雨に歌えば ―1―


 滝浪昂は夢の中で目を覚まし、周囲が蒼くないのを確認して起き上がった。ここはベルベットルームの牢獄ではない、だが見慣れた部屋だった。
『よう、あきら
 ギシッと椅子をきしませて振り向いたのは、癖のある黒髪と金色の目の、中性的に整った顔立ちの少年だった。東京には持ってこられなかったシャツと、健康的にキメの整った肌と、あどけなさの残る笑顔に、古いアルバムを見るような懐かしさを覚える。
「その名前で呼ぶな。俺はこうだ、その・・・・・・」
『その名は捨てた、だろ』
 ぼんやりと歪んで見えるのは、実家の自室。蛍光灯に照らされた白っぽい部屋は、しかし窓の外にはどろりとした闇が揺蕩っていた。勉強机の前を離れて昂の前に立ったのは、かつての昂の姿を色濃く映した、昂自身のシャドウの一人。
「アキラ・・・・・・」
『我は汝、汝は我・・・・・・』
 顔を覆った指の間から睨む昂に、アキラは朗らかに微笑んでみせた。現在の昂には出来ない、無邪気で少し幼い笑顔だ。絶望を経験する前の、世間知らずな、狂おしいほど惜しく感じる、失われた笑顔。
「・・・・・・・・・・・・」
『今回はどうなの?』
「・・・・・・上手くいっていると、思う。たぶん」
『たぶんねぇ。毎度毎度、よく発狂しないと思うよ、俺が言うのもなんだけど』
 アキラはひとつ肩をすくめて、昂の隣に腰を下ろす。同じ顔だが、アキラの仕草はやはりどこか子供っぽい。
「いままでにない展開を起こしている。だけど、どうしてそうなったのかがわからない」
『マジで!?いい感じになってるなら、きっかけなんてどうでもいいじゃん』
「・・・・・・うーん」
『俺の癖に悩みすぎ』
「そんなこといわれても・・・・・・」
『今度こそ失敗しないようにすればいいだけの話だろ。もう、周回しすぎで頭のネジが二、三本行方不明になっているんだし、きっかけのひとつやふたつ、忘れててもおかしくないよ』
「・・・・・・まあ、それもそうか」
 自分のシャドウに丸め込まれるのも悔しいが、ひたすらポジティブなアキラにしゃべらせると、自分の悩みが取るに足らないもののような気がしてくる。
『それで、ここに現れたってことは、溜まってるんだろ?』
「たぶんな」
『自分の体のことくらい把握してよ、もー』
 アキラは呆れて嘆息し、悪戯っぽく微笑みながら昂に顔を近付けた。昂はそれを避けず、柔らかな唇を受け入れる。両腕に抱きしめられて、何度も繰り返すキスに息が弾みだす。
『久しぶり、だね』
「そうだな」
『たくさん気持ちよくなろうな』
「スケベ」
『俺はモテるからいいの。ビッチ属性のくせにタチになりたいとか言い出す奴に言われたくないよ』
「ビッチいうな!」
 眉間にしわを寄せた昂を、アキラはくすくす笑いながらベッドに押し倒す。
『反逆の魂が強すぎるのも、善し悪しだよな。相手を煽るだけ煽っちゃうんだから。そこをエロいとか勘違いされたら、まあ、目も当てられない』
「黙れ・・・・・・っ」
 スウェットをまくり上げられ、無防備な脇を撫でていく手つきに昂の息が弾む。乳首に吸い付いた粘膜の湿り気に、思わず相手の肩を掴む。
「っ・・・・・・ぁ、は」
『力抜けよ。適度に発散させておかないと、辛いのはお前だぞ』
「くそっ・・・・・・」
 自棄のように自分で上着を脱いだ昂の手を、アキラの手が指を絡ませるように握った。夢の中で自分とセックスをする行為は、自慰と呼べるのだろうか。性感帯も嗜好も知っている体だから、追い上げられるのも早いし、煽りポイントも的確だ。
