Living Dead −5−


 困っている人がいたら助けてあげなさい、そう最初に言われた記憶は、はっきりとは思いだせない。でもたぶん、祖父か祖母に言われたような気がする。
 自分が絶対に守られていると感じる環境で、弱者を労わる道徳教育としては、ごく普通のことだっただろう。自分がされて嬉しいことをしなさい、と。
『でも、もう助けて欲しいと思っているわけじゃない』
「そうだ」
 向き合う自分自身は、無邪気なままに傷付いた自分を自嘲する。
『もう、手遅れだとわかったから』
「過去も他人も、変えることは出来ない。自分が変わるしかない」
 そうやって、自分を分けてしまった。いじけて座り込んでいるよりは、前に進むために。
『理由ならいくらでもつけられる』
「かっこ悪い自分なんて、見たくないからな」
 悔しくて悲しくて、幼児のように泣き叫びたかった。世間の理不尽には不貞腐れることもできた。だけど、自分には子として価値がないと捨てられたのは辛かった。
『悲しかったよね』
「寂しかった。悔しかったし、悲しかった。信じてもらえなくて、振り向いてもらえなくて・・・・・・苦しくて、自分は間違っていたのかと思った」
 治りかけのかさぶたを剥がした時のように、じわりと滲んだ液体がぽろぽろと滴り落ちていく。
「信じていたんだ!自分の言うことを信じてくれるって・・・・・・かばってくれるって!でも、そう思っていたのは、俺だけだった・・・・・・。本当に、馬鹿みたいだ!」
 親に迷惑をかけるバカ息子、世間体がご近所の目が、転校手続きと引っ越し準備、多額の裁判費用に慰謝料・・・・・・家に帰ってからも、自分を罵る二つの声は止まず、やがて互いを罵る声に変っていった。自分のとった行動がきっかけで、自分の周りが全て壊れていった。
「お前のせいだって、何度も言われたな・・・・・・」
『ヤルダバオトの策略に嵌るきっかけになったあの選択は、たしかに間違いだったのかもしれない。だけど、あの時の選択を間違いだと言えるほど、俺は都合のいい奴じゃない』
「うん」
 融通が利かないわけではないけれど、後ろめたい気持ちを抱えて生きていけるほど、おざなりな性質ではない。
 濡れた頬を撫でてくれるアキラの額に、昂は自分の額を押し付けた。
「ごめん。こんなことになったの、お前のせいじゃないのに・・・・・・感情のやり場が無くて、お前のせいにしてた。もうお前を責めるの止めるよ。祐介に叱られちゃった」
『別に、かっこ悪いって思ってても、恥ずかしいって思っててもいいよ。・・・・・・素直で純真で無邪気な、天使みたいに可愛い俺だったろ?』
「・・・・・・ははっ、そうだな。お前はいつも、前向きだな」
『俺はお前だもん』
 なに当たり前のこと言ってんの、と金色の目を丸くするアキラが、キラキラと光の粒になって昂に染み込んでくる。すぐには難しいかもしれないが、もう子供じみた見栄や羞恥を感じて意固地になるのはやめようと思う。
「我は汝、汝は我」
 自分の内に柔らかな部分が増えたような気がすると同時に、なにか大事な事を思い出しかけて、昂ははっと目を見開いた。

 昂はすっかり私服に着替えて水を飲んだが、自分で絞めた喉の違和感に顔をしかめた。無意識のこととはいえ・・・・・・いや、だからこそ、自分の精神的脆弱さが腹立たしい。
「ごめん、祐介。腕、痛かっただろう」
「そうだな。少し、驚いた」
「本当に、ごめん」
 申し訳なさ過ぎて、穴があったらそこで生き埋めになりたいくらいだ。しかし、下げた頭はピシリと指先で弾かれ、意外な痛さに昂は頭を押さえた。
「いたっ・・・・・・」
「まったく・・・・・・こればかりは明智に感謝しなくては」
「なんでだよ」
「昂は俺たちに弱っているところを見せないから、本当に助けが必要なところがわかりにくい」
「助けて欲しい時は、ちゃんと言っているよ?」
「何度も・・・・・・いや、言い直そう。客観的に見て本当に助けが必要なところ、だ。ついでに言うと、その助けが必要な状況に、昂自身が気付いていないのが厄介だ」
 祐介にジロリと睨まれて、昂は首をすくめる。いくら自分が最良だと思った選択でも、祐介に怒られるのはイヤだ。
「約束したぞ。お前が諦めない限り、俺も力を尽くすと」
「だけど、かっこ悪いところ見られたくない」
 世間を賑わす怪盗団のリーダーとして、誰よりも颯爽とした、隙のない華麗な戦い方を心掛けてきた。それは好きでやっていたことだから、少しも負担ではない。現実世界では極力目立たないように、大人しくしている必要があったけれど、困っている人の力にはなりたかったし、なにより、好きな人に格好悪い所なんて見せられない。
「俺、男の子だし」
「そうだな、己の力量をわきまえず無茶をするのは子供だ」
「うっ・・・・・・」
 すごい反撃で胸が痛い。さすがは皇帝のコープ、正論が容赦ない。弱点直撃でワンモアがかかる。
