糖衣の花束‐2‐


 風吹きぬける天空の大地、アムドゥスキア浮遊大陸。
 そこに降り立ったイグナーツは、珍しく気合いを入れた。なにしろ、普段行く場所よりもハイレベルな区域なのだ。
「もう。弱いやつなら大歓迎って、お兄さんいつも言ってるでしょ?これじゃ私が楽できないじゃないか」
「はぁ、スミマセン・・・・・・」
 ぶーたれる先輩アークスのクロトに、イグナーツも若干申し訳なく思う。彼のぐうたらした態度が、ポーズなのか真実なのかは置いておいて、優秀なのは確かなので、今回は一緒に来てもらったのだ。
「それで、なんの調査かな?」
「いや、今日は食材集めです」
「食材?あぁ、あのアークスの食堂の」
「いえ、違います」
 イグナーツが『アダージョ』の支配人からの依頼だと告げると、クロトはゴーグルの下で大袈裟に感心してみせた。
「へぇ、すごいじゃない。高級料理店でしょ?いつからそんなところと契約持ったの?」
「今回は突発ですよ。作ってもらいたい料理の材料が、いま品薄だっていうんで・・・・・・」
「もしかして、龍族が材料・・・・・・?」
「フォードランサのネックシチュー。そういうわけで、フォードランサはなるべく傷付けずに倒したいんで、護衛お願いします」
「はいはい。・・・・・・それにしても、もうちょっと楽な食材はなかったのかい?」
「・・・・・・バル・ロドスとか、ダル・マルリを探す方がよかったですか?」
「あー・・・・・・じゃあ、さっさとフォードランサを探しに行こうか。うん、そうしよう」
 ウォパルの海岸から大海へ引きずり込もうとしてくる長大な海竜を釣り上げるか、クロトの苦手な寒い場所でレアエネミーを延々と探すかなど、どちらも願い下げだろう。
 硬質な大地を駆け、赤いシークイエーガーの裾を翻しながら、クロトがニヤリと微笑んだ。
「それにしても、ずいぶん肥えた舌をしているんだね、きみの彼氏」
「かっ・・・・・・!?」
 おもわずつんのめって脚を止めたイグナーツに、クロトはやれやれと肩をすくめた。
「何もないところで転ばないように。それで、私の勘は大当たりなのかな」
「か、彼氏じゃないですよ。・・・・・・たぶん、まだ」
「へぇ」
 クロトの話し方は気が無いように聞こえるが、確実に面白がっている。本人曰く「自分が楽をするため」に、他人の力量についてもシビアな見方をするクロトは、意外と細かいところもよく見ている。
「だって珍しいじゃない?きみが誰かのために頑張るなんてさ」
「そうですか?」
「そうだよ。誰かから頼まれた依頼はやるけど、自分から誰かのために何かしたくて頑張るなんて、私は初めて見たなぁ」
「・・・・・・」
「本気の本命、かな?」
「・・・・・・わかりません」
 本当にわからなくて、イグナーツはゆっくりと歩みを再開した。そしてクロトも、同じ速度でぶらぶらと付いてきた。
「あいつとは、恋人じゃないです。契約上、そういうことをしているだけで」
「そうだとしても、きみはその人に何かしてあげたいと思っているわけだろう?いいことじゃないか。あの枯れ木みたいに細くて危なっかしかった子が、よく心も成長してきたってことだね」
「・・・・・・・・・・・・」
「ほらほら、お兄さんに話してみなさい。そのために、私を呼んだのだろう?」
 アークスになったばかりの頃のイグナーツも知っているクロトには、正直イグナーツは頭が上がらない。面倒は嫌いだと言いながらも、何かと助言をくれるクロトの期待に応えるのはいい目標だったし、飄々としたクロトに憧れている部分もある。でも、イグナーツはクロトとは恋人になれなかった。
「あいつは、顔はいいし、経済力はあるし、俺がアークス辞めたらウチに来いって言ってくれています」
「ほお。言うことなしじゃないか」
「ちなみに、今のは俺が意訳したんです。あのドSは『飼ってやる』って言いましたけどね」
「は?」
「サドなんですよ。人が痛がるのを見て興奮する変態です。俺の体見ます?」
「いや、ここで脱がなくていいよ?」
 ジャケットに手をかけたイグナーツから、クロトはわりと真剣に顔をそむけた。
「なるほどねぇ・・・・・・サディストの恋人ってのは、ちょっと面倒かなぁ。そういえば、きみ痛いの平気だっけ?」
「大嫌いですよ。でも、気に入られちゃって・・・・・・」
 その自覚はあるイグナーツは、呆れたようなクロトの表情から視線を逸らせた。
「気に入られたのは確かです。あいつは金でいくらでも使い捨ての相手を買えるし、俺の前まではそうしていたみたいです。・・・・・・あいつが言うには、俺は簡単に壊れないしいい声で鳴くので、大事に扱っているそうですけど」
「なんだい、ずいぶんのろけじゃないか」
「でもドSですからね?ナイフで斬られたり錐で刺されたりするんですよ?」
「でもきみは、彼を嫌いじゃないんだろ?」
「はい」
 段差のある大地を飛び越え、見えない磁力が放つノイズのような響きを骨に通過させ、圧の高い風をいなすように大空を眺める。
「自分がいなければだめだと思っているようなら、共依存かと思ったけどね。なりかけの可能性を否定はしないけど」
「共依存って・・・・・・DVとかの?」
