Panic eyes‐3‐


 見る者を強制的に死へ誘う目、それを邪視と言う。ただ、それは古くから言い伝えられているオカルトな話。実在を科学的に証明するものは、何もなかった。
「邪視とはまた古い文献から・・・。オラクルの図書館にでもあった?」
「はい。貴方の目の効果を表す、適当な例がほとんどありませんでした。催眠術とは、少し違うようですし・・・」
「そうだろうね。今でも原因不明扱いされているよ。俺の意思だけで、相手をどうにかできるものじゃないし・・・。便宜上、医者たちはパニック・アイズと呼んでいたけど」
 正確に言うと、イグナーツとアルトゥールが持っていたパニック・アイズは、当人と相手との相性によるところが大きく、非常に不安定な代物であった。
「つまり、おかしくなる人と、そうでない人がいる、ということでしょうか?」
「そういうこと。全く平気な人間もいるし、一発であの男のようになったりもする。アルトゥールの方が、人を惹きつけることが多かったな。俺は怖がらせることが多かった。そんで、まだガキだったから、原因もわかんねぇし、自衛することもできなかった」
 イグナーツは今までに、理由なく何人も恐慌に陥れてきたし、アルトゥールもうっかりあの男を魅了してしまい、ずいぶん手を焼いたようだ。
 光の加減、瞬き、瞳孔の大きさ、光彩パターン等々・・・。光の明滅で痙攣をおこす人がいるように、受容する側のパターンも決まっているのではないかと思われたが、それもデータ不足。医者たちによってイグナーツは十年以上研究されてきたが、依然としてその仕組みはわかっていない。途中で研究員の一人が発狂してからは、ほとんど頓挫と言ってよかった。
「まぁ、こうして間に何かを挟んで、俺の目を直に見なければたぶん大丈夫、ってことだけはわかっているけど・・・ある程度コントロールできるとはいえ、俺が狂わせたくないと思えばならないわけじゃないし・・・けっこう面倒くさいのよ」
「・・・大変なんですね」
「あはは。でもまあ、今のところ困ってないよ。職場は事情を知っているアークスだし、全然影響でない知り合いも何人かいるし」
 今度、その知り合いの一人が、後輩としてアークスになることを伝えると、メルフォンシーナも少し表情が和らかくなって、嬉しそうだ。
「目の事は一生かと思うけど、心臓のことは、たぶん問題ないよ。このまえのは、たぶんアルトゥールがあの男を嫌がったからなんだろうよ。もう任務にも差し支えないって、明日には退院できる。あの男も隔離されたみたいだし、二度と会わないだろ」
「そうですか。それはよかったです」
「シーナちゃんやゲッテムハルトにも、迷惑掛けたね。ありがとう」
「いいえ、お大事に。・・・では、私はこれで。失礼します」
 丁寧にお辞儀をして病室を出ていくメルフォンシーナに手を振り、イグナーツはごろんとベッドに転がった。
「うわー・・・ゲッテムハルトに次どんな顔して会えばいいんだよ・・・」
 つぶやいてしまうと、本当にいたたまれない気分になってきて、イグナーツは枕に顔をうずめた。メガネが邪魔だ。
(似合わないことすんじゃねーよ、マジで!)
 出来れば荷物のように担がれていたと信じたい。むしろ、引きずって行ってくれただけの方がありがたい。万が一にもお姫様抱っこなどという・・・。
(うわあああああああああ!!!ないない!絶対ないいぃっ!!!)
 イグナーツは心の中で絶叫し、体の方はごろごろとのた打ち回った。涙が出てきそうだった、恐ろしくて。
「うぅ、ちくしょー・・・」
 しかし、動揺とは裏腹に、顔はニヤニヤと笑っている。こんなふうに他人と触れあえるだけで、こんなふうに感情が揺れ動く付き合いができるだけで、とても嬉しいのだ。
 アルトゥールと両親の事故死について、イグナーツは詳しく知らない。というより、知りたくなかった。たとえ、不審な点があったとしても。
(俺たちは、二人でひとつ、だよな)
 一人で生まれてくるはずだったのか、それとも一人になってはいけなかったのか。そんなことはイグナーツにはどうでもよかった。ここに、アルトゥールとひとつになったイグナーツがいて、アークスに憧れていたアルトゥールの望みどおりに、フォトンの才能を持ってアークスになっている。両親はイグナーツに煩わされることがなく、イグナーツは自力で生活できるほど健康だ。以前よりも格段に、誰も不幸せではない。
(なぁ、アルトゥール・・・?)
