キャラメルと包み紙‐1‐


 イグナーツは人通りの多いロビーを足早に歩いていたが、聞き覚えのある声に呼びかけられて立ち止まった。
「久しぶりだなぁ」
「よう、アゼル。元気だった?」
 イグナーツを呼び止めたのは、夜明け前の空色の髪をしたニューマンの青年だった。大きな目は少したれ気味で泣きぼくろがあり、童顔と言うほどではないが、柔らかな印象の面立ちだ。フロンティアウイングという珍しくも色気のある装いは、彼のアークスとしての実力とあけすけな人柄をスマートに表しているようだ。
 イグナーツはアゼルとは、まあ友人と言っていい付き合いだったが、それほど深く親しいと言うほどではなかった。肉体関係を除けば。
「元気元気。しっかし、ほんとゴブサタじゃーん」
「ちょっと忙しくてなー」
 どちらかと言うと、アゼルの方が友人が多くて、ADだの緊急だのとアークスとして活動的だ。イグナーツはアゼルほどのハンターレベルはないので、そこまで付き合いで行くこともない。アークスの戦力として誘われるというよりも、知り合ったきっかけと同じく、体目当てのお誘いの方が多いのだ。
「彼女でも出来たかー?あ、ナッツの場合は彼氏か?」
「彼氏・・・・・・うーん、まあ、そうかなぁ」
「マジ!?」
 大げさに驚いて見せるアゼルに、イグナーツは少し困ったように微笑んだ。おそらく、世間的には恋人と言っていい関係にはなれたのだろうが、世間一般の恋人という関係に当てはめてもいいものかと、イグナーツは相変わらず首を傾げる次第だ。自分とイーヴァルが対等の立場だと言い切れる自信がない。
「甘ったれナッツの彼氏っつうことは、年上だろ?」
「そうだよ、わりぃか」
「悪かねえよ。ふうん、ちょぉっとふっくらしたかなーって思ったら、幸せ太りか、コノヤロウ」
「えっ・・・・・・そんなに太ったか?」
「前が痩せすぎだったんだよ。年上ってことは、金持ってそうだなぁ。良い物食わして貰ってんだろ?」
 こいつ羨ましいとアゼルはからかうが、本当にイグナーツを羨ましがっているわけではない。アゼルの懐は十分に余裕があったし、体の相手にも不自由していない。なにより、アークスとして自由気ままにダーカーを殺戮して、ダーカーに侵食されたものを足蹴にしているのが好きな男なのだ。
 アゼルが仲間たちとつるんでいるグループには、妙な噂があった。ダークファルスですら輪姦したことがあるという、にわかには信じがたいものなのだが、以前イグナーツがそれとなくアゼルに聞いてみたところ、「上級者って言うのは、ファルスアームに扱かせるとか、侵食戦闘機に突っ込んでヤるやつとかのことだぜ」と真顔で返されたので、あながち誇張されすぎと言うほどでもなさそうだ。世間的には「マジキチ」と眉を顰められる集団と言って、差し支えない。
「まあ、良い物は食べさせてもらってるし、あいつが俺を太らせようとしているのは確かだよ」
「なんだよ、らぶらぶだなー。ちょっかい出したくなるー・・・・・・ん?なにこのチョーカー?オサレじゃーん。もしかして、これも買ってもらった?」
 イグナーツの肩に腕を回し、悪戯っぽいというには危険な光をはらんだアゼルの笑顔に、イグナーツは真面目な顔で首を傾げた。
「うーん、一応プレゼントかな?俺はもう、とりあえずあいつ以外のやつとする気はないし・・・・・・。それにちょっかい出すっても、あいつ、アゼルには苦手なタイプじゃないかな」
「なんだそれ」
「あいつ、ドSだよ。これもチョーカーじゃなくて、く・び・わ」
 イグナーツの首には、『レイヴン』のロゴが入ったチョーカー・・・・・・もとい、首輪がはまっている。イグナーツの目の色をイメージした、黄色い宝石のチャームも付いており、イーヴァル入魂のデザインといっていい。
 先日、何を思ったかまたイグナーツの目を見ようとして機嫌を損ねられたイーヴァルが、仲直りをしたついでに、柄違いに三本もイグナーツに渡したうちのひとつだ。もうイグナーツの目に関して強硬なことをしないと、ゆびきりして約束したので、イグナーツはこの首輪に関してはイーヴァルの気のすむようにしていた。
 イグナーツがグローブを外してアゼルに見せると、薬指に指輪がある手のひらと甲に、それぞれ傷痕が残っていた。ひきつり肉が盛り上がっていただろう傷痕は、もう皮膚が変色している程度だったが、それでも当時の酷さがうかがえた。