 首筋や脇に強く吸いついた唇が赤黒い痣をつけ、ピンと硬く芯を持った乳首を強くつままれると、いくら相手が自分だとしても甘い声が出てしまう。
「はっ、ぁっ!アキラ・・・・・・ぁ!」
『・・・・・・ほんとに、コウはエロい顔するよな。自分の顔がこんなだとか思うと恥ずかしい』
「そう言うお前の顔を、鏡で見せてやりたい」
『照れるなぁ』
 振り抜いた昂の拳は、アキラの手でひょいといなされてしまった。下着ごとするりと脱がされたズボンの下は、上気した顔とは反対に反応が薄い。
『こっちは相変わらずか』
「っ・・・・・・しかた、ない・・・・・・ッ!?ぁ!!」
 温かい口の中に含まれて、昂の腰が跳ねる。ちゅぷちゅぱと音を立ててフェラチオをされても、快感によじられる体とは裏腹に、やはり昂のそこは反応がない。
 滝浪昂は、勃起不全を患っていた。性的快感は得られても、挿入と自力での射精が困難になっており、女性との性交はほぼ不可能だった。
『は・・・・・・。これでも俺は、喜多川祐介に期待しているんだ』
「な、に・・・・・・?」
 アキラの金色の目が、昂の黒い目をじっと覗き込む。同じ顔で、同じように快楽に甘く蕩けた表情をしていても、下半身の反応はまるで逆だ。
 しっかりと勃起したものを見せつけるでもなく、服を脱いだアキラは昂の脚を開かせて、伝い落ちた唾液に濡れた窄まりに指をねじ込ませた。
「ぁああっ!!」
『早く俺を取り戻せ、コウ。そうでなきゃ、祐介に入れられないぞ?』
「わかって、るっ!ぁうっ!」
『こっちに入れさしてやったっていいのになぁ・・・・・・』
「男、相手に・・・・・・っ、ふつう起つかよ・・・・・・」
『祐介だって、好きになった相手になら、起つんじゃない?まあ、コウは祐介に入れたいから頑張っているんだけどさぁ?』
「はっ、は・・・・・・わかって、るなら・・・・・・言うな。集中しろ・・・・・・!」
『はいはい。それじゃ・・・・・・』
 ぐりっ、と前立腺を押し上げられて、昂は高い悲鳴をあげた。イきたいのに、快感ばかりが渦巻いて解放されない。言うことを聞かない体に翻弄され、昂はか細い呼吸を繰り返した。
「ハッ・・・・・・ハッ・・・・・・」
『あれ、まだ出ない?まさかドライ?』
「本気で殴られたいかっ!?・・・・・・はぁっ、早く入れろ!」
『そんな顔するの、俺の前だけにしてよ?これだからビッチ属性は・・・・・・』
「うる、さいっ・・・・・・はっ、はぁっ!ああぁっ!」
 自分から四つん這いになる羞恥に、顔を背けてシーツを握りしめると、軽く解されただけの場所に、覚えのある塊が無遠慮に押し入ってくる。ゆっくりとだが、逃げようとする体を押さえつけられての容赦のない挿入に、泣き言を言いそうになって唇を噛む。
「く、ゥ・・・・・・はッぁひっ・・・・・・ぅ!い、ぁ・・・・・・あッ!」
『はぁっ・・・・・・、それじゃあ、同期させるぞ』
「まっ・・・・・・」
 もうちょっと慣らしてから、と制止するまもなく、後頭部を押さえつけられえて自分のものとは違う感覚がリンクする。萎えたままの性器に絡みつくような圧迫を感じて、昂は自分に覆いかぶさっているアキラの下で体を跳ねさせた。
「ぅあああッ!!」
『ッ!!・・・・・・クッ、暴れるなっ!!』
 アキラにも昂の入れられている感覚があるせいで、力加減が難しくなる。だが、昂に勃起からの射精感覚を思い出させるには、これが一番手っ取り早いはずなのだ。それが互いにわかっているからこそ、こんなことをしているわけで。
