お菓子の城‐5‐


 気を揉んだICUから一般病棟の個室にうつれたものの、まだイグナーツの意識は戻っていなかった。
(さっさと帰ってくればよかった・・・・・・!)
 ダーク・ラグネを見て他のことが頭からすっ飛んだレルシュは何度も後悔したが、時間があの時に戻ることはない。ただ、【仮面】に襲われてもイグナーツが一命を取り留めたのは、本当に運がよかった。
「・・・・・・」
 呼吸は安定しているものの、静かに横たわったままのイグナーツから、レルシュは目を逸らした。
 おそらく、最後の最後まで残してあったフォトンが、イグナーツの意識が切れた瞬間に回復に回ったのだろう。それがわかるレルシュだからこそ、イグナーツが目を覚ました時のトラブルが予想できて、彼の病室を離れることができなかった。
(それに・・・・・・)
 研究所の人間が手を出してこないのも不気味だった。普段なら、イグナーツもレルシュも、メディカルセンターの一般病棟ではなく、特別病棟に保護されるはずなのだ。
 トントン、と小さなノックがあり、レルシュがモニターを確認すると、病室の外にラダファムがいた。
『レルシュ・・・・・・』
 ずっと病室に詰めているレルシュを心配して、クロムやラダファムが代わる代わる来てくれていた。レルシュはリモートで病室のドアを開いてやった。
「お疲れ。あのさ・・・・・・」
 ラダファムが脇に避けて、ドアから入ってきた影に、レルシュは椅子から飛びあがった。
「お前・・・・・・!?」
 大きな花束を小脇に抱えて、まるでここが待ち合わせのレストランでもあるかのように悠々と病室に入ってきたニューマンの男は、ミラーグラスをして目元は全くわからなかったが、その黒髪とやたらと高価そうな服には見覚えがあった。
「『レイヴン』の!」
「ほう、俺を知っているのか」
「てめェ・・・・・・、よくもぬけぬけと!」
「わぁっ、レルシュ、たんまたんま!落ち着けって!」
 病室で大声を出すわけにもいかず、イーヴァルに掴みかかったレルシュを、ラダファムが一生懸命引きはがした。
 自由になったイーヴァルは嫌味なほど冷静に服の乱れを片手で直し、大きな花束をベッドにおいて、寝ているイグナーツを覗き込んだ。
「ふぅん。もっと子供みたいな寝顔をしていると思ったのに。意外と・・・・・・」
 年寄りみたいだな、そんなつぶやきが聞こえてきて、レルシュは怒っていいのか呆れていいのか、何をどう怒鳴ってやればいいのか、とっさに出てこなかった。ドSで極悪な性格だとイグナーツから聞いていたが、こんなに空気の読めない男だとは思わなかった。
「だいたい、お前のせいだぞ!こんなに弱るほど傷めつけやがって!」
「ククッ、たしかに俺はイグナーツで遊んだ。だが、違約分は支払われているし、こいつがどこぞで負けたのは、俺も遺憾だ。次に俺のところに来る約束の日は、今夜の予定だったというのに」
 ベッドサイドの椅子に、長い脚を組んで座ったイーヴァルの唇が邪悪な笑みの形にゆがみ、レルシュは怒りを感じると同時に、背筋が寒くなるのを感じた。こんな人間を前にしたのは初めてだ。
「起きろ、イグナーツ。迎えに来てやったぞ」
蠱惑的と言っていい、低くて甘くて、逆らい難いほど力に満ちた声だった。寝ているイグナーツに顔を近づけて囁くその姿に、頬を染めたラダファムはもちろん、レルシュですらどきりとした。
「イグナーツ、起きろ・・・・・・」
 前髪をあげて額があらわになったイグナーツに、イーヴァルが覆いかぶさっていく。
「面会ができると聞いていたのだが、取り込み中かな?」