「そうそう。きみ、子供の頃の親子関係が崩壊していたでしょ?」
 クロトには生い立ちを多少話していたので、イグナーツは頷く。
「自分に対する価値を感じられていない人間は、他者との関係に自己価値を見出したがる傾向にある。・・・・・・言いたいことわかるかい?」
「俺が、俺とイ・・・・・・あいつとの関係・・に、固執しているってこと?あいつ自身に対してじゃなく」
「うん。彼の欲求を満たせる自分であることが大事で、そこに酔っている状態だね」
「・・・・・・・・・・・・」
 たしかに思い当たる節があり、イグナーツは愕然とした。でもそれなら、イグナーツがイーヴァルに対して、明確な答えを出せない説明にはなりそうだ。
「そっか・・・・・・」
「まあ、話はそこで終わりじゃないよ」
 クロトは近くの壁のような段差に肘を乗せて寄りかかって、脚を組んだ。
「その傾向があるのは否めないが、きみにはもうひとつ、決定的に不足しているものがあるね」
「なんですか?」
「拠り所、安心感、絶対の味方・・・・・・そういったものを提供してくれる存在。つまり、一般的には両親だね」
 たしかに、イグナーツはそういったものに今まで縁がなかった。
「それを、彼に求めているんだよ。親代わり。これが普通の人間なら、冗談じゃないと逃げ出すだろう。恋人という対等の関係ではなく、尽きない欲求の対価に尽きない愛情の提供を求められる親子の関係は、酷いストレスだからね」
「・・・・・・・・・・・・」
「ところがきみの彼は、良いか悪いか甲斐性があるものだから、全部受け入れられてしまう。きみが何も言わなくても安心や保障を与えてくれるものだから、そこに幸せを感じてしまう。それは仕方が無いことだよ。誰だって嬉しいからね。でもそれは、誰もが子供の頃に経験済みのことであり、世間一般の恋人像とは違っているのではないか・・・・・・きみが彼を恋人としてみていいのか戸惑うのは、このせい、かなぁ?」
 すべてクロトの言う通りで、イグナーツは泣きたくなった。結局、自分のことが大事で、イーヴァルのことは都合のいいパトロン程度にしか思っていなかったのだろう。サディスティックな遊びに付き合っていたのも、それを耐えられて喜ばれる自分が愛おしかっただけなのだ。
「それをひっくるめて、きみのパーソナリティだと、私は思うけどねえ。しかも、うっすらとながら自覚があるから、決定的な傷を残すことなく周りとの関係を築けてしまう。案外器用な真似してるよね?」
 それは褒められているのだろうかと、イグナーツは涙をこらえた頭で思った。クロトの説明では、イグナーツは永遠に愛情に飢え、孤独なままになりかねない。
「まあ、きみにはちゃんとマイノリティの自覚があって、悩みもするし、他人に迷惑をかける前に、こうして私に相談もしてくる。・・・・・・だから、難しく考えるのはやめようよ」
「え?」
「簡単なことだよ。きみはいま、ここに何をしに来ているんだい?」
「フォードランサの肉を取りに・・・・・・」
「うん、それは誰の為なのかな?」
「あいつの・・・・・・誕生日を、祝いたくて」
「おーおーおー。そうだったのか、いいじゃない」
 クロトは笑っていたが、ほとんど呆れ果てて面倒くさくなってきている雰囲気がした。
「親の誕生日を子供が祝うのは普通だね。で、恋人の誕生日を恋人が祝うのは、普通じゃないのか?」
「それは・・・・・・」
 イグナーツが言いよどんでいるうちに、クロトは大地の段差から背を離し、双機銃を腰から抜いた。
「いい加減、面倒くさいこと考えるのやめて、認めちゃいなよ。ほら、おっかない顔した龍族がきたよー」
 殺気立った龍族たちの姿を視界にとらえ、その中には両肩から立派な角を生やしたフォードランサの姿もあった。イグナーツも、クロトに並んで自在槍を構えた。それにはイーヴァルから贈られた武器迷彩が施され、蛇遣い座の意匠が燦然と輝いていた。
「ちゃんと、あいつと話してみます。ありがと、クロトさん」
「頑張ってねー。さっさときみが本調子に戻ってくれないと、私が楽できないからね」
「はい」
 こちらの射程外から飛びかかってこようとするセト・サディニアンの刃を避け、イグナーツは前へと走り出した。後ろからクロトの弾丸が雨霰と援護してくれるなかで、ぐっと踏み込み、狙いに向けて両腕を振るった。ワイヤーが伸び、槍の穂先が相手の死角から襲いかかる。
「肉よこせぇええええ!!」
 ワイヤーの力を借りて放ったイグナーツの強烈な蹴りが、見事にフォードランサの角を片方砕いた。
 クロトは呼び出したイグナーツのフォトンが、一人でバーストできそうなぐらい盛り上がっていたのを知っていたが、それを一度はあえて鎮静化させ、冷静に戦えるコンディションへと導いていた。
(どう見ても恋をしてる子のフォトンだったしねぇ。危ないのを無意識に感知して私を呼ぶあたり、なかなか狡賢くなったもんだよ)
 学も体力もなく、才能だけを頼りに身を立ててきた後輩の成長に、クロトはアイハットの下でこっそりとほくそ笑んだ。
「さーて、調子も出てきたし、ちょっとがんばるかな?」
 絶え間なく弾丸を撃ち出しながら、クロトもイグナーツの元へ駈け出した。