お菓子の城‐3‐


「おい、ナッツ」
 外が明るくなっても、ベッドの上で芋虫のようになっていたイグナーツに、聞き慣れたハスキーな声が降ってきた。
「ん・・・・・・」
 せっかくの来客にもそもそと顔を出すと、ベッドサイドに立っているカタナを提げたデューマンの青年に、呆れた様子でため息をつかれた。
「最低だな」
「わかってる」
 目元は腫れ、声は嗄れ、フォトンのテンションは地べたを這っている。
「またSMの依頼を受けたのか」
 実は帰ってきたのは昨日の未明であり、あれから丸一日こうして寝込んでいたというと、余計な心配をかける。イグナーツはよく回らない頭で適当に答えた。
「相手がドSなだけだ。俺はMじゃねぇ」
「余計悪いじゃねぇか」
 どっかりとベッドの端に腰を下ろしたのは、同じアークスで、イグナーツとは少年時代からの仲であるレルシュだ。彼はイグナーツの目を見ても精神に異常をきたさないことがわかっている稀有な人物であり、こうして裸眼をさらしているイグナーツと向き合える、数少ない許された友人だった。
 そのレルシュの深緑色のくせ毛の下から、タトゥーをまとった金と青のオッドアイが、じろりとイグナーツを見下ろしてくる。
「レスタ」
「ぉう・・・・・・サンキュ」
「今回は何処をやられた?」
「うう・・・・・・色々。脚とか刺された。全部言うのも面倒くせぇ」
「はぁ」
 レルシュがかけてくれた回復のテクニックが、徐々にイグナーツの傷を癒していく。だが、全快とまではいかず、イグナーツの気分も上がらなかった。
「なあ、なんでそいつのところに行くんだ?お前わかってんだろ、自分のフォトンが弱ってんの」
「・・・・・・・・・・・・」
「ばっかじゃねーの」
 レルシュに言われるまでもなく、自分でもどうかしているとイグナーツはわかっている。フォトンが弱まれば、アークスとしての活動に支障が出る。周囲にあるフォトンの助けを得ることもできるが、ハンターやファイターは、主に自分の体内にフォトンを宿して戦う。だから、自分にフォトンを留めておけないということは、ハンターとして前線に立つ資格がないと同意義だった。
「回復が追い付かないのかな」
「そういう意味じゃねえよ!・・・・・・毎回こんなズタボロにされるのに、なんでそいつの依頼を受けるんだ?」
「なんでって言われても・・・・・・」
 報酬の良さ、代わりがいない上に毎回指名されること、自分の仕事に満足してもらえる嬉しさ、そういうことをあげていっても、レルシュは納得してくれない。
「物とか金に釣られているんだよ。この前も、高い武器迷彩プレゼントされてただろ」
「あー、あれは・・・・・・お詫び?手を傷付けたから」
「どっちでも変わんねえよ。要は、都合のいい人間を金でキープしてるってことだろ」
 レルシュは決めつけるが、イグナーツは自分がそこまでお手軽で割り切った人間だとは思いたくない。はたからすれば、レルシュの言うとおりに見えるのだろうけれど。
「じゃあ、レルシュがやってみるか?」
「ぜってーイヤだ」
「ほらな。いくら金を積まれても、刺されたり切られたり撃たれたりしながら男に掘らせてやるヤツなんて、そういるもんじゃない」
「だからって、ナッツが専属でやることないだろ」
「だから、代わりもいねえんだって」
「代わりがいれば、行かないですむんだろ?」
「・・・・・・そう、かな。たぶん」
 間があいたのは、なんだかプライドが傷ついたからだ。イーヴァルを満足させてやれる人間がほいほい出現するのは、なんだかしゃくだった。こんなに頑張っても、もっと良いやつがいれば、イーヴァルはそいつも囲うのだろう。
「ナッツさあ・・・・・・」
「ん?」
 なにやら言いにくそうな、微妙な面持ちで、レルシュが見下ろしてきた。
「もしかして、そいつのこと好きなのか?」
「・・・・・・す・・・・・・、は?」
「いや、だって、普通そこまでしねえぞ!?いくらオーダーだって・・・・・・」
 意味もなく照れたように頬を染めるレルシュに、イグナーツまで混乱して顔が熱くなってきた。
「な、なんで・・・・・・、好きとか、ないし!?いや、べつに嫌いじゃないけど・・・・・・、でも、アレを好き?なんで!?え、俺マジなの!?」
「ししし知るか!なんでナッツがうろたえてるんだよ!」
「言い出したのはレルシュだろ!わけわかんねー!!嘘だろ!?」
 ぎゃーっとベッドでもだえるイグナーツに、レルシュも爆弾のスイッチを入れてしまったかのように慌てた。
「と、とりあえず落ち着け!な?俺は別に、ナッツがそういう趣味でも友達やめたりしないからな?冷静に、自分を見てみろ!?」
「フォローになってねーよ!うわーん、なんかショックだぁあああ!!!」
「あわわ・・・・・・、じゃ、じゃあな!元気になったら、またクエスト一緒に行こうぜ」
「ううー、わかったぁ・・・・・・」
 枕に顔をうずめたイグナーツの後ろ頭を、レルシュの手が撫でてくれた。
「なんか欲しい物があったら、取ってきてやるから。遠慮なく言えな」
「サンキュ・・・・・・。レルシュ優しいな」
「ふん、友達だからな」
 照れくさそうにそっぽを向いて、レルシュはイグナーツの部屋から出て行った。
「あんがとなー、レル・・・・・・」
 イグナーツは呟きながらもそもそと寝返りを打って、まだあちこち痛む体を休めた。
 そして、自分がイーヴァルを好きなのかどうか、自問してみた。
(好き・・・・・・?いや?)
