人獣心中 −2−


「やっぱり貴方の仕業だったのね」
 出された湯呑を両手に包み、日当たりのいい縁側に腰かけた新島真はため息をついた。彼女は旗本の次女だが、両親は亡くなって久しく、現在は姉の冴が家督を継いでいた。武家の娘らしく教養も武芸の嗜みもあり、姉妹揃って美人だと評判なのだが、縁談には興味が薄いとの噂だ。
 尤も、真からして供も連れずに昂の冒険譚を好んで聞きに来るようなお転婆であるから、身分や財産くらいしか売りどころのない男には食指が動かないというのもうなずける。
 ただし、いま二人がいるここは昂の家ではなく、元々は新島家の武家屋敷なので、どちらかと言えば自分の家に帰ってきているようなものだ。現在冴は国元で領地の管理をし、真だけが残って、住み込みで他家の子女の家庭教師を務めていた。それなりに事件と言える経緯は省くものの、昂は冴からこの屋敷に住むことの許可を得る代わりに管理を任されていた。もちろん、なにかあった時の真の逃げ込み先と護衛も兼任している。
「相変わらず、派手なことがお好きだこと。お姉ちゃんが聞いたら、渋い顔をしてなんて言うか」
「奉行所の世話にだけはなりたくないから、必要以上に立ち回りはしないさ」
「本当かしら」
 真は昂が淹れた茶を楚々と口に運び、満足げな吐息を漏らした。
「美味しい。それで、オタカラはちゃんと手に入れたの?」
「半分だけ」
「半分?」
 気の強そうなぱっちりとした目をしばたいた真に、昂は苦笑いを浮かべて袖をまくって見せた。左前腕にしっかりと巻かれた白い包帯が痛々しい。
「怪我をしたの!?」
「こっちが武器を抜く暇もなかった。ペルソナが守ってくれなかったら、腕ごと斬り飛ばされていたかもしれない」
「昂を追い詰めるなんて、相当な手練れのようね」
「すごい恰好だったけどな」
「は?」
 なんでもない、と昂はごまかし、目頭を揉んで昨夜の衝撃的な映像を無理やり頭の中から追い出した。あの格好が標的の悩殺目的なら、昂相手には充分に効果があった。ただでさえキリッとした表情を浮かべた端正な顔が好みだというのに、相反するように扇情的な、あらわな脇とすらりとした白い脚は反則だ。
「とにかく、あいつは必ず、掛け軸を追ってくる。例え斑目が止めても、追わずにはいられないはずだ」
「なぜ?」
「あの掛け軸が、あいつの魂の形を閉じ込めたものだからさ」
 これ以上は内緒、と昂が唇の前に指を立てると、真も仕方なさそうに笑って湯呑を傍らに置いた。
「そう。それじゃあ、結末はまた今度聞かせてね。追手が来るのをわかっていて巻き込まれたら、お姉ちゃんに叱られるわ。お茶ご馳走様」
 聞きわけよく腰を上げた真だが、少し心配そうに昂を振り向いた。
「ねぇ・・・・・・ううん」
 昂に対して困っている人を助けられるかと聞くのは、全力を尽くすという答えが返ってくることで、それはつまり、このような怪我を厭わないという覚悟を、真が容認するということだ。わかっているからこそ、明確に言葉にすることをためらった真に、昂はにこっと微笑んで断言した。
「心配しないで」
「貴方がそういうなら、信じるわ」
「うん」
 裏木戸から帰路につく真を見送ると、昂は反対側に向き直り、親し気に笑い声をあげた。
「いらっしゃい。上がっていけよ、茶ぐらい出すぞ」
 そこには、嫌そうに顔をしかめた喜多川祐介が、腕を組んで立っていた。

 昂は青藍色の着物に紺の羽織姿の祐介を招き入れたが、祐介は警戒したままでなかなか縁側にも座ろうとしない。昂以上の長身痩躯で、長い髪を結い上げ、今日は男の恰好をしているから、涼やかな眉目の青年だとわかる。しかし、相手にとって昂は、大事な主君から宝を盗んだ咎人なので、いくら穏やかに接しられても、警戒をしすぎることはないのだろう。
「取って食いやしないよ?」
 囲炉裏の茶釜が湯を沸かすまで、昂は今朝作ったばかりの菓子を出した。
「これは?」
「芋餡のおはぎだよ。嫌いだった?」
「いや・・・・・・」
 黄金色の餡に包まれた菓子には黒胡麻がちょこんとまぶされ、大変上品な佇まいで皿の上に載っている。
「なぜ、こんな高価な・・・・・・」
「作り方を知っていて、材料と道具があれば作れるよ。他にも作ろうか?」
 祐介は絶句してしまったが、昂としては嗜みの範疇だ。出自が違えば、おのずとできることも違ってくる。材料も庶民が揃えようとするのは大変だが、ある程度の伝手と金があれば、どうにでもなる。
 しかし祐介は、それを昂が武家に仕えているからだと勘違いした。
「新島家御家中が、なぜ盗みなどをする!?」
「いや、俺は新島家とは何の関係もない」
「は!?」
「まぁ、座れ。話すと長くなる」
 陽の下で目を白黒させる白皙の美貌に、昂は笑って円座を勧め、居心地悪そうにでも腰を落ち着けたのを確認してから、あらためて黄金色の菓子を押しやった。
「毒は入っていない。俺が試しに食べてもいいよ?」
「いや・・・・・・いただこう」
 祐介はおはぎをひとつ掴んで頬張ると、カッと目を見開いて叫んだ。
