追憶のマルガリータ‐3‐
再びノイズ混じりの闇を抜けると、イーヴァルは唐突に穏やかな静けさの中に放り出され、そこには眼鏡をかけたヒューマンの老女がいた。老女と言っても、眼光鋭く、背筋もしゃんと伸びている。白衣を着ていることもあり、おそらく医者だろう。
「貴方の提出した、イグナーツくんの今後の保育計画は拝見しました。私の意見もほぼ一致していますので、このまま承認されると思います」 「恐レ入リマス」 ナインを見おろし、イーヴァルは気付いた。だいぶ時間がたっている。イグナーツが赤ん坊のときには、白い機体だと思ったが、それでも細かい傷はついていた。いまはもっと色あせて、アイボリーというよりもクリーム色に近くなっている。 「それで、貴方の進退について、イグナーツくんには話したのですか?」 「少シズツ、デスガ。別レヲ教エルノモ、保育者ノ義務ト心得テイマス」 「・・・・・・貴方ほどの優秀な保育ロボットを失うのは、私も残念です」 「恐レ入リマス、どくたー」 わずかに目を細めたこの老女が、イグナーツの心臓の方を担当した小児科医か心臓外科医なのだろうと、イーヴァルは理解した。アークスの研究部やイグナーツの両親とのやりとりも、彼女が全て知っている可能性が高い。 「トコロデ、いぐなーつクンノふぉとん操作ノ件デスガ」 「うむ。こちらにもデータをもらいましたが、まず貴方の分析を聞きましょう」 「報告イタシマス。いぐなーつクンノふぉとん操作ハ、変質及ビ固着化二突出シタぱらめーたヲ示シテオリ、あーくすトシテハれんじゃーくらすガ有力候補ト言エマス。現在いぐなーつクンハ、自分デ意識セズ、ふぉとんヲ使ッテ、心臓ノ機能ヲさぽーとシテイルトイウでーたガ出テイマス。コノ半年ホド、いぐなーつクンノ容体ガ安定シテイタノハ、コノ事ガ影響シテイルト、当機ハ分析イタシマス。タダシ、無理ニ行使スレバ、ふぉとん操作自体ガ、心臓ヘノ負担ニナル危険モアリマス」 「その通りですね。・・・・・・フォトン操作の訓練は、少し様子を見てからの方が良いか・・・・・・」 フォトンを操る能力は天与のものだが、それを成長させ制御するためには、ある程度の訓練が必要だ。しかし、病気の幼児が無意識の内に自分の身体に対して行っているのであれば、いまは経過を観察するにとどめておく方がいいかもしれない。 「マタ、コノ能力ヲ使イ、触媒ニ出来ル眼鏡ガアレバ、自分デ目ヲ覆イ、人前ニ出ラレル可能性ガアリマス」 「うむ、自衛手段があれば、あの子の精神的負担も減るでしょう」 たしかに、子供が色の濃いサングラスをかけているのは不自然で、余計に人目を引く可能性が高い。薄い色がついているぐらいなら医療用と言い訳ができるが、それでは他人に目が見えてしまう。イーヴァルはイグナーツがフォトンで視線を拡散していることを知ってはいたが、こんなに子供の頃からフォトンを扱えたというのは少し驚いた。 「彼ノ能力ハ、本人ノ強イ希望二ヨッテ現レタノダト、当機ハ推察イタシマス」 「つまり、生きたいという本能が、あの子の才能を開花させた、というのですね」 「少々修正ヲ求メマス。苦シサヲ和ラゲタイ、トイウ希望デス」 「・・・・・・あの子には、生きたいという執着が薄いと?」 「断言ハ避ケマス。・・・・・・当機ニハ、いぐなーつクンガ研究室ト関ワッテイル件ニツイテ、意見ヲ申シ上ゲル権限ガアリマセン」 眉間に深くしわを刻んで目を閉じた老女が遠ざかり、執務室と思われる風景も、ぼやけて消えた。 病室のベッドの上に座った幼いイグナーツは、ナインとなにか話しながら手を動かしていた。イーヴァルが近づいて見てみると、それは初歩的な知育教材だとわかった。同じ動物の数を数えたり、オラクル文字で書かれた単語を発音したりしている。 (・・・・・・?) イーヴァルが首をかしげたのは、それを学習するには、イグナーツはかなり成長しているように見えたからだ。病身で痩せているとはいえ、エレメンタリースクールに入学していそうなほどには成長している。 「ねえ、ナイン」 「ハイ、何デショウ」 子供用のサイバーグラスをかけたイグナーツの指先が、教材のモニターを滑って行く。そこには、家族や親族を説明する絵がかいてあった。 「僕は、家族に入らないのかな」 「いぐなーつクンニハ、ぱぱモままモイマスシ、双子ノ兄弟モイマスヨ」 「いても、一緒に住んでないよ」 「いぐなーつクンノ病気ハ、普通ノオ家デ暮ラスニハ、チョット負担ガ大キスギルノデス。病院ニ居タ方ガ、苦シクナッタ時ニ、スグどくたーニ診テモラエマスカラネ」 「・・・・・・・・・・・・でも、僕は・・・・・・」 ナインのいうことは間違っていないが、それは一面に過ぎないと、幼いイグナーツにもわかっているのだろう。