人獣心中 −3−


 体に染み込むような冷気を感じて、祐介はだるい瞼を持ち上げた。少々の息苦しさに身動ぎをしようとしたが、自分の身体が縛り上げられて、吊るされているのを自覚すると、一気に眠気が吹き飛んだ。
「ゥ・・・・・・フ、ウッ!」
「お、もう起きた。さすがと言うべきか、一刻も持たなかったな」
 濡羽色の着物がよく似合う、色気のある瑞々しい肌色をした男が、やや吊りぎみの大きな目をほころばせている。
 昂の言葉を信じるのなら、祐介が訪ねてきた時間から算して、まだ昼八つ(午後二時)を過ぎたあたりだろう。高い窓からの明かりが、うすぼんやりと祐介の視界を青く照らしていた。
「悪いな。あんまり暴れられるとやりにくそうだったから。終わったらすぐに解いてあげるから、少し我慢して」
 昂は祐介の前に少しかがみこんで、本当に申し訳なさそうに頭を撫でてくるが、そんなことは慰めにならない。
 噛まされた猿轡は、大声を出させないというよりも、自決を阻害するためのものだろう。男物の着物は脱がされ、その下に着こんでいた忍装束のまま、縄抜けもできないよう、後ろ手にがんじがらめにされて吊るされていた。両脚もそれぞれ膝で曲げてくくられており、股の開閉は出来ても膝すら地面につかない。
(不覚・・・・・・!!)
 武器はすべて取り上げられており、見渡せる範囲には見当たらない。祐介の今の姿勢では見えないが、自分を吊るす縄は、おそらく梁のどこかに繋がっているだろう。踏み固められた土間、薄暗いここは、たぶん土蔵の中だ。
「ふぐっぎぐ!」
「毒は入っていなかっただろ?俺は、必要もないのに嘘はつかないよ」
 祐介は口惜しさにギリギリと昂を睨みつけるが、昂は至極真面目な表情のまま、一本の巻物を祐介に見せた。それは大きさから言って、あの時昂が盗んでいった掛け軸に相違ない。
「ほぐ、ぁ!!」
「これなんだけど、斑目がいつ、どういう経緯でこれを手に入れたのか、祐介は知ってる?」
「フッ」
「まあ、そうだよね。この掛け軸が描かれたのは、たぶん祐介が誘拐された時なんだよ」
 昂の言っていることが理解できなくて、祐介は自分の状況も忘れて、目をしばたいて首を傾げた。言っている内容はわかる。しかし、昂の声が言葉の羅列を耳に流し込んできただけで、頭の中での咀嚼が追い付かない。入手経路の話から、なぜ制作時の話に飛ぶのか。
 昂は掛け軸をぽんぽんと手の中で弄び、どうやって言えばいいのかと悩むように首を回した。
「端的に言うと、こいつはまじないの品だ。おそらく、修験道の流れをくむ手法だと思う。あの斑目が描いたとは思えないが、こいつを外から解除するのは、俺のような外道には難しい。俺のお師匠さんでも、厄介だと言うだろうな。・・・・・・まあ、それは置いておいて、問題はこいつの使い道だ」
 鷲掴みにした掛け軸で祐介を指した昂の中性的な美貌が、心底馬鹿にしたように歪み、赤い唇がニィッと吊り上がった。
「この掛け軸の持ち主が、誰であろうと祐介の飼い主ということになる」
(馬鹿な・・・・・・!)
