ジョーカーの鎖 ―2―


 枕を抱えてベッドに倒れている暁のそばで、今度は竜司が大きなため息とともに床に座り込んでしまった。
「はぁー・・・・・・」
「オイ、リュージ。顔が白いぞ」
 竜司の足元までやってきたモルガナに見上げられ、竜司はだるそうに頭を抱えた。その様子に、祐介は眉をひそめ、暁も身動ぎをしたようだ。
「大丈夫か?」
「なんか、一気に安心したっつーか、いまさら冷や汗が出てきた・・・・・・」
 ことりと後頭部をベッドの縁に預け、まだ青い顔のままで、竜司は見下してくる祐介を見上げた。
「暁が走れなくなったらって考えたら、自分がもう一回走れなくなるかもって考えるより、ずっと、すげぇ嫌でさ。・・・・・・やっぱ、暁がリーダーで、一番前走っててくれないと、怖ぇんだよ」
 誰よりも華麗にアクロバティックな動きで敵を翻弄するジョーカーが、現実世界の怪我のせいで同じ動きが出来なくなってしまったら、探索に支障が出るのはもちろん、いまの竜司のように士気にかかわる。
 ごそごそとベッドの上で体勢を変えた暁は、自分が横たわるベッドの端に飛び出した金髪頭に手を伸ばし、くしゃりと撫でた。
「悪かった。もう少し自分を労わるよ」
「あぁー、ぜひそうしてくれ。俺のちょー繊細なハートのために」
「リュージは心臓に毛が生えているくせに、変なところで凹むんだな」
「んだと、コラ」
 モルガナの煽りで竜司はいつもの調子を取り戻したらしく、ギャーギャーとやかましい。そんな一人と一匹を置いておいて、祐介はごみやコンロを片付けて、ベッドの傍らで膝をついた。
「暁」
「?」
 祐介は黒くて癖の強い暁の前髪を、手のひらでぐいとかきあげると、ばしりとヒエールシートを貼り付けた。
「っ・・・・・・」
「もう一枚貼るぞ」
 今度は傷に障らないように優しく、腫れ上がった頬に貼ってやった。
「つめた・・・・・・」
「明日具合が悪いようなら、俺たちはちゃんと聞き入れて、議事堂に行く予定をキャンセルする。正直に連絡しろ」
「ん、わかった」
 神妙に頷く暁に、祐介は頷き返し、冷えてきた温タオルを回収した。
「んじゃ、俺らは帰るわ。スポドリ置いとくから、喉乾いたらちゃんと飲むんだぞ」
「あ、カギはどうする?暁、起きれるか?」
「ワガハイがかけておくぞ。心配するな」
「頼む。じゃあな、暁」
「あ・・・・・・」
 階段を下りて行こうとする二人と一匹に、暁は慌てて体を起こした。
「あの・・・・・・ありがとう。ちゃんと、休んでおく」
「へへっ、いいってことよ」
「大事にな」
 二人はリズミカルに階段を下りて、暗い店内に目をしばたかせながら、ルブランのドアにたどり着いた。
「では、モルガナ、後を頼んだ」
「了解だ」
「また明日な」
 閉じたドアの向こうで、小さな影がしなやかに跳び上がり、ラッチに猫パンチを食らわせるのを見届けると、竜司と祐介は連れ立って駅まで歩き始めた。
「・・・・・・人が無抵抗に殴られ続けた時の怪我など初めて見たが・・・・・・実に胸糞悪い」
「お前なぁ・・・・・・まあ、胸糞ワリィっつーのは、俺も同感だけど?」
 見聞きし、体験したすべてが絵に還元される祐介であったが、さすがに眉間のしわが深い。自分たちも戦いの最中に怪我を負うことはあったが、そこはディアラハン一発である。あんなに痛そうな痕が残った身体を、まじまじと見る機会などない。
「確かに、今回の作戦は『必要』で『大成功』もしたけど・・・・・・もう一回やれっつーのは勘弁だな。リーダーがあの怪我だし、待ってる俺たちだって、それなりに胃が痛かったぜ」
 らしくもなくぼやく竜司だが、祐介は全く同感だと深くうなずく。
 明智が怪盗団のリーダーをピンポイントで狙ってきたわけだが、暁は真の提案した作戦に二つ返事でゴーサインを出した。他に方法がなかったのも確かだが、暁の度胸には毎度恐れ入る。
「・・・・・・・・・・・・っ」
「どうした?」
 人もまばらになってきた駅のホームで突然立ち止まった祐介に、竜司は不審げに振り向いた。祐介は先ほどの竜司の様に、顔色を失って額を押さえている。
「どうしたんだよ、祐介?」
「まさか・・・・・・。なあ、竜司、暁と一番付き合いが長いのは竜司だろう?」
「あん?そうじゃね?」
 暁の転校初日に、竜司は暁と一緒に鴨志田のパレスに迷い込んだ。噂によって孤立していた暁に、最初に親しく声をかけたのは竜司のはずだ。だから、暁が東京に来てから最初の友達と言えば、竜司だろう。
「暁がいままで、『自分だけの為』に力を振るったことはあるか?」
「ハァ?・・・・・・うーん、鴨志田をやったのは、俺たちの退学がかかっていたし?」
「それは竜司も含めてだろう?暁がペルソナに覚醒したのは、『自分の為』だったか?」
「え?」
 カモシダ・パレスの地下監獄で、暁が最初にアルセーヌを呼び出した時のことを思い出し、竜司は首を横に振った。
「いや、違うぜ。暁は俺を助けようとして、ペルソナが出てきた」
「やはり・・・・・・」
「なんなんだよ、さっきから?」
