Living Dead −4−


 双葉を自宅に送って行った春と杏と合流し、みんなで四軒茶屋駅の改札前まで来た時、祐介がふと声を漏らした。
「どした?」
「いや・・・・・・鍵束を落としたらしい」
 マジかよと丸くした竜司の目にも、たしかに祐介がいつも腰から下げている鍵束が無くなっているのが確認できた。
「ルブランにいた時にはあったから、どこかに落としたんだろう。探してくる」
「私たちも一緒に探すよ」
 春の提案に賛同の声が上がるが、祐介は首を横に振った。
「いや、心当たりはある。さっき躓いて植え込みにバッグをぶつけたから、きっとその時に引っ掛けたのだろう。特別貴重なものでもない、ただのアクセサリーだ。みんなは先に行ってくれ」
 顔を見合わせるメンバーの中で、やはり真っ先に真が声を上げた。
「そう?じゃあ、私たちは先に行くわね」
「悪い。みんな、またな」
 お疲れさまーという声に手を振って、祐介は地上に向かって踵を返した。急ぎすぎず、遅くならず、探し物をしているような歩調というのは難しい。視線で意図をわかってくれた真がみんなを先導してくれているが、かなり不自然なことをしているという自覚はあった。
 階段を登り切って、祐介は走り出す。肩にかけたバッグの底で、こっそり外した鍵束が硬く擦れる音がした。ほとんどが対応する錠前のない、意味のない鍵だが、いまは無人の斑目家の鍵なども付いている。祐介がこの鍵束を簡単に見失うなどありえない。ただ、ルブランに引き返す理由が欲しかっただけだ。
 軽く息を弾ませてルブランに駆け込むと、そこには困惑した面持ちの惣治郎が立っており、驚いたようにこちらを見た。
「マスター、昂は・・・・・・」
「ああ、それが・・・・・・」
 店の奥の手洗いから水を流す音が聞こえて、惣治郎はため息をつきながら声をかけた。
「おい、大丈夫か?」
 手洗いからよろよろと出てきて洗面台にしがみつく昂の背を、惣治郎の節くれだった大きな手がさする。バシャバシャと派手な音に混じって、苦しそうな咳と喘鳴が聞こえた。
「昂・・・・・・!」
 やはり明智が持ち出したあの話題は禁忌だったかと、祐介も苦いものを飲んだ気分で駆け寄った。祐介が覗きこんだ昂は、髪や制服の袖が濡れるのもかまわず、白い陶器に爪を立てて震えている。
「ハァッ・・・・・・ハァッ・・・・・・」
「一体何があった!?双葉もベソかきながら帰って行ったし・・・・・・」
「それは・・・・・・」
「・・・・・・ゆうすけ?」
 水滴がついた眼鏡越しに、紙のように白くなった顔が、愕然と祐介を見上げてきた。
「大丈夫か?」
「ァ・・・・・・ハッ、ハッ、ウッ、ァガ・・・・・・ァッ!」
「昂!」
 ハイネックの上から自分の喉を押さえた昂の手を、祐介は慌てて手首を掴んで止めさせようとしたが、予想以上に力が要った。
「なにやってやがる!」
「昂、手を放せ!」
 惣治郎が昂を背中から支え、祐介は半ばパニックになりながら、がっちりと自分の首を絞めている昂の両手を、力任せに引きはがした。
「ヒュゥ・・・・・・ッ、カハッ、ハッ、ごほっごほっ、ヒュゥッ・・・・・・はぁっ・・・・・・」
「落ち着け。昂は何も悪くない・・・・・・大丈夫だ」
 自分のシャツが濡れるのもかまわずに、祐介は昂を自分にしがみつかせ、自傷の発作が治まるのを待った。自制が効いていない力で掴まれた二の腕は痛かったが、同じ力で息の根を止められるよりはいい。
(こんなに、激しいものだったとは・・・・・・!)
 昂のシャドウは、自分は昂に嫌われていると言っていた。昂自身も、自分が許せなかったとシャドウを切り捨てたことを認めている。しかしそれが、きっかけさえあれば簡単に自身の肉体を傷付けるようなものだとは、祐介は思ってもみなかった。
 祐介が一人でルブランに戻ってきた理由は、いつもなら駅まで見送りに出る昂が、今日に限ってすぐに店の中へ戻って行ったからだ。昂は何でもないように振る舞っていたが、あの事件で昂がより許せないと思っているのは、自分を見捨てた両親ではなく、彼らを信じていた昂自身だったから・・・・・・それを知っているのは自分だけだったから、少しでも慰められればと思っただけだ。
「・・・・・・昂?」
 震えながら激しく上下していた肩が鎮まってくると、祐介の二の腕を掴んでいた力も弱まってきた。呼吸も深く静かになり、もたれかかってくる重みも柔らかだ。
「少しは、マシになったか?」
 こくりと小さくくせ毛頭が動き、かすれた声の謝辞が聞こえた。そのまま昂は、壁に縋りながら屋根裏へと上がっていったが、祐介は一緒に行くことをためらった。昂が自分を支えにしないで歩き出した時に、軽い拒絶を感じてしまったのだ。
 昂は一人で立って行こうとするし、一人で進んでいけるのを知っている。彼の誇り高さを尊重したい気持ちと、もっと自分を頼ってほしいという願いに挟まれ、祐介は目眩がしそうだった。
「はぁ、やれやれ。吐くほど具合が悪くなるような事を話していたのか、お前らは」
 惣治郎に睨まれ、祐介は一瞬の迷いの後、聞かなかったことにしてほしいと前置きをして、自分が昂から聞いたことを小声で話した。