「俺の伝達力に難があるようだから、はっきりと言っておく。俺は昂が言う格好悪い所を見られるのは嬉しい」
「は?」
 自覚があるのはいいことだが、祐介の言いたいことがさっぱりで昂は胡乱気な目つきになる。
「馬鹿で不器用で意地悪で可愛げも意気地もなくて、みんなから憐みの眼差しを受ける俺が見たい?」
「そうではない!その・・・・・・なんと言えばいいのか」
 真剣すぎて悲壮感すら漂わせながら、祐介は適切な言葉を探して首をひねる。紙と絵筆を渡した方が早いのではないかと思わなくもないが、昂は祐介の言葉を待った。
「みんなから慕われ、頼りにされている昂を見るのは好きだ。俺たちの先頭に立って道を示したり、俺たちに寄り添って一緒に考えてくれたりすると、とても嬉しい」
「うん」
「そんな昂の助けになりたいと、思う。いや、えっと・・・・・・俺がそうしたいと思っているだけで、昂に倒れて欲しいとか思っているわけじゃない」
「ふむ?」
 なんとなく似たフレーズを直近の記憶から参照し、昂はちょっと頬が緩みそうになった。
「疲れている俺の世話を焼きたい?」
「そうだ!」
 まさに我が意を得たりとでも言いたげに、祐介は興奮気味に両腕を振り回す。
「我儘だとは思うのだが、昂の世話を他の奴には任せたくない」
「お母さんか」
「それは違う!なぜならば、俺が昂の世話になっていることの方が多いからだ!」
 祐介は堂々と言い放ち、それはまったく正しい認識でもある。絵を描くことに夢中で、その他がなおざりになってしまう祐介を、一から十まで世話して毎日眺めて、ついでに他人の目には触れさせたくないとまで思っている昂だから。
「だが、昂だって俺たちと同じ人間だ。疲れないはずがない。・・・・・・それなのに、昂はいつも気を使って、何でもないように振る舞う。それは、嫌だ。俺の前では、ちゃんと疲れた、休みたいって言って欲しい」
 それは甘えて欲しいということだろうか。祐介の優しさは嬉しいが、まだ思いを伝えられていない昂は、何と答えたらよいのかわからない。
「俺には肉親がいないし、兄弟弟子や・・・・・・育ての親にも、そういう感情は当てはまらなかった。・・・・・・一体どういう関係だと、このような我儘な欲求が許されるのだろうか?」
「どういうって・・・・・・」
 そんな風に思い合える恋人になれたらいいなと昂は思うが、あえて抽象的な表現にとどめた。
「お嫁さん、かな?」
「おおっ、なるほど!婚姻関係にある夫婦なら、いくらでも昂の世話を焼ける!それに、年をとってもずっと一緒にいられる。つまり・・・・・・」
「つまり・・・・・・」
 昂はもう両手で覆って、顔を上げられない。この男は人の気も知らずに地雷を踏み抜きまくり・・・・・・。
「結婚してくれ、昂!」
「男子の結婚は十八歳からだ」
「では、結婚を前提に付き合ってもらおう」
「はい、喜んで」
 真面目な顔で求婚してくれる祐介に、昂はクスクス笑いが止まらなくて、とうとうベッドに倒れて涙を浮かべながら笑い転げた。
「アハハハハ!!嘘だろ!?告白どころか、プロポーズまで盗られたっ!!俺かっこわるうぅ!あっはははは!!」
「あ・・・・・・、その、すまな・・・・・・ぅおっ!?」
 しゅんとなってしまった祐介に昂は飛びつき、肉付きの薄い体を抱きしめた。
「嬉しいよ。本当にいいの?」
「ああ。その・・・・・・」
 昂にくっつかれたまま、祐介はしばし視線を逸らして躊躇った後、言いにくそうに薄い唇を開いた。
「謝らねばならないことがある。俺は・・・・・・その、何度も昂を振っていたようだな」
「え・・・・・・」
 今回はこちらから何も言っていないはずだが・・・・・・と首を傾げ、思い当たることに昂は目を据わらせた。
「あぁ、美術館に行った日。アイツがしゃべったのか」
「違う!俺が、勝手に見てしまったんだ!・・・・・・昂は、知られたくなかったのではと」
 見られたくないというか、恥ずかしいというか、ループしてるの知られたのかとか、昂の頭の中でぐるぐるしたが、それよりももっと大事なことに気が付いた。
「え・・・・・・もしかして、俺が祐介を好きなこと、だいぶ前からバレてた?」
 昂の顔からすぅっと表情が抜け落ちていくのに驚いたか、祐介は慌てて昂の頬をぴたぴたと叩いた。
「ほんの数週間しかたっていない!気を確かに持て!」
「最悪だ・・・・・・はぁ、もう。こんなにかっこ悪いの初めてじゃないかな」
「そうか。俺だけが見ているのなら、それは結構なことだ」
 本気で昂の情けない所を独り占めしておきたいらしい祐介に、昂はもう勘弁してくれと両手を上げた。
「まぁ、祐介ならいいか」
「感謝する」
 アキラも取り込めたことだし、結果オーライだと苦笑いを溢す昂に、祐介はいつもの静かな微笑を浮かべる。この笑顔を見られるのならば、自分がやらかした多少のヘマも許してやれるような気がした。
「こちらこそ、よろしくね?」
 昂は出来たばかりの婚約者の頬に、そっと唇を押し付けた。