Living Dead −3−


 TV局でその少年の声をマイク越しに聞いたとき、明智は自分の首筋がぶわりと粟立つのを感じた。収録のカメラがまわっているとわかっていなければ、セットのソファから立ち上がってしまったかもしれない。
 無造作に跳ねる黒髪、表情が見えにくい黒縁の眼鏡。秀尽学園高校の制服をきちんと着こなした、地味で、目立たない、大人しそうなごく普通の高校生に見えた。だがその唇から発せられたのは、真っ直ぐに芯の通った、静かだが強い意志を感じさせる声。
 昨日通りすがりで挨拶を交わした時には気にも留めなかったが、個人で相対してみると、ますますその気配がそっくりだと確信した。初対面らしく当たり障りのない社交辞令に終始したが、どうしてもその男子高校生は頭と両腕のない化物の姿とだぶった。
「おいっ、あれがお前か、トルソー!?」
『TVの仕事は終わったか、アケチ?』
 小さな歪みから飛び込んできたクロウを、トルソーは静かに揶揄う。クロウは毎度不思議に思うが、頭がないのにどうやってしゃべっているのか。
「お前はヤツのなんだ!?あいつは何者だ!?」
『なんだと言われても・・・・・・俺だ、としか』
「ふざけるな!!」
 いくらクロウが激昂しても、トルソーは愉快そうに笑って、返答は要領を得ない。しかし、そんなところがクロウのペルソナのロキに似ていなくもない、と思うと、クロウも少しは冷静になれた。
「アイツは怪盗団を支持していた。だが、お前は俺に協力すると言った。なにが目的だ?」
『端的に答えても、お前には理解できないだろうよ。今はその時期じゃない』
「なんだと・・・・・・!」
 あしらわれていると頭にきたが、トルソーの声はいっそ冷ややかにクロウの上に降ってきた。
『俺も、現実世界にいる俺も、お前に敵対したいとは思っていない。ただ、お前の計画に怪盗団が邪魔になる、ということは知っている。そして、お前とお前の父親は、必ず怪盗団を窮地に追い込む。それも知っている』
「・・・・・・お前は・・・・・・」
 まるで予言者のように未来を告げるトルソーは、素足をぺたりと着地させると、クロウの目の前まで、長い腰布を引きずりながらひたひたと歩いてきた。
『お前は俺の頭を撃ち抜くし、俺の手も振り払った。俺はお前の信条と誇りが、俺とは相容れないものだと理解しているつもりだ。俺たちは手段と目的が違うだけで、最終的な結果は同じものを望んだから、お前の知らないお前にも、俺は幾度となく助けられた。それなのに・・・・・・』
 トルソーが腕を伸ばしたように見えたのは、胴の動きがそうだったからだ。トルソーに両腕があったなら、確実にクロウに触れていたことだろう。
 悔し気な吐息と共に踵を返したトルソーに、クロウは忌々し気に舌打ちをした。相手はすべて知っているのに、自分は何も知らないというのは、非常に腹が立つ。
「いいから教えろ!お前の目的はなんだ!?」
『いまはその時期ではないと言っているだろう。お前でないお前が、かつて俺にやれと言ったことだ。俺はそんなこと、どうでもよかったんだ。いいか?いいだしっぺは、お、ま、え、なの!』
「わかるか!なんだそれ・・・・・・」
 トルソーが過去と未来の混ざった言い回しをするせいで、クロウは自分の頭がおかしくなってくるような気がした。もういっそ、トルソーには時間の概念が無いと仮定した方が良さそうだ。
『そんなことより、俺と取引を続けたいなら、なぜ奴を殺した?俺は殺すなと言ったはずだ!』
 トルソーの苦々し気な口調は、本気で怒っているように聞こえたが、表情が見えないのでイマイチ印象が薄い。クロウも顔がないのは少し不便だなと思いはしたが、いまは自分の言い分を主張するのに楽でいい。
「話を聞いてなかったのか?あのリストに載っていた人間は、全員殺す。俺はその具体的な順番ややり方を聞いただけだ」
