糖衣の花束‐5‐
−数日後。
受領サインをもらって、イグナーツはホッと息をついた。だいぶ慣れてきたとはいえ、大怪我から復帰したての仕事では、満足してもらえるかどうか心配だったのだ。 なにしろ、一流の料理人の目は厳しい。初回などせっかく獲ってきたのに、殆んど使い物にならないと突き返されたのだ。とはいえ、食材を無駄なく使ってくれるツテもあるイグナーツはそっちに流して喜ばれたので、特別腐ることはなかった。上手に獲物を獲るのに自分の力量が足りないことは、最初から分かっていた。 「じゃあ、これで契約分終わりだね」 「なに、もう終わりなのか」 「勘弁してよ、料理長」 不満気に唇を歪める『アダージョ』の料理長は、しかし目が柔らかく微笑んでいる。 「お前さんのおかげで、久しぶりにガッツリと龍肉を料理できたんだがな」 「こっちはボロボロだよ。ったく、品薄の理由がよくわかったよ」 あまりにも獲得が難しすぎて、狩るほうが割に合わないのだ。それでもイーヴァルに食べてもらいたいと思うと、イグナーツの胸はほわりと温かくなって、前に進む勇気が出た。 「大丈夫か?俺たちは食材になってからの龍族しか見たことがないからな。戦うのは大変なんだろ?」 「大変も大変。何回地べたと仲良くなったことか・・・・・・。ま、それはいいんだ。美味しいシチューにしてね。楽しみにしてるから」 「おう、まかせとけ」 豪快に請け負う料理長に手を振り、イグナーツは『アダージョ』の厨房を後にした。これで、後は当日を待つだけだ。 (うーん・・・・・・) イグナーツはホテルの集荷口から外に出て、このあたりを歩くようになってから気になっていた店の前にやってきた。 (これなぁ・・・・・・) 大きなパネルに映し出されては消えるモデルたちは、綺麗な宝飾品を身に着けていた。そしてその中のひとつが、イグナーツの心をとらえていた。 (似合いそうだなぁ・・・・・・) 先日のイーヴァルは酷く機嫌が悪く、イグナーツをボロボロにしても、まだ鬱憤が晴れないようだった。食材調達のためにイグナーツ自身にも怪我があったことは事実だが、あんなに怒るとは思わなかった。 (独占したいって思われるの・・・・・・は、なんかくすぐってぇな) 嬉しいとは思うが、イグナーツを独占したい理由が、自分だけがいたぶりたいという歪んだものなので、素直に喜んでいいものか首を傾げる次第だ。 (俺ってイーヴァの何なのかなぁ・・・・・・) 玩具、という単語が最初に思い浮かんで凹む。でも、大事にされている玩具ではあると思う。逆に、イーヴァルの恋人というものが想像できない。 (いやぁ、でも、仮面夫婦とかならやりそうだな) 互いの利害が一致すれば、偽装結婚くらいやりかねない。そのうえで、イグナーツのような玩具で遊ぶのだろう。結局、イーヴァルと対等な恋人などという存在は、机上の空論に過ぎない。イーヴァルの個性が強すぎる上に、イーヴァル自身が恋人というものを求めていないのだろう。 ぼんやりとそんなことを考えながらパネルを見上げていると、店の扉が開いて、客らしき二人連れが道に出てきた。 「ありがとうございました」 意外と近くで店員の声が聞こえて、イグナーツはびっくりして店の中に視線を向けた。 「あ、いらっしゃいませ」 小柄なヒューマンの女性店員が、ぺこりとイグナーツに向かってお辞儀をした。 「・・・・・・」 店に入るか止めるか、一瞬の逡巡の末に、イグナーツは宝飾店の扉をくぐった。 「あの、外のパネルにあったピアスが欲しいんだけど」 「ピアスでございますね」 店員が端末を操作し、いくつかの品をモニターに表示させた。 「あ、これ」 ぴっとイグナーツが指差すと、その商品がふわりと浮きあがった。全体が金色で、複雑な円が組み合わさったデザインの、まるでシャンデリアのようにキラキラとしたロングピアスだ。一応イグナーツの手の平に納まるものの、かなりボリュームがあり、なまなかな人間では輝きに負けてしまいそうだ。 「つけるの男なんだけど、変じゃないよね?」 「はい、大丈夫ですが・・・・・・」 「あ、俺じゃないから」 「そうですか」 あからさまにホッとされて、なんだか傷付いた。 「ツラだけは良いやつなんでね。こういうのが似合いそうだと思ったんだ。・・・・・・ねえ、これ宝石?」 ピアスについている煌めきの中でも、ひときわ存在感のある紫色の石が気になっていた。アメジストにしては複雑な色をしているように見える。 「それはカラーダイヤです。人工じゃないですよ。惑星で採れた本物です」 「へ〜。珍しそう」 「ピンク色のダイヤは比較的見られますが、ここまで紫が濃いものは珍しいですね」 ダイヤについての薀蓄を一通り店員が垂れ流すのを礼儀として聞き終わると、おまけのように生産が終わるデザインだと告げられた。 「そうなんだ」 「なんでも、デザイナーさんと本社が喧嘩しちゃったそうで・・・・・・このモデルが最後のようですよ。生産数も少ないので、ちょっとレアではありますね」 レアかどうかは別に気にしないが、重厚感のあるデザインと、イーヴァルを思わせる冷ややかで艶めかしい輝きが気に入った。 