追憶のマルガリータ‐1‐


 その日、イーヴァルは知り合いに依頼していた案件の成果が芳しくないと報告を受けて、自分のデスクに頬杖をついたまま、形のよい眉をひそめた。
「そんなに古いのか」
『そもそも半世紀近く前に稼働していたロボットの機種なんだ。この個体が最後の一体だったとしても、壊れたのが十年以上前だろ?記憶媒体がいまと違っていて、私が探し当てたオリジナルは再生すら難しい。アーカイヴのコピーも、状態が良くなくてな。なんとかサルベージできたのは、わずかな看護記録と十数秒の音声データのみだ』
 イーヴァルは舌打ちを堪えて、暗号化されて送られてきたデータを保存した。
「ご苦労だったな」
『まったくだ。なんで私がこんな情報屋みたいな危ないことをせねばならん』
 イーヴァルにぶぅたれた相手は個人病院を経営しており、以前はよくイーヴァルがめちゃくちゃに傷めつけた人間を、高額で回収、治療していた。
「貴様が一番の適任だと思ったのでな」
『君に褒められてもうれしくないぞ』
「報酬はいつもの口座でいいな?」
『毎度あり』
 取れるところからは搾り取るをモットーにした強欲な守銭奴でも、表向きは、無いところからは取らない、弱者を労わる立派な医者をやっていられるのだから不思議だ。たぶん、神経が建造用の極太ワイヤーで出来ているか、小奇麗な面の皮がシップの外壁並みの厚さなのだろう。
 相手との通信が切れると同時に、イーヴァルはすぐに通話記録を抹消した。個人所有の専用ハブを使っているとはいえ、万が一にも余人に追跡されては困る。
(さて・・・・・・)
 大金を支払って調査させはしたが、何故そんなことをしたのか、イーヴァル自身にも明確な理由はなかった。・・・・・・しいて言えば、独占欲の発露、だろうか。
 データの暗号を解くと、たしかに乳幼児の看護記録が出てきたが、やはり量が少ないうえに年月が飛び飛びで、虫食いの空白だらけだった。
(ずいぶん味気ない育児日記だな)
 読み取れるのはバイタルデータや投薬記録ばかりで、食事の献立や遊戯記録と思われるデータもあったが、残念ながらほとんど壊れて見えなかった。
 音声データを再生してみると、ノイズに交じって安っぽい音のメロディーがかすかに流れてきたが、イーヴァルが曲名を思い出そうとしたところで、唐突に切れた。
(・・・・・・子守唄代わり、か?)
 中途半端な部分のメロディーだったので、はっきりとは断言できないが、童謡か、子供向けの古い流行歌だった気がする。何度か聞けば、曲名か関連するものを思い出すかもしれない。
(まあ、いい)
 そこまでして思い出すほどのものでもないだろうし、わざわざ同じ曲を探すつもりもなかった。だいたい、必ず思い出せる自信すらなかった。
 このデータを得て、何かをしたかったわけではない。ただ、わずかな手がかりがあったから、それを探る手段があったから・・・・・・。
 イーヴァルは再びデータを暗号化させると、それを自分のメモリーの奥深くにしまい込み、データの中の幼児が好きな果実の名前をパスワードにして封印した。数千万メセタをつぎ込んで得た情報は、ものの数分で、表面上忘れさられることになった。


――数か月後。
 半月ぶりにやってきたイグナーツは、新しい足枷と鎖の具合を早く確かめたいイーヴァルに、「あげる」とこぶし大の白っぽい物体をよこした。
「なんだこれは?」
「惑星ウォパルで拾ったんだ」
 それは、凸凹や傷汚れは多いものの、巨大な真珠のように見えた。しかし、見た目よりもずいぶん軽いように思える。
「見たい夢を見せてくれる、縁起が良くて珍しい物だって、ウォパルの住人は言ってたけど・・・・・・」
「・・・・・・けど?」
 あまり歯切れのよくないイグナーツに視線を向けると、やはり少し唇を曲げていた。
「俺は見たい夢見られなかった。一週間ぐらい、毎晩お願いしてるのにさー」
「・・・・・・で、なぜお前はこのガラクタを俺に持ってきたのだ」
「イーヴァが見たい夢見れたら、偽物じゃないって証明できるだろ?」
「お前の見たい夢は見せてくれなかったが?」
「それはそれで悔しいけど、わざわざ持って帰ってきた意味がないってほうが、なんかムカつくの!」
 相変わらずイグナーツの思考視点は、イーヴァルにはよくわからない。
「イグナーツ、縁起物というのは、必ずしも科学的な根拠があるわけではない、というのをわきまえているか?よくいままで詐欺にひっかからないで生きてこられたな。それとも、ひっかかっていることに気付いていないのか・・・・・・」
「なんだとーっ!?それじゃ、俺が単純バカみたいじゃないか!」
 ぎゃあぎゃあとうるさいイグナーツを無視して、イーヴァルは大きさの割に軽い不細工な巨大真珠をテーブルの上に置いた。来歴やいわれはともかく、服飾の材料に適しているかを、あとで調べておこうと思ったのだ。
「ところで、お前の見たい夢とは、どんなものだ」
