追憶のマルガリータ‐4‐


「・・・・・・おい、イーヴァ!イーヴァってば!!」
 はっと目を開けたイーヴァルは、目の前にあった長い前髪とサイバーグラス越しに見つめてくる金色の目が、瞬時に遠のくのを見た。
「・・・・・・・・・・・・」
 あたりを見渡してみるまでもなく、そこは自分のベッドの上だった。
 目が回っているような、頭の中がどんよりと渦を巻いているような気分で、ひどく胸が重くて息苦しく、どうしようもなく悲しい気分だった。・・・・・・たぶん、最後に聞こえた、泣き叫ぶ少年の声のせいだ。あんなに身も魂も引き裂かれるような悲鳴を子供にだされては、性欲が湧くどころか気が滅入って仕方がない。
「はぁ・・・・・・」
「大丈夫か?」
「・・・・・・最悪だ」
「ずいぶんうなされてたぞ」
 イグナーツは肩をすくめると、ベッドから降りて寝室を出て行った。
(夢・・・・・・?)
 そう、夢を見ていたはずだ。見たはずのないことが、まるで、実際にあったことのような・・・・・・。
(イグナーツなのか?・・・・・・あれが、俺の見たかった夢?まさか)
 ところどころぼんやりとしてきたが、夢の内容を覚えている限りでは、幼少時のイグナーツと、その世話をしていたロボットが出てきた。妙にリアルで、まるで本当に・・・・・・。
 その時、イグナーツが水を湛えたグラスを持って寝室に戻ってきた。
「ほい」
「・・・・・・悪いな」
 グラスを受け取って飲み干すと、若干ひいたイグナーツに見つめられていた。
「なんだ」
「・・・・・・なんか、イーヴァが弱ってて気持ち悪い。本当に大丈夫か?」
 気持ち悪いとはずいぶんな言われようだが、イグナーツは本気で心配しているらしい。イーヴァルは空のグラスをイグナーツに突き返し、まだゆるい眩暈のする頭をクッションに埋めた。
「イグナーツ」
「ん?」
 さっさとグラスをキッチンに戻してきたイグナーツを手招きして、イーヴァルはベッドに上がった細い身体を抱きしめた。
「な、なんだよ。ほんとに熱でもあるんじゃないか?」
「うるさい、黙れ」
 イグナーツはイーヴァルが風邪を引いて倒れた時のことを思い出したのか、不安そうに身じろぎをしたが、イーヴァルはそれを抑え込み、さらさらとした銀髪を撫でた。
 指の間をすり抜ける髪は、もう、あの頃ほどの、絹糸のような白さはないし、柔らかくもない。胸に感じる身体は、余裕のあるふくよかさはないが、脆弱で簡単に折れそうな、病的な細さではない。
「イーヴァ・・・・・・」
 それが癖なのか、イグナーツはイーヴァルが抱きしめてやると、いつもしがみついてくる。そして、イーヴァルの胸に額や頬を擦り付けて甘える。
(まったく・・・・・・俺は何処にも行かんというのに・・・・・・)
 イーヴァルは両腕にイグナーツを抱え込み、しばらくそのまま撫でていたが、いつのまにか、今度は夢の無い眠りに落ちて行った。