 ターゲットのリストを見せたとき、トルソーはこんなに殺していたのかと驚いていた。トルソーが知っていたのは、リスト内の二、三人が事故死するということだけで、他はわからない、つまりニュースにならなかったという。
 その中の一人に細工をして、斑目一流斎の弟子にちょっかいをかけろと依頼してきたのは、このトルソーだった。クロウとしては、自宅から滅多に出てこないターゲットの生死を確認でき、かつ依頼人の要望通りターゲット周辺にダメージを与えられるメリットがあったので、言われたとおりにしただけだ。
『・・・・・・・・・・・・』
「殺さずに済む方法なんてない」
『命があっても、廃人になるだけか』
「そうだ」
 淡々と答えるクロウに、トルソーは深々とため息をついて、軽いひとはばたきで宙に浮いた。どうもさっきから、もどかしい苛立ちが抑えきれないようだ。言ってはなんだが、拗ねているようにも見える。
 ターゲットを抹殺することがクロウの仕事で、それが出来なければ不要の存在。むしろ、秘密を知っているだけに、逆に命を狙われるだろう。少なくとも、復讐を完了するまでは、クロウはこの仕事を続けるつもりだ。
『この仕事辞めろって言っても、聞かないんだよなぁ』
「当たり前だ」
『お前に人殺しなんてさせたくないんだよ。罪を償ってやり直す気持ちがあるなら、他の復讐方法を教える。・・・・・・なぁ、考え直さない?』
「・・・・・・・・・・・・」
『はぁあああああ・・・・・・なんでこう、お前も俺も、頑固で要領悪いんだろうなぁ』
「一緒にするな!!化物が!」
 頭を抱えているかのように、よろよろと宙を漂うトルソーをクロウは睨み、怒りに任せて地面を蹴りつけた。
 人殺しをさせたくない、そんな言葉は肉親にも言われたことはない。もちろん、実の親だと知っているのはクロウだけで、相手は都合の良い手駒としか思っていないだろう。それでも、奴はクロウの力を歓迎こそすれ、高校生の明智を諫めようとはしなかった。その一点だけでも、自分の手で復讐を完遂する理由に十分だ。
 ただ、トルソーがクロウにやめろと言うのは、自分の利益や不都合というわけではなく、純粋に人倫に背いてほしくないという懇願だ、ということは感じ取れた。
「・・・・・・お前の言い分は分かった。だけど、ここまで来て止められるか。ヤツを、この手でドン底に突き落とすまでは!」
 母を不幸にし、望まれない自分を生み出したあの男に復讐するまで、せっかく手に入れたこの力を行使しないでどうする。そのための力だ。
 憎悪を素にした固い決意も、自分が望むためにまとった嘘も、クロウには掛け替えのない自分自身だ。
『・・・・・・わかってる。俺じゃお前を動かせないって・・・・・・』
 しょんぼりとした悲しそうな声を最後に、クロウが止める間もなくトルソーの姿は消えてしまった。
(変な奴だ)
 障害物なのか、支持者なのか、いままでクロウがしてきた単純な線引きの、まさにその線上に、トルソーはふわふわと漂っている。しかも、どちらかに傾くこともなく、そこに在る。まるで理解不能な存在だ。
 クロウはまだもやもやした胸を抱えながら、青白い空間を後にした。ここに来るたびに、現実の疑問や問題がひとつ解決して、クロウのもやもやは増えてく。トルソーは何者なのか、なにを成そうとしているのか、なぜ自分に協力してくれるのか・・・・・・。
 それらの疑問は、蒸し暑い夏のある日に、大方答えを開示されることになった。

 ゲリラ豪雨の予報が出ていたその日、明智は朝から誰かに呼ばれているような気がして仕方がなかった。
 夏休みとはいえ、高校三年生の明智は受験生で、メディアの予定を押しのけて夏期講習や模試の予定が組んである。正直なところ、うっとおしいとはいえ、金城の一件でさらに名を挙げた怪盗団ばかりに構っていられない。そちらは獅童が手を打っているはずだ。
(・・・・・・うっせぇなぁ!)
