Panic eyes‐2‐
「ねぇ、イグナーツ。ぼくたちは二人でひとつだったらよかったのにね。そうすれば、イグナーツは元気になれるし、ぼくはアークスになれるよ」
そうアルトゥールは言っていた。だが、両親に愛されたのは、フォトンに親和性がなくとも健康なアルトゥールだけで、脆弱な心臓を持って生まれたイグナーツは、いくらアークスの才能があっても役に立たない、ただ治療費ばかりがかかる金食い虫だった。 死にたいとは思わなかったが、自分が死んでいることと生きていることの意義はわからなかった。生きていたいと思っていた。だが、生かしてくださいとは思わなかった。 イグナーツのフォトンを操る能力に心臓が耐えられなかったのか、それとも心臓が弱いために十分にフォトを操りきれないのか、それはアークスの医療部でもわからなかった。健康な心臓を持ったイグナーツがどれほどの力を発揮するのか、それはアークスの医師たちにとって興味深い命題だったことだろう。・・・結果は、縦にではなく、横に伸びたのだが。 入院したままのイグナーツに、ほとんど会いに来ない両親とアルトゥールが、行楽途中で事故にあって死んだ。イグナーツがすべて知ったのは、すでにアルトゥールの心臓がイグナーツの中に入った後だった。 ぼんやりと目を覚まし、イグナーツはいつもの癖で目の辺りに手をやった。長い前髪を指先でかき分けると、額の左の方に、絆創膏が貼られているのがわかった。 『気が付きましたか?』 「・・・ああ」 聞こえてきた中年の看護師の声に、イグナーツは手で目元を覆ったまま答えた。肉声ではないから、キャストだろう。その辺に映像が出ているはずだが、どこにカメラがあるかわからないのに、自分の目をさらすわけにはいかなかった。いくら相手がキャストでも、危険は冒せない。 『サイバーグラスでは傷に触ると思いますので、ラウンドサングラスを用意しました。サイドテーブルの上にありますので、ご利用ください』 「どーも」 ごそごそと寝返りを打って、ベッドの横にあったサイドテーブルの上から、レンズの大きなラウンドサングラスを取ってかける。やっと落ち着いて辺りを見渡すと、個性のない個室、ただし窓はない、に一人きりと知れた。ベッドの上に映し出されている看護士の映像は、予想に違わずキャストの女性だった。 「やれやれ、ひどい目にあった。ちと寝すぎたかな・・・だるいよ」 『あなたが当施設に入院されてからは29時間37分。アークスロビーのメディカルセンターに運び込まれてからの延べ時間は、31時間18分です。その間、意識があったという報告はありません。また、現在の心拍数、血圧、体温、すべて正常値です』 「ご丁寧にどうも」 モニタに向かってぺこりと頭を下げると、ラウンドサングラスがずり落ちてきた。指でブリッジを押し上げながら頭も上げると、看護師の映像は相変わらず冷静な調子で言葉をつづけた。彼女は、一般の医療関係者とも、下部のアークス職員とも違って、イグナーツの身体のことをすべて知っているのだろう。 『現在、あなたの容体は安定しており、アークスとしての任務にも耐えられると判断されています。今回の不調は一時的なストレスと思われますが、原因に理論的な根拠が薄く、説明に不足しています』 「アルトゥールが嫌がったんだろう。聞きしに勝るキモさだったからな」 『・・・・・・』 看護師の表情が渋くなった。非科学的な感覚は、キャストには少し納得しづらいのかもしれない。あるいは、生々しすぎて気分を害したか。 「あの男はどうなりました?」 『該当施設にて保護及び監視されています』 「死ぬまで出してくれるなと言っておいてくださいよ。シップも変えたのに、よくここまで追いかけて来れたもんだ」 『近いうちに、その心配もなくなるかもしれません。幻聴幻覚がひどく、錯乱して食事もとれないようですから』 「あらら、お気の毒さまだね」 そうしたのはイグナーツなのだが、結果に及ぼす要因の割合は、自分と相手の半々ぐらいなうえに、シャレにならないほど心身に負担がかかって死ぬかと思ったので、あまり罪悪感はない。 『先ほども申し上げましたように、あなたの身体はすでに健康な状態に戻っています。ですが、便宜上、あと12時間から最大15時間は、アークスロビーのメディカルセンター内、ベッドナンバー261にいることになっています』 「了解。