糖衣の花束‐6‐


 オラクルは衣食住のほとんどを、船団内でまかなっている。アークスが惑星から持ち帰った有用なものも、栽培、培養、あるいは養殖して、生産体制さえ整ってしまえば、あとは惑星に頼ることはほとんどなかった。そして、生産業界の、特に第一次産業はオラクルの直轄で管理されていたが、第二次以降は比較的自由な商業活動が許されていた。
 衣類原料生産協会は、服飾業界において、その第一次と第二次以降を繋ぐ大事な役割を持っており、ここに顔を出せるか否かはアパレル関係者にとってのステータスだった。
 長々とした形式的な挨拶が一応済み、イーヴァルも他の参加者と同様に、窮屈な空気を胸から吐き出した。シップ単位の親睦会と言っても、材料の加工生産をする者から、デザインするメーカー、実際に工場で作る者、それを売る者と、かなりカテゴリーの幅は広い。イーヴァルのような若さの者もいたが、ほとんどが大手の支社長クラスであり、年齢層はやや上の方で固まっていた。そのせいか、服飾関係の親睦会にもかかわらず、参加者の服装の多くが、地味で堅苦しかった。
「よう、イーヴァ」
「エクターか」
 そんな中、洒落たスーツを着崩して、気さくにイーヴァルに声をかけてきたのは、同じ服飾メーカーである『ネ・グレクト』の代表を務めるエクターだった。『ネ・グレクト』は『レイヴン』と比べて客層の年代が低く一般向けで、客を取り合うライバルという位置ではなかったが、年商の高さはなかなかのものだ。エクターはイーヴァルと同年代であり、警戒する必要のないわずかな友人の一人だった。
「外の記者数見たか?経済やアパレル誌だけじゃない。週刊誌やらタブロイド紙やら・・・・・・。人気者は辛いな」
「黙れ」
 にやにやと笑うエクターは、イーヴァルの睨みなど効かないと話を続けた。
「昨日の食い逃げ事件は面白かったな。他のシップでも大反響だったみたいだぜ?」
「むこうが勝手に自爆しただけだ」
 昨夜のミオラとの会食が大惨事になった話は、各社が面白おかしく伝えていたが、それが記事になる前に、『レイヴン』がミオラとの断絶を宣言していたので、ミオラが一方的に恥をかいている状態だ。
「仕返しされないように気をつけろよ?ミオラに味方する女性誌やファッション誌なんか、『女が呼び出しても男が支払うのが当たり前。男が先に席を立って払わないなんて信じられない』みたいな論調だったしな」
「・・・・・・エクター、暇そうだな」
「まっさか。俺は時間の使い方が上手いんだよ」
 エクターは偉そうに胸を張るが、イーヴァルが関わっている面白そうなことがなければ、ここまで情報誌を読み漁ったりはしないだろう。
「それはそうと、お前、ペットセラピー始めたんだって?」
「はぁ?」
 可笑しくて仕方がない様子で、エクターはイーヴァルの背中を叩く。
「『経観』読んでないのか?イーヴァのインタビューが載ってたぞ?」
「ああ・・・・・・そういえば」
 そんな経済誌のインタビューを、月初めに受けていた。しかし、ペットセラピーなどと言う話題はなかったはずだ。
「なんでそんなことが載っているんだ?」
「社員の話として、お前の性格が丸くなって社内の雰囲気が良くなったのは、ペットセラピーの効果に違いないってさ」
「・・・・・・・・・・・・」
「ぶははははっ、イーヴァが、このイーヴァルが、ペットセラピー・・・・・・ぷぷくくくくっ!」
 間違いなく秘書の仕業だったが、ミオラの生臭い影は払拭できただろう。イーヴァルが愛玩ロボットや人工生命体と戯れるような人間ではないと知っているエクターのような人間からすれば、腹がよじれて倒れるほど笑える話ではあったが。
「ひーっひっひっひ」
「笑い止め。殺すぞ」
「あーあー、わかった。でも、気に入った玩具は手に入ったんだろう?」
「・・・・・・・・・・・・」
 手に入った、と思っていた。あの時は。
 答えないイーヴァルを、ここで言うのがはばかれるのだと判断したらしいエクターは、イーヴァルに細長い箱をぽんと渡してきた。
「なんだ?」
「誕生日プレゼントだ。俺のときは倍にして返せよ?」
 じゃあなと、さっさと背を向けて他の談笑の輪に入って行ったエクターに、「いらん、気色悪い」と言うタイミングを逃して、イーヴァルはなんとなくラッピングされた箱を持ったまま立ち尽くした。
 他の参加者に話しかけられるたびに、エクターからもらった箱が目に留まられて説明する羽目になり、その度に無駄に高いテンションで祝われ続けた。同じ話題にうんざりしてきたイーヴァルは、心の中でエクターに恨み言を並べ、なんとかパーティーが終わる時間まで乗り切った。
 会場にはまだ話をつづけたり、二次会へ行こうと相談したりする連中もいたが、イーヴァルはさっさと表に出て車に乗り込み、ややラッピングがくたびれた箱も放りだした。
「お疲れ様です」
「ああ・・・・・・」
 本当に疲れた。痛みを感じない肉体でも、疲労は感じる。
 年末の最終決算は満足のいく結果で、うっとうしいミオラの件も片が付きそうだし、なんとか落ち着いた新年を迎えられそうだった。
「・・・・・・・・・・・・」
 心残りがあるとすれば、手放してしまった玩具のことだろうか。ずっと自分の物だと思っていたのに、あっさりと手の届かないところへ行ってしまった。
