ジョーカーの鎖 ―1―


 見事に敵の罠から脱出してきた暁とルブランで再会し、怪盗団のメンバーは歓喜に沸き立った。考え抜いたトリックと念入りな準備であったが、一発勝負の上に、まず暁の話術で冴を説得しなければ、その後の仕込みも無に帰したため、GPSを追尾していた双葉からの報告で成功を確信していたものの、大々的な暁の自殺報道は本当に心臓に悪かった。
 ボロボロになりながらも、控えめな笑顔で出迎えを受けた暁が足を踏み出した瞬間、はっと竜司と祐介の視線が交わった。真も気が付いたようだったが何も言わなかったため、竜司はボックス席に暁を押し込めた。
 一通りの報告会が終わり、獅童のパレスが国会議事堂であることを突き止めてから解散した後、一足先に竜司がふらりと姿を消した。
「あれ、竜司は?」
 四軒茶屋駅前できょろきょろと見回す杏に、祐介はドラックストアだと答えた。閉店時間が迫っており、急いで行ったのだ。
「暁の、あの怪我だからな」
「ああ、そっか。でも、マスターが手当てしてくれてるんじゃないの?」
「たぶん、やせ我慢をしているのだろう。明らかに、重心がおかしかった」
「それは私も気が付いたけど、そんなに?」
 芸術家の目が捉えた観察で断言する祐介に、合気道の心得のある真が首を傾げたが、それには冴が痛ましげに視線をそらせた。
「彼、脱出する時に脚を引きずっていたわ」
「えっ!?」
「そんな・・・・・・!」
 杏と春が息をのみ、冴が悔し気にうなずいた。
「死んだことになっている彼を、軽々と医者に診せるわけにはいかないわ。それに、あの怪我は明らかに暴行を受けたもの。血液検査なんてされたら、打たれたクスリがまだ検出されてしまうかもしれない。通報されたら厄介よ」
 冴の言う通りで、若者たちはきつく唇をかみ、眉間に悔しさがにじむ。まさかあそこまでの暴行を受けるとは思っていなかった、という読みの甘さが、暁の回復を遅らせかねない事態を招いたのだ。
「おう、お待たせ〜」
 両手にビニール袋をぶら下げた竜司が戻ってきて、祐介は袋のひとつを竜司から受け取りながら、女性陣に向き直った。
「女性が見るのは憚られるかもしれん。俺たちに任せてくれ」
「ええ、その方が暁も気が楽でしょう」
「頼んだからね」
「何か入用なものがあったら、連絡してください。すぐに手配しますから」
 真たちに頷き返し、祐介と竜司はルブランへと道を引き返した。
「あれ、竜司とおイナリだ。どしたー?」
「なんだ、忘れ物か?」
 ルブランから出てきた双葉と惣治郎に首を傾げられ、竜司はにっかりと笑顔を見せた。
「あいつ、あの怪我じゃ、銭湯にも行けないだろ?」
「夜中に具合が悪くなっても、一人で何とかできるように、少し手伝ってきます。すぐに帰りますし、カギは暁に閉めてもらいますから」
「そうか。悪いな」
「おおぅ。男同士の友情だ。んじゃ、サラダバー」
 惣治郎と双葉を見送り、竜司は肩をすくめた。
「双葉のヤツ、全然気付いてないな」
「マスターが教えるわけないだろう。暁だってそうだ」
「たしかにな」
 ルブランの扉を開け、薄暗い店内を真っ直ぐに進んで、屋根裏への階段を上る。
「なんだ、リュージとユースケか」
 階段のてっぺんから見下してくるキラキラした青い猫目に迎えられ、二人はアジト兼暁宅である屋根裏に足を踏み入れた。
「どうした・・・・・・?」
 伊達眼鏡を外し、スウェットに袖を通した暁が、ベッドに腰かけたまま、きょとんと二人を眺めている。暁の素顔は大きな目もつぶらな、中性的に整った面立ちの美少年だが、いまは大きな痣を作り、不格好な腫れが痛々しい。
「鍋借りるぜー」
 竜司は荷物を置いて、また下に降りていき、祐介は事態を呑み込めていない暁の前に立った。
「暁、服を脱げ」
「えっ・・・・・・」
「オイコラ、ユースケ!変態も休み休み言え!」
「誰が変態だ!」
 毛を逆立てたモルガナを一喝し、祐介は険しい表情を崩さずに暁に詰め寄った。
「まさか、バレてないなんて思っていないよな?」
「・・・・・・・・・・・・」
 白皙の美貌に睨まれて、思わず視線を逸らせた暁は、観念したようにスウェットに手をかけた。痛みを堪えるように、わずかに顔をしかめながら、ずるずると素肌をあらわにする。
 痣になっていたのは顔だけではない。肩に、二の腕に、腹に、あちこちに青痣と擦り傷が出来て、所によっては赤く腫れあがっていた。
「・・・・・・・・・・・・」
「あの、祐介・・・・・・怖い」
「ははっ。顔がいい奴が凄むと、余計怖ぇよな」
 水を入れた両手鍋をもって戻ってきた竜司が、打ち上げの時に鍋を作ったカセットコンロを引っ張り出している。軽い口調のわりに、こちらも笑っていない目が暁の怪我を見ている。
「あーあ。それ、蹴られたんだろ」
「何をしても許されるとでも思っているのか・・・・・・!」
 暁の手を取った祐介の視線が、手錠で擦り切れた手首に固定され、ますます眼差しが険しくなる。しかし、暁はふわりと微笑み、首を横に振った。