「これください」 気に入ってくれるかどうかわからなかったし、よく考えてみると『レイヴン』のイメージとは外れているかもしれない。でも、綺麗にラッピングしてもらった箱を受け取ると、イグナーツは満足して微笑んだ。 小柄な店員の「ありがとうございました」を背に、イグナーツは弾むような気持ちでアークスロビーに向かって歩き出した (イーヴァ明日は機嫌直ってるといいなぁ) 相変わらずイーヴァルの周りには、下世話な話題をつかもうと躍起になっている連中がうろついているようだが、それも年明けには鎮静化するだろう。他の話題があれば、そっちに飛びつく連中なのだし。 (がんばるぞー!) クロトに恋をしているフォトンと判断されていることなど知らないイグナーツは、また一人でバーストさせそうな勢いで気分を上げながら歩くのだった。 先日やりすぎてイグナーツをボロボロにしてしまい、焔にこっぴどく怒られて以来、イグナーツとは契約を切ったと連絡を取ることも拒否され、イーヴァルはひたすら仕事を片付けることで時間を潰していた。メディアではミオラが勝手なことを言いまくり、イグナーツにも会えず、仕事をやる気も落ちてくる。しかしサボると焔の雷が飛んでくるので、嫌々こなしていた。 「社長。・・・・・・社長!」 なんだと言うのも面倒で秘書を睨みつけると、明らかに腰が引けた青年が、震えた声で「終業です・・・・・・」と言った。 「はぁ・・・・・・」 「それで、ですね・・・・・・その、この後ミオラさんとの会食が『アダージョ』であります」 「・・・・・・・・・・・・」 秘書が息を呑んだ気配がしたが、そんなものはイーヴァルの知ったことではない。この最悪な気分で、最悪な相手と会食しなくてはならないとは! 「お、お疲れ様でした・・・・・・っ!」 イライラした態度を隠そうともしないイーヴァルに向けた秘書の怯えた声が、慎ましく影に落ちた。 そんなイーヴァルの機嫌が車中で回復するはずもなく、約束の時間にミオラと『アダージョ』に入っても、なんら食欲がわかなかった。無駄に着飾ったミオラに対して、イーヴァルは高価できちんとしているとはいえ仕事着のままで、嫌々付き合っているのが丸分かりだ。 「もう少し笑ってくれてもいいんじゃない?」 「笑うと怖いと言われる」 事実である。 「貴方、ここの龍のシチューがお好きなんでしょう?」 「・・・・・・」 「材料があまり手に入らないからって、最近はメニューになかったのよ。今ちょうどあったからって出してもらったの」 「・・・・・・」 確かに『アダージョ』で出される「フォードランサのネックシチュー」は好物だが、目の前にいる人物のせいで台無しなのが、この女にはわからないのだ。 カメラやレコーダーを持って付け回してくる連中には多少慣れたが、この華美という服を着た厚顔だけは、どうにも慣れなかった。なぜこの女が自分に付きまとってくるのか、その目的もいまいちわからない。 ミオラのおしゃべりを聞き流しながら、相変わらず蕩けるような舌触りで滋味深いコクのあるシチューを口に運んでいると、妙な動きをしたスタッフに目が留まった。 (支配人?) イーヴァルが見返したことに気が付いたのか、慌てたように奥に引っ込んでいった。彼も一流のプロであり、普段はそんな態度を表に出す男ではない。 (なにかあったのか?) さりげなく周りをうかがったが、どのテーブルも穏やかな食事風景だ。 「聞いてるの?」 「は?」 全然聞いていなかったイーヴァルは、流石にむっとした表情のミオラを見返した。 「何か有益な情報でも提供してもらえたのかな」 「もう!私の服を作ってと言っているのよ」 何を言われたのか正直理解できなくて、イーヴァルは正確に二秒後、口を開いた。 「はあ?」 「だから、私の服を『レイヴン』で作ってと言っているのよ」 「・・・・・・あんた男だったのか?」 「馬鹿を言わないで!」 ミオラの声が跳ねあがったが、逆にイーヴァルの頭は冷えていった。 「馬鹿を言っているのはそちらだろう。『レイヴン』は紳士服メーカーだ」 「だからいいんじゃない。『レイヴン』が作った私だけのスーツ、絶対話題になるわよ!本当はクリスマスプレゼントに欲しかったんだけど、さすがに時間がないわよね?来年の二月、私の誕生日でいいわよ」 「・・・・・・」 イーヴァルはデザートのタルトを、添えてあるクリームごと綺麗に平らげ、コーヒーが来る前に言った。 「二度と私の前に現れないでいただきたい。『レイヴン』にも関わってほしくない。すべてお断りする」 「なっ・・・・・・」 イーヴァルは立ち上がり、ミオラを置いてそのまま『アダージョ』を出た。ミオラは追いかけてこようとしていたが、会計をしていなかったらしく店員に捕まっているようだった。もちろん、イーヴァルが払ってやる理由はない。 イーヴァルはホテルを出て車に乗り込むと、すぐに義弟との回線を開き、ミオラに言い渡したことを、会社の決定として伝えた。 |