 焔は本当にイグナーツとの契約を終わらせてしまったらしく、イーヴァルが催促しても知らぬ存ぜぬで取り合ってくれない。イーヴァルが直にイグナーツに依頼しようとしたが、イグナーツの依頼受付フォームが停止していた。他の依頼にかかりきりらしい。
「・・・・・・・・・・・・」
 最後の夜に聞いた絶叫と、涙を流しながらやめてくれと懇願する悲鳴は、今も思い出すだけで下肢を熱くさせたが、一晩中吊るしたままで、朝もそのまま放り出してきたのはまずかったと反省していた。いい眺めではあったが、そういえば生来あまり丈夫な体ではなかったと思いだしてもいた。
 おかしな目のせいで自分からアークスの檻の中に納まっていたイグナーツを、かどわかし、誘い出し、ようやく懐いてきたと思っていのに、またアークスのものになっているのかと思うと、少なくないいらつきが湧き上がってきた。
 代わりを探せばいい、とは、今のところイーヴァルは思っていなかった。いや、代わりを探すのはいつでもできる。ただ、イグナーツをあきらめきれないでいた。
 元気よくイーヴァルを罵るくせに、物欲しそうな目でイーヴァルを見上げてはうろうろとしている。撫でると喜ぶくせに、抱き上げようとするとするりと逃げていく。変なやつだった。でも、なぜかイーヴァルを怖がらないし、呼べば出てきた。
(変なやつだ・・・・・・)
 たぶん、一番イーヴァルが不思議に思うのは、イグナーツがなにも欲しがらないところだろうか。
 イグナーツは焔との契約にのっとった報酬しか求めなかったし、イーヴァルに自分から物をねだったことはない。イグナーツにいろいろな物を渡したのは、いつもイーヴァルの方からだった。・・・・・・それだけ、気に入った玩具だった。
 それなのに、イーヴァルはイグナーツの個人的な連絡先すら知らなかった。
(・・・・・・ん?)
 ふと、車外の風景が、思っていたものと違い、イーヴァルは物思いから現実に引き戻された。
「どこに行くんだ?」
「ギャラクシーホテルの『アダージョ』にお連れするよう、焔さんからご指示を受けています」
 運転手からの答えに、イーヴァルは内心舌打ちをした。昨夜の騒ぎがあってから、なるべくあそこには近付きたくないと思っていたのに。
「それから『アダージョ』からも連絡がありまして、大変申し訳ない事ですが、通用口からご案内しますとのことです。ホテルの表側には、マスコミが大勢張り付いているようですので」
「ふん」
 お騒がせ女優のせいで、『アダージョ』もすっかり注目を集めてしまったらしい。清楚で媚びない店の雰囲気が気に入っていたのに、これで客層まで濁ったら、いくら料理が美味くても、イーヴァルもしばらく足が遠のくに違いない。
 イーヴァルが乗った車はホテルの駐車場に滑り込んでいき、目立たない隅にある従業員通用口の前に止まった。
「お待ちしておりました、イーヴァル様。このようなところからのご案内で、大変申し訳ございません」
 深々と頭を下げた『アダージョ』の店員に先導され、イーヴァルは殺風景な従業員用廊下を歩き、『アダージョ』の裏側、厨房の傍から店内に入った。
(うん?)
 見覚えのあるヒョロっとした人影が、『アダージョ』の支配人たちからぺこぺこと頭を下げられていた。
「イグナーツ・・・・・・?」
「うわっ、早かったな」
 イーヴァルが選んだ服を着て、イーヴァルがくれてやったカラーグラスをかけたイグナーツだった。イーヴァルに傷付けられた体はすっかり良くなったのか、イグナーツはいつもと変わらない笑顔をイーヴァルに向けてきた。
「焔は?」
「来ないよ?ははっ、まだ内緒にしてくれてたのかな」
 照れくさそうにはにかんで、イグナーツはイーヴァルを手招きした。
「今日は俺が予約したんだ。なんかまあ、いろいろタイミングが悪かったみたいだけど・・・・・・。とにかく、今日は楽しんでもらいたいからさ」
 にっと唇を広げるイグナーツとは対照的に、支配人たちの空気が重かったが、接客にボロが出ることもなく、奥まった予約席へとスマートに案内された。
「焔から聞いたが、契約を解除したそうだな」
「ああ、うん。ちょっと前からね、考えてたんだ。でも、イーヴァにちゃんと話そうと思ってたこの前が、あんなになっちゃってさ。突然で悪かったな」
 そう言えばあの時、イグナーツは話があるようなことを言っていたような気がする。まったく気に留めていなかったうえに、思う存分傷めつけてしまったので、話を聞くことができなかったのだろう。
「報酬に不満でも?」
「ううん。そういうんじゃない」
 首を横に振ったイグナーツが、食前酒もまだなのに頬を赤くしている。
「ちょっと、どこから話せばいいのか・・・・・・長くなるんだけど、聞いてくれるか?」
 あの子の話をちゃんと聞いたことがあるのかと、焔の怒鳴り声がよみがえってきた。イーヴァルは頷いた。
「話してみろ」
「うん。あ、でもその前に」
 前菜が運ばれてきて、キールが注がれたグラスをイグナーツが軽く掲げた。
「誕生日おめでとう、イーヴァ」
 同じことを言われ続けてうんざりしていたのに、我がことのように嬉しそうな笑顔で祝われて、イーヴァルは少し疲れを忘れられた。
「祝われる年でもないがな」
 爽やかなカシスの香りがただようグラスを掲げ、少し辛口のカクテルを飲み干した。