「うっわぁ・・・・・・。ちょっとこの指輪も気になるけど、なんだこれ。貫通してんじゃん」
「これは結構前だな。ナイフでもやってたけど、最後は両手両足、杭で貫通した。最近はピアッシングするの少なくなってきたけど、それでも肩とか脚とか錐で刺されるよ。今日これから行くから、体の他の傷も、いまはあんまり生々しくないよ。見る?」
「うぇぇっ、いやいやいや・・・・・・お前さん、いじめられるの好きだっけ?」
「んなわけねえ。あいつはアゼルと違って、俺がして欲しいって言えば、ちゃんと満足するまでぎゅぅってしてくれるからな。いじめられてるわけじゃねえ」
 イグナーツの基準にアゼルは一瞬渋い顔をしたが、たしかにイグナーツの言う通りではあるので、新たに口は挟まなかった。
「プレゼントくれるし、美味しいもの食べさせてくれるけど、それよりも、ちゃんと撫でて、ぎゅぅってしてくれるから、痛くても我慢してんの」
「はあぁ〜」
「指輪は、お揃いの物が欲しいって言ったら、作ってくれたんだ。えへへっ、いいだろ」
 素体の指輪は、イグナーツが用意してあった。ただ、イーヴァルに言い出す前に見つかってしまって取り上げられ、アレンジされて戻ってきた。元々金一色だったシンプルな指輪は、漆黒の石に縁どられ、内側に二人の名前が刻まれていた。もちろん、サイズ違いの同じ物が、イーヴァルの指にはまっている。
「一応、あいつなりに、俺を大事にしてくれているらしいよ。・・・・・・自分の所有物として、だと思うけど」
「いやいや、それけっこう愛されるって」
「・・・・・・あ、い?」
 自分に馴染みのない単語に、イグナーツは思わずきょとんと聞き返したが、アゼルはなにやらしきりにうなずいている。
「破れ鍋に綴じぶ・・・・・・あ、いや、そうじゃなくて。互いの要望を言い合って、互いに受け入れられているっていうのは、かなりいい部類じゃねえの?しかも、ナッツの彼氏は、ナッツがして欲しいことを、面倒くさがらずにしてくれるんだろ?」
「う、うん・・・・・・」
「おう、大事にされているぜ。心配ねえ」
「・・・・・・そう?」
 大丈夫だ、とアゼルが太鼓判を押してくれると、イグナーツもなんだか嬉しくなる。あのわがままイーヴァルが、客観的に見てもイグナーツを大事にしてくれているとわかると、なんだか照れくさい。
「まあ、そういうわけで、俺はもうあいつがいればいいな」
「ナッツさんはイチヌケかぁ」
「アゼルも無茶ばっかして、変な病気拾ってくるなよ?」
「あはは。ご心配ありがとう。そっちこそ、アークス辞めなきゃならんほど壊されんなよ」
「わかってるよ」
 また今度遊ぼう、と手を振るアゼルに手を振り返し、イグナーツはアークスロビーの出口に向かって、また足早に歩みを進め始めた。
(あい、かぁ・・・・・・)
 イグナーツは知識として、愛の概念は持っているが、それが自身にどう関係し、どう影響するものなのかは、さっぱりわかっていなかった。おおよそ、味方への感情とか、自分よりも脆弱なものを庇護しなければとか、そういう他の言葉でも言い換えられそうなものでしか、イグナーツの中には存在していない。
(俺は、イーヴァに愛されている・・・・・・んだ?)
 アゼルが言うにはそうらしいのだが、どの辺が「愛されている」のか、イグナーツにはよくわからない。マナーを教えられながら美味しいものを一緒に食べるあたりだろうか、それとも、誕生日にイグナーツの要望を聞き入れてくれたあたりだろうか・・・・・・。
 考えながら歩いていたので、せっかく来ていた迎車を通り過ぎるところだった。
「わあ、すみません」
「いえいえ」
 いつもの運転手に声をかけられて気付き、イグナーツは慌てて車に乗り込んだ。すわり心地のいいシートは、元気なイグナーツも、イーヴァルに怪我をさせられたイグナーツも、いつでも変わらずに乗せて、送り迎えしてくれている。
(ま、考えたってしょうがない)
 愛されているというのは、愛されていないよりも、ずっといいはずだとイグナーツは認識している。それがどんな形であれ、イーヴァルがイグナーツに「イグナーツであれ」と接してくれているのだから、イグナーツには文句などあり様がなかった。
 痛いスキンシップに付き合うのは、そのオマケでしかない。イグナーツがイーヴァルに返せるものと言ったら、実際そのぐらいしかないのだ。