言えない感情 ―2―
今日はメメントスには行かない、そう昂は言ったが、他の三人と一匹が被害を抑えるために依頼を片付けようと主張したため、祐介をみんなで寮まで送り届けることを条件に、予定通り二件の依頼を片付けて帰路に就いた。
「社会科見学?」 「そう!私たちTV局に行くの」 「ゲーノージン見放題だぜ!」 「ほう。うちの学校にも、そういう行事があればよかったが・・・・・・」 「でもさ、洸星高校って祐介みたいに才能が光ってるコが多いんでしょ?いまさら社会科見学っていうのも、変じゃない?」 「そうとは限らん。みんながみんな、というわけでもないし、自分が目指しているものとは別の世界を見ることで、より自分の為になることもある」 「へ〜。そういうモンか」 「視野を広げるためってことかぁ」 和気藹々とおしゃべりをしながら歩く三人の後ろで、昂はバッグの中のモルガナと小声で話していた。 「なあ、変質者がユースケだけを狙ってるってホントか?」 「たぶんね。誰でもいいなら、斑目邸の近所を縄張りにして、いままでにも被害があっただろう。だけど、わざわざ弱っている祐介を狙ったなら、寮のあるこのあたりでも襲ってくるはずだ」 「弱っている?」 「・・・・・・祐介は、いままで自分の周囲にあったものを、全部失った」 親代わりの師匠、住み慣れた家、心の拠り所、世間の評判、是としていた価値観・・・・・・。それらをいっぺんに失って、弱らない人間がいるだろうか。 「はぁ。オマエと一緒か」 「俺はもう、慣れたけどね」 昂を取り巻く気配が一瞬冴え、素早く周囲を確認する眼差しも鋭くなる。 「見える」 「相変わらずスゲー感覚だな」 「モナのヒゲと同じくらいだよ」 「まあな!・・・・・・って猫扱いするんじゃねー!」 ニャーニャーと煩いモルガナをバッグの中に押し込め、昂は前を歩く三人に駆け寄って、手早く指示を出した。 「了解!」 「気をつけてね」 手を振って離れていく二人は、遠目で見たら帰り道で別れたように見えるだろう。昂と祐介は並んで歩きながら、周囲の通行人から離れるよう、微細に歩調を調整した。 「ごめん、祐介。結局おとりのようにしてしまって」 「かまわん。逆に感謝している」 自分一人では何もできなかっただろう、と祐介は昂に小さく微笑んだが、もう一度あの恐怖に立ち向かわねばならないせいか、自分の腕をつかむ手に力がこもっている。 「・・・・・・絶対に守るから、信じてて」 「もちろんだ」 分かれ道で立ち止まり、後ろを歩いてきた通行人をやり過ごすと、ふいに祐介の腕を昂がつかんだ。 「なに・・・・・・?」 自分の腕をつかんでいた手を外させ、紫の半袖シャツに昂の唇が落ちる。軽く触れるようなものだったが、常は変人と言われる祐介の目を丸くさせるに十分突飛な行為だ。 「ここをあいつに、つかまれたんだろ?もう指一本触れさせない、おまじない」 「・・・・・・・・・・・・」 「祐介?何呆けてんの?」 「えっ、あ・・・・・・」 「ほらほら」 昂は祐介の背をポンポンと叩いて先に進めと促し、自分は手を挙げて傍らの路地に消えていった。街灯の光が届かない場所に溶け込まれると、祐介でも昂の気配を見つけられない。 「・・・・・・・・・・・・」 いまさらながら頬が熱くなっている理由を探しながら、祐介は寮に向かってぎくしゃくと歩き出した。 (な、なんだいまのは・・・・・・っ) ずり落ちてきたバッグを肩にかけなおし、湿気がまとわりつく前髪を普段よりも熱い耳にかける。唇ではなく額が触れたのだろう、などと自分を誤魔化すことは出来ない。一瞬だけの、蝶がとまったかのような軽さだった。変質者につかまれた時の様に嫌かと言えば、まったく嫌ではない。ただ、ドキドキと心臓が早鐘を打ち始めたのは同じだ。 素顔を隠すようにかけられた、大きな黒縁の眼鏡は度が入っておらず、外側から見ても歪みはないが、光を反射して昂の表情をほとんど半減させてしまう。ぱっちりとした大きな目に浮かぶ、怒りも喜びも戸惑いも、ちゃんとわかる。ただ、何を考えているのか・・・・・・。 「おい、君!」 突然かけられた声にぎょっとして振り返ると、同じように振り返った状態の太った男と、その向こうに険しい表情の警官がいた。 「ちょっと話いいかな?なんでそんな物を持っているんだ?」 「ひっ、い・・・・・・」 振り上げられたむちむちとした手に握られているのは、あの時祐介が見たものと同じ。 「お前は昨日の・・・・・・っ!」 祐介の声に驚いたのか、男がこちらを向いたが、暗くて顔は良く見えない。忙しなく警官と祐介を見比べた男が、わっと祐介に向かって走ってくる。 「待て!!」 警官の制止など効かずに迫ってくる、凶器を振り上げた男の姿に、祐介は逃げなければと命令する頭に反して、体はぎこちなく半歩下がっただけだった。