「考えてもみろ。俺たちは皆、多かれ少なかれ、『自分の為に』ペルソナを剥いだ。多くの兄弟子たちを食い物してきた班目が許せなかったのもあるが、何より俺は、言い訳を重ねて自分の目を曇らせてきた、俺自身に腹が立った。俺がペルソナと契約を結んだのは、真実から目を背ける自分と決別するためだ。竜司はどうだ?」
 祐介に真っ直ぐ見つめられ、竜司はガシガシと頭をかき回した。
「俺は・・・・・・俺は、鴨志田の野郎が許せなくて・・・・・・。でも、なんも力がねぇ自分が嫌で、みんなの足ひっぱっちまう自分が許せなくて・・・・・・それでも、諦めたくなくねえって思ったから」
 貼られたレッテルにいじけているよりも、自分が前を向く力が欲しかった。そう正直に答えた竜司に、祐介はうなずいた。
「真も、双葉も、それまでの自分を打破するために覚醒した。春は、父親を改心させたいという目的があったが、やはり自分に正直になるために契約をした」
「そういえば、杏もそうだったな・・・・・・。鈴井のために鴨志田の言いなりになってたのが、結局爆発したみてぇだった。もう無駄な我慢はしないってな」
 ホームに入ってきた電車に乗り、人の少ない所で二人は立ち止った。月曜の夜もだいぶ遅くなってきた為か、上り電車の車内に人はまばらだ。
「それで、それがなんなんだ?」
「俺の思い過ごしならいいんだが・・・・・・暁は、自己犠牲精神が行き過ぎて、自己評価が低すぎるのではないか?」
「へ?あんなに楽しそうに怪盗やってんのに?」
 確かに暁の表情は、竜司ほど激しく動かないが、怪盗行為を楽しんでいることはわかる。目を丸くした竜司に、祐介はどういえば伝わるかと思案した。
「つまり・・・・・・誰かの為ならば、自分が傷つくことなど、なんとも思っていない。今回の作戦だってそうだ。明智の直接の狙いは暁だったが、俺たちが失敗すれば全員が抹殺された。だからこそ、暁は素顔も本名もさらし、命を懸けた」
「けど・・・・・・」
「ああ、わかっている。暁だって、黙って殺される気はないだろう。たとえ一人だったとしても、諦めないで全力であがくに決まっている。それが暁だ。・・・・・・だが、それとは別問題で、暁は自分自身の価値が、他人である俺たちよりも数段下だ、と無意識に思っているんじゃないか、と思ってな」
 深刻な表情で自分の考えを話す祐介に、竜司はくしゃりと顔を歪ませた。心当たりが多すぎて、無理にでも否定したかった。
「か、考えすぎだろ!そんなの・・・・・・」
「だから、俺の思い過ごしならいいと言った。暁は持っている才能のすべてを、俺たち仲間を含めた他人のために使っている。少なくとも、俺にはそう見える。だが、暁自身に対してはどうだ?」
「・・・・・・・・・・・・」
 ぎゅっと唇を噛んで、竜司はうつむく。言い返せなかった。物静かで、自分が主張するよりも、いつも仲間の意見を聞く方を優先する暁が、そんな風に思っているなどとは考えたくなかったが、言葉よりも行動が雄弁に証明している。
「なにより、暁自身にその自覚がないのが厄介だ」
「それが普通だと思っていんのか」
「そうだ。いまはモルガナがそばにいるから、無茶なことはしないと思うが・・・・・・」
「あの猫、けっこう抜けてるからなぁ・・・・・・」
 竜司は自分のことは棚に上げて、体中で大きなため息をつく。
「で、それを自覚させるにはどうするよ?」
「さあな」
「なんもねーのかよ!」
「あれはもう、本人の性格並みに染み付いた物だろう」
 祐介の遠回しな言い方に、竜司は引っかかりを覚えて顔をしかめた。
「元々、じゃねえのか?」
「その可能性もあるが・・・・・・おそらく違う」
 暁の本性は、ジョーカーの姿に現れる反逆の魂だ。何者にも屈しない、強い意志の塊。しかしそれと相反するような、時折見せるあの表情は・・・・・・。
「諦念だ。暁自身についた前歴は、消しようがない」
「だけどそれは・・・・・・!」
 冤罪だとわかっている。だが、祐介は首を横に振った。
「俺たちとは違う。俺たちに付いたレッテルは、自分の力で変えていける。努力次第では、それこそ周囲の認知を変えられるかもしれない。俺たちは暁のおかげで、そう思えるようになった。・・・・・・だが、一度判決が出てしまった暁の前歴は消えない」
 諦めざるを得ない。だからこそ受け入れて、暁は立ち上がった。誰かが自分よりも落ちないように、手を差し伸べ、共に歩み、背中を押して、滑り落ちそうな足を支えて押し上げる。それが、暁が自身に課した生き方だった。
「クッソがあああっ・・・・・・!」
 金髪の瞬間湯沸かし器が鳴るのを、祐介は周囲の注目に辟易しながら窘めた。
「静かにしろ。わかっていたことだろう」
「そうだけど!・・・・・・そうだけどよ!!ぁああ、もうっ!!」
 ガシガシと頭をかきむしる竜司の様に、祐介もいっそ叫びだせるような性分ならよかったとため息をつく。
 車内アナウンスが「まもなく渋谷」と繰り返し、電車の減速が体に伝わってくる。
「とにかく、いまは獅童のパレスを攻略することに集中しよう。その間に暁が無理をしないよう、俺たちが気を配っていればいい」
「ああ、それしかねえな」
 ぎゅっと目元に力を入れて、余計に剣呑な表情になった竜司と祐介は、人波に押されるように渋谷の街に降りていった。