「や、ぁ・・・・・・ッ!も・・・・・・ア、キラぁ・・・・・・ッ」
『ふぁッ!?・・・・・・そこ、ヤバ・・・・・・ッ!コウ動くなって・・・・・・!』
「う、動いてんの、そっち・・・・・・!」
 比較的楽な姿勢だが、浅い所にある性感帯を緩く突かれるたびに、自分の性器がぬるりとこすられる快感も重なって、喘ぎ声は出ても上手く呼吸ができない。少しも勃起していないはずなのに、きゅうきゅうと締め付けられるなかに出したいと射精感が高まる。
「はぁっ、アキラ、で、るっ・・・・・・も、イきたい・・・・・・っ」
『出したいのは、祐介の中だろ?』
「ヒッ・・・・・・ァ!ああぁッ!」
 相変わらず萎えたままでも充分に膨らんだ睾丸を指先で弄られて、昂は自分のペニスの先がきゅっと締め上げられるのを感じた。体の奥から快感が重く動きだしたが、期待したほどの爽快感はなく、緩く温く、たらたらと溢れ出すだけ。
「はぁっ、はぁっ・・・・・・っく、ふぅ・・・・・・っ」
『ん、ちゃんと出たな。・・・・・・じゃ、動くからな』
「ばっ・・・・・・!まだ、イったばっか・・・・・・!ッ!!」
 力の入っていない昂の抗議などまったく意に介さず、アキラはひょいと昂の体を仰向けにひっくり返して、広げさせた脚を抱えるように自分の腰を進めた。
「ァ・・・・・・ぁああっ!」
『ヒッ・・・・・・ぁッ、ふ・・・・・・っ!コウっ』
 昂が感じている圧迫感はアキラ自身にも跳ね返り、自分の性器で自分の腹の中を犯し犯されて感じている同じ顔が、互いの目の前にある。
『あっ、ふ、ぁッ!おくッ・・・・・・くるっ!』
「また、イく・・・・・・!いくっ、気持ちいい・・・・・・っ」
 アキラの体にしがみついて爪を立てた昂は、自分の首に吸い付く痛みに腰を揺らした。
「アァッ!ゆ、すけ・・・・・・!!」
 どろどろに濡れた柔らかな肉襞を押し広げるように、激しく奥まで突き入れる衝動が、自分を犯す罪深さと溶けていく。美しい幻に恋い焦がれながら、どこか他人事のような痙攣が体を貫いて消えた。
 アキラがぐったりした昂から体を離すと、アキラを受け入れた昂の腹の上にも、白濁が池を作っていた。溜まっていた分は出せたが、消耗が激しくて動く気力がまったくわかない。
『はー、俺もすっきりした。俺を召喚できれば、こんなに性欲たまらないし、一緒に戦ってもやれるんだけどなぁ』
「・・・・・・お前、実はマーラ様が化けているんじゃないのか?」
 喉が嗄れて咳をする昂のくせ毛頭を、アキラは朗らかに笑いながら撫でる。
『いやぁ、あそこまで容赦なくご立派じゃないよ。アハハ。少し休んだら、早く起きろよ?パンツ洗ってる時間なくなっちゃうからさ』
 明るく優しく微笑むアキラに、昂は何か言いかけて、ふっつりと白い眠りに落ちた。

 真夏の日差しは容赦なく、朝から窓を突き破ってベッドを照らした。
「・・・・・・・・・・・・」
 眩しさに腕で視界を覆いながら寝返りを打ちかけて、昂は股間に張り付く下着の不快感にむっくりと起き上がった。ベッドの端では、モルガナが伸び切って寝ている。
 スマホの時計を確認すると、まだ早朝の五時半。しかし、あと一時間もすれば、惣治郎が開店準備のためにルブランにやってくる。
(起きなきゃ)
 まずは顔を洗って、精液で汚れたパンツと汗を吸ったスウェットを洗濯しなくては。フラフラする頭を持ち上げ、重だるい腰を叩きながら、昂はそっと硬いベッドを下りた。