 姿形と嫌味だけで、実感のない両親。双子の弟が、本当はどう思っていたのか。イグナーツには、知りようがないし、いまさら思うところもない。
 ただそれでも、イグナーツが生きていることが、彼らの供養になるだろう。逆に復讐になっているかもしれないが、まぁ知ったことではない。
「・・・・・・」
 イグナーツは周りに人がいないことを確認し、邪魔なラウンドサングラスを外した。
 指先でかき分けた青灰色の長い前髪の下には、切れ長の涼やかな目があり、その色は金。瞳孔に比して光彩の部分が広く、実に印象的だ。
(俺は・・・楽しんでるよ、アルトゥール。お前が生きるはずだった分も、俺が生きるさ)
 嬉しことも、嫌なことも、楽しいことも、悲しいことも、両腕に抱えきれないほど経験するつもりだ。やっと人並みに出歩くことができるようになり、そして特別な資質を必要とされるアークスになったのだ。もしも自分が、あの頃の時間までさかのぼることができたとしても、両親やアルトゥールに事故に気を付けろなどとは言わないだろう。
 悔しい思いも寂しい思いも、憤りもモヤモヤとした不満も、もう飽き飽きだ。しかし、今となってはそれらすら上辺だけのものだったよう思えるから不思議だ。今イグナーツがいる世界は、瑞々しく輝いていて、いつも新鮮な感情で溢れていた。
 だからこそ、パニック・アイズごときで煩わされるなんて、もったいなかった。この目を有利に使ってやろうなどとは、イグナーツは思わない。それ以前に、自分の意志でどうこう出来るものではないのだ。だからこそ、他人を怖がらせないように、気味悪がられるのは仕方ないとしても、実害を及ぼさないよう注意しなければ、かえって自分の不利になる。
(ダーカーにガンくれて通用すりゃあ、いくらでもやってやるんだけどなぁ)
 さすがに意思疎通が不可能と言う以前に、生命としての在り方からして違うと思われるダーカーに、パニック・アイズは通用しないだろう。どうにかしてフォトンを用いれば効くかもしれないが、いまのところイグナーツにはできない。
「それにしても、このメガネ合わねぇな」
 額の擦り傷が早く癒えるように、明日退院したら、まずクラス変更に行かねばならないだろう。いい男が顔に生傷を作っているなんて、実に屈辱だ。レスタ一発で綺麗に治さなければ。
 そうしたら、エステで新しいサイバーグラスを手に入れて、一週間ぶりにロジオに会いに行こう。もしかしたら、新しい依頼をくれるかもしれない。・・・まぁ、行先はナベリウス一択なのだろうけど。
(生きてるって、スバラシイね)
 だからこそ、この世界を侵食し、壊そうとするものは、イグナーツの敵だった。アルトゥールの希望ではあったが、いくら才能があったからと言って、イグナーツがアークスになることに抵抗がなかったのは、きっとそのせいだろう。
 たとえ自分が、首輪と鎖をつけられたアークスの末端だとしても、白い檻の中で思うようにならない体でもがいているよりも、両手両足を自由に振り回せる自由の方がいい。
 イグナーツはベッドの下の物入れに、自分の制服と壊れたサイバーグラスを見つけ、サイバーグラスの方を手に取った。やはりあの男が硬いケースのようなものを握りしめていたのか、端の所が割れて、グラス部分にもひびが入っていた。
 あの男について考えることはこの先ないだろうし、一度忘れたら思い出すこともないだろう。そして、自分の一部になった弟のことも・・・。
 イグナーツが元気に動き回れるのはアルトゥールの心臓のおかげであり、ありがたいとは思うが、それ以上彼への感情は湧いてこなかった。そもそも自分たちは、二人でひとつなのだから。
「サヨナラ」
 イグナーツが壊れたサイバーグラスを放ると、ことん、と音を立ててダストボックスに消えて、見えなくなった。