「あー?興味あんの?」
「くだらなかったら予想通りだし、万が一面白かったら珍しく有意義な時間を持てたと誉めてやろう」
「ものすごく馬鹿にされているのはわかった!」
 ふんっ、とイグナーツはそっぽを向き、さっさと服を脱いで檻の中にすすんで入っていった。入ってはいったが、へそを曲げているのは確かで、イーヴァルの方を向こうとしない。
 以前イーヴァルのシャツを持って籠城した時から、どうもイグナーツは、この檻を拗ねた時の閉じこもり部屋代わりにしているようだ。ここならイーヴァルの目も声も届くし、檻の中にイグナーツを入れておきたいと言い出したのはイーヴァルなので、たいして文句も言われないと思っているのだろう。
 事実、それに近いことをイーヴァルは認めざるを得ない。そういう使い方をしたいんじゃない、と思ってはいても。
「せめて、どういう夢を願っても見られないのかぐらい教えろ。そうでないと、お前の欲しい証明もできないだろうが」
「・・・・・・ぅー」
 微妙に角度を変えた言い回しに、背を向けて座り込んでいるイグナーツの長い耳の先が揺れた。やがて、前髪やサイバーグラスで遮られているとはいえ、十中八九ジト目をしているだろう雰囲気で、少しだけイーヴァルを振り向いた。
「・・・・・・イーヴァが優しくし撫でたり、ぎゅぅってしたりしてくれる夢だよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「なんだよ、その聞いて損した的な顔は!!」
 あまりにもくだらなかったのでな、という言葉を、イーヴァルは寸前で飲み込んだ。これ以上イグナーツに拗ねられると、イーヴァルの忍耐が先に尽きそうだ。
「撫でてほしければ言えばいいと、何度も言っているだろうが、この低能!お前の頭は学習するということが無いのか!?」
「そうじゃねーよ!俺がなんも言わなくても、なんでもなくても、いつでも、撫でたりぎゅぅってしてしたりしてほしいの!イーヴァの空いてる時間に、適当に撫でてほしいの!起きてても夢の中でも、ぎゅぅってして欲しいんだよ!!」
「適当なのはお前の要求だ。なんだ、その非効率的で非科学的かつ果てしない無駄は。そんなにくっついていても、何もならんだろうが」
「いいの!無駄じゃねえ!むしろ、溢れるぐらいくれ!!」
 溢れるってどういう表現だ、とイーヴァルはそこで思考を止めた。イグナーツに付き合っていると、自分のボキャブラリーが低レベルなものに侵食されるような気がしてくる。
「まったく・・・・・・わがままな子供だな」
「ふんっ、だから夢の中だけでいいっつってんだよ!どうせイーヴァはそういうのしてくんないからな」
 ため息をついたイーヴァルに、イグナーツは期待していないとまた顔をそむけた。
(こいつ・・・・・・)
 たしかにイーヴァルは、四六時中ベタベタとくっついていたいとは思わないし、イグナーツがイーヴァルのそういうところを理解して遠慮しているのは知っていたが、だからといって無理だと決めつけられるのは癪にさわった。何事も、決めるのはイーヴァルであって、イグナーツではない。
 イーヴァルは遊び道具を手に狭い檻の中へ入り、イグナーツが身構える前に手早く首輪に繋いだ。
「ぐえっ」
 カシャン、と音を立てたのは、イグナーツの首輪と繋がった鎖の端で、檻の柵のひとつに固定していた。
「うぅぅ〜っ!」
「いい格好だな」
 鎖が繋がった柵の位置は低く、かといって床には落ちず、イグナーツに座ると寝転がるとの間の、中途半端な姿勢を強いていた。
「変態ッ!」
「その変態に撫でて欲しがるお前は何だ」
「だってイーヴァが好きなんだもん。悪いかよ」
「・・・・・・・・・・・・」
 悪くはないが、少々卑怯な答え方だとイグナーツは自覚していだろうか。イーヴァルはため息をついて、譲歩してやった。
「・・・・・・わかった、わかった。今夜泊まるなら、お前が眠るまで撫でてやる」
「ほんと!?うん!じゃあ、泊まる」
 ぱっと明るい笑顔になったイグナーツが現金かと言えば、いつも行為が終われば帰ろうとするイグナーツを上手く引きとめられたイーヴァルの策が上だったとも言えそうだ。
 もっとも、こんなふうにイグナーツに振り回される自分に、イーヴァルは苛立ちや侮蔑を感じながらもどこか楽しんでいる事実があり、奇妙な困惑を覚えていた。いや、今はそんなことよりも、目の前の獲物をいたぶることが大事だ。そうとも、いままでの相手が簡単すぎたのだ。イグナーツはいろいろな意味で、特別な獲物だ。
「その前に、いい声で鳴いて、俺を満足させるんだな」
「わーったよ。で、今日はなにすんだ?」
 イーヴァルの要望にはすっかり慣れた様子のイグナーツだが、枷で足まで檻に繋がれた不自由な体勢で、ハリのある肉体に錐を突き立てられるたびに上げる悲鳴は、相変わらず新鮮で、イーヴァルに心地よい快楽を提供してくれた。