糖衣の花束‐3‐
会議に出たり取引先に挨拶に行ったり、逆に客を何人も迎えたり・・・・・・今月のイーヴァルは忙しい。特に年末ともなれば、切羽詰まる前に挨拶回りをしておくのが通例だ。どこもみな同じ考えなので、各社のスケジュール調整はかなりタイトになってくる。
大まかな予定は焔が先に決定してあり、時間単位の管理は一応秘書の仕事になっている。ただし、イーヴァルが勝手に変えることもままあるので、殆んど注意喚起とその後始末に終わるのだが。それでもイーヴァルの秘書は、最近の社長がずいぶん聞き分けが良くなったと感じていた。わがままなのはあまり変わらないが、少しだけ折れてくれたり、少しだけ言葉遣いが軟らかかったりと、まわりが被る迷惑に無関心だったころに比べてかなり改善している。 (ペットセラピーでも受けているのかな?) 定期的にプライベートの予定が組まれるようになって以来、イーヴァルの機嫌がいいことが増えた。今までも休日がなかったわけではないのだが、焔が了承済みで頑として譲らないその予定ができてから、明らかに雰囲気がよくなっていた。 それは、社員としても喜ばしいことで、トップの厳しさに委縮しがちだった社内が、厳しさは変わらずに明るく効率的になったのは間違いない。そのことは確実に数字にも表れており、売上成績、株価ともに上昇、今期のボーナスも上向きな検討がされ、『レイヴン』内は活気に満ち溢れていた。 ところが、『レイヴン』の人気が上がればそれだけ注目を集めることになり、多少の嫉視や嫌がらせも出てくる。そういったものは全てイーヴァルが冷たく無視し、実務では焔が跳ね返していたが、その二人でも手を焼く問題が、現在浮上していた。 「申し訳ありませんが、お受けできません。お引き取り下さい」 「そこを何とか。一時間だけでいいので!」 「無理です」 イーヴァルが雑誌のインタビューに応えている応接室の扉の前で、秘書は延々と同じやりとりを繰り返していた。相手はここに雑誌の記者が来ていることを承知で粘っているのだ。 「ここで無理を申されましても、社長の予定は変えられません」 「そうおっしゃらずに。いまもここに来ると連絡があったので・・・・・・」 「はぁ!?」 秘書は呆れかえって、天を仰ぎたくなった。すぐに副社長の焔と、受付嬢にこっそり連絡を飛ばし、対策を取ってもらうよう一報を入れたが、どこまで対応できるかはあまりあてにならない。その証拠に、受付嬢の若干震えた声が返ってきた。 『来ました・・・・・・!外にパパラッチまで引き連れていますよ!警備員にテレポーターを塞いでもらっていますけど、どうしましょう!?』 『・・・・・・そのまま通してかまわん。社長に対応させる。どうせ、今日は絶対に帰るからな』 ため息交じりの焔の言葉に、受付嬢のすまなさそうな声とは裏腹に、明らかにホッとした空気が感じられた。脅迫や嫌がらせには決して屈しない受付嬢も、マスコミを従えた人気女優が相手では、外への影響力が大きすぎて下手なことができないのだ。それは、たとえ秘書が同じ立場でもそう思うだろうから、彼女の気持ちはよくわかった。 「せっかくお越しいただいても、本日の社長のスケジュールは決定しております。お引き取り下さい!」 こちらに向かって歩いてくる女の姿を視界の隅に確認して、秘書はことさら声を大きくした。コツコツと高いヒールの音を響かせて、秘書の前までやってきた女には、やはり多少の威圧感を感じた。しかし、いま秘書の前で彼女に萎縮しきっている男に比べたら、まだ余裕があった。 白くて小さな顔にかけていたサングラスを取った女が、大きな水色の眼で秘書を眺めまわし、何故自分に跪かないのか不思議がるように顎を上げた。 「あぁ、ミオラさん・・・・・・」 いままで秘書と交渉していたのは、ミオラの付き人の一人だ。マネージャーと秘書との交渉ではらちが明かないので、こうして付き人をイーヴァルのところに貼り付けての強引なやり方で押し切ろうというのだ。 「イーヴァルは?」 それなりにこなれた滑らかな声は高かったが、甲高いと言うほどではなく、耳に心地よい音程だった。ミオラは秘書と同じくらいの身長があり、ヒールの分彼女のほうがやや高く、視線の高さもほとんど変わらない。くっきりとした目鼻立ちはインパクトがあって綺麗ではあったが、イーヴァルを見慣れている秘書には、それほど貴重だとは思わせなかった。 「その・・・・・・」 「ただ今来客中です」 いくらミオラ自身がきたからと言って、来客中の応接室に通すわけにはいかない。秘書は本当に言いたいことをぐっとこらえて、別の提案をした。 「お待ちになられるのなら、別室をご案内いたします」 「そう?私はここでもいいけど」 自分の社長も空気を読まないが、こんなに無礼ではない。ぷっつんといきそうだったが、秘書は自分の役職に対する誇りを胸に、なんとか微笑を保った。 「お客様を立ったままお待たせするわけにはまいりません」 「聞こえなかったかしら?