Living Dead −1−


 滝浪昂は困っていた。昼休みに自分の席で昼飯を食べていただけなのだが、目の前でうなだれる三島が鬱陶しく・・・・・・いや、気を使ってくれるのはありがたいのだが、そんなに大袈裟な雰囲気を出さなくても、と思うのだ。
「滝浪、お前自分が傷害で保護観察中だっていうの、学校中の生徒が知っているって、わかってる!?」
「うん・・・・・・まぁ、そうだったな」
「いまの反応!すっかり忘れていただろ!?」
 そんなこと言われても、別にどうでもいいことなので・・・・・・などと言ったら、平凡を絵にかいたような怪盗団ファン第一号を嘆かせ・・・・・・いや、また無駄に感激されそうで困る。
「顔にそんな傷をつけて来たら、また喧嘩でもしたんじゃないかって、もう噂になってるんだぞ」
「そんなこと言われても・・・・・・」
 ディアラハン一発な異世界と違って、現実世界で負った傷はなかなか治らないのだ。紙パックから甘くて酸味のある乳酸菌飲料をじゅるるるぅと吸い込みつつ上目遣いをすると、目を尖らせていた三島はウッと仰け反ってよろめいた。
「卑怯だぞ、滝浪!お前、自分がイケメンだってわかっててやってるだろ!」
「うん」
「あんた達、なにやってんの?」
 ちくしょおおおおと頭を抱えて悶えている三島の向こうから、杏が呆れた顔で手を振っている。三島が邪魔で、席に座れないのだ。
「高巻からも言ってやってくれよ。顔に怪我するなんて、余計な・・・・・・」
「祐介を庇ったんでしょ?じゃあ、しょーがないじゃん。昂ってそういう漢らしいヤツだもん」
 三島を追い払って自分の席に座る杏に、昂は至極真面目な表情で、うんうんと頷いて見せた。
「祐介の綺麗な顔に傷なんかついたら切腹ものだ」
「いや、そこまでしなくても」
「アン殿、言うだけ無駄だぜ」
 机の中から囁き声がして杏は額を押さえたが、とりあえず三島の興奮を鎮めるべきだと判断したか、長い脚を組んで豊かなツインテールを手で払った。
「とにかく、私が聞いた限りじゃ、そんなに心配するほどじゃないよ。・・・・・・女子に限って、だけど」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・ん?」
 明るく苦笑う杏と、何とも言えない表情になった三島に見詰められ、昂は首を傾げた。
「・・・・・・眼鏡なら、そのうち直すよ」
「そうしてくれ。あとできれば、顔に傷作るなよ。な?」
 三島に両肩を掴まれて、頼むと懇願されると、昂も面倒くささが先になってうなずいた。
「アイツ、自分のことじゃないのに、よくそこまでのめり込めるよな」
「まあ、ファンって、そういうもんじゃない?」
 昂は自分の席に戻っていく三島の背を見送り、モルガナと杏の内緒話を聞き流しながら机の上を片付けた。自分の容貌が悪くない自覚はあったが、自分よりも美人な男がいるのに自惚れることは出来ない。
(子供の頃はよく女の子に間違われたって言ったら、みんなどんな反応するかな)
 ああ、わかるわーなどと納得されても微妙な気分になりそうで、昂は自分の提案を密かに没にした。


 最初にそれを見かけた時、クロウは幽霊かと思った。「刈り取る者」のような禍々しい気配はなく、むしろ半透明で存在感が薄く、仰々しい翼すら頼りなく思えた。それはメメントスの通路の中にすぐ消えてしまったので、よく確かめようもなかった。
 次に見かけたのは、やはりメメントスの浅い階層で、駅のホームだった。よく観察してみると、その姿の奇妙さは、頭と両腕がない事だと確信し、やはり事故死した幽霊がシャドウ化したのかと首を傾げた。
 しばらく眺めていると、それはホームの下、線路に降りるように消えてしまった。クロウは無造作にホームの下を覗き込み、そこに小さな歪みがあることを確認すると、興味本位でその歪みに飛び込んでみた。
 まず驚いたのは、そこがメメントスとは思えないほど、青白く明るかったことだ。たしかにぼんやりとした歪みはあったが、打ちっぱなしのコンクリートには誘導灯が煌々と点き、太いパイプやコードが整然と括り付けられているが、骨や血管のような不吉な装飾は見当たらない。整備点検用の通路か、備品倉庫のイメージなのだろうか。
(セーフルーム?)