「俺も大人しく言いなりにはならなかったから。だいたい、そうしたくてやったわけじゃなくても、散々警察の面子を潰してきたのはこっちだ。ムカつかれて当然だろ」
 わざわざ予告状をばら撒き、宣言通りに悪人自身の口から罪を告白させ、警察も捕まえられなかった犯罪者を自首させた。そしてそこに、殺人容疑が上乗せされ・・・・・・。しかし、その正体が、生意気な態度の高校生だとは思われなかったようだ。
「クスリはヤバかったけど、正直、殴る蹴るで済んでよかったよ。男子高校生を犯そうなんて思わない、良識ある公僕で助かっ、た・・・・・・」
 ほとんど殺意をにじませた祐介の視線に、暁は口を噤んだ。竜司も呆れて、盛大にため息をつく。
「オイオイ、その程度でリョーシキあるコーボクなのかよ・・・・・・。ほら、さっさと下も脱げよ」
「リュージ、オマエも変態か!!こいつの尻は大丈夫だって言ってんだろ!!」
「なんでそうなんだよ!?」
 再び毛を逆立てるモルガナを宥め、暁は完敗の態でズボンも脱いだ。脚にもあちこち青痣があったが、右膝から下の腫れは著しかった。
「なん、だよ・・・・・・これ・・・・・・」
「これは・・・・・・。歩き方がぎこちなかったのは、このせいか」
「・・・・・・・・・・・・」
 モルガナにまで半眼で睨まれ、暁はぼそぼそと白状した。
「自白調書にサインしろって・・・・・・つっぱねたら、折るぞって脅されて・・・・・・」
「なんっ・・・・・・っざっけんなああぁあああっ!!」
 びきびきとこめかみに青筋を立てて叫ぶ竜司に、夜だから静かにしろと暁が諫める。かつて鴨志田に脚を潰された竜司が、ことさら憤る気持ちはわかるが、さすがに近所迷惑だ。
「竜司、暁の脚を頼む」
「・・・・・・おう」
 二人がかりで体中に手当てを受け、時折痛みに顔をしかめたが、暁は大人しく湿布と絆創膏と包帯の世話になった。見えなければ大丈夫だろうとでも思ったのか、おそらく惣治郎にも、心配をかけさせまいと、ろくな手当をさせなかったに違いない。
「パレスで負った傷なら、ワガハイが治してやれるんだがな」
「まったく、猫の手も借りたいぐらいの傷の多さだ」
「猫って言うな!」
 ピッキングもできる肉球だが、自分よりも大きな暁に包帯を巻くのは難しいようだ。
「それで、サインはしたのか。調書に」
「うん。脚を折られるよりはいい」
「それって、普通名前を書くもんじゃねーのか?」
 答案用紙に名前を書くような調子の竜司に、祐介は呆れて目を眇めた。
「馬鹿な。本人の署名が入れば、やってもいない罪を犯したと認めたことになる」
「え、それヤバくね!?全部暁のせいにされちまうじゃん!」
「もうされても大丈夫だよ。俺は死んだことになっているし、こうして生きているから」
「あ・・・・・・?」
 暁の言いたいことに頭が追い付かなかった竜司に、祐介が噛み砕いて伝えた。
「死んだ人間からは、自白は取れないな。まあ、多少罪状が盛られて、このまま被疑者死亡のまま、書類送検・・・・・・ということになっても、たぶん大丈夫だ。まだ異世界を利用したいはずの獅童や明智が、認知訶学に関することをばらすとは思えん。現行犯逮捕はされたが、結局手口は不明のままだし、暁にすべての罪を着せようとしても、ここで生きている本物が、『無実であり、死んでもいない』と公表すれば、すべてがひっくり返る。むしろ、でっち上げなんかしたらバレて恥をかくのは警察の方、というわけだ」
「お、おう、なるほど・・・・・・?」
「時間的にもニージマしか暁の聴取ができなかったのは、警察内部で知られているはずだ。いまさら暁のサインがある、偽の自白調書があっても、何の意味もない。ニャハァフフフゥ。シドーのヤロウ、わざわざ警察の汚い仕事を潰してくれたな」
 竜司はまだ半分ぐらいわかっていなさそうだが、モルガナの尾は機嫌良さそうにぱたぱたと床を叩いている。
「うーん・・・・・・よし、こんなもんか。暁、立ってみてくれ」
「ん・・・・・・あ、れ?楽だ」
 竜司によって、暁の脚は湿布の上からがっちがちにテーピングを施されていた。立ち上がった暁自身も、痛みの少なさに不思議そうに足踏みをしている。祐介は少し離れて、伸ばした腕の先で鉛筆を立てて暁を眺めた。
「ふむ。バランスはまだ不安定だが、重心はほぼ戻ったな」
「無理に走らなければ、そのうち痣も腫れも引くはずだ。大人しくしとけよ?」
「ああ・・・・・・ありがとう」
「へへっ。もっと俺たちを頼れって言ってるだろ、リーダー?」
「竜司の言うとおりだ。お前が黙っていると、余計に心配になる」
 二人に説教され、暁は大人しく「ごめん」と謝った。
 手当てが終わった暁はスウェットを着なおして、湯で温めたタオルを首の後ろに当てると、ぐったりと粗末なベッドに伸びてしまった。やはり、怪我のせいで体が熱を持ち、疲労が抜けきらないのだろう。