オセワサマデシター」 『お大事に』 モニタが消え、イグナーツはあくびをしながら伸びをした。なかなか寝心地のいいベッドだった。 ベッドから降りたイグナーツが着ているものは、ごく一般的な病院服だった。おそらく、それまで着ていたアークスの制服は、メディカルセンターのベッドの所にあるのだろう。 ぺったぺったとスリッパを鳴らしながら、人気のない廊下を歩き、テレポーターの前に立つ。 『認証コードをどうぞ』 何も知らない人間だったなら、ここで戸惑うだろう。だがイグナーツは、患者逃亡阻止対策が施されたテレポーターには馴染みがあった。手首に巻かれた患者識別キーを差し出すと、扉のロックが外れ、テレポーターがイグナーツを迎え入れてくれる。 『アークスロビー、メディカルセンター病棟二階に転送します』 フッと風景が変わり、ただ白い廊下が続いていただけの所から、看護師や医師が患者と行き来する、活気のある廊下になった。 またぺったぺったとスリッパを鳴らしながら、指定された261番ベッドにたどり着き、そこに腰を下ろした瞬間に、見覚えのあるキャンディーヘッドギアが病室に現れた。 「やあ、シーナちゃん」 「お加減はいかがですか」 「なんとかねー。いやぁ、苦しくて死ぬかと思ったよ」 メルフォンシーナが差し出した見舞いのフルーティーギフトを、イグナーツは礼を言って受け取り、彼女に椅子をすすめた。 「ゲッテムハルト様も心配されていました。・・・自分が倒す前に死んでしまうのかと」 「あははー。ゲッテムハルトに心配されるなんて、その方が心臓に悪いなぁ」 「貴方様をここまで運んだのは、ゲッテムハルト様ですよ」 「・・・・・・マジ?」 「はい」 てっきり捨て置かれて、救急隊員に運ばれたのだと思い込んでいた。あの超マイペースで自分本位で弱い奴は死ねなゲッテムハルトが、勝手に倒れたイグナーツを介抱するなどと言うことは、天地が引っくり返っても・・・いや、宇宙が逆に進化したとしてもありえない。 もし本当に、ロビーを行き交うアークスたちの中を、あのゲッテムハルトに担がれて運ばれたのだとしたら、恥ずかしくて顔面から火が出そうだ。やたらと目立ったはずで、もし噂にでもなっていたら、しばらくマイルームから出たくない。 「ア・・・アリガトウゴザイマシタ、とお伝えください・・・」 「かしこまりました。・・・ところで」 イグナーツと同じように長い前髪の下で、メルフォンシーナが何から話すべきかと逡巡する様子がうかがえた。 「・・・あの時は、かばっていただき、ありがとうございました。あなたが盾になってくれたおかげで、私はあの男に殴られずに済みましたから」 「あぁ、あいつはもともと俺を狙ってきていたからね。シーナちゃんは怪我なかったかい?」 「はい、おかげさまで。・・・彼は、いったい何者ですか?」 「俺の知り合いじゃないんだけどねー」 だが、全く知らないというわけではない。 「アルトゥールさん、というのは、貴方様の弟さんですね?双子の」 「うん」 「すでに、お亡くなりになっている・・・。そして、貴方様に心臓だけが移植されている」 「よく調べたね。実はハッキング上手いでしょ?」 メルフォンシーナはばつが悪そうにうつむいたが、ゲッテムハルトが気紛れに知りたがったら、そのぐらいやるだろう。 イグナーツの医療情報は、トップクラスとは言えないまでも、かなり重要な機密のはずだ。なにしろ、イグナーツは臓器移植によってフォトンの傾向が変化した、後天的な第三世代と言って差支えがないアークスなのだから。 「もうしわけございません」 「いいよー。別に俺が秘密にしたがっているわけじゃないから。・・・あの男は、アルトゥールに付きまとっていた奴らしいよ。双子がいるとは知らなかったみたいだし、アルトゥールが死んだことも、まだ認めたくないみたいだね」 「・・・・・・精神を、病んでいるように見受けられましたが」 「ああ、いつの間にか収容されていた病院を出てきたみたいだ。素地はあったかもしれないけど、おかしくなったきっかけは、アルトゥールだろうね」 「どういうことですか?」 「あれ、ついでに調べたんじゃないの?パニック・アイズのこと」 「・・・・・・邪視」 戸惑いながら見上げてくるメルフォンシーナを、イグナーツはラウンドサングラスのブリッジを押し上げながら見下ろし、薄い唇をにやりとゆがめてみせた。 |