お菓子の城‐4‐


 遮るもののない大空を、強い風が吹き抜けていく。惑星自体が持つ強い磁力を利用してブーツの底を吸着させなければ、人間であるアークスは天高く浮いた大地から落下しかねないだろう。逆に、キャストたちの機械の体がくっついてしまったり、システムに異常が出ないのだろうかと、他人事ながら心配になったりもする。
 龍の国浮遊大陸は、薄い層が重なった岩が風化したような、なかなか特徴的な大地をしている。薄い苔のような下草が生えたそこに腰掛け、イグナーツは流れていく雲をぼんやりと見ていた。
「ナッツここ好きだな」
「うん」
 イグナーツに付き合って一緒に来てくれたレルシュは、現れるダーカーを倒しにいったり、たまに襲ってくる龍族と剣を交えたりしている。イグナーツ達のクラスレベルからみれば、難易度の低いところに降ろしてもらったので、数は湧けども脅威というほどではなかった。
「馬鹿と煙は高いところが好きだって言うらしいぞ」
「ははっ、そうかもな。・・・・・・だってさぁ、ここ広いじゃん。特に空。どこまでも行けそうで、自由だーって気分になる」
「・・・・・・」
 狭い病室しか知らなかったイグナーツに、最初に自由の風を運んできたのは、レルシュだった。
 活動制限のある身体、見てはいけない目。切り取られた窓の外には、ホログラムで作られた空。白衣の壁。牢獄のようなベッド。
 そこにたくさんの色を、鮮やかな空気を、可能性という羽を生やした靴を持って、レルシュが手を差し伸べてくれた。最初は大きすぎるスリッパをはくところからだったが、今では、こうして天然の空を二人で眺めている。
「俺のフォトンが消えたら、また病院の研究室かな」
「なに?」
 低い声で睨んできたレルシュに、イグナーツは首を横に振った。
「冗談だよ」
「縁起でもないことを言うな、馬鹿」
「うん・・・・・・」
 イグナーツにとって、フォトンを操ることはごく自然なことだった。だから、アークス以外のものになった自分というのは、想像がつかない。アークスとして戦えなくなったら、また研究材料として飼い殺しにされる様子は、一般員として平和に生活する姿よりも、はるかに想像しやすかった。
 悩ましいことだった。この目さえなければ、奇異の目で見られることもないが、アークスとしても活動できなくなる。
(いっそのこと、一度潰して電子アイにしてもらえばいいのか?)
 いい考えのようにも思えたが、人工の眼にしてもパニック・アイズが出たら、救いようがない。それに、虚弱で繊細すぎて人工心臓ですら拒絶反応が出たイグナーツに、電子部品が収まってくれるか疑問だ。そもそも、こんな気持ちの悪い目を、危険を冒して手術してやろうと言ってくれる人がいるかどうか・・・・・・。
「むっ・・・」
「おお」
 イグナーツの埒もない思考を、天空の強い風が巻き上げて、遠くへ散り撒いていく。ここは本当に、気持ちのいい場所だった。
「レルシュは、好きな場所ないのか?」
「ああん?・・・・・・凍土かな」
 風になぶられる髪を押さえながら首を傾げるレルシュは、惑星ナベリウスにある、極寒の銀世界がお気に入りらしい。
「じゃ、次は凍土に行こう」
「は?・・・・・・まあ、いいけどよ」
 体調はいいのかと気遣ってくれるレルシュに、イグナーツは大丈夫だと頷いて立ち上がった。気分は癒された、次は気分を上げる工程だ。
 しかし、テレパイプを出そうとしたところで、緊急連絡が飛び込んできた。強力な敵性反応が二人のレーダーにも映り、続いて地響きや戦闘音が聞こえてきた。
「手伝うか?」
「ナッツ、その体で戦う気か?」
 やめておけ、とレルシュがいいかけたところで、巨大な影が舞い降りてきた。岩を破壊しながら着地し、奇声を上げたそのものから、二人は素早く距離を取って武器を構えた。
「ダーク・ラグネ!!」
 憎しみを滾らせて巨体を睨むレルシュと、その向こうから追いかけてくる数名のアークスが見えた。
「いたぞ!」
 イグナーツが振り向くと、別のパーティーがこちらに救援に走ってくる。
「あ・・・・・・っ!」
 ずどぉおおんと大地を割って現れた龍が、救援組に襲いかかる。しかも、その頭にはダーカーの侵食核が刺さっている。
「マジかよ」
「チッ!」
 前門のダーク・ラグネ、後門のキャタドランサ、イグナーツとレルシュは、完全に挟まれてしまった。力量には問題なくとも、いっぺんに相手をするには分が悪い。
「俺が足止めする。そっちから片付けろ!」
「了解」
 ダーク・ラグネに突っ込んでいくレルシュに背を向け、イグナーツは高台になった岩から飛び出していった。
「こっちだよ!」
 ウォークライを発動させて、やたらと体が伸びるキャタドランサの注意を引きつける。他のパーティーが適正レベルなら、一匹ずつ倒すことは可能だ。
 尾の水晶を攻撃しようとするアークスたちに注意を向けさせまいと、イグナーツはひらりひらりと攻撃をかわしながら、キャタドランサの大きな頭に自在槍を投げつけた。
(いっつ・・・・・・っ!)