「昂の裁判のことを話していたんです。・・・・・・昂は地元で判決が出てから、ほとんど食事が出来なくなったそうです。食べても、戻してしまうと」
「なんだって・・・・・・」
 知らなかったのか、目を丸くする惣治郎に、祐介は小さく微笑んだ。昂が預けられた先が、惣治郎の許で良かったと思う。
「でもこっちに来て、マスターのカレーを美味しいと感じてから、また普通に食べられるようになった、と聞いています。・・・・・・きっと、大丈夫です」
 惣治郎は何か言いたげにもごもご顔を歪めたが、結局舌打ちひとつ溢して、厨房の奥へと入って行った。
 ぶっきらぼうに用意された水差しとグラスが乗ったトレイを受け取ると、祐介も屋根裏へ続く急な階段に足を踏み入れた。ここへ戻ってきたのは、その為だ。いくら昂に拒絶されたとしても、自分がやりたいからするのだ。
「昂?」
 階段を登り切ったところで力尽きたのか、テーブルの下からチェック柄の脚がぐったりと投げ出されている。祐介は水差しのトレイを置いてからかがみ込み、傷を負って隠れている獣のようなリーダーを引っ張り出した。
「ふふっ。夏休みの時もそうだったが、普段世話になってばかりのお前の世話を焼けるのは、なんだか嬉しいな。笑い事ではないとわかってはいるのだが・・・・・・」
 肩を貸してベッドに運び、濡れて埃が付いたブレザーを脱がせてハンガーに吊るす。眼鏡を片手に持ったまま項垂れている首に手を伸ばすと、驚いた顔でこちらを見上げたが、祐介の指先がタートルネックを引っ張って見咎めた物に気が付いたのか、諦めたようにサスペンダーを外しにかかった。
「もう少し頼ってもらいたいものだが」
「こんな情けないところ、見せたくない・・・・・・」
「どこがだ?」
「え・・・・・・?」
 まだ顔色が悪かったが、目を丸くして見上げてくる昂に、祐介は首を傾げて見せた。
「倒れるほど自分を罰しようとしていることが、情けないか?俺はそうは思わん」
「・・・・・・え?」
 互いの価値観か視点のずれからから、理解が追い付かないでぼさっとしている昂のシャツに手をかけ、祐介は子供にするよう両手を上げさせて脱がせた。
「きゃ・・・・・・ぁ」
「なんだ、その反応は」
 まだ前髪を湿らせたまま、両腕で裸の身体を抱きしめる昂の首に、うっすらと指の痕が付いていた。それほどまでに、肉親を信用した己が憎かったのかと、祐介は悲しくなった。自分は・・・・・・自分たちは肉親ですらない、ただ仲間というだけの他人だ。その自分を、昂は信じてくれるというのだろうか。
「昂が俺にしてくれたおまじない、覚えているか?」
「え?あぁ、あれ・・・・・・」
 痴漢に襲われた不快感を引きずっていた祐介に昂がしてくれたおまじないは、祐介に温もりと安心を分け与えてくれた。周囲から取り残された独りぼっちではないと、背を寄りかからせていい相手がいるのだと、教えてくれた。
「あれは非常に有効だった。ゆえに、俺だけが恩恵を受けているのは不公平だ」
「は・・・・・・?へ?えっ・・・・・・!?」
 隣に座って昂の肩を掴むと、祐介は赤い自傷痕に唇を押し当てた。驚いたように薄い皮膚がひくりと波打ったが、祐介も最初は驚いたのだからおあいこだ。
「・・・・・・どうだ?」
「どっ、どっ・・・・・・どうって・・・・・・」
 やかんを置いたら湯が沸きそうなほど顔を赤くして、昂は両拳を祐介の肩に当てた。
「もう・・・・・・なんだよ、元気になるしかないじゃん」
「そうなるように願った。・・・・・・俺は、昂に罪があるとは思えない。いい加減に、自分が昂に罪を着せた連中と同じことをしていると気付け」
 心外なことを聞いたとでも言わんばかりに顔を上げた昂は、本当に気が付いていなかったらしい。
「・・・・・・俺が?同じ?」
「そうだろう?一番悪いのは昂を貶めた奴、次に悪いのは真実を求めずに昂を貶めた昂の両親。さらに、肉親を信頼していた子に罪があるとでも?俺は、斑目の罪に気付きながらも目を瞑ってきた自分には、罪があると思っている。だが、曲がりなりにも幼児から俺を育ててくれた奴を信用していた俺に罪があるとは思わん。恥とも思わん!・・・・・・それとも、昂は育ての親を信じていた俺に、罪があると思うか?」
 ぶんぶんと首が横に振られ、祐介は自信をもって断言した。
「わかっただろう?お前は、罪創りだ。偽物の罪を作って自分を責め立てるお前は、お前に罪を着せた奴とどこが違う!?」
「だって・・・・・・」
 たった一人で戦わざるを得なかったがゆえに、自分を責めずにはいられない無自覚完璧主義者を、祐介はそっと抱きしめた。受け入れるには酷なことかもしれないが、昂のシャドウが祐介に託したのは、きっとこれを言わせるためだ。
「お前は自分に怒っているんじゃない。自分が愛しているほどには愛されていなかったと知って、悲しかったんだ。純真に信頼を寄せていた自分が、滑稽に見えて仕方がなかったんだろう?」
 頬に当たる黒髪がずるずると滑っていき、祐介の肩に温かい吐息をかけながら止まった。