 嫌いではない。でも、好きかと聞かれて、はいとは言えない。では、どうしてイーヴァルに抱かれに行くのかといえば、それは焔からのオーダーだからであり、彼が困窮している難題を少しでも緩和できればと思っているからだ。感謝されるのは気分がいい。それに、報酬も格別にいい。
 しかし、自分でもレルシュに言った通り、いくら金を積まれても、イーヴァルのトンデモ趣味に付き合ってやれるやつは、そうそういないはずだ。ではなぜイグナーツがそれに付き合ってやっているかといえば、「できる」からであり、その評価はかなり高いと自負している。イーヴァルに毎回次の約束を促されるのが、いい証左だろう。気に入られている自覚もある。
(で、俺はイーヴァルのことを、なんとも思っていないのか?)
 たしかに、ヤバイ人間ではある。性格とか嗜好とかが。
 容姿端麗、社会的地位がある、金持ちだ。それで優しかったら、全く文句のつけようのないいい男だ。残念ながら、人が痛がっているのを見て喜ぶ変態なので、付き合うとイグナーツのように生傷が絶えなくなるのだが。
(・・・・・・・・・・・・)
 たぶん、イーヴァルはイグナーツが求めているような優しさを、他人に与えることが難しい人間なのではないだろうか。そう考えると、納得できる。いくら他が魅力的でも、本当に欲しいものが手に入らないのであれば、恋人として好きという領域には至らないだろう。
(うんうん、そうだ)
 では、恋人としてではなく好意を寄せるのであれば?ふと浮かんだこの疑問に、イグナーツは自分で首を傾げた。恋人以外で、好きという感情が当てはまるものがあるだろうか。たとえば、レルシュのような友達、は好きだ。今までに体を合わせてきた相手を思い返してみると、守ってあげたいと思ったり、楽しく付き合いたいと思ったり、自分も相手のように強くなりたいと思ったり・・・・・・どれも一定以上の好きはあった。でも、こんなに悩むようなことはなかった。たぶん、誰もが互いに尊重し合い、金銭の絡まない肉体関係だったからだろう。
(うーん・・・・・・)
 それと、イグナーツが自分でも不思議に思っているのは、こうして毎回ひどい目に遭い、フォトンにまで影響が出るほどの疲労を被っているというのに、また依頼が来れば、イーヴァルの元へ出かけていくだろうということ。いくら報酬がよかろうと、いくら感謝されることがうれしかろうと、アークスとしての活動に支障が出てもかまわないとは思っていなかったはずだ。そしていまも、過剰な負傷分の補填として余分に金をもらっているし、自分の本分は惑星探査やダーカー討伐だと思っている。
(・・・・・・放っておけない?俺も気に入っているのか?あいつを?)
 なんとなく、それが一番近いような気がしてきた。どこをどう気に入っているのかは、まったくわからないが、どこか惹かれるものがあるのだろう。・・・・・・認めたくはないが、身体の相性が良いことは確実なのだし。
 ただ、イーヴァルはイグナーツが好きな、ベタベタに甘やかしてくれる大人ではない。そういうのが欲しければ、他を探した方がいい。イーヴァルとは、堕ちてはいけないギリギリのラインで快楽を奪い合う、スリリングでビジネスライクな付き合いにしかならないはずだし、そういうことができるからこそ、イーヴァルはイグナーツを気に入っているのだろう。
(だから、勝手に傷付くのがおかしいんだ)
 契約を交わし、報酬を得る代わりに身体を傷付けられることを許した。そして、相手はそれに満足して、こちらが本当に困るほど壊すことはしなかった。だから・・・・・・どこか、信頼のようなものがあったのだ。
 それなのに、イーヴァルはイグナーツの目を見ようとした。たぶん、それほど本気ではなかっただろう。それに、イグナーツの目の危険性を、本当に知らないから・・・・・・だから、気軽に触れたのだ。それだけの話だ。
「・・・・・・・・・・・・」
 息を吐きながら、イグナーツは再び寝返りを打って、スケイルプラントで仕切られた自室を眺めた。
 イグナーツの部屋は、青で統一されたベーシックなデザインが主軸になっているが、そこには惑星アムドゥスキアで手に入れたインテリアが多く飾られていた。風が遊ぶ浮遊大陸や、静謐な龍祭壇が好きなのだ。
(・・・・・・ちょっと、気分転換に行ってこようかな)
 まだ明確な結論は出なかったし、身体の調子も良くなかったが、風に当たってきたかった。
「レルシュ」
『・・・なんだ?』
 まだロビーにいることを確認して呼び出すと、イグナーツはベッドから起き上がった。
「浮遊大陸行こう」
『は?なんか取ってくるなら、俺が行くぞ?』
「いや、俺があそこに行きたい。・・・一人で行くよりいいだろ?」
『あぁ、まあな・・・』
 イグナーツを一人でふらふらさせるよりはいいと思ったのか、レルシュは二つ返事で一緒に行くことを了承してくれた。
 立ち上がってみると、足の痛みはまだ残ってはいるものの、昨日までの激しくひきつるようなひどさはない。先ほどのレルシュとのやりとりで、フォトンが活性化して、回復速度が上向いたのだろう。
「うん、なんとかなるな」
 無理をしなければ、散歩のような探索ならできそうだ。
 イグナーツはクリーニングの終わった服を身に着け、愛用のサイバーグラスを顔にかけた。