 そんな滅茶苦茶な話があるかと、祐介は自由にならない身体のままで呆れたが、長く密な睫毛に縁どられた昂の目は、ニヤニヤと可笑し気に祐介を見つめている。
「なあ、祐介。俺を追うこと、この掛け軸を探すこと・・・・・・斑目は許可したか?」
「・・・・・・・・・・・・」
 自分の作品庫から何が盗まれたのか把握した斑目は、急いで賊と掛け軸を探すよう、護衛や同心たちを怒鳴りつけたが、祐介には捜索の許可を出さなかった。それどころか、みだりに外へ出るなとまで言われたのだ。
(しかし、どうしても探したかった)
 斑目の役に立ちたいという気持ちもあったが、それ以上に、よすがが消えてしまったような心細さに襲われてたまらなかったのだ。いま昂が手にしている掛け軸には、懐かしい様なおぞましい様な、酷い胸騒ぎを感じさせながらも、どうしようもなく惹かれていた。
「斑目は祐介を雇う時、誰かからこの掛け軸を買ったか、譲り受けたか、あるいは盗んだはずだ。その辺の事情までは、俺は知らないけど・・・・・・これが証拠だ」
 昂は掛け軸を広げ、そこに描かれたものを祐介に見せた。
「!!!」
「まったく、悪趣味だよな」
 どす黒い絵具で描かれていたのは、尾を体に巻き付けるように丸めて横たわる小さな獣の上に浮き上がる少年と、『喜多川祐介』の文字。
(なんだ、これは・・・・・・!?)
 こんな物があるなど、祐介は知らない。斑目に仕えて数年、主に仕えるのが当たり前と思っていた。だが、その前は?自分は何をしていた?
(俺はいつ、どこで、忍の修行をしていた・・・・・・?)
 幼いころ、里で修行をしていた記憶はぼんやりとある。だが、そこに誰といたのか、従うことのみ覚えているだけで、一緒に過ごしていた人間たちを思い出せない。
「気色悪い呪いだ。この墨・・・・・・殺されたという祐介の御母堂の血じゃないかな。血縁でさらに縛るなんて、下種にもほどがある」
(殺された・・・・・・!?)
 祐介が愕然としているうちに、昂は掛け軸を壁の凸面に引っ掛けて晒した。掛け軸の中に描き留められた少年は、吊るされて身動きのできない、今の祐介と同じだ。自分を貶めた人間に、手も足も出ない、惨めな負け犬だ。
「というわけで、祐介、次の飼い主は俺になったわけだ。従うのが嫌なら、必死の抵抗をしてみせろ」
 祐介は顎を掴まれて、見下してくる昂と無理やり目を合わせられた。
「母を殺し、自分を捕らえた人間を恨め。何も知らずにいた無知な自分を、真実を知ってもなお、何の力もない、弱々しい自分自身を憎め。お前はたかだか掛け軸一枚に閉じ込められてしまえる、矮小な魂でしかない!・・・・・・ハハハッ、俺が飽きるまで、飼ってやるよ」
 身動きのできない祐介を見つめる昂は、艶やかな赤い唇から白い歯をのぞかせて酷薄に笑ってみせた。

 痛みなら覚悟していた。だが、祐介に与えられたのは、生温く這い回る愛撫だった。
「ッ・・・・・・!」
 さっきから濡れた舌が首筋を這っては、柔らかな唇が強く吸い付いて、あちこちにチクリとした痛みを残していた。くすぐったい様な、ぞわぞわする感覚に驚いて、身を震わせたのは一度ではない。
 祐介の長い髪を優しくのけた指先が、祐介の首の後ろを強く弱く撫でて、思わず仰け反った喉を甘噛みされた。
「フッ・・・・・・ン、ンンッ!」
 生殺与奪を握られていることを覚えさせるように、昂の指先は人体の急所を執拗に撫でていく。眉間、こめかみ、首筋、喉、鎖骨・・・・・・。紅色の着物の袷を力任せに広げられ、身体に食い込む縄に引き攣れる。
「ぐ・・・・・・」
「痛かった?」
 喉の奥で笑い完全に面白がっている昂の頭には、猫の耳がにょっきりと生えている。ふわふわのくせ毛から飛び出した三角の耳は、祐介の息が当たるたびにぴくぴくと動き、黒い眼の中で瞳孔が大きく丸く開いていた。
 いままでは気にならなかったが、昂が祐介に体をこすりつけるような仕草をするたびに、獣のような匂いがふわりと鼻先に漂ってくる。不快というわけではなく、むしろ懐かしい様な気分と共に、祐介の嗅覚が鋭敏になっているような気すらした。
(化け猫が・・・・・・ッ!)