 驚いて振り向けば、病室のドアから白衣を着てサングラスなどの眼鏡をかけた人間が、何人も入ってくるところだった。ヒューマンもニューマンもいるが、力のありそうなキャストが二人もいて、イグナーツを運んでいく気満々だ。
「いまごろお出ましか。ずいぶん遅かったな」
 レルシュが前に出ると、代表らしき男が小さく首を傾げた。三十代と見えるが、研究所の人間にしては若い部類に入るだろう。
「お友達かな」
「まあな」
 すると、男の後ろから何事か囁きが入り、納得したようにうなずいた。
「おお、『混血』か。こんなところで会えるとは思ってもみなかった。なるほど、いいお友達だ」
 自分が見下されるのは慣れている。怒りは湧いたが、それよりもレルシュは、白衣の男たちの無防備さに、戸惑いを隠せなかった。
「お前ら、ナッツを取りに来たんだろう?」
「ふむ、我々は保護しに来たのだが?」
「保護ねぇ・・・・・・。それにしちゃ、ずいぶん無防備だな。素っ裸で惑星に降りていくようなもんだぜ?」
「なに?」
 本当に知らないらしい白衣の男たちに、レルシュは呆れて首を振った。
「話にならねえな。出て行けよ。ナッツはまだ絶対安静なんだ」
「だから我々が保護しに来たのだ。そこを退きたまえ」
 ぞろぞろと包囲するように近づいてくる男たちに、レルシュはカタナを構え、ラダファムもウォンドに手を伸ばした。
「レル、ファムたん・・・・・・」
「「ナッツ!?」」
 イーヴァルに呼ばれて本当に目を覚ましたのか、ゆっくりと抱き起こされたイグナーツの手が、イーヴァルのむこうで動いていた。
「いい・・・・・・俺が、話す」
「でもっ・・・・・・」
「手間が省けていい!」
 レルシュとラダファムが人波に押しのけられ、レルシュは血の気が引いた。
「『パニック・アイズ』だな?」
「・・・そうだ」
 居丈高な男の声に反して、イグナーツの声は小さい。このぼそぼそとした喋り方が記憶の奥から蘇って、レルシュは胸が締め付けられた。希望を知らずに病院にいた頃の、幼いイグナーツだ。
「やめろ、ナッツ!!」
 レルシュが叫んでも遅かった。いや・・・・・・無駄だった、というべきだろう。
「チビ助、見るな!耳も塞げ!」
「んっ!」
 レルシュの背中に隠れるように、ラダファムは素直にぎゅっと目を瞑って、両手で耳を塞いだ。
「うわあああああああっ!?」
「どうした?」
「なんだ、これ・・・・・・なんだこれっ!?」
 次々に上がる悲鳴と戸惑いの声は、やがて、悲鳴の方が大きくなっていった。
「カメラにもセンサーにも異常なし。しかしこの異常が現実である以上、受け入れるか拒否するかの決断しかあるまい。・・・・・・私は、拒否する。ぅおおおおおおおおっ!!!」
 ぶちぶちと嫌な音を立てて、キャストの男が自分の頭部パーツを引き抜いた。メンテナンスのように接続をケアすることなく、火花や生体血液を撒き散らしながら、自力でコードを引きちぎったのだ。その手から床に落とした頭の上に、重いボディがぐしゃりと倒れた。
「ひぃいいいやああああ!!!?」
「馬鹿な。キャストなのに・・・・・・!?」
「あっははははは!あはははは!あひゃははははははぁっ!!」
「お前もか!?」
 もう一人のキャストは笑い出し、その場に座り込んだ。タガの外れたような笑い声は止まらないまま、音声デバイスにまで異常をきたしたのか、すすり上げるような泣き声が混じって聞こえはじめた。
「死ななきゃ死ななきゃ死ななきゃ死ななきゃ死ななきゃ・・・・・・!」
「やめてくれええええっ!いやあああ!聞きたくないいいっ!!」
 ぶつぶつとつぶやきながら病室を走り出て行く者、自分で何度も壁に頭を打ちつける者、すでに床に転がって泡を噴きながら痙攣している者・・・・・・。それを見て腰を抜かす者、パニックを起こして逃げ出す者・・・・・・。
