Living Dead −6−


 ゆらゆら揺れる車内で立ったまま手すりにもたれ、竜司はそばの座席に座った真に声をかけた。
「なぁ、真。さっき真が言ってたことだけどよ」
「なに?」
 バッグを膝の上に振り仰いだ真は、子供のように真剣な面持ちで首を傾げた竜司を見つけた。
「好きの反対はムカンシンってやつ。じゃあ、嫌いの反対はなんだ?」
「へ?・・・・・・えぇっと、なにかしら?」
「何の話?」
 すぐに出てこなくて考え込む真の隣から、杏が身を乗り出してくる。
「昂のやつが、地元の親のこと、もうなんも感じないって言っててさ」
「へぇ。あんなことされたのに、嫌いとも思ってないんだ」
 杏は目を丸くし、隣に座る春も寂しそうに微笑んだ。
「もう、縁を切ってしまったのね」
「そりゃ、縁切りしたくもなるわ」
「むしろ逆の可能性の方が、高いんじゃないかな」
 吊革につかまって立っている明智のアタッシュケースの中には、昂の家裁記録の写しが収まっていた。
「両親の方から、もう要らないと遠ざけられた、と考えるのが自然じゃないかな」
「どうして?」
 改心後には謝罪を受け、父親に利用されていてもその死を悼んだ春には、親子の縁が突然途切れるというのは実感しにくいようだ。
「彼の両親は、彼と一緒に引っ越してこなかっただろ?」
「えっ、それだけの理由かよ」
 驚く竜司に、転校していく親友を見送った杏は、厳しい表情で首を振った。
「保護司のマスターに丸投げして、自分たちで支えようという気すらなかったのね」
「たしかに、仕事があるというのもわかる。でも、不名誉な噂の中で地元に固執するより、新天地に行ってしまった方がいいと思わないかい?誰か、昂が両親と連絡を取っているようなそぶりを見たことはある?」
 明智の前で、四人は揃って首を横に振った。
「僕が心配するようなことではないと思うんだけど・・・・・・彼の実家は、まだあるんだろうか?」
「まさか・・・・・・」
「私たちが知らないだけで、マスターが連絡の窓口になっているのかもしれないよ?」
 息をのむ真に、春は考えすぎではと手を振る。一年の保護観察が終わった後、昂が何処へ行くのか、何処へ行けるのか、ここにいる誰も知らない。
「ま、実家が無くなってもいいじゃん。このままこっちに居ればさ」
「ああ、言われてみればそうだよね。竜司もたまにはいいこと言うわ」
「たまには余計だろっ!」
 杏と竜司が騒ぐ間に挟まれて、真はうるさいと言いたげに両手をかざした。
「はいはい、大人しくして。竜司、嫌いの反対も、無関心よ。感情のベクトルが違うだけで、ある程度の関心を持っている・・・・・・つまり、嫌いな対象を認知しているということよ。その反対なら、無関心だわ」
「ほお。・・・・・・なんか意外っつーか、あっけねぇな」
 もっと違う答えが返ってくるかと思ったのか、竜司は毒気が抜かれたような顔で頬を掻いた。しかし、杏と春はその通りだと微笑んでうなずく。
「嫌なことは忘れるに限るわ。テストの点数とか、昨夜乗った体重計の数字とか」
「ふふふっ、本当にそうだね」
 渋谷駅に到着した電車から降りると、そこで解散だ。
「祐介のやつ、鍵見つかったんかな?」
「あ、そういえば」
 竜司と杏は改札を振り返り、SNSにメッセージを打ち込むが、反応がない。
「なんだよ、まだ探してんのか?」
「電車の中にいて気付いていないんじゃない?」
 真の言うことも尤もだと、竜司はスマホを尻ポケットにしまった。しかし、明智の革手袋に包まれた指先が画面を滑り続け、迷惑そうに眉が寄せられた。
「あ・・・・・・ごめん。僕、呼び出しだ」
「大変ね。明智くんも受験生なのに・・・・・・」
「名探偵はツライね」
 春と杏の労わりに、明智はにっこり笑って手を振った。
「ありがとう。それじゃあ、お先に」
 お疲れ様、という声に送られて、明智は足早に雑踏へと姿を紛れ込ませた。
 人通りが途切れるのを見計らい、スマホのアプリを起動させる。その瞬間、あたりは静まり返り、駅ビルの通りには明智一人だけが立っていた。そのまま引き返し、ブチ公前にも人影ないことを確認して、地下へと降りる。
(怪盗団は全員揃わないと異世界には行かない)
 それは知っていたが、何事も例外というものがある。漆黒のライダースーツに身を包んだクロウは、用心深くホームに降り立ち、素早く歪みを探し出して滑り込んだ。
「トルソー・・・・・・」
 いつも通り宙に浮いたトルソーの身体だが、心なしか、いつもより存在感が薄い気がする。キラキラとした光をまとわせている以外は、初めて会った時と状態が似ているようだ。
『アケチ、ありがとう。おかげで、第一関門突破だ。・・・・・・長かったな』
 柔らかな声音は感慨を滲ませ、静かに空間を震わせる。
「消えるのか」
『そうだな。俺がここにいる理由がなくなった。・・・・・・これを持っていてくれ』
 トルソーに近付いたクロウが手を出すと、その上に金色の鍵と、黒い羽根が一枚、落ちてきた。
『第二関門を突破するためのアイテムだ。正直、かなりの力技になると思うんだけど・・・・・・』
