ペルソナ特務機関 −1−


 真田明彦がその噂話を聞いたのは、一ヶ月ほど前のことだった。
『元怪盗団が警察庁にいる』
 犯罪者が警察官になれるはずないだろうと首を傾げたが、それよりも不思議な語感にぽろりと疑問が口から出た。
「怪盗団ってなんだ?強盗団ではなく?」
「真田さん、知らないんですか?ほら、何年か前にすごく有名になったじゃないですか、心の怪盗団って!」
「たしか、電波ジャックもやりましたよ。国会議員の誰かと戦ったんじゃなかったっけ?」
「それそれ!予告状ってあったよな、懐かしい〜!」
 言われてみれば、そんなことがあったような気がするが、記憶が定かではない。明彦は休憩中に職員がたむろしている自販機の前から自分のデスクに戻り、心の怪盗団について調べた。
 結果、ちょうど明彦は別件で忙しくしていた時期で関わっていなかっただけで、警察内でも相当揉めた事件だったようだ。捕らえたはずの容疑者が死亡したと発表までしておいて、実は脱走されていたなどという、顔を覆いたくなる醜聞まで出てきた。
 その怪盗団の元メンバーの一人が、警察官になっているという。警察が一時でも捕えていたのは、怪盗団のリーダーと目される少年で、彼はその後、自ら出頭して司法取引による証言をした後、元々負わされていた傷害罪も冤罪と判明し、釈放されている。怪盗団のメンバーと思しき、当時高校生だった男女数名は、その後も公安警察の監視下に置かれていたが、最近は元リーダーを除いて、監視はほぼ解かれているようだ。
 警察官になったのは、そのうちの一人。公安も把握しており、警察上層部も黙認している。
(つまり、目の届くところに置いておきたいということか)
 実質、監視と変わらない。警察の動きが漏れる危険よりも、仲間を人質として、リーダーの動きを牽制させたいというところだろう。
(馬鹿な。自ら進んで警官になるような人間や、それを率いていた人物が、その程度の危険を計算しないと思うか)
 それに、この手の人間は、絶対に仲間を裏切らない。自分が身を置く秩序と、仲間との絆は、完全に別物ととらえるはずだ。仲間を裏切るくらいなら、法律などクソくらえと高笑いするだろう。現在の明彦では躊躇ってしまう様なことも、彼らならやるにちがいない。
 明彦は怪盗団に関する資料を読み込み、さらに添付されていた興味深い研究資料と証言調書を熟読して、頭に叩き込んだ。
(『認知訶学』に証明される『異世界』。そこでは強い意志の力でしか戦うことが出来ない・・・・・・強い意志の力『ペルソナ』か)
 『ペルソナ』使いは必然的にシャドウとの戦いに巻き込まれる。彼らもそうだっただろう。他人の心を操るという怪盗団に恐れはない。むしろ、同じような経験をした人間が近くにいたことに、胸が躍るようだ。
 明彦は頃合いを見て、組織犯罪対策企画課のドアをノックした。機能的に並んだデスクの向こうから、眼鏡をかけた恰幅の良い男が立ち上がる。
「真田警視長。なにか?」
「課長、こちらに新島真警部補がいると伺ったのですが、彼女を少しお借りしても?」
「え、ああ・・・・・・」
 明らかに驚いた様子で眼鏡の奥の細い目がしばたかれ、「新島君」と太い声で呼ばわる。
「はい」
 積み上げられたファイルの山から、すらりとした若い女性が立ち上がった。律動的な歩調で近付いてきたパンツスーツは、明彦の前でビシッと敬礼をする。ショートボブに包まれた卵型の美貌は、意志の強そうな目鼻立ちに加え、引き結ばれた唇から発せられる声までもが凛としている。
「新島です」
「こちら、真田警視長。君に話があるそうだ」
 機械的に返礼したものの、思っていた以上に生真面目な印象の真に、明彦はすぐに言葉が出てこなかった。とても警察に追われるようなことをする人間には見えない。
「真田です。突然申し訳ない。少し、話を聞かせてくれ」