 普段なら何でもないステップやジャンプが、ズキズキと足に響いた。取り巻きのサディニアン達の攻撃をかわすのも楽ではない。
「さっさと倒れろ!」
 水晶を破壊されてのけぞったキャタドランサの侵食核にワイヤーを絡め、イグナーツはぐんと空中に舞いあがり、そのまま自重を乗せて龍の頭を地面にたたきつけた。
「ぎゃぉうううううううん!!」
『目標達成、お疲れ様です』
「っしゃ、おつ!」
 ぐんにゃりと長大な体を折りたたむように倒れたキャタドランサから、イグナーツはすぐに目標を変えた。
「レル!」
 危うく飛んできた赤黒い衝撃波をやり過ごし、段差のある大地を駆け上がる。硬い外骨格を切り刻むカタナの軌跡が見えたが、やはり強敵には違いなく、何人かが倒れている。
「くそっ・・・・・・」
 レルシュが敵の注意を引きつけているタイミングを見計らい、駆け抜けるようにムーンアトマイザーを放り投げた。礼の言葉を聞き流しながら、外骨格にヒビが入った脚に自在槍を投げつける。
「ナッツ!」
「核を狙え!」
 バキンと最後の脚の外骨格が割れ、体勢を崩したダーク・ラグネの背が見える。
「はぁッ!!」
 ダーク・ラグネの巨体を駆け上がったレルシュの神速の抜剣が翻り、硬く響くような音を立てて、ダーカーのコアが割れた。
「やったな、レルシュ!」
「当然だな」
 耳障りな悲鳴を上げて消えていくダーク・ラグネに歓声が沸くが、通信からは緊迫した声が響いてきた。
 同種敵性反応再出現、もう一匹くるかと緊張が走る。強いダーカーの気配、しかし、あの巨大な影が見えない。
「どこ・・・・・・」
「あっ!」
 驚愕の視線が自分に集まったのをイグナーツは感じたが、イグナーツ自身も、自分の腹から生えたソードの先を見つめていた。
「がはっ・・・・・・」
 自分を貫いた武器が抜けていくと、あっという間に全身から力が抜けて、ひざが折れた。両手から武器の感触が滑り落ちると、頬や胸にも大好きな浮遊大陸の大地を感じた。自分のそばを駆け抜けていく黒いブーツと翻るコートの裾、大剣の切っ先・・・・・・。
「ナッツーーーッ!!!」
 ひんやりとした磁鉱の大地と、柔らかな苔の感触すら、イグナーツから遠ざかって行っていた。暗くて、なにも、考えられなくて・・・・・・。
 ごめん、レルシュ・・・・・・。


 オーダー受領の返信がない、取り付く島もなく跳ね返してくる義弟の言葉に、イーヴァルはむすっとふくれて、自分のふっくらと座り心地の良いチェアに収まった。
 社長室のデスクには書類が積まれていたが、それはすでに決裁が終わったものだ。最近自分の時間をきっちり取るために、イーヴァルが仕事を計画的に終わらせるので、焔をはじめ社員にも喜ばれていたのだが、肝心のモチベーションがお預け状態では、イーヴァルの不機嫌さは当然の帰結だ。
「二週間後と約束したぞ」
「仕方が無いだろ。きっと、むこうも忙しいんだろう」
 イーヴァルと違って、と言外に言っている焔に、イーヴァルは余計に不機嫌になった。イグナーツにイーヴァルの相手をすることよりも優先される仕事があるなどと、認めたくないのだ。
「あの子を、ずいぶん気に入っているんだな。ほら、報告が上がってきているぞ」
 焔の端末から転送されてきたデータを広げ、イーヴァルは長い睫に縁どられた紫の目を細めた。
「ふぅん」
「事故死した双子の弟の心臓が入っているというのは、本当らしいな。人工臓器すら受け付けないという繊細な体だ。・・・・・・いくらイーヴァのわがままに付き合ってくれるからと言って、調子に乗って壊すなよ」
「ふん」
 イーヴァルが目を通しているのは、イグナーツの身辺調査報告書だ。アークスとしての活動記録や実績はもとより、幼少の就学記録がなく、病院育ちであることまで書かれている。イグナーツが隠したがる眼についても、正式な障害認定が出ていることは確かだが、詳細は不明となっていた。
「アークス、か・・・・・・。で、結局あいつはいま、俺との約束を放り出して何をやっているんだ?」
「おい、イグナーツの邪魔をするなよ」
 焔の忠告など耳に入らず、イーヴァルは自分でアークスの名簿を検索し始めた。自分のオーダーを受けてくれそうなアークスを探すためのシステムだが、同時に相手の立て込み具合もわかるようになっている。スケジュールが押しているような人間に仕事が集中するのを避けるためだ。
「・・・・・・」
「どうした?」
 急に無言になったイーヴァルに顔を上げた焔は、そこに表情を消した美しい義兄の顔を見つけた。
「・・・どうした?」
「・・・・・・・・・・・・」
「おい!?」
 さっさと上着を持って社長室を出ていくイーヴァルを見送り、焔はイーヴァルが操作していた端末を見るために、デスクをまわり込んだ。
「・・・・・・はぁ」
 焔は盛大にため息をつき、髪をかき回した。
 名簿のイグナーツの名前が赤くなっていた。活動停止中、それも、十日ほども前から、オーダーの進捗情報が更新されていなかった。
 活動停止中といっても、オーダーに対しての受理不受理の応えは出せる。ということは、メールの返信すらできない状態ということだ。アークス内での処罰中や犯罪に巻き込まれて拘束中というのでなければ、一番あり得るのは・・・・・・。
「勘弁してくれよ」
 焔はぼやきながら、イーヴァルのスケジュール調整をやり直すために、自分のデスクに戻った。イーヴァルのお気に入りが任務での負傷による加療中とあっては、イーヴァルのやる気を容易に仕事に向けなおすなんて不可能だった。