「まだ俺に手伝わせる気か」
 顔をしかめて唸るクロウに、トルソーはケラケラと笑い声をあげた。光の粒がふわりふわりとさんざめき、クロウのライダースーツにも反射する。
『俺が助言しなくてもアケチは上手くやったから、確かに不公平かもな。これからも、アケチの計画はちゃんと動くよ。必ず現実の俺を捕まえられる。ただ、獅童には注意しろ。奴はお前の出生に勘付いている。年末の総選挙が終わり次第、お前を殺す気だ』
「なに・・・・・・」
 自分は上手くやってきたと思っていたから、トルソーの隠そうとしない言葉にはショックを受けた。だが、頭のどこかでは、やはり、という納得もあった。
「夏休みにお前に見せられた記憶、あの中にも、そんなことがあったな」
『見えたか』
 繰り返す見覚えのあるもの、差し込まれる覚えのないもの、ばらばらでつかみどころのない切り取られたシーンを剥ぎ合わせ、クロウは結論を出した。
「・・・・・・それで、俺はあそこで終わるのか」
『もしもあそこで終わらなければ・・・・・・現実世界で、死ぬだろう。俺は見たことがないが』
「それじゃあ、俺が生き延びるかもしれないじゃねえか!」
 復讐も果たしていないのに、あの男の呪縛から解放されてからが、まぎれもない自分の人生だというのに。しかし、トルソーは困ったように脚を組んで腰布を揺らした。
『そう思いたいのはやまやまだが・・・・・・ほら、会ったばかりのころに話しただろ?メメントスの一番奥底の、さらに奥に、神様がいるって』
「それが・・・・・・まさか、大衆のパレスにある、オタカラなのか」
『そうだ。俺が生き残れば、俺とお前を巻き込んだ、このくだらないゲームを始めたオタカラかみさまをぶちのめすチャンスが出来るが、お前が生き延びると、このオタカラがお前や獅童を含めた人間すべてを支配してしまう。そういうルールなんだそうだ』
 八方塞がりってやつだな、と言うトルソーが正しい。例えトルソーが見せた記憶通りにならず、クロウが生き残ったとしても、その先で殺されるか、また支配された生に繋がれる屈辱か、どちらかが待っている。
『俺はこんな世界も、俺自身も、どうなっても構わなかった』
 トルソーの意外な言葉に、クロウははっと顔を上げた。
『判決が出たあの時、俺の結末は決定した。それからは、息絶えるまでに見る、一瞬の楽しい夢でしかない。それでも・・・・・・俺に親切にしてくれた、俺を助けてくれた人たちが生きる世界なら、守らなければならないと思ったんだ。・・・・・・恩は返す主義でさ』
 灰色のノイズがかかった、ひとつだけ異質な記憶を、クロウは覚えていた。自分の未来も、こいつの未来も、結局、変わらないのだ。
 それなのに、どうしてこいつは膝を屈してしまわないのだろうか。何度も、何度も、誰かを、助けたくて・・・・・・。
『だから、アケチのことも助けたかったんだけど・・・・・・お前だけは、俺を突き放したからな。そのおかげで、俺は他の道も探したわけだけど』
「フンッ、自分のことも救えないやつが、おこがましい」
『そうそう、そう言われた』
 なにが可笑しかったのか、トルソーは楽し気にクルクルと身をひるがえして、羽ばたきの風に光の粒を舞わせる。
『俺にとって、アケチは特別な存在だ。現実世界で作り笑い浮かべているお前と柔らかく角突き合わせてるのも、こうやって素のお前と腹割って話しているのも、楽しい。なあ、アケチはまだ、自分を救う気にはならないか?』
 トルソーは・・・・・・いや、滝浪昂は、何度もこうやってクロウに問いかけてきたのだろう。同じ時を繰り返すたびに、何度も、何度も、一緒に来いと、手を差し伸べてきたのだろう。
 だが、クロウの気持ちは変わらなかった。
「俺がどういう状態だと救われていると思ってんだ?俺のことは、俺が決める!舐めたことほざいてんじゃねぇッ!!」
『そう言うと思った』
 トルソーはあっさりと引き下がり、ひとはばたきでクロウの手が届かない高さに舞い上がった。
『寂しかったら、俺を呼べよ』
「んなっ・・・・・・誰に言ってんだ!」
 ケラケラと楽しそうな笑い声を残して、トルソーの身体は薄く淡く、透けて、消えていった。
『ありがとう』
「俺は・・・・・・っ」
 何もない虚空に向かって、クロウは開きかけた口を閉ざした。まだ聞きたいことがあった。つまらない言い合いなどに時間を割かずに、素直に聞ければよかったのに。上辺だけの巧言令色などいくらでも出てくるのに、肝心の言葉が弱い自分に抱え込まれてしまって出てこない。
(嫌い・・・・・・嫌いだ)
 片や自分を道具としか思っていない肉親、片や己が主張と存在をかけて鎬を削る他人。片方は殺せといい、片方は殺すなという。片方は無関心で、片方は特別だと言う。・・・・・・どうして、自分はどちらも嫌いなのだろう。
 手の中には、金色の鍵と、黒い羽根。ここに捨てて行ってしまってもよかったが、自分が特別と言われた証としてでも持っておいてやろうかと思う。
(忘れたくらいで、逃れられるものか・・・・・・)
 確実に終わらせる、その手段を、クロウだけが持っていた。