Panic eyes‐1‐


 アークスの休日は、かなり不定期だ。
 調査や探索、あるいは討伐が長引くこともあるし、報告書も書かねばならない。依頼が立て込めば、それだけ自分の時間が取れなくなる。
 忙しいのは優秀の証と言えなくもないが、それだけダーカーの動きも活発なのかと思うと、うんざりしてくる。忙しい忙しいと言いながらも、よくショップエリアをうろついているゼノを見習った方がいいかもしれない。
 そんなわけで、久しぶりに丸一日フリーになれたイグナーツは、ショップエリアで羽を伸ばしていた。アークスばかりで、時にピリピリした雰囲気でいっぱいになるゲートエリアと違って、一般人も出入りするショップエリアは、開放的でどこかのんびりとしている。
 ルームグッズショップとFUNショップをひやかして、居住区を見渡せるベンチに座って、お気に入りのアイスクリームをぺろりと平らげた。誰かを誘ってデートもよかったが、これはこれで誰気兼ねなく過ごせて楽しめた。
(平和が一番だねぇ)
 巨大なシップの中の、人工の空を見上げながら思う。なぜ自分たちは、わざわざ宇宙にいて、大地に住んでいないのかと。自分たちの祖先が住んでいた母星など、教科書の中で見ただけだ。それが当たり前すぎて、実際に惑星に降り立たなければ、そんなことは考えもしなかっただろう。
(まぁ、シップも嫌いじゃないけどね)
 シップの画一的な風景が、驚異の大自然や他文明の痕跡などを見ている自分には、一種の安心をもたらしているのもまた事実だ。
 そろそろ自分の部屋に帰ろうと立ち上がって、奇妙な感覚に胸を押さえた。
(なんだ?)
 動悸がした。なにかざわめく、勘、というべきだろうか。
 あたりを見回したが、とくに変わった様子はない。それなのに、イグナーツの心臓は持ち主の意思とは関係なく、いっそう激しく跳ねだした。
(おいおいおい・・・)
 もしかしたら、何か体の具合の方が悪いのだろうか。そんな心当たりがなくもないイグナーツは、とりあえずテレポーターに向かって歩き出したが、すぐに息が切れだした。
「こんにちは。・・・どうされましたか?」
 スロープを上がったところで、大きなキャンディーヘッドギアを装備した小柄な影に話しかけられた。知り合いのアークス、メルフォンシーナだった。今日は、ゲッテムハルトと一緒ではないらしい。
「やあ、シーナちゃん・・・」
「大丈夫ですか?顔色、真っ青ですよ」
 ぜえはあと息を切らして、植込みの縁に手をついた状態だったからこそ、イグナーツはメルフォンシーナが息を呑んで視線を動かしたのがわかった。
 きゃぁ、と小さな悲鳴が聞こえたが、イグナーツにはメルフォンシーナに謝るほどの息が続かなかった。常人離れした膂力に対抗しつつ、ゲッテムハルトの華奢な従者に怪我をさせないためには、一時突き飛ばしてでも距離を取ってもらわねばならなかった。
「ぃぎやああああああああっ!!!!あああああああああああああ!!!!」
「ぐっ・・・ぜぇっ・・・はっ・・・」
 奇声を発して暴れようとする成人男性を抑え込んだ両腕がガクガクと震えるが、ここで力を抜くわけにはいかない。大量のダーカーに襲われて必死だった時でさえ、こんなに動悸はしなかった。息が苦しい。頭の中が熱くて視界が白っぽくなっていく。
「なんでええええ!なんでだあああ、アルトゥールぅうううう!!!!」
「そりゃ・・・こっちのセリフだ。はぁっ・・・クソが・・・!」
 体当たりのように肩同士をぶつけ、相手の左腕は抑えられたが、右腕までは届かなかった。運の悪いことに、男は右手になにか持っているらしく、イグナーツの肩にがつがつと当たる。
「その人から離れなさい!」
 ウォンドを構えたメルフォンシーナが視界の隅にぼんやりと映ったが、民間人相手にアークスがテクニックを使っては事件になる。
「ダメだ、シーナちゃん!」
「しかし・・・!」
「保安官を呼んで・・・!はぁ、はぁっ・・・なんで、こんなところに・・・病院にいるはずじゃ・・・っ!?」
