117 それは必然だった


 ソルとスハイルの回復と、旧ニーザルディア領の浄化を待っている間、僕は『魔法都市アクルックス』に顔を出していた。
「なるほど。精神の受信機ですか。言い得て妙ですね」
「枡出さんにも、なにか心当たりが?」
「ふむ……」
 僕と枡出さんが座っている同じテーブルには、『魔法都市アクルックス』の市長ルナティエと、アクルックス魔法学園のヨミエル学園長がいる。
 学園長と枡出さんの所に、僕とルナティエがお邪魔した形で、ここは魔法学園の学園長室だ。二つの衛星を従えたこの星の模型が飾られ、古今の魔法論文が収められた書棚や、魔法職用の強そうな装備のコレクションなどが並んでいる。ヨミエル学園長は見た目がおじいさんなので、重厚なデスクの側には、たっぷりとしたクッションの椅子などもあった。
 そんな学園長室で、脚や天板のサイドに彫刻が入った丸テーブルを四人で囲み、それぞれの前には、よく冷えたココナッツジュースが置かれている。
「実は、この世界の人と多少話していて、ふと思ったんですよ。ショーディーくんが言っていた、精神の未熟さというのは……もしかしたら、必然なのではないかな、と」
「必然、ですか」
 思いもしなかった意見に、僕は目をぱちくりさせた。
 元教師という経歴から、枡出さんにはこの世界の人間の教育に関する助言をもらうため、アクルックスやミモザの教師たちと一緒に、冒険者や職人と話す機会があった。その中で感じたことならば、なによりも傾聴に値する。
「たしかに、この世界の人々は、見た目以上にナイーブな心をしているように感じました。感情表現も、時に幼児のように短絡的です。しかし、根気よく筋道を立てて支えてあげれば、自分で探求しはじめ、成功の喜びは次の困難を迎える力になっています。嫉妬や悔しさに苦しんでも、早い段階で適切にケアをすれば、バネになります。その辺は、我々と大差ありません。では、なぜこんなに初期の段階が打たれ弱いのか」
 眉間に深くしわを刻んだまま、枡出さんは慎重に言葉を探しているようだ。
「私もヨミエル学園長たちに習って、少し魔法を試してみたのですが、そこでも違和感を覚えました。どうも私は科学的な思考が先行してしまい、アルカ族やこの世界の人よりも魔法が安定しないのです。普通は、逆だと思いませんか?」
「えっ。たしかに、逆だと思います」
 科学理論を念頭に扱った方が、現象としては安定するように思える。しかし、枡出さんが言うには、アルカ族やこの世界の人間が放つ魔法の方が、安定しているというのだ。
「そこで、逆に考えてみました。出力ではなく、吸収に問題があるのではないかな、と」
「吸収? あ、魔力の?」
「それもあります。どうも我々は物理的に考えがちですが、ことはもっと単純といいますか……そうですね、親和性とか、精神上の肌馴染みといいますか……」
 精神上の肌馴染み、なんてすごい言葉が出てきたけれど、直感的な理解はしやすかった。
「なんとなくわかりました。この世界が、そもそも魔法文明が発達しやすい構造だった、その一環でしょう」
「おそらく。そのために……魔法をよく使うために、この世界の人々は、我々よりも感受性が高い……というか、精神の防御壁が薄くて低いのではないでしょうか? そのせいで、魔力以外の刺激に対しても過剰に反応してしまうのです。それが、私たち地球人やショーディーくんからすると、未熟に感じられるのです」
「……あぁー……」
 僕はため息と感嘆を同時にはきだした。たしかに、枡出さんの分析は、僕の経験に当てはめてみても、納得できる場面が多いと思った。
 負の感情≒“障り”≒魔力、であるならば、魔力が触れる精神面積の広い方が、より安定して魔法を扱えるのではないだろか。だからこそ、この世界の人間は傷付きやすく、同時に魔力への親和性が高かったのだ。
「もっと一般的に、日常的に魔法が使えたなら、いちいち不機嫌になるほどのストレスも少なかった。魔法の能力を鍛えることと、精神の頑健さを育むことが、ほぼ同意義だった可能性がある」
「すべてがそれで解決するとは思いませんが、ある程度はカバーできたのではないでしょうか。感情というものは、たとえ喜びや楽しさといったものでも、大きすぎればストレスになります。ですがやはり、悲しみや怒りといったものが、ことさら“障り”の原因になるのは、仕方がないのかもしれません」
 僕が不快に感じていたことが、実は理にかなったことだったと知れて、納得と同時に少し安堵した。理解の及ばないものではなかったのだから。