 祐介が睨むと、昂はさらに嬉しそうに、にっこりと微笑んだ。
「動くなよ」
「ぅぐ・・・・・・ッ!」
 昂は祐介の喉を一掴みにすると、懐から取り出した匕首を口に咥え、すらりと刀身を抜いた。くっと胸を引っ張られる感覚がしたが、それは着物の下にある鎖帷子をひっかけられたからだ。
(まさか・・・・・・!?)
 防刃性に優れ、いままで一度も祐介の肌に刃を届かせたことのない防具が、まるで紙でも割くようにぷつつつと切り裂かれていった。喉輪が外されて慌てて胸元を覗き込めば、無残にも鎖の破片が地面に落ち、縄の間から胸があらわになっていた。
(たいして力を込めたようにも思えなかった・・・・・・!)
 祐介が信頼している防具は、ただの短刀などで切れる代物ではないはずだ。この技量でこの得物を振り回されていたら、あの夜、屋根の上で返り討ちにあって倒れたのは自分の方かもしれない。そう考えると、祐介の背に冷たい汗が流れた。
 自分よりも遥かに強者であることに気づかず、片手間にあしらわれた結果が今の状態であるとの認識が、祐介に絶望的な気持ちを起こさせた。昂の言う通り、自分など簡単に捕らわれてしまうほど卑小なのか。
「どうしたの、祐介?怖気づいている暇なんてないよ?」
 ぐっと首後ろの襟を掴まれて仰向かされると、縄できつく戒められているところまで着物がずれ、祐介の両肩があらわになる。
「ぐ、ゥ・・・・・・!」
「もっと抗ってよ。俺をがっかりさせないでくれ」
 昂の目は、機嫌良さそうに細められていく。あの夜、斑目の作品庫の前で、祐介を上から下まで眺めた時と同じだ。クスクスと笑う昂の両手が祐介の厚いとは言えない胸を探り、他人に触られたこともない両乳首を強く抓りあげた。
「ヒュッ・・・・・・ぅッ、ンンっ!」
「ふふっ、痛かった?」
 痛いに決まっているだろうと怒鳴りたくても口は塞がれ、祐介には抵抗するすべもない。指の腹が乳輪の際を撫で、刺激に乳首がぷくりと勃起すると、先ほどとは変わって、強すぎない力でくりくりとつまんだり押し潰したりを繰り返す。
「ぅンン!ふぐ、ぅ・・・・・・!」
 両乳首を弄られてともったじんわりとした熱が、きつく縛られた体の内側を縄に沿うように伝播していき、祐介は慣れないむずがゆさに身をよじった。
「一応、感じてはくれてる?祐介って綺麗で淡白そうに見えたからさ、心配だったんだよね」
「ンッ、ふ・・・・・・ぅうぁっ!」
 耳をくすぐるように甘噛みされ、ぬるりとした舌が温かな息と一緒にねじ込まれても、ぎゅっと目を瞑って堪えるほかない。ゴソゴソぴちゃぴちゃと耳の中で音が響き、それから逃げようともがくたびに、縄がギリギリと身体に食い込んで痛む。
(感じているかだと!?これの、どこが・・・・・・っ!)
 こちらが動けないからといって、いい様に弄繰り回される腹立たしさに睨みつければ、黒く密な睫毛に縁どられた大きな目が、花がほころぶように華やかに微笑んだ。
「そう、そうだよ。嬉しいな・・・・・・もっと抵抗してくれ」
 縄の上からぎゅっと抱きしめてくる腕が、祐介の体を撫でまわして、最終的に小さく引き締まった尻に、両手指がかかった。
「!?」
「簡単に堕ちないよね?ねぇ?」
 猫が喉を鳴らすような機嫌のよい低い声が、唾液に濡れた祐介の耳に染み込んできた。