なんでアンタにあげなきゃいけないんだ!?」
 イグナーツの疑問はもっともだが、意味の分からないことを喚き散らすミオラは、他人の言うことなど聞いていないらしく、今度はイグナーツの髪を鷲掴みにして引っ張り始めた。
「きぃいいいいいっ!!なんであんたが!あんたなんかが!!あたしの方が貰えるのに!!!この泥棒!泥棒!!」
「いたたたたっ!痛い、痛いっ!」
 思わずイーヴァルの手を離して振り回される頭を押さえたイグナーツの顔面に、ミオラの平手打ちが入って、イーヴァルの何かが切れた。
 ぐしゃっとミオラの顔に叩きつけたケーキの皿を、イーヴァルはさらにグリグリと押しつけてやった。何かくぐもった悲鳴のようなものが聞こえてきたが、イグナーツの髪から手が離れれば、とりあえずそれでよかった。
「お客様!」
 バタバタとスタッフやら警備員やらが駆け込んできて、ミオラが捕まえられていった。
「イーヴァ・・・・・・イーヴァ、眼鏡・・・・・・」
 はっとしてあたりを見渡すと、顔を押さえたままのイグナーツが、片手で吹き飛んだカラーグラスを探していた。イグナーツのカラーグラスは椅子の下に落ちており、それを手渡してやると、礼を言ってかけなおした。
「ああ、ひっかけたな」
「うん、ちっと皮剥けた?」
 平手打ちをくらった衝撃で、クリングスが目頭の傍を削ってしまったのだ。血が滲んでおり、イグナーツが少し顔をしかめた。
「あーあ。ケーキ台無し」
「悪かったな。せっかく用意してもらったのに」
「ん、後で食いなおそうぜ。それより、イーヴァの手も結構傷深そうだぞ?本当に痛くないのか?」
「いや?」
 イーヴァルの手の甲は、皮膚が抉れ、続く蚯蚓腫れに沿って血が盛り上がっていた。
「イーヴァル様、イグナーツ様、申し訳ございません。こちらへ」
 なにやら店の表の方がすごい騒ぎになっていたが、イーヴァル達は支配人に案内されて、貸切に使う個室へと通された。
 簡単な治療を受けている間に、イーヴァルはトラブルだと焔に連絡し、事情聴取の警官が来る前に弁護士が飛んできた。
「災難でしたなぁ」
 イグナーツの話を聞き終わって、警官のまず一言目がそれだった。『レイヴン』の弁護士も、しょんぼりと肩を落としたイグナーツを気の毒そうに見つめている。イグナーツはイーヴァルの親しい友人という説明で、アークスだが子供の頃から身寄りがなく、知り合ったイーヴァルに可愛がられているお礼に誕生日を祝っていた、という話に、誰もが同情していた。
 イグナーツがこの日に予約を入れてあったのは先月のことで、それは『アダージョ』の支配人や料理長が証言していた。イーヴァルが昨日食べたシチューの材料をイグナーツが集めていたことを、イーヴァルはそこで初めて知った。
「あのケーキまみれになったミオラ・パシフォードを見たときは、本当に何事かと思いましたけどね。正当防衛ですよ」
 イーヴァルやイグナーツが先に襲われたことは、側にいた女性スタッフが証言したし、こちらは軽傷とはいえ怪我もしていた。
「他に、何か壊されたものとかはありませんか?」
「あ・・・・・・」
 思わず声を出したイーヴァルに、イグナーツも気が付いたのか、あたりを見回し始めた。
「あれ、プレゼント・・・・・・」
「『カリエド』の小箱があったはずだが?」
 すぐに支配人たちがテーブルの周りを調べに行ったが、あの時ミオラに奪われた小箱が消えていた。
「床に落ちてたし、誰かに持っていかれちゃったかなぁ」
 ますます消沈するイグナーツに、警官が中身をたずねた。
「ピアスです。金色で、こうゆらゆらってなるタイプの。お店のパネルでモデルさんが付けていたから、問い合わせればすぐにわかると思うけど」
「何か特徴はあるかな?」
「うーん、紫色のダイヤがはまってること、かな。このホテルの近くの店で買ったんだよ」
 一通り事情聴取が済むと、イーヴァルとイグナーツは引き取っていいと許しが出た。弁護士がそばにいたのも強いだろう。
 『アダージョ』の支配人やスタッフたちは平身低頭していたが、イーヴァルのトラブルに店を巻き込んだ形になったので、そこはお互いさまと言うものだ。イグナーツが料理やサービスを褒めてまた来ると言って手を振ると、一同の頭がいっそう深々と下がっていた。