 がつっという衝撃で、イグナーツは思わず力が緩み、淡い色合いのシャツを着た黒髪の男にのしかかられるように倒れた。いつもつけている青いサイバーグラスが、地面に転がっていった。
「っ・・・てぇ・・・・・・」
「なんであんな奴と話しているんだ!?私はずっと探していたんだぞ!早く帰ろう、アルトゥール!」
 男の体重でのしかかられたまま、リリーパの機甲種みたいな馬鹿力で掴まれて、イグナーツは激しい抱擁から逃れようと必至で顔をそむけた。しかし、思考を阻害するほどの動悸と息苦しさは相変わらずで、痺れてきた体に力が入らない。
「はっ・・・はっ・・・ッ!違う!・・・おれは、アルトゥールじゃない!」
「なにを言っているんだ。引き離されている間も、私はいつも君を想い続けていた!その願いがかなったのだ!私の愛は変わらない・・・さあ、やっと二人きりになれるんだ!!!ああっはっははははははは!!!!」
「き、もちわりぃな・・・っ!!」
 騒ぎに何事かとギャラリーが集まってきている気配があり、こんな醜態をいつまでもさらしていたくない一心で、イグナーツは男を蹴り飛ばそうともがいた。しかし、不意に力のかかる方向が逆転し、イグナーツの足は空しく中を蹴りぬいた。
「なぁにやってんだ、テメェ」
 ドスの利いた低い声には聴き覚えがあったが、それよりも組み付かれたままのイグナーツごと男を引き上げる膂力には感嘆を禁じ得ない。
「ゲッテムハルト様!」
「ゲッテムハルト・・・」
「・・・ケッ」
 傷痕とタトゥーを刻んだ凄味のある顔面が、さらに不機嫌そうに眉間にしわを寄せている。普段から強い者に挑み続け、イグナーツにも良く取れば主に対戦相手として成長を期待する声をかけてくれるゲッテムハルトだが、弱者にはとことん厳しい。
「人間相手に力負けとは、期待はずれなこと・・・・・・」
「はぁなああせええええええええええええ!!!っうおおおおおおおお!!!」
「ウルセェッ!!」
 イグナーツもそれなりに背があるが、男のシャツの襟後ろをつかんでいるゲッテムハルトは、さらに上にも横にも大きい偉丈夫だ。そして、そこから繰り出されるパワーは、イグナーツの何倍も上であり、いくら狂乱して力のリミッターが外れているとはいえ、並みの男の相手ではないだろう。
「なんだ、こいつは。見たところコアは付いてねぇが、ダーカーに浸食されてんのか?」
「ゲッテムハルト、そのまま・・・!」
「あ?」
 いくら見た目が民間人だとしても、ゲッテムハルトなら適当に理由をつけてぶっ飛ばしかねない。イグナーツは男の顎をつかみ、自分の前髪を上げて、視線同士を逸らしようのない距離まで顔を近づけた。
「俺は・・・俺は、アルトゥールじゃねぇっつってんだろッ、このボケが!!」
 男の血走った青い目に、イグナーツの金色の目が写り込み、そして急速に、光が失われていった。
「あ・・・あ・・・・・・っひぃいいいいいいいぃ!?」
 イグナーツをつかんでいた両手が男の顔を覆い、ゲッテムハルトが軽く腕を振っただけで、男はよろめいて地面に座り込んだ。それだけでなく、尻を付けたまま後ずさろうとしている。
「保安官だ、道を開けてくれ!」
「君、大丈夫かね?」
「いやあっ!いやだぁあああああああっ!さわるなぁ!やめろぉおおお!!やめろおおおおおお!!!!」
 さっきまでの熱のこもった暴れっぷりとは逆に、子供のように泣き叫びながら保安官の手を振り払う姿は、どう見ても怯えている。イグナーツには、彼に何が見えているのか知ることはできないが、失禁しているところを見ると、よほど怖いもののようだ。
 男のあまりの狂態ぶりに、おそらく病気なのだろうと予想をつけているだろうが、ゲッテムハルトも珍しく怪訝そうな顔になっていた。
「なんだ、ありゃ?」
「ひっ・・・はぁっ・・・ゲッテムハルト、たすかっ・・・」
 ゲッテムハルトの低い声やメルフォンシーナの声が、何か言っているように聞こえたが、イグナーツは自分の鼓動なのか耳鳴りなのかわからない白い渦の中に落ちていき、それを聞き取ることはできなかった。