「ンンッ!?美味いっ!!なんだこれは!?甘い!なんという甘さ・・・・・・!しかも滑らかで上品な餡だ。芋がこれほど滑らかになるのか?もち米はふっくらもっちりしているのにべたつかず、最高の搗き具合!貴様ッ、何処でこれを覚えた!?」
 つかみかからんばかりの勢いでにじり寄られ、昂はその勢いにあっけにとられつつも、自分の分の皿も押しやった。
「あ、ありがとう・・・・・・えっと、まだあるよ。食べる?」
「いいのか!?いただこう!!」
 美形を台無しにしながら、頬を膨らませてもぐもぐと幸せそうにおはぎを咀嚼する祐介に、昂は熱い茶を注いだ湯呑を供した。
「・・・・・・さて、何処から話そうか」
「ムグッ・・・・・・では、まず貴様の名から聞こう。貴様は何者だ?なぜ旦那様の絵を盗み、なぜ今日は逃げない?」
 甘味に緩んでいた顔を熱い茶で引き締め直した祐介が、腹立たしさを思い出したのか、眉間に険しさを滲ませて昂を睨む。昂はそれまで正座にしていた脚を胡坐に崩して頬杖を突き、空いたほうの指先をすいすいと動かして、ゆっくりと話し始めた。
「俺の名は、滝浪昂。サンズイに竜と、良し。昂るとか意気軒昂とかの昂。縁あって新島のお姫さまたちと知り合って、ここに居候中。一応人間だけど、昨夜祐介が見た姿も、まやかしではないよ」
「まて、俺の名を知っているのか?」
「もちろん。喜多川祐介。美術商で画家の斑目一流斎の護衛で、凄腕の忍。着任以来、斑目の屋敷から盗みを働こうとした者は、俺を除いて全員その場で捕まえている。ただし、やたらと露出の高い・・・・・・くのいちの恰好?あってる?」
 渋々頷いた祐介だが、それは自分の身分が知れているという点にであって、あの衣装をまとうことに関しては意に介していないようだ。祐介はおはぎを完食して、満足げに煎茶をすする。
「貴様は、新島家の禄を食んでいるわけではないのだな」
「俺は何処にも属していないよ」
「だが、ここに住んでいる以上、事が公になれば、新島家にも累が及ぼう。さっさと盗んだ物を返せ」
 祐介は満腹になったせいか、どこか重たげに瞬きをしながらも昂を睨む。ここが旗本の屋敷であることと、昨夜の戦闘で互いの力量がある程度わかったためか、力尽くでの解決は最後の手段としてくれるのは、昂としてもありがたい。
「あの掛け軸のことなら、しかるべき処置をして、あるべき場所か人に戻す。斑目屋がいくらで買ったのか知らないけど、返すつもりはない」
「盗人が・・・・・・え、買った?あれは主が描いたものでは・・・・・・」
 昂が侵入した場所が、他所と売買される商品ではなく、斑目が作った商品を保管してあるはずの場所だったので、祐介はそう思い込んでいたようだ。
「斑目屋にあの絵が描けるとは思えないな」
「主を愚弄するか!あの方の絵は、公家や大名へも・・・・・・」
「子飼いの絵師に描かせたものだろう?知らないとは言わせないぞ」
「な・・・・・・」
 斑目一流斎が、才能ある若い徒弟に描かせたものを、自作だと偽って売っているのは本当だった。評判になって大量に刷られた、昂も見たことのある浮世絵も、実は弟子の一人が下書きをした物だったらしい。
 昂から目をそらせて肩を落とした祐介は、それを知っているはずだ。自身は絵に関わっていなくとも、あの屋敷で斑目の身辺に侍れば、嫌でも目に入ろう。
「俺は何も、斑目が盗作しているのを責めるつもりはない。個人的に嫌悪感があるとはいえ、俺は今回、その件に関しての依頼を受けていないから。だが、飛び抜けた画才も特殊な技術もないうえに、そもそも金にならないことをやる気がない斑目に、あの絵を描けるとは思えない。だからこそ、どこで手に入れたのかが気になる」
 これでもかと斑目をこき下ろした昂に祐介は面白くないと表情を渋くするが、昂が言っていることには少し興味を持ってくれたようだ。埋もれた記憶を探るように、細く長い指が白い額を覆う。
「そういえば、怪文書には神仏を冒涜する品と書いてあったな・・・・・・」
「予告状と言ってくれ。できれば、あの絵を描いた人間を探し出したいところだけど、いまはそんなことやっている場合じゃないし」
「どういう、意味だ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
 昂は無言のまま、力を失っていく重い頭を支える指の隙間から放たれる、祐介の険しい視線を受け止めた。こんな手段はとりたくなかったが、他に上手い方法を思いつかなった。
「俺はとある筋から、『奪われたものを盗り返してほしい』と依頼を受けた。調べの結果、それは斑目の屋敷にあることが判明して、盗みに入った。・・・・・・そして、俺が盗みたかったのは、掛け軸じゃない」
 昂は空になった皿を除け、傾いた湯呑をそっと取り上げ、痩せぎすな肩を支えてゆらゆらと危げな頭を撫で抱えた。
「き、さま・・・・・・」
「オヤスミ」
 この頃の寝不足がたたったのだろう。祐介の必死の抵抗もむなしく、薄いくまの上に長い睫毛が降りていった。