私はここに居ると言っているのよ」 「恐れ入りますが、ここには他のお客様もみえられています。どうぞ、ご遠慮ください。社長にはご来訪を伝えますので、別室へご案内させていただきます」 秘書の応援をするべく、同じ秘書課の人間が現れたのを確認して、場所を移動しようとしたところで、応接室の扉が開いた。秘書は慌てて道を開け、自分たちの美しくも冷酷な社長とその客に、深く頭を下げた。 「イーヴァ・・・きゃっ」 「どうも、ご足労をおかけしました」 「いえいえ、こちらこそ、お時間を頂きまして、恐縮です。ありがとうございました。またお話を聞かせていただければ幸いです。・・・あれ、ミオラ・パシフォードさん?」 イーヴァルに抱きつこうとして逆に押しのけられたのがミオラだと、経済雑誌の記者でも気が付いたのか、かしこまった愛想笑いからにやついた笑顔になった。 「いやはや、女優さんを侍らせるなんて、さすがですな」 「さて、彼女と会う約束はありませんが?」 いっそ冷淡な調子で言ってもらった方が、秘書の心臓には優しかっただろう。営業用の笑顔とやわらかな声音で言われては、秘書は恐怖で頭が上げられなかった。氷の槍で身体中を貫かれたような気がして、冷や汗がどっとにじみ出る。 「ちょっと・・・・・・」 「下までお送りしましょう」 「ああっ、それには及びません。その、お話もあるでしょうし・・・・・・」 「そうよ、イーヴァ。このあと付き合いなさい」 記者がちらちらと視線を送った先で、ミオラは艶やかに微笑んでいる。しかし、イーヴァルは何の感銘も受けた様子もなく、事務的に答えた。 「私はこの後も予定が詰まっている。そもそも、貴女と会う約束もないし、会うつもりもない。お引き取りいただこう」 見る見るうちに怒りに染まるミオラの顔と、忙しく表情を隠そうとする記者の顔が対照的だ。 「予定があればいいのね!」 「そうだな」 「17日に」 「その日はパーティーがあったな?」 イーヴァルに問われ、秘書はすぐに肯定した。 「はい。衣類原料生産協会の親睦会が入っております」 「というわけだ」 「それ昼間よね?夜なら構わないでしょう。19時からディナーでもいかが?」 「恐れ入りますが、親睦会の後から翌日は、副社長よりお身内の予定が入っていると厳命を受けております、社長」 「ああ、じゃあ無理だな。無視したら焔に殴り殺される」 無関心で冷淡な態度が少なくなってきた分、残念そうな演技が上手くなってきたなと、秘書は余計なことを考えて、慌てて頭の外に振り払った。 「じゃあ、前日とかどうです?」 全員の注目を集めた記者は滑らせた口を両手でふさいで、ついでに息も止めたように顔色を青から赤にグラデーションさせていった。 「そうね、私は16日でも構わないわ。ね?」 ミオラに睨みつけられた付き人が、泣きそうな顔でどこかに連絡をしはじめ、秘書もその日はイーヴァルの予定が空いていることを、渋々イーヴァルに目配せで知らせた。 「まぁ、よかろう」 この辺が落としどころだと観念するしかなさそうだ。これ以上ごねあっても、こちらの不利になりかねない。なにしろ、ミオラにはマスコミの大半がついている。 「そうだ」 イーヴァルは何か思いついたらしく、記者に笑顔を向けて、さっと秘書を指差した。 「彼に送らせましょう。貴方が知りたがって、私が答えられなかったいくつかの些細な事項を、彼なら知っているかもしれませんので」 「えっ・・・・・・」 ビックリして見上げた社長の紫の目が『余計なこと言ったら・・・・・・』と言っていて、秘書は今度こそ肝が縮こまる思いがした。失敗は許されないが、逆に上手く噂を誘導できたら、秘書の評価はぐんと上がるだろう。 「広報の人間ほど、たくさんは知りませんが・・・・・・」 「いやいや、ぜひ!社長のお人柄など、近くで見ている方から聞きたいですよ!ね!」 「ぜひ期待に応えてやってくれ。ああ、そのまま帰宅して構わん。俺も帰るからな」 「はい、社長。お疲れ様でした」 「何よ!予定なんてないじゃない!!」 きいっと眦を釣り上げたミオラに、イーヴァルは今度こそ冷淡に言い放った。 「他人のスケジュールに土足で入り込んでくるような人間に、私が付き合う道理はない。・・・・・・16日の19時に、お会いしよう」 これでも社交的にオブラートに包んだ方だと、ミオラがわかったかどうか・・・・・・怒りで言葉を失っている彼女は、きっとわかっていないだろう。 今日はイーヴァルが譲らない予定の日であり、秘書がペットセラピーの予約が入っているに違いないと思っている日だった。イーヴァルの機嫌は急降下しているが、それでも最後の一線を越えないのは、この予定があるからに違いない。社長の忍耐力が上がったこともペットセラピーの成果だと、秘書は脳内のメモに付け加えておいた。 秘書は社長の背を見送り、ため息をつきたいのをこらえながら、目を輝かせている記者を伴って、テレポーターに向かった。自分の仕事は、まだ終わらない。 |