気が触れたように音階を外した叫び声が、暗い夜道に鋭く反響する。 「っ・・・・・・!?」 その時、黒いくせ毛頭が影のようにふわりと視界を占領し、祐介から男の姿を覆い隠してしまった。街灯の光を鈍く反射する金属が昂に振り下ろされるのを、スローモーションのように目視した瞬間、それまで固まっていた身体が嘘のように、祐介は飛び出せた。 「昂!!」 「!?」 タックルするように背に飛びつき、そのまま道路脇にもつれあいながら転がる。幸いなことに昂のバッグには生物的な柔らかさはなく、モルガナを巻き添えにしなくて済んだようだ。 「うっ・・・・・・」 「いっつつ・・・・・・」 昼間の雨のせいでまだ湿っている硬いアスファルトから起き上がると、太った男が足をもつれさせながらも、異様な速さで駆け抜けていくところだった。 「ああぁっわーーーっ!ああぁああーーーーー!!」 「ま、待てぇええーー!!」 目の前を走り抜けていく男と警官の向こうで、道の反対側を素早く移動する人影があった。結末を見届けに走った竜司だろう。 「このバカッ!!」 「いった・・・・・・」 駆け寄ってきた杏渾身のチョップが振り下ろされ、昂が頭を抱えてうずくまる。 「危ないでしょ!!」 「・・・・・・わかってるよ・・・・・・ハイ、すみませいふぁあたたた」 「ケガするかもしれないのも危ないけど、警察の目の前で問題おこしたら、いっちばんヤバいのは昂なんだからね!?」 本当に自覚あんの!?と杏はぷりぷり怒りながら、昂の頬をつまんで両側に引っ張る。その足元に、しなやかな黒い影が駆け寄ってきた。 「おい、ぐずぐずしていると応援の警官が来るぞ」 「そうだね。引き上げないと」 何気なく杏が差し出した手を昂が取って立ち上がり、立ち上がった昂の手が祐介に差し出される。 「大丈夫か?」 「ああ」 その差し出された手をつかむことを、祐介はもうためらわない。 しかし、泥汚れを叩き落とす手に擦り傷が出来ているのを見つけた昂が、泣きそうに顔を歪ませたのを、祐介は笑いをこらえ切れなかった。 「ふふふっ、なんだその顔は」 「だって、祐介の右手が・・・・・・肘もすりむいてる」 「このくらい平気だ。舎監のところに救急箱もあるだろう」 「ごめん」 「杏より重いんだ。このくらい当然だ」 「変な例えやめて!」 オマエら急げ、とモルガナにせかされ、三人はうなずき合う。 「またあとで」 一足先に寮の門に駆け込んでいく祐介を確認すると、昂と杏はモルガナの先導で警官の目を避けながら駅前まで戻った。祐介を襲った変質者の名前を首尾よく盗み聞きしてきた竜司が合流し、三人は疲れ切った体を電車の座席に押し込んだ。 「だぁー、しんどー」 「やっぱ異世界行った後は、疲れるわ・・・・・・」 「オマエらだらしないな」 「いやそうは言ってもさ、なんつーか、プールから上がった後?にマラソンするようなもんだって」 「トライアスロンだっけ?水泳と自転車とマラソンの。鉄人レースっていうの、わかるわ」 通学バッグを抱えてぐったりしていた杏だが、ふいにニヤリと微笑んだ。 「警察が来たの、意外と早かったね」 「ああ。やっぱ昼間のタレコミが効いたんじゃねーの?」 昂が杏に指示した言い回しは、『刃物を持った変質者』が『高校生を追い回している』という、嘘ではないが事実を少し隠したものだった。これならば、妙なバイアスをかけられずにすむ上に、捜査範囲を広く持ってもらえる。さらに犯人の背格好と凶器の形状を詳しく伝えたことも、効果的だったに違いない。 本来の作戦ならば、杏が通報している間に、竜司と昂が出ていって男の足止めをするはずだったのだが、予想より早く警官が到着したので、そのまま任せたのだ。 「あれ、昂怪我してんじゃん」 竜司の言う通り、昂の両手の平と右腕はかなり広い範囲に擦り傷を作っており、実は顎や膝も少しすりむいていた。無防備な後ろからぶつかられて転んだら、誰だってこんな傷になるだろう。 「平気。帰ったら絆創膏でも貼っておくよ」 「ホント、ナイフで切り付けられなくてよかったわ。それだけで済んだの、祐介のおかげだよね?」 「だよなー」 杏と竜司に呆れられ、昂は頭を掻いて誤魔化した。実際、頭に血が上っていたことは、本人が一番自覚していたのだから。 三人のスマホが震えたのでSNSを開いてみれば、やはり祐介からの無事の確認だった。全員無事で、犯人も警察に捕まえられたという報告に、祐介も安堵しているようだ。 「よぉっし!あとは、野郎をメメントスで改心させてやるだけだな」 「うん!明日も頑張ろう!」 気合を入れなおしてからそれぞれの家路についた怪盗団のメンバーだったが、翌日の昼には、思いもよらないニュースを目にすることになった。 |