(造りが違うのは、肉体だけじゃなかったんだな。言われてみれば、当然だったな)
 僕はココナッツジュースを飲みながら、疑問がひとつ解決したことに満足した。
「この世界の人も、たとえ魔法が使えなくても、訓練すれば我々と同程度には忍耐力が付くでしょう。稀人の知識が補助輪になっているとショーディーくんが言っていたように、いまはまだ支えが必要ですが」
「枡出さんにそう言ってもらえて、希望が見えました。正直、暗中模索でしたから」
「ははは。私も、話が通じない癇癪持ちは苦手ですよ。ショーディーくんは、よく頑張ってこられた」
「えへへ」
 年長者に労ってもらえて、ちょっと照れ臭い。
 枡出さんによれば、この世界の人間も、『衣食足りて礼節を知る』だろうし、安心できる場所であれば、落ち着いて十全な働きをするだろう、とのことだった。
 基本的に、主人マスターよりも従者サヴァントである方が、「自分で考えて指示を出す」という能動的なストレスは少ない。ただし、主人の癇癪やら八つ当たりやらを受けるストレスと、トレードオフになる。
(その辺は、まあ、経験があるな)
 些細なことで上司に怒鳴られた前世の記憶と、両親の癇癪に耐えていたブルネルティ家の使用人たちを思いだし、若干遠い目になる。
 主人の精神が安定すれば、従者が受けるストレスが減るので、仕事の効率が上がる。そのサイクルを主人に気付かせ、安心できる場所の構築を指導に入れることを検討していると、枡出さんは語ってくれた。
「さて、話は最初に戻りますが」
「あ……精神の受信機の規格が違う、って話ですね」
 そういえば、ミストに遭遇した話をしていたんだった。
「はい。この世界の人々は元々、『感受性が高く防御力が低い規格』をしているせいで、そのミストという怪物の攻撃が強く効いてしまうのだと思います」
「僕は中身が僕だから、精神攻撃に対して鈍感でいられるってことですね」
「そう卑下した言葉を選ばなくても……」
 枡出さんにちょっと悲しそうな顔をされてしまったけれど、僕としては事実を言っただけで、ことさら悪ぶってみたわけでもない。
(まあ、気を使っているかっていえば、使ってないけれど)
 相変わらず、僕のこの世界の人間に対する印象は良くないし、贔屓する人間はキッチリ選んでいる。生きている人間に対してさえそうなのだから、すでに死んでいる人間の無念に、いちいち同情なんかしないよ。
 だけど、僕に可能だからって、この世界の人間には不可能なことを強要しようとは思わない。それは、問題に対して何の解決にもならないし、時間の浪費に過ぎない。だから、僕は枡出さんの意見に素直にうなずいた。
「やはり、この世界の人をそのまま立ち向かわせるのは、無理があるでしょう。少なくとも、時期尚早だと、私は思います」
「そうですか……わかりました」
 そのままでは無理なら、無理じゃないようにすればいいのだ。
 僕は、それまで黙って聞いていたヨミエル学園長とルナティエ市長に、あらたな魔道具の開発と生産について指示をした。
「精神力を高める、あるいは精神防御に関する魔法の研究と、それを積んだ装備品の開発を急いで。性能はイトウ、デザインは琢磨に相談してくれ。魔法の研究は秘密にしなくていいけれど、アイテムの開発に関しては、今のところ極秘にする」
「アルカ族だけで、やっていいのですねぇ?」
 ルナティエの確認に、僕は頷いた。
「装備品は、ダンジョン深層からのレアドロップにする。そうでないと、レベルが低いのに旧ニーザルディア領に行こうとする馬鹿が出るはずだ」
 ミストが出没する旧ニーザルディア領にて、高難度ダンジョン『老エルフの悪夢』と『ヴェサリウス機工邸』出現の報は、すでに各地の迷宮都市から出ており、各国の冒険者は情報収集に走り回っているらしい。
 とはいえ、あの二つのダンジョンは、推奨レベル六十以上と七十五以上で、六人パーティーからが安定するよう設計されている。戦闘職ではない今の僕では、一度侵入したら逃げ帰ることすら難しい、本気で殺しにかかってくるダンジョンなので、しばらくは誰も挑戦しないはずだ。迷宮案内所からも、無謀な挑戦は控えるようアナウンスが出ている。
「まあ、あそこに行くまでの道も、現状塞がっていますから。この世界の人間は、まずは道を開通させるところからでしょうね」
「そうですな。土木工事も、時間がかかることでしょう」
 その間、僕が自由に動ける余裕ができたと考えればいいか。
 いまはまず、僕の従者たちの装備品を整えるのが優先だろう。