「はい」
 明彦は確保していた小会議室に真を招き、差し向かいで座った。
「単刀直入に聞くが、君はペルソナ使いだな?」
 大きな深緋色の目は、一瞬見開かれた後、怪訝そうに眇められる。
「おっしゃる意味が分かりません」
「六年前、『心の怪盗団』と名乗る一味が暗躍し、警察の手が届かない悪事が暴かれ、幾人もの悪党が『改心』させられた。しかし怪盗団はリーダーの出頭と共に解散、そして、数々の証言を残してリーダーも釈放されている。・・・・・・当時の私は関われなかったが、君の噂を聞いて資料を発掘してきたよ。ずいぶん念入りに隠されていた、というか、忘れさせようとしているようだった。まあ、警察の不祥事が山盛りだったからな」
「・・・・・・・・・・・・」
「話を戻そう。君たち『心の怪盗団』は、シャドウと戦うことのできるペルソナ使いだった。違うか?」
 明彦が見つめる前で、真も真っ直ぐに明彦を見つめ返していた。そして、やや迷惑そうに、眉間にしわが寄っている。
「警視長は、なにか誤解されているようです」
「誤解?」
「どんな噂をお聞きになったか知りませんが、六年前の私は高校三年生。受験の準備で忙しくて、遊んでいる暇なんてありませんでした」
「そうか。俺は高校三年生の時も、シャドウと戦っていたがな」
 それでも真の眼差しは剣呑になるばかりで、無言のまま明彦の話には乗ってこなかった。
「・・・・・・いや、時間を取らせてすまなかった。戻って構わない」
「失礼します」
 真は非の打ちどころのない、完璧な敬礼を明彦に見せて、小会議室を出ていった。
「・・・・・・ふふっ、なかなかのタマだ」
 怪盗団のリーダーは、警察の取り調べを受けても、仲間に関する一切に口を閉ざしていた。特捜や公安の調べにより、怪盗団のメンバーとその協力者の一部には目星がついていたが、それを証明することは出来なかった。
 いまここで真が肯定したら、体を張って仲間を守り通したリーダーの苦労が水の泡になる。実に正しい判断と度胸だ。それに、絶対に仲間を裏切らない、という明彦の見込み通りともいえる。
(彼女なら、もう一度作れるかもしれない)
 かつて明彦が有志と共に作ったが、もう必要ないと解体されてしまった組織がある。しかし、この世界には明彦の知らない事象により出現したペルソナ使いと事件が、まだまだあるに違いない。
 命がけで戦わざるを得ない彼らをサポートできる、大人や公共機関が、いつかきっと必要になる。明彦は、そう確信していた。


 難しい顔をしたまま溜息をつく真に、ティーカップを持った春は目を丸くして応えた。
「えっ、それじゃあ、私たちよりも前に、ペルソナを使える人がいたの?」
「・・・・・・そういうことなんでしょうね」
 昼間明彦に呼び出された真は、夜になって家に帰ってきても、ああ言えばよかったか、もっとやりようがあったのではないかと、悶々としていた。
「だけど、あそこで私がペルソナを使えて、怪盗団にいたって言うわけにはいかなかった」
「そうだよね。表向きは、私たち関係ないことになっているし・・・・・・」
 佐倉双葉が徹底的に盗聴の危険を排除したマンションに、真と一緒に住んでいる奥村春になら相談できるが、外では不用意なことをしゃべれない。
 六年前のあの時、リーダー一人に責任を押し付けるような形で切り抜けてしまったが、その話を持ち掛けたのは真の姉の冴である上に、どんなに考えてもそれが最良の選択だったとわかっているが故に、真の苦悩も大きい。仲間たちと協力し合いリーダーは無事に取り返せたが、ふとした拍子に自責が胸を突くのは、何年たっても変わらない。
「でも、怪盗団だったことを関係なしに、ペルソナの話だけは聞いてみたいな。もう使えないってわかっていても、ペルソナが使えたっていうことが、いまでも自信になっている気がするから」