 こうなることはわかっていた。だから、レルシュは止めたかった。イグナーツのために。
「ったくよぉ・・・・・・」
 ため息交じりに話の出来そうなやつを探したが、原因である代表格の男は、すでに事切れていた。自分の口の中に、電撃銃を突っ込んで撃ったようだ。元は制圧用のスタンガンだったものを、相手を殺傷しかねないと知っていながら、高電流に改造してあったのだろう。しっかりとスイッチを押したまま握りしめているために、まだ火花が散っていて、舌の肉が焦げる気持ちの悪い臭いが漂っていた。とても見られた死体ではなかったが、この銃で被験体にも暴行していただろう男には、自業自得だと同情に値しない。
「んー、お前は大丈夫か?運がよかったな」
 自分で首をもいだキャストの傍で腰を抜かしていた若いヒューマンは、レルシュと同じくらいの年齢に見えた。
「な、ななにが・・・・・・」
「『パニック・アイズ』だよ。お前は運よく耐性があったんだ。あいつの・・・・・・ナッツの眼を見ただろう?」
「う、うん・・・・・・」
 カクカクと頷く若いヒューマンの前にしゃがんで、レルシュは視線の高さを合わせてやった。
「俺やあそこのチビ助、あるいはお前みたいに耐性がないと、こういうことになる」
「で、でも、サングラスをしていれば、平気だって・・・・・・」
「あー、普段ならな」
 その辺のことは、幼いイグナーツを診ていた博士のレポートにすべて書かれているはずだが、彼らは読んでいなかったようだ。
「ナッツはアークスとしては第三世代。メインクラス以外の傾向も操れる。・・・・・・わかるか?フォトンの性質を変化させて、他人から見える自分の視線を常にぼやけさせているんだよ。そのおかげで、サイバーグラス一枚だけで生活できるんだ。体調が悪けりゃ、そんな自衛も出来ない。・・・・・・さすがに、ナッツの自制が効いていないパニック・アイズは、貫通力が違うな。俺もここまでスゲーのは初めて見た」
 キャストの死体を一瞥して、レルシュは肩をすくめた。
「パニック・アイズの研究が中止されている理由がわかったか?もうコイツに関わるな」
 ガクガクとうなずいて、若い研究員は腰が抜けたまま病室から這い出していった。
「レルシュー・・・・・・」
「ああ、もういいぞ、チビ助!ただし、あんまり見るな!」
「どっちだよぅ」
 耳を塞いでいた両手をはなし、片目ずつ開いたラダファムだったが、すぐに顔を逸らして両手で覆った。
「うわぁ・・・・・・」
 一体でも目を背けたくなるような狂死体がごろごろ転がっていては、ラダファムでなくとも顔をそむけるだろう。パニック・アイズに耐性があったとしても、この惨状を目の当たりにするのは完全にトラウマものだ。
(これを自分のこともわかんねぇガキのころから見てたっていうんだから・・・・・・)
 イーヴァルの上着にくるまって担ぎ上げられるイグナーツを眺めて、レルシュはもう一度ため息をついて、こめかみを揉んだ。
「チビ助、ナッツの部屋に案内してやれ。俺はここを片付けとく」
「うぅ、わかった」
 必死で吐き気をこらえて涙目のラダファムと、イグナーツを担ぎ上げたイーヴァルが病室を出ていくのを見送り、レルシュは自分も泣きたい気分になった。こうなることがわかっていたのに防げなかった無力感と、大事な友達の傷ついた心を思ってのやるせなさと。
 ただ、あの惨状を見ても動じずにイグナーツを担いでいったイーヴァルに対しては、少しだけ認めてやることにした。少なくとも、いまレルシュの足元で転がっている連中よりは、はるかにましなはずだ。