 湿気の多い空気に混じって、首筋にチリチリとした気配がまとわりついてくる。勉強したくても気が散って仕方がない。
 明智は雨の降り始めた渋谷からメメントスに乗り込み、呼ばれているはずだからと一番近いホームの下を覗いて滑り込んだ。
「ウルセェッつって・・・・・・」
 青白い空間に入った瞬間に怒鳴りかけ、クロウはあんぐりと口を開いたまま固まった。トルソーが宙に浮いている。それはいつものことだ。しかし、オーロラのような白い光のカーテンが眩く乱舞し、その中にはいくつもの風景と人影が浮き沈みしているのだ。
『おっせーよ!緊急事態だ、頭貸せ!』
「はぁ!?えっ、ちょ・・・・・・っ!?」
 ばさりと大きなはばたきと共に、トルソーは黒いライダースーツに包まれたクロウの身体を、がっしりと両脚で挟むように掴んだ。
「な・・・・・・」
 クロウの目に映ったのは、組み付いているトルソーの胸ではなく、学生服や認知世界での服を着た自分だった。
 人好きのする笑顔で話している自分、忌々しそうに怒鳴っている自分、考え込んでいる自分、自信たっぷりに隣に立つ自分、テレビの中にいる自分、カウンターに座ってコーヒー片手にこちらを見上げる自分、仲間と共に歩く自分、ボロボロになっても銃口を突き付けてくる自分・・・・・・。
「ぁ・・・・・・あ・・・・・・ァっ!」
 それは明らかに、誰かの視点で見た「明智吾郎」の姿だった。それも、一度きりではなく、同じような場面が何度か挟み込まれた。まるで、同じ時間を繰り返しているかのように・・・・・・。
− こんばんは、お邪魔してるよ
− 射殺せ、ロビンフッド!
− ああ僕、明智吾郎っていいます
− くだらねえなぁッ!正義だの、仲間だの!
− 最近、だいぶ顔が知られちゃってね
− 僕もジョーカーみたいな怪盗服着てみたかったよ
− 美味しそうなパンケーキ・・・・・・とか聞こえたから
− 俺の代わりに、罪を終わりに・・・・・・
「や、めろ・・・・・・ォ!!」
 最後は毎回のように壁の向こうから自分の声が聞こえる。そこが自分の終わりなのだと、自分を『見ている者』の叫びだしたいほどの感情が伝えてくる。だが、自分が惜しまれるような、いなくなると悲しまれるような生き方が出来たのだと、この『見ている者』の心に爪痕をつけられたのだと思うと、少しだけ、楽な気分になった。
(なんだ・・・・・・?)
 一瞬、それまで繰り返されてきた中には見たことのない風景が混じった。
− ・・・・・・まえ・・・・・・が・・・・・・!
 ノイズの向こうで誰かがこちらに何か言っている。
『来るな、モルガナ!にげ・・・・・・!!』
 手で視界を覆う、衝撃、痛い、痛い、痛い、苦しい、痛い、苦しい・・・・・・!鋭い猫の鳴き声が聞こえる傾いた視界の中で、自分の中から抜かれ、もう一度振り上げられた物から、赤い液体が滴り落ちていた。
『このわからず屋!少しは素直に聞き入れろ!』
− お前こそ、他人に構っている暇があったら、てめえのことぐらいてめえで救ってみせろ!
『そうしたら、白馬の名探偵が来たわけだが』
− それなら、期待に応えなくっちゃね
『そんなに笑うな!お前、心の底から笑いやがったな!』
− ご、ごめん・・・・・・ふふっ、お詫びに、次は手伝ってあげるよ
 パチンパチンと切り替わる風景の最後に、自分の明るい笑い声を聞いて目を開けたクロウは、自分に膝枕を供している化物を見上げた。欠損した少年の身体が、無い頭で横たわった自分を見下している。もう先ほどのようなオーロラは出ていない。そよそよと腕に当たるのは、彼の翼か。
『腐ってもトリックスター、頑丈だな。おかげで助かった、ありがとう』
「・・・・・・・・・・・・」
 トルソーはすべてをクロウに見せたわけではない。溢れ出る記憶の中から、クロウに関わる所を、少しだけ肩代わりさせたのだろう。それだけでも、気が狂いそうになった。
『少しは、お前の疑問に答えられたか?』
「化け物め・・・・・・」
 クロウは吐き気を堪えながら、バイザーの下を拭った。口惜しさとか妬みとか、どこかに吹っ飛んでしまった。ただ、言いようのない虚しさだけがクロウの胸を吹き抜けていた。身体に力が入らない。
「ハッ・・・・・・本当に、化け物かよ・・・・・・」