―数日後。
 明るいオフィスにイグナーツを呼び出し、イーヴァルは凸凹の多い巨大真珠状の物体を返した。
「残念ながら、素材にはあまり向かなかった」
「服の材料にするつもりだったのか・・・・・・まあ、イーヴァらしいけど・・・・・・ん?」
「どうした」
 イーヴァルはイグナーツがその巨大真珠を持って首をかしげた原因をわかってはいたが、知らないふりをした。
「いや、なんか・・・・・・もっと軽かったような気がしただけ。それに、ちょっと綺麗になってる」
「鑑定のために、多少洗浄はした」
「ああ、そっか」
 イグナーツは頷いたが、以前よりも明らかに凸凹が減っているのを、イーヴァルは気付いていた。
「それから、見たい夢を見られるというあの話だが、なんとなくわかった」
「えっ・・・・・・」
 驚いたイグナーツの表情が、嬉しいというよりもどこかばつが悪そうだったので、イーヴァルは視線で理由を問いただした。
「あ・・・・・・いや、この前のイーヴァ、うなされてたから・・・・・・。悪い夢、見させたんだと思ってた」
「別に悪い夢ではなかったぞ。それに、見てみたいと思っていたモノも見られた。多少、もどかしい夢ではあったが」
 怪訝な顔をするイグナーツに、イーヴァルは私見を述べた。
「見たい夢が、安易に現実になるものは、おそらく見られない。実現するのが難しい、あるいは自分が関われないものに関しては、見られるようだ。焔にも試させたから、信用度は多少上がっただろう。ただその真珠を調べたが、ウォパル産の標準的な真珠とほぼ同じ成分と構成組織を持っていて、多少フォトン濃度が高い以外は、特別目新しい調査結果はなかった」
 イーヴァルは驚きで声の出せないイグナーツを招きよせ、オフィスチェアの側にかがませると、わしゃわしゃと頭を撫でた。
「システムが不明である以上、ウォパル住民の言う通りの縁起物である域を出ないな。だが、効果がまったくないわけではなかった」
「イーヴァ・・・・・・」
 嬉しいような戸惑ったような顔をしているイグナーツを、イーヴァルは抱き寄せた。
「お前の望みは簡単すぎだ」
「イーヴァ・・・・・・え?」
 かちゃん、という音に、イグナーツは慌ててイーヴァルの腕から逃げようとしたが、もう遅い。
「なんだこれえええええええええっ!!!!!」
 イグナーツの首輪に、しっかりと犬用のリードがはまり、その端をイーヴァルが握っていた。
「おいこら、取れ!」
「お前がいつでも俺のそばにいないと、撫でるのも抱きしめるのもできないだろう」
「だからって・・・・・・っ!ああ、もう!!アンタの考えることは常識から外れてるんだよ!!」
「お前に言われたくはない」
 ぎゅあぎゃあと騒ぐイグナーツと、せめてイーヴァルの部屋でやるという妥協案で合意し、イーヴァルはリードを取ってやった。
「用はそれだけだなっ、帰る!」
 巨大真珠を掴んでイグナーツが社長室から飛び出して行くと、イーヴァルはモニターを開き、メモリーの中から一つのファイルを呼び出した。だが、そのファイルを開くことは出来なかった。
 パスワードは間違っていないのだが、データ自体が破損し、二度と見ることができなくなっていた。先日、あの夢を見た後に気になって呼び出しては見たのだが、その時にはすでに、この状態だった。
 ナインの亡霊がデータを保存されて余人にみられるのを良しとしなかったのか、はたまた、あの巨大真珠が喰ったのか・・・・・・そんな夢想が頭をよぎり、くだらないとイーヴァルはため息をついた。
 「落流に打たれて生まれた真珠にはウォパルの加護がある」という言い伝えは、少し調べればすぐに出てきた。たしかにウォパルでは、落流の後に見つけた真珠は見たい夢が見られる縁起物とされているようだが、ウォパルの加護も実際に夢を見るのも、科学的な根拠もなければ、特定される正確なパラメータもなく、すなわち実在すらも怪しいものだった。
(・・・・・・・・・・・・)
 だが、ほとんど強制的に見せられた、あの妙にリアルな夢を、イーヴァルは否定する気にはなれなかった。たとえ、あらかじめ見ていたデータを、自分の脳が勝手に再構築してみせたのだったとしても。
 破損したデータを消去してモニターを閉じると、イーヴァルはチェアに背を預け、目をつむって古い流行歌をハミングした。自分の幼少時のことなど思い出したくもないが、「パニック・アイズ」の実験に付き合わされて衰弱した幼児がねだった歌を思い出すのはやぶさかではなかった。
(お前の望みは簡単すぎる、イグナーツ・・・・・・)
 不自由のない生活も、歌も、温もりも、家族も、愛も、すべてイーヴァルが与えることができた。
(そうだな、あとは・・・・・・俺が死ぬ前に殺してやるぐらいか)
 また気が滅入るような声で泣き叫ばれるのは、不本意だ。いくらイーヴァルがイグナーツにとっての最愛だったとしても、イーヴァルが泣かそうと思って泣かせているわけではない状況は、実に遺憾だ。そして他人にイグナーツの泣き顔を見せるのも嫌だ。あれはイーヴァルだけのものだ。
 くすくすと唇に笑みを刻んだイーヴァルの、これが、おそらく愛情と呼べるものだった。






 穏やかな光の中、腕を伸ばしても届きそうにない。

―あのね、ナイン・・・・・・俺、好きな人ができたんだ。

 ずんぐりとしたテルテル坊主の頭部が回転し、LED板が笑顔を描いた。