 真っ先に思い付いたのはそれだ。個人のパレスに時折ある場所だが、メメントスではホームがそれに当たったはずだ。
(なるほど。ホーム下のセーフティをかけたシャレか。いよいよ、あれは轢死体か)
 クロウは驕り高ぶった暴君を心底憎んでいたが、それとは別に、群れるしか能のない非力な輩を蔑み、自分で戦う力も意思もなく、ただ強者に対して卑屈に媚び諂う者を嫌った。戦うことを放棄し、生きることを放棄した者は、そもそも論評に値しないが、無力な者の順当な結果だと思っている。
 だから、それがこちらに気付いたときの第一声には、息が止まるほど驚いた。
『あれ、アケチだ。なにやってんの?』
 どこか茫洋とした調子の、若くて張りのある声は気安くクロウに話しかけ、頼りない半透明の体がすーっと近寄ってくる。クロウにこんな知り合いはいないし、それよりも自分の所業と名前を知っているのは、存在だけで腹立たしいアイツだけのはずだ。なぜ、コイツが知っているのか。
「・・・・・・ハァ!?お前、誰っていうか、なんで、俺の・・・・・・」
『うん?・・・・・・ああ、まだ俺と会ってないのか』
 両手があったらぽんっと打ち合わせていそうな納得の声に、気の短いクロウは簡単に沸点を超える。
「なにもんだテメェ!?」
『こっわ。アケチその格好だと、本当にガラ悪いよな。落ち着け、俺は敵じゃない』
「それを決めんのは俺だァッ!!」
 ロキを呼び出して、正体不明の翼付き轢死体に攻撃を仕掛ける。この階層でクロウに敵うシャドウなどいないはずだ。
『あー・・・・・・』
 吹き飛ばされて地面に這いつくばっても、何が起こったのかわからなかった。自分の攻撃がほとんど効かなかったと理解する前に、想定外の重く激しい反撃がきたせいだ。
「がはっ・・・・・・ち、きしょ・・・・・・」
『攻撃する前に、戦力の分析ぐらいしような。・・・・・・サマリカーム!』
 朦朧とした意識と苦痛による息苦しさが一瞬で回復し、体の隅々にまで温かい力が行き渡っていく。飛び起きてサーベルを振るうクロウを前に、それは仕方なさそうに無い肩をすくめた様子で背を向けた。蝙蝠と鴉の翼、その上に、ギザギザとした・・・・・・まるでそこにあった羽を毟り取ったような痕があった。
『まさか、お前の方から来るとは思わなかった』
「だから、なにもんだって聞いてんだろうが!」
『それが人に聞く態度か・・・・・・』
 見当たらない頭で嘆息すると、翼付き轢死体男はふわりと宙を漂って姿を薄めていった。
『そのうち出会う。・・・・・・俺は、お前にあまり罪を重ねて欲しくないと思っている』
 無理だとわかっていても。その声が消えるころには、ありえないほど強い力を持った化物も、完全に姿を消していた。
 クロウは身構えを解いてサーベルを収めたが、そこに長居するつもりはなかった。
(なんなんだアイツは・・・・・・!)
 一年半以上この仕事をしているが、あんなものがいるなんて聞いたことが無い。クロウは敗北以上に治療までしてもらった屈辱で唇を強く噛みしめながら歪みを通り抜け、むしゃくしゃした気分を辺りに蠢くシャドウたちにぶつけながら地上に戻った。
 しかし、冷静になって考えてみると、あの化物の言っていたことは奇妙なことが多かったが、正確な事実を言っていたように思える。少なくとも、好んで自分に敵対するものではないという、むず痒い確信があった。
 だから、アイツからターゲットを複数提示された時に、試しに話を聞いてみようと思ったのだ。
『あれ、また来た』
「いい加減にしろよ、テメェ。毎回毎回入り口を探す方の身にもなれ!」
 歪みの場所は決まってホーム下だったが、それがどの階層のどのホームなのかは、毎回違っていた。浅い階層なのがせめてもの救いだが、しらみつぶしに探すのは面倒くさい。
『そんなこと言われても、あれに気付かれると厄介だからな』
「あれ?」
『ここの最下層のさらに奥に、すべてを統率支配しようとする存在がいる。それのことだ』
「ハァ?メメントスは集団的無意識を大衆が共有したパレスだろう?大衆が支配者じゃねぇのか」
『・・・・・・長い話になる』
 身体ごとふいとそっぽむいた化物は、長い話とやらをする気はないらしく、ふわふわと漂うように浮いたままだ。
「まあいい。トルソー、聞きたいことは他にもたくさんあるからな」
 化物は驚いたように翼を震わせ、次いで嬉しそうに笑い声をあげた。
『トルソー!なるほど、いい名前だ。気に入った』
「そうかよ、化け物め。それで、俺を知っているってことは、俺が何をしているのかも知っているんだな?」
『ああ』
「それなら、お前を利用したい」
 傲岸不遜に立つクロウの前に、興味を持ったらしいトルソーがぺたりと素足で着地した。頭部がないので若干見下す形だが、あればクロウと視線の高さはさほど変わらないように思えた。
「お前は俺の知らないことを知っている。俺の仕事が有利になるよう助言しろ」
『アケチサイドの内情には詳しくないんだが・・・・・・まあ、俺が知る範囲でよければ。ただし、条件がある』
「なんだ?」
『俺の計画も手伝ってもらうぞ、名探偵。・・・・・・かつて、いまのお前でないアケチが、俺に約束してくれたからな』
 トルソーの言い方は癇に障ったが、人を騙すことに慣れた人間特有の、不自然な自然さは感じられなかった。
「俺の計画の邪魔にならねぇなら、いいだろう」
『取引成立だ』
 クロウは何もない目の前の空間に、ないはずのトルソーの唇が、ニィッと満足げに吊り上がるのが見えた気がした。