心臓が悪いということのほかに、研究材料にされている目がある。 「大丈夫デスヨ。元気ニナレバ、皆サンニ会エマス」 「そうかな・・・・・・」 「ハイ」 数えるほどしか家族に会ったことが無いと、イグナーツは言っていた。目の前の子供が寂しさをおさえ、必死に良い方へ思い込もうとしているのが感じられるが、それが虚しい努力であることを、この時のイグナーツは知らないだろう。 「ソレニ、いぐなーつクンガ元気ニナッテ、ゴ家族ノトコロニ帰ラナイト、ないんガ困ルノデス」 「どうして?」 「・・・・・・ないんハ、トテモ古イ機体デス。イツ壊レテモオカシクナインデスヨ」 幼いイグナーツの顔がぎゅっとしかめられ、泣きださないように薄い唇を噛んでいる。その頭を、ナインが、ゆっくりと撫でた。 「今カラ百年前ニ、いぐなーつクンハ居イマシタカ?居マセンネ?いぐなーつクンガ生マレテカラ、マダ七年二ヶ月シカタッテイマセン。デハ、今カラ百年後、いぐなーつクンハ居ルデショウカ?」 「僕、百歳まで生きられるの?」 「生キルカモシレマセンシ、オジイチャンニナッテ、死ンデシマッテイルカモシレマセン。ソシテ、ソノコロニハ、コノ病院ニイルホトンドノ人ガ、死ンデシマッテイルコトデショウ。どくたーモ、博士モ、すたっふモ、患者サンタチモ・・・・・・。モチロン、ろぼっとモ皆壊レテ、動カナクナッテイマス」 無常を悲しむべきなのか、それとも思ってもみなかった考え方に驚くべきなのか、幼い子の顔が複雑な色を見せて固まっている。そんなイグナーツを、ナインがLED板に笑顔を描いて肯定した。 「物ハ、イツカ壊レマス。人ハ、イツカ死ニマス。何億年モ生キル星デスラ、生マレタライツカハ滅ビマス。ソレハ、仕方ノナイ事デス」 「じゃあ、いつかみんないなくなっちゃうの?」 「いぐなーつクンガ生マレテキタヨウニ、新シイ命ガ繋ガレバ、全滅ハシマセンヨ」 ナインがモニターを操作し、参考資料と思われる絵を出して説明した。 「限リアル寿命ノ中デ、子孫ヲ残シ、文化ヲ作リ、進化スル。コレガ、生命ノ基本的ナアリ方デス。植物ハ実ヲツケ、新タナ種ヲ撒キマス。小サナ昆虫モ、自分タチノ社会組織ヲ持ッテイマス。人ハ様々ナ道具ヲ生ミダシ、本来生キラレナイ宇宙空間デ生活デキルヨウニナリマシタ」 ナインはイグナーツの頭を撫でながら、LED板の笑顔をチカチカと動かした。ゆっくりと噛んで含ませるような機械の声は、少し間延びしているようにも聞こえたが、聞きづらいというほどではない。 「死ンダリ壊レタリスルノハ、悲シイコトカモシレマセン。デモ、生キテイタ事実ガ消エテシマウワケデハアリマセン。生キテ何ヲシタカ、何ヲ残シタカ、何ニ影響ヲ与エタノカ、ソウイウ事ガ大事ナノデス。ないんハ、いぐなーつクント会エテヨカッタト思イマスシ、コウシテオ世話デキタノハ、トテモ幸セナコトデス。・・・・・・モシモ、いぐなーつクンガ居ナカッタラ、ないんハ七年二ヶ月前ニ、廃棄処分ニナッテイマシタネ」 「えっ、そんなのやだ!」 「ハイ、ソウイウワケデ、いぐなーつクンガ生マレテキテ、最初ニ助ケタノガないんナンデスヨ。モット自信ヲ持ッテクダサイ」 おどけるナインに、イグナーツはくすくすと小さく笑いながら体を摺り寄せた。その痩せた体を、ナインの四本の腕が抱きしめ返す。 「イツカ死ンデシマウ生命ハ、尊イモノデス。いぐなーつクンモ、ソノ尊イ生命ノ一人デス」 「でも僕は、他の人を・・・・・・」 「人間ハ基本的ニ、誰デモ、他ノ人間ヲ傷付ケタリ、命ヲ奪エル能力ガアリマス。いぐなーつクンダケデハアリマセン。・・・・・・重要ナノハ、制御デキル力ト知識ヲ持ツコトデス」 ナインは繰り返し諭した。イグナーツも他の人間と変わらない、一個の生命体であると。重要なことは力そのものではなく、制御する能力であると。 「うん、わかった」 「オ勉強モ、療養モ、訓練モ、いぐなーつクンガ自分デ頑張ラネバイケマセン」 「でも、ナインがいれば、寂しくないよ」 「アリガトウゴザイマス。保育ろぼっと冥利ニ尽キマス」 「ナインが家族になればいいのに」 「嬉シイデスネ!デハ、ないんモいぐなーつクンノ家族ニサセテモライマショウ」 「ほんと!?」 「ハイ。ダカラ、自分ハ家族ガ無イ子ダナンテ思ワナイデクダサイネ。イツカぱぱトままト暮ラセルヨウニ、ないんト頑張リマショウ」 「うん、わかった」 イグナーツはこけた頬に儚げな微笑を浮かべ、抱きしめてくれる古いロボットを抱きしめ返した。 ―・・・・・・ナイン!ナインッ!起きてよ!やだぁっ!やだぁああああっ!! |