「そうなのよね。・・・・・・はぁ、どうしよう」
 同じ職場にいる上に、相手の方がずっと階級が上であることを考えると、いつまでも逃げ切れるとは思えない。むこうが怪盗団のことではなく、いきなりペルソナの話を持ち出したことも気にかかる。
「ねえ、マコちゃん。昂君に相談したら?」
「でも・・・・・・」
「みんなを巻き込みたくない、また警察の監視にさらされるかも、って思っているんでしょ?」
 ふふふっと柔らかく笑った春は、真の危惧を正確に見抜いてみせた。
「そんなこと、みんなは気にしないと思うよ。それよりも、水臭いって怒ると思う。マコちゃんだって、あの時昂君が誰にも相談しないで一人で行っちゃって、悔しかったでしょ?」
 春の言うとおりだ。仲間が困っていると聞けば、彼らは早く相談しろというだろう。自分でもそう言う、と真は腹をくくった。
「そうね。でも、このタイミングで私が接触したら怪しまれるわ」
 仲間のSNSはまだ生きているが、相手の真意もわからないこの状態と、真の職場のことを考えると、いきなり騒ぎになるような大きすぎる動きは避けたい。真が一人で抱え込まない選択をすると、春は嬉しそうに手を打った。
「私がルブランに行くわ!そこから双葉ちゃんに連絡を付ければいいんじゃないかしら?」
「お願いできる?」
「任せておいて」
 柔らかな頬をにっこりとほころばせ、春は可憐に咲く花のように微笑んで請け負った。

 真のPCに真田明彦の資料が送られてきたのは、それから一週間もしない内だった。
『いや、けっこうガード堅かったわぁ』
『警察庁のデータバンク?』
『そっちも浚ったけど、真パイセンの話だと高三の時にペルソナ使ってたらしいから。そこまで遡ってたら、大財閥桐条グループの極秘研究資料まで出てきてさぁ。まあ、詳しくはお手元の資料をどうぞ』
 天才ハッカー佐倉双葉にかかれば、どんなプロテクトも意味を成さないようだ。
『学生の時から文武両道、真と同じで、優秀な人だな』
『からかわないで。二十代で参事官になるような人よ。彼は本物のエリート』
 双葉主催のチャットルームに流れるリーダーの言葉に、真は思わず頬が熱くなる。
『なるほど、ずいぶん前から、ペルソナの存在は知られていたんだな』
『でぇも、人為的に引き出すとかくっつけるとか、ムチャクチャだな』
『私たちが異世界でのみ、怪盗としてペルソナが使えたのは、かえってよかったのかもしれないわね』
 やろうと思えば、いくらでも悪事をすることが出来る力だ。自分たちには、善人ぶる悪人に対するアンチテーゼという立場を貫くことが出来たが、利用したいと思う人間が後を絶たないのは否めないだろう。
『・・・・・・この、参事官を解任されているというのは、「ペルソナ特務機関」の解体のせいかな?』
『おそらくそうでしょう。なにがあったのかはわからないけど』
『それな。どこにも記録がないんだよねー。機密扱いっていうより、ほとんど存在自体が空気。担当した人間だけが知ってるようなものなんじゃないかなぁ』
『なら、やっぱり当人に聞くしかないか』
 リーダーはあっさりと判断を下し、真が一番やりやすいようにと了承した。
『ごめんなさい』
『謝ることないよ。それよりも、真が今の職を追われてしまう方が心配だ。この真田という人が、本当にペルソナ使いなら、きっと真の待遇も良くなるんじゃない?』
 職場でいびられてるでしょ、と言外に気を遣ってくれる優しさに、真は苦笑いを溢すしかない。
『どうかしら。余計に風当たりが強くなるかもしれないわよ』
『真パイセンをいびるって命知らずかよ』
『どういう意味よ、双葉』
 真は双葉が調べてくれた資料を春に預け、しばらく様子を見ることにした。明彦の経歴がだいたい分かったことだし、本当に怪盗団ではなくペルソナに